人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

失われた洋菓子を求めて

2020-02-23 10:45:22 | 雑感
「私は何気なく紅茶に浸してやわらかくなった、一切れのマドレーヌごと口にもっていった。...しかし、お菓子のかけらの混じった一口の紅茶が口蓋に触れた瞬間、私の中に起こっている異常なことに気づいて身震いした」(プルースト)

19世紀フランスの作家マルセル.プルーストの長編小説「失われた時を求めて」(筑摩書房他刊)は、近代文学史上に残る傑作らしいのですが、私は以前読んで100頁も進まないうちに挫折してしまいました。
ただ、このマドレーヌのかけらから幼少の頃の記憶が鮮明に写し出されたというエピソードは、とても興味を引き付けてやまないものがあります。
この数行の記述は、一冊約500頁で10冊分くらいある、この大作を凝縮したものなのでしょうか? それとも一片のマドレーヌに著者の生きた19世紀のフランスの自然や、人々の生活の有り様のところどころが凝縮されているのでしょうか?
一体、マドレーヌという菓子には、そんなにも魔法じみたものが隠されているのでしょうか?

"マドレーヌi...私は確かにそんな名前聞いたことあるし、食べたこともある...だけど、どんなやつだったっけ?、どんな味だったっけ?
クッキーみたいなやつ? それともパンか...甘いには違いないのだが...甘食?...おお、それそれi そいつとクッキーを合わせたようなやつじゃなかったか?...そいつを紅茶に浸したら、きっとすぐにぼろぼろに崩れて原型をとどめなくなりゃしないか?
何はともあれ、現物を求めて、失われた時を甦らせる魔法に与ろうではないかi...とスーパーに行ってみたが...無いi
もっと高級洋菓子店とかに行かなければ、"東友"とか"シオン"とかではありつけないのだろうか?
しかし、しがない低所得生活者の身ゆえに仕方なし..."徳用"につられて六個入りの甘食を買ってしまった。(何でそうなるのだろう?)
甘食i...懐かしい味だi ...小学4年の頃毎日食べてたっけ...確か春の遠足にも持って行ったっけ...で、それはどこへ行ったんだっけ?...高尾山?...う~ん、ダメだi...甘食では魔法が効かないのか?...
で...おお、そうそうマドレーヌだった...
しかし、よく考えてみれば...その魔法の効果は、それが媒体となって記憶が浮かび上がる、そもそもの原体験ってものがなければ意味が無いのではないか?
そうだったのだ、私の失われた時というのは、最初から失われていたのだったi...ああ、あほらしi
高級菓子買わずに済んだが、甘食一度に六個も食べて胃がもたれて飯が食えなくなってしまったi..."

ところで、このマドレーヌ体験をもたらす感覚についてですが、これは味覚というよりは嗅覚だと思われます。
出口王仁三郎師は「見直し、聞き直しは出来ても嗅ぎ直しは出来ない」と述べておりますが、これは嗅覚が身体的感覚の中でもっとも強いということを言っているのでしょう。
だから嗅覚が記憶の再生には絶大な効果があるのでしょう。
私の経験でも、例えば音楽を媒介にした過去の記憶の再生でも、音楽そのものよりレコードスプレー(レコード世代ならみんな知ってる)の臭いからより鮮明に浮かび上がってくることがあるのです。
だけど、もっと深い部分の...過去も現在も分けられないような根源的な超時間的なものに与るには、身体的感覚を超えた"内的感覚"によらねばならないでしょう。

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