人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

恩寵と修行

2017-11-07 17:29:20 | 求道、探究
このブログは、おかしなものでこの六月中旬PCの故障から中断を余儀なくされ、タブロイドに乗り換えて再スタートしてから急に訪問数、閲覧数が増したのです。(といっても人気ブログなんかとは比較にならない、あくまで日の当たらない世界のことですが...)
これには多分、その前にアップした「生と死のエンライトメント」という記事に負っている部分もあるようなのです。
あの記事は、いつも愛読していたエンライトさんのブログ「裏宇宙からの遺言」が既に表から消えてしまった、と私が勝手に判断して、そのレクイエムみたいなつもりで書いたものだったのです。イニシャルとかでなしに、実名を入れているのもその理由です。
ところが、ところが...どっかで見覚えのある筆致の、まだ色々問題を抱え込んでそうな代理人Sさんを通じて、そのブログを通して遺稿が発表され続けているではありませんかi
エンライトさんからはいつも啓発されるものがありますが、当然のことながら私とは観方、感じ方が異なる点もあります。
それはまず、歩み方が違うということが大きな理由として挙げられるかと思います。
彼は精神世界のあらゆる道に造詣があるようですが、基本修行系というか、修行に深く携わって来た方のようです。
つまり、精神的な道においてどれだけ人間的な努力をそこにつぎ込んできたかという点で、私のような"アマチュア"とは比較にならないのです。
私の場合、仏教的な枠で言えば他力門、易行道といった道を歩まされていた、と言えるかもしれません。
もっとも、特別そうした道を歩んだという意識は全くありませんが...
最初に影響を受けた教師が、五井先生だったというのが大きかったのか、私には"祈りー恩寵ー全託"という道が示されたのです。
皮肉なことですが、それは"いつまでも特定の教師に依存しているべきでない"という気付きから、五井先生から意識的に離れることで、本格的に足を踏み入れるようになったのです。これは見えざる導きへとシフトしたということです。
この祈り ...という線は、全く一連なりのものである、ということが分かります。
全託というのは、"こちらの力も、思考も全て神的現存の前では無である"ということが、前後を断ってしまうような、閃光とともに示され、そのものにゆだねざるを得ない事態になるようなことを言っています。
精神的道には"これで終わり"というものは無いでしょう。
しかし、このこちら側のことが"何もなし得ない"ということを示されること、ーこの意識の変容それ自体は、何らの概念の介入も知的解釈も許さない"原体験"と言ってもいいものですがーは、その地点での一応のピリオドがもたらされることを意味するでしょう。どんな修行も学びもその地点では終わるのです。
ただし、その意識の変容された事態から、現実世界に戻ってきてからその原体験からいくらでも新たな気付きが与えられ、理解を深め、血肉とされて行くことは可能なことです。
又そうした縁を持った人には、それが真の非二元の道と呼ぶか、どうかはともかく更なる意識の深化へと赴く者も居るかも分かりません。
修行に深く勤しんできた人には、こうしたパッションも内側に抜き難くあるのかもしれません。
しかし、それが如何なる苦悩も幸福もないという、非二元の道だとして、そこには恩寵の導きというものがあるのだろうか? 私には分かりません。
恩寵というもの無しに、意識のシフトが起こることなど私には考えることが出来ませんから。
もしそれが無ければ...おそらく愛も平安も無いでしょう。
愛も平安もそれと切り離すことが出来ないものだから...
最近アップされたエンライトさんの記事で彼は、"愛や平安というのは、アストラル次元での幻想を見せられている"という意味のことを述べておりました。
そうかもしれませんが、私はほとんど神智学的な意識の段階的進化、深化というものに関心が無いのでよく分かりません。
ただ、そのようなマインドが作り出す幻想とおぼしきものはあり得ることです。幻想か、そうでないかは疑うことが出来るか、そうでないかが一つの判断基準になり得るでしょう。
それは思考が超えられているか、どうかということなのですが、唖然となることを言ってしまえば、思考を超えてしまえば、疑うことも判断も出来ませんi その基準はこちらには無くて、どこまでも現存が物語るのですi
そして、今の私には、それがどの次元のものだろうと、この現世と何らの関わり、接点の無い、一個人の心理的主観とか、全てが虚無の世界に帰してしまうような精神の道には赴くことがありません。
この点で、エンライトさんのメッセージに大いに共感を感じるものがあるのです。
そして又一人一人の魂の在り方を大事にしていることも...違う観方、感じ方があって当然なのです。



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