人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

もしも...の話

2019-11-15 11:59:41 | 雑感
もし、このまま"あの感じ"が戻ってこなかったとしたら...
そうなったら、そうなったらでしょうがないことですi
それが"思し召し"ということであれば...
しかし...
もしかしたら、例えば次のようにイメージして...
太陽の光に当たって、それに包まれているように、だんだんそれが体の奥まで浸透して行くように...セルフイメージング。
それで本当にあの"照らされている感じ"が戻るかも知れないし、戻らないかもしれません。
だけど...そういうイメージに頼る訳にはゆきませんi
今なら、やろうと思えば出来ないことも無いかもしれませんが、ついこないだまでだったら、ほとんど物理的に困難でした。
イメージを破って自動的に発現してしまうものがあったからです。"だんだん"と暗示にかけるようなことなどやってられなかったのです。
私はどこまでも"自分の思いを超えたものに依り頼み、それに導かれてきたのですi
それが命そのものだったのですi
それを自分の思い、イメージに取って代えようなんて沙汰は絶対に出来ませんi
しかし、その命を失ってしまっては、もはや...
このブログでもそれを主軸に表してきました。
でも、ここに飛車、角、いや王も居なくなってしまったとあれば...
あろうことか、ここ数日私が一寸信用を無くすようなことを書いたせいか、アクセス数が急速に落ちたし...
もとより、そんなウケのことはハナっから期待などせず、"自分を信じて下さい、信用して下さい!"ともアッピールなどしてこなかったですけど...でも自分自身の道としてもう、書き続ける意味も気力も出てこない状態とあれば...
だから...
そういうことを思って書いてみただけですi ちょんi
(いやあ、たら、レバどちらも大好物です)
私はたった今、"自分の思いを超えたものが私の命だi"と言ったのですi
"私はもう、オシマイだi"と思おうが、言おうが、そういう思いとは別にここに命として発現しているのです。そんなこた自分のイメージで作り出せるものじゃありませんi
こんなことを何で言えるかというと...何でだろ?
たゆまなく、キンキンと耳鳴りが鳴り響いているからだろうか? いつの間にかそうなったかはいちいち覚えちゃいませんi
"あの感じが戻ってこないならば"というのは、自分の思いに頼るなi、という逆説ですよi
"思し召し"ということも、"生かされている"という実感無しには出てこないものですよi
というようなことは、ついこないだまでの話?
じゃ、今は?
どうでもよくなっちゃいましたi






コメント
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