親和会

地域自治会の親睦会の活動&トピックスなどなど~

学問のすすめ

2023年05月23日 11時08分01秒 | 写経の会

 

     学問のすすめ                令和5.5.20   写経の会

  平安時代の實語教が江戸時代寺子屋教育の中で使われるようになった。

  学問のすすめ(1872年明治5年刊行)  福沢諭吉(1835天保5年~1901明治34年)

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。 『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。
 身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。

 

お上頼みの国民意識を否定した。自らの頭で考えて判断し行動する”実学”の重要性を説いた。精神的な独立を表わす”独立自尊”を重視。

 他人の自由を妨げずに安楽に生きていくことにおいて、人間は平等だ。 だからこそその権利を行使して、快適な生活をするために学問をしようと著者は主張している。

学問を学ばざれば、人として差異を受けることになる、として学問のすすめを唱えた。       封建卑屈の精神を批判し、「一身独立して一国独立する」ことを教え、そのために「人間普通日用に近き実学」を西洋から学ぶべきだと説いた。日本における近代的、合理主義的な人間観、社会観、学問観の出発を示す書であるが、学問による差別を生んだという批判もある

                     http://blog.goo.ne.jp/sinnwakai  

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 骨を強くする栄養 | トップ | 転倒予防体操 »

写経の会」カテゴリの最新記事