親和会写経の会では般若心経の写経に次いで観音経の写経がはじまりました。 令和6年6月15日
観音さまは大勢居られて、私達を見守って下さる、有難いことです。
観音さま諸考察
観世音菩薩と観自在菩薩はサンスクリット語のアヴァローキタイシュヴラ ボーディーサットバ(avalokitasvara bodhisattva)を漢訳したもの。
鳩摩羅什三蔵は406年『妙法蓮華経』中に「観世音」と翻訳し、玄奘三蔵は649年 『般若波羅蜜多心経』の冒頭に「観自在」と翻訳した。
鳩摩羅什三蔵は「観察された(avalokita)」と「音・声(svara)」で、悩める世間の人々の音声を観ずるものという
意味で観世音と漢訳した。
玄奘三蔵は「観察された(avalokita )」と「自在者(īśvara)」の合成語で、衆生の苦
悩を観ずること自在なるものと解釈し「観自在」と漢訳した。
一般的に観自在様よりも観音様又は観世音様として親しまれているのは、観音霊場の巡礼が盛んな為、身近なものとなっている。
観音様の在すお浄土は、ポタラカ(補陀落 potalaks)で、南方インドのマラーバル地方の山中がお住まいと言われています。日本における観音様のお浄土は、紀伊半島の南方彼方あるいは海上にあると伝えられています。また平安時代に花山法皇が観音様の御利益を頂く為に、三十三ヶ所の観音様を巡礼し祈願をしたことから、西国三十三番観音霊場の信仰が盛んになりました。
『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五には、「是の観世音菩薩を聞きて一心に名を称せば、観世音菩薩は即時にその音声を観じて、皆解脱することを得せしめん」と大慈大悲と智慧を強調し、世の人々の音声を観じて、苦悩を解脱せしめる優しさが説かれています。慈悲心を本誓とし、世間の衆生が救いを求めるのを聞くと、直ちに救済の手を差し伸べ、一切諸法の観察と同様に衆生の救済も自在であると説かれているからです。
菩薩: 如来になるために修行中の身で、世の中のありとあらゆる人を救うために様々な姿に変身します。 本来は男性であったと考えられていますが、美しい女性の姿の像が多く作られた。あらゆる人を救い、あらゆる願いをかなえるために観音さまはおじいさんやおばあさん、子ども、兵士、お坊さんや、恐ろしい鬼や美しい天女など、臨機応変に33 種類の姿に変身しして人を救う
仏様の階層
「如来」真理に目覚め、悟りを開いた仏のグループです。(如来=悟りを開いた者という意味)阿弥陀如来(浄土宗天台 宗)大日如来(真言宗)薬師如来
「菩薩」如来になるために修行しているのが「菩薩」になります。
「観音菩薩」人々から救いがあればどんな状況でも対応できるように姿も形も必要な持ち物もなんでも用意して助け
てくださる慈悲深い菩薩です
弥勒菩薩 千手観音 地蔵菩薩 文殊菩薩 普賢菩薩
お姿 聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音 如意輪観音 准胝観音・安産子授り)万よろずの佛の願いよりも 千
手(観音)の誓いぞ頼もしき 枯れたる草木も忽ちに花咲き実なるとこそ聞け(平家物語)
「明王」明王は「大日如来」が姿を変えてあらわれたものとされる仏です。ことばではなかなか救われないような人々
を対象するため仏様なのに怖い顔をしたものが多い。「不動明王」「愛染明王」
「天部」天部はもともと、仏教以外で信仰されていたインドの神々のようです。
天部はいっぱいいます「帝釈天」「大黒天」「弁財天」「鬼子母神」「毘沙門天」
「羅漢」修行者 「高僧」(達磨、最澄、空海)
四国八十八ヶ所観音霊場とは、弘法大師・空海に所縁のある八十八ヶ所のお寺。
八十八ヶ所ものお寺を巡礼することは、体力的・精神的にも厳しい道のりです。しかし、お遍路により煩悩が取り除かれ、ご利益がもたらされると信じられています。
徳島県には1~23番の札所「発心の道場」1番札所霊山寺 白衣:白い羽織、輪袈裟 首から掛ける略式の袈裟
菅笠:竹と菅で編んだ笠・帽子 金剛杖:弘法大師の化身として役割をもつ木製
高知県「修行の道場」24~39番の札所
愛媛県菩提の道場 40~65番の札所 37番札所から四国最南端の足摺岬にある38番札所までは、約90km、 菩提とは煩悩を断ち、悟りを得た無上の境地を意味します。発心(徳島県)と修行(高知県)を経てあらゆる欲望や悩みから解放され、心が落ち着いてくるエリアと位置づけられているのです
香川県涅槃の道場66~88番の札所 涅槃とは、仏教が理想とする悟りの境地です。人間がもつあらゆる煩悩から解放され、不生不滅の安らぎを得た状態とされています。
秩父札所三十三観音霊場は文暦元年(1234年)3月18日に開創された。
室町時代後期には秩父札所巡りが定着しており、西国三十三所、坂東三十三所とともに日本百観音に数えられるようになった。江戸時代には心の支えとして流布し、多くの方が巡礼で秩父を訪れ隆興をみせるようになりました
秩父札所は札所1番から札所34番まで一巡約100kmの巡礼道です。秩父・西国・坂東の三観音霊場で百ケ所霊場
西国三十三所巡礼の起源については、中山寺の縁起である『中山寺来由記』、厳寺華(三十三番札所)の縁起である『谷汲山根元由来記』に大略次のように記されている。 養老2年(718年)、大和国の長谷寺の開基である徳道上人が62歳のとき、病のために亡くなるが冥土の入口で閻魔大王に会い、生前の罪業によって地獄へ送られる者があまりにも多いことから、日本にある三十三箇所の観音霊場を巡れば滅罪の功徳があるので、巡礼によって人々を救うように託宣を受けるとともに起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻された。そしてこの宝印に従って霊場を定めたとされる
坂東三十三所観音霊場 昔、旅人の避難所、足柄山や箱根の坂の東一帯は坂東と呼ばれておりその坂東の武者たちは、源平の合戦に九州にまで歩みを進めた。
源平の戦いの後、敵味方を問わない供養や永い平和への祈願が盛んになり、源頼朝の篤い観音信仰と、多くの武者が西国で見聞した西国三十三観音霊場への想いなどが結びつき、鎌倉時代の初期に坂東三十三観音霊場が開設された。https://blog.goo.ne.jp/sinnwakai