Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

安倍首相、河野談話見直しに着手

2007-03-05 | 歴史認識
 安倍晋三首相は1日、河野洋平官房長官談話について、談話見直しに着手する考えを示唆した・・・。

 「綸言汗の如し」という言葉の持つ重さをもっと感じるべきです。しかし、間違いをそのままにする事に比べれば、評価するべきかも知れません。

 首相就任前に、「真性保守」として、「自虐史観」に対し鋭い批判を行っていた安倍氏には、多くの国民が「自虐史観」の払拭が行える数少ない政治家としての期待が集まっていたと思われます。

 ところが、この人は、国民のそのような期待を、首相就任早々、あっさりと裏切って、事実上「自虐史観」容認派になってしまいました。

 安倍氏の応援団は、これを現実的対応だとかと擁護していましたが、彼らのいう現実主義とは、目の前の現実に安易に妥協する事でしかないようです。確かに、現実というものを無視して政治は出来ませんが、その場合でも、戦略的に日本の国民にとってプラスになるという方向性がなければなりません。

 「河野談話を継承する事が、日本の国民にプラスになる」という事が実証されるのであれば、それを、現実的対応と称して、肯定することもありえるかもしれません。

 だけど、実際には、「河野談話を継承する事」が、日本の国民にとってマイナスであるという事がはっきりとしたわけです。こういうのは、現実的対応とは到底言えません。安倍内閣は、党内事情や、与党内事情あるいは他国からの干渉を、日本の国民の利益よりも優先させただけではなかったのか。

 国民は、これまで政治家同士の派利波略や党利党略あるいは他国からの干渉をよって、安易に政策が決められ、国民の利益が後回しにされるという事例を数多く見てきました。このようなことは、国民に対する背任行為です。このような背任行為を誤魔化す方便として、「現実的対応」というようなもっともらしい事を言って国民を煙に巻く政治家や評論家の言説には、注意する必要があるでしょう。

 「自虐史観」論争では、「現状を追認して、とにかく謝って、他国からの非難にもじっと耐えていく」ことで、これ以上無用の対立が起きるのを防ごうという考え方があります。相手がそれで矛を収めてくれるのなら、それもまた正論かもしれませんが、現実はそうではありません。謝ったら謝ったで、ホンダ議員のように「もっと正式な謝罪をすべきだ」と、日本側の譲歩をいい事に更に攻勢を強めるような輩がいくらでも存在するのです。日本の謝罪というのは、彼らに燃料補給をしてやってるようなものです。




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