自称保守は、「日本は国際貢献をしなければならない」という強迫観念があるみたいですね。
でも、権利と義務というのは表裏一体のものであるはず。米英仏中露といった国は、安保理の常任理事国という絶大な権利を持っているわけで、そういう国に権利の代償として「国際社会に対して何らかの貢献をする義務」というのが生じるのは当然です。
一方、日本はと言えば、安保理の常任理事国どころか、未だに国連の「敵国条項」の対象国であるわけです。
いわば、国連においては「最下層」の国として扱われているのです。
一人前の国としてさえ認めてくれていないのにもかかわらず、分担金においても、アメリカに次いで二番目に多いというような、不条理とも言える義務を課されているのです。
「日本は国際貢献をしなければならない」というような諸大国の手前勝手な言い草に対しては、「だったら、せめて、敵国条項は撤廃しろよな」とぐらい言ってしかるべきです。
自称保守は、小池百合子もそうだったけれど、1991年の湾岸戦争のとき、日本は米国中心の「多国籍軍」に130億ドルも拠出したのに、戦争後、日本だけが評価されなかった件に言及してそれを、「日本は国際貢献をしなければならない」という論拠にしています。
ブッシュ(父)は日本に、湾岸への自衛隊派遣など、「目に見える貢献」を強く迫り、おろおろする日本は、「遅すぎる、少なすぎる」(too late, too little) と締め上げられ、国際社会の笑い物になったというのが、自称保守の見解です。
勝手に戦争を始めておいて、その請求書を日本に渡して「払え」と迫るのだから、このときのアメリカのやり口も、ヤクザそこのけの所業です。
こんな理不尽な要求に応えて、130億ドル拠出したにもかかわらず、クウェートの感謝国のリストに入らなかったのが自称保守のトラウマになっています。
クウェートが日本に感謝を示さなかったというのが本当なら、そのような恩知らずの国には今後何が起ころうと、一切の支援をしないことにすれば良いだけのことで、何も日本が反省することでもないのに、自称保守は日本のやり方が間違っていたと反省するわけです、「目に見える形で、国際貢献をしないと評価されない」と。
このようにして湾岸トラウマに陥った日本は、その後、二度とアメリカからの罵声を浴びまいとして、「少しでも早く、アメリカに貢献しないといけない」と焦りまくる国になってしまいました。ブッシュ(父)の一喝は、見事な効果をあげたわけです。
「本当に日本というのは扱いやすい国だ」と、かの国の指導者は思っていることでしょう。
一方、湾岸戦争での出来事は、「NYタイムスの感謝広告で日の丸が落ちていたのは、あくまでクウェートの手落ち。クウェートは巨額の日本の戦費支出を感謝していた」というような説もあります。
もし、こちらの方が本当であれば、何もトラウマに陥る必要もなかったのですが、自称保守にとっては、「金だけでは駄目だ。汗も流さないと国際社会は評価しない」という主張に説得力を持たせるためには、このような説は邪魔なだけであることから、黙殺しているのではないかという気もします。
でも、権利と義務というのは表裏一体のものであるはず。米英仏中露といった国は、安保理の常任理事国という絶大な権利を持っているわけで、そういう国に権利の代償として「国際社会に対して何らかの貢献をする義務」というのが生じるのは当然です。
一方、日本はと言えば、安保理の常任理事国どころか、未だに国連の「敵国条項」の対象国であるわけです。
いわば、国連においては「最下層」の国として扱われているのです。
一人前の国としてさえ認めてくれていないのにもかかわらず、分担金においても、アメリカに次いで二番目に多いというような、不条理とも言える義務を課されているのです。
「日本は国際貢献をしなければならない」というような諸大国の手前勝手な言い草に対しては、「だったら、せめて、敵国条項は撤廃しろよな」とぐらい言ってしかるべきです。
自称保守は、小池百合子もそうだったけれど、1991年の湾岸戦争のとき、日本は米国中心の「多国籍軍」に130億ドルも拠出したのに、戦争後、日本だけが評価されなかった件に言及してそれを、「日本は国際貢献をしなければならない」という論拠にしています。
ブッシュ(父)は日本に、湾岸への自衛隊派遣など、「目に見える貢献」を強く迫り、おろおろする日本は、「遅すぎる、少なすぎる」(too late, too little) と締め上げられ、国際社会の笑い物になったというのが、自称保守の見解です。
勝手に戦争を始めておいて、その請求書を日本に渡して「払え」と迫るのだから、このときのアメリカのやり口も、ヤクザそこのけの所業です。
こんな理不尽な要求に応えて、130億ドル拠出したにもかかわらず、クウェートの感謝国のリストに入らなかったのが自称保守のトラウマになっています。
クウェートが日本に感謝を示さなかったというのが本当なら、そのような恩知らずの国には今後何が起ころうと、一切の支援をしないことにすれば良いだけのことで、何も日本が反省することでもないのに、自称保守は日本のやり方が間違っていたと反省するわけです、「目に見える形で、国際貢献をしないと評価されない」と。
このようにして湾岸トラウマに陥った日本は、その後、二度とアメリカからの罵声を浴びまいとして、「少しでも早く、アメリカに貢献しないといけない」と焦りまくる国になってしまいました。ブッシュ(父)の一喝は、見事な効果をあげたわけです。
「本当に日本というのは扱いやすい国だ」と、かの国の指導者は思っていることでしょう。
一方、湾岸戦争での出来事は、「NYタイムスの感謝広告で日の丸が落ちていたのは、あくまでクウェートの手落ち。クウェートは巨額の日本の戦費支出を感謝していた」というような説もあります。
もし、こちらの方が本当であれば、何もトラウマに陥る必要もなかったのですが、自称保守にとっては、「金だけでは駄目だ。汗も流さないと国際社会は評価しない」という主張に説得力を持たせるためには、このような説は邪魔なだけであることから、黙殺しているのではないかという気もします。