ですから既成の社会集団はまた、自らの内外のあらゆる要素を基本的に
現システムの安定化装置として取り込もうとします。
宗教集団に対してもそういう行動をとります。
一般に法律と道徳は社会安定化装置として働きます。
法律はその社会で人が踏み行うべき行為を文章に定め、
外からの物的強制力によって人民に守らせます。
道徳はそれを個人の内面の原理として自主的に守らせます。
そして宗教もまた社会安定化機能を持っています。
法律や道徳が課すルールは「神(という超自然的な存在)によって遵守を求められているよ」
と教えてそれらを心理的に補強する働きをするのです。
宗教には他にも働きがありますが集団社会というものはこの安定化の機能を
すぐれて求めるものです。
そして統治者は集団の欲求を体現して、宗教を社会安定化装置として役立てようとするのです。
コンスタンチヌス前のローマ皇帝や高官は、皇帝崇拝の思想と妥協するように
キリスト教の代表者に要請したでしょう。
相手が変化して自分に同化するように求めたわけです。
だが、教団側はそれに応じなかった。そこで「ならば!」と撲滅を計ったのです。
力あるものがとる自然な行為です。だがそれはならなかった。
ならないどころか、皇帝を身近で守る親衛隊の隊長までがいつのまにかキリスト者となって
密かにクリスチャンを助けるような事態になっていた。
彼も処刑しましたが、全信徒の消滅は実現しませんでした。
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コンスタンチヌス帝もまた危機に瀕していた帝国の一体性を回復する方法を追求しました。
そして彼のとった方法は画期的だった。
自分の方の思想を希薄化して、相手の思想を取り込み、
それをそのまま国家のアイデンティティとして使ってしまおうというものだったのです。
国家安定化のためには皇帝崇拝など希薄化して、
かわりにキリスト教のいう神をもってきてもいいというのです。
なかなか出来ないことですが、これはローマ人本来の資質が発揮された政策でもありました。
彼らは合理精神に卓越した民族でして、現状よりもっと有効な安定化策があれば、
大胆に切り替えることの出来る合理性を持っていました。
彼らはもともとイタリア半島を横切って流れるチベレ川のほとりに自然発生した
集落国家の一つでした。
だがその卓越した合理性の故に、他の集落国家を吸収し、
さらに他民族をも征服、併合して世界大帝国になりました。
彼らは最初は王政をとっていましたが、これが不適とみれば
元老の合議制で政治を行う元老院共和制に切り替えました。
さらに皇帝が必要となれば皇帝制に切り替えてきた。
そもそもローマ国家がアウグツスツス帝の時皇帝崇拝を始めたのも
国家の一体化・安定化のための方策でした。
「道具主義!」とでも言ったらいいかな。
理念も思想もつまるところは国家社会を統治する道具である、という民族。
中国人にもそういう所がありますが、これがローマ人の真骨頂でした。
コンスタンチヌス帝のおこなった大転換はローマ人の神髄たる合理精神の
フルスケールでの発揮でもあったのです。
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こういう彼ですからほとんど直感的に、キリスト教団の中からカトリック教団を選んだのでしょう。
一つにはこの教団が統一的な教団教理を作って信徒に布告するという教理主義方式は、
国家運営と相性がよろしかった。
この教団が国家など世俗の機関と同じピラミッド型の管理階層方式で運営していたことも
大きかったでしょう。
要するにこの教団はローマの国家組織と組み合わさりやすかったのです。
コンスタンチヌス帝は以後も、壮麗な大会議場を作って公会議を開いてあげたり、
教会堂を建設してあげたりしてこの教団を優遇しました。
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