放射線物質の予想外の拡散と、世界および日本における原発の驚くべき実態を知ってしばらく考え込んでおりました。
前回まで四回に分けて、イエスの血について書きました。
ポイントは「人間の血はいのちエネルギーの液体充電池」であり、
「イエスの血はいのちエネルギーの凝縮体」という解釈にありました。
これと放射能とはどういう関係にあると解されるか、考えこんでおりました。
福音の骨子は「いのち」の方程式にある。いのちは物理学におけるエネルギーのような概念で、
これを「いのちエネルギー」と言い換えてもほとんどその論理は理解できそう、というのが鹿嶋の従来からのアイデアでした。
これを用いて、「人間の血はいのちエネルギーを充電されて身体各部にいのちを運び、その運動を保っている」と解しました。
「イエスの血はいのちエネルギーの凝縮体として、あらゆる癒しの源にもなっている」のであって
「これを乞い求めればすべての病の根源に対処できる」のではないか、とも考えました。
病の根源は「死」エネルギー、すなわち「マイナスのいのちエネルギー」です。
これに大量の(プラスの)いのちエネルギーがぶつけられたら「死」は圧倒され追い払われて病はいやされることになる、
と理解していました。
ではそれと放射能とはどういう関係にあるか。これがもつ人間という生命体の細胞を破壊する力と、いのちエネルギーの関係とは?
むずかしい問題です。
ヒントはあります。それはいのちエネルギーは創造主が物質を創造するときの素材でもありそうというアイデアです。
物理学で「エネルギーと物質とは相互転換する」ことがあかされている。
だから1グラムの物質にもすごいエネルギーが込められている。
これを分裂させてエネルギーを出すのが核分裂の手法なのでしょう。
創造主はその逆のことをして物質を創造している。人間の身体も創造している、と理解できます。
その物質を核分裂させてエネルギーを放出させると、エネルギーが不足して安定状態になくなった物質が出来るのか。
それが放射性物質なのか。それは生命体のいのちエネルギーを吸収し奪い取ってしまおうとするのか。
いま少し、考えようと思います。聖書の言葉にはすべてをあかす知恵があると信頼して。
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