鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

【日本のマスコミと政治的無能について】

2012年07月09日 | 「幸せ社会の編成原理」
 このブログは「チャーチ」ですから、現世の生々しいことはあまり書かないのが正解に思います。
だが、他のネットメディアで、「日本のマスコミから流れる情報の低級さ」と「日本人の政治的見識の低さ」が
原発問題を契機にしばしば話題になっています。
 
その問題を避け続けるのは、これ以上はよくないと思いましたので、ここに記してみます。
これはおそらく、誰も気づいてないことで、かつ根底的なことだろうと思いますので、敢えて、書くことにしました。
 
+++
 
 明治維新後、日本政治の最大課題は「国の西欧化」でした。
そしてそのためには為政者はとにかく「洋行して現場を見なければ」ければなりませんでした。
そこで乏しい国費から指導者とその候補を海外に出しました。岩倉具視を団長とする西欧視察団に始まって、ふんだんに遊学させました。 
 「坂の上の雲」の主人公、秋山兄弟も、ともに海外遊学に出してもらっています。 重税に耐えた国民も大変だったろうと思います。
                          
 
 <汚職やスキャンダル記事を売り物にするしかなかった>                                       
 
 だが、新聞社を始めた人々には洋行するお金はありませんでした。瓦版屋からスタートしてますからね。
彼らは西洋の現場情報がないので、政府の政策に関して適確に評論することがきませんでした。
 
+++
 
近代政治は国際社会の認識を背景にしておこなわれます。
国際社会の実情を肌で感じるには、最低限、2年くらい海外でごろごろする必要があります。
ところが新聞社は貧しくて記者にそれをさせられなかった。
だから日本の新聞は政治家の汚職とか女性スキャンダルとかの
暴露記事しか売り物に出来ませんでした。
 
後は「魔風恋風」とかいった、扇情的な連載新聞小説で引っ張るのみでした。
 
ここでもう出発点から、日本のマスコミが発信する情報は「低級」を宿命づけられています。
 
<俺たちが遊学させてもらってないのに>
 
 だったら、新聞社も大きくなったら若い者を海外遊学させたらいいではないか、と常識的には考えられます。
だが、そうならないのが「日本人」でした。
 
先輩(上司)たちは「俺たちはやってもらわなかった。なのに若い者を出すのは不公平」、とか、「出してやりたくない」とかで、
結局特派員以外は出さない風習が出来ていった。
それがなんと、今日まで来ているのです。
 
 だから、新聞社の論説委員なんていうと、聞こえがいいですけど、会って話してみると、
信じられないほど凡庸です。NHKも**通信といった通信社も同じです。
 
 そうした中で「これではいけない」と気づく人もほんの少数ながらいました。
かれらは定年近くになって、早期退職して、遅ればせに米国暮らしをしていました。
鹿嶋の限られた経験ですけど、そういう人も観察しました。
 
こういう人は、前職のイメージを活かして、どこか日本の大学の専任教員になりたいと望んでいました。
それで日本の大学教員とつながりをつけようと、米国の大学キャンパスをごろごろしていました。 
暴露的な話はなるべく避けたいのですが、もう、日本人も実情を知るべきと思って、書いています。
 
それで、結構、成功している人もいました。
日本の大学は、依然として、大新聞とか通信社とかNHKとかの肩書きイメージに弱かったんですね。
開けてびっくり玉手箱だったでしょうけどね。
 
+++
                                 
 その一方で、メーカーなど一般企業は、1980年代くらいになると、湯水のように海外勤務に社員を送り出していました。
その彼らの方が、大新聞やNHKの幹部記者より国際社会への見識をはるか豊かに持ってました
そういう奇異な現象は、おそらく、今も続いていると思います
 
<大衆の見識はマスコミ情報で教育される>
 
 だから、日本のマスコミ情報は低級にしかならないのです
そして一般国民はこれでもって「教育」されますから、日本人一般もまた、政治見識は幼稚にならざるを得ない。
 
戦後、日本統治のため厚木空港に降り立ったマッカーサー、GHQ司令長官が日本で放った第一声を知っていますか。
 
 「日本人は政治的には13才」
 
~がそれです。そしてこの状況は、今も基本的には変わっていないのです。
マスコミの無能が、国民の政治的無能を宿命的に再生産し続けているのです。
 
これは非常に大きな国家問題です。
何とかしなければなりません。
 
どうしたら打開できるでしょうか?
それは次の機会に考えることにします。
 
 

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2 コメント

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日本マスコミの問題はいろいろありそうですね。 (SABIA)
2012-07-10 01:12:13
2年ほど前に、NHKのニュース番組で、何かおかしな解説をやっているなと思って、ブログに書いたことがありました。

http://blogs.yahoo.co.jp/sabia59_62/59926593.html

なぜ、天下のNHKが、民主党の勢力争いについて、ワイドショーと同じようなことを、時間をかけて解説しているのか不思議に思ったものですが、この記事を読んで、妙に納得してしまいました。

確かに政治家のレベルも落ちているのかもしれませんけど、それとは関係なく、たとえば、誰がリーダーになれば国民の生活をどれだけ良くしてくれるのかとか、日本の対外的な立場をどれだけ改善してくれるのかという観点から論評するぐらいはできるはずだと思います。
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聖句吟味が唯一の方法ですが (鹿嶋春平太)
2012-07-10 02:09:14
~Sabiaさん、コメントありがとうございました。
それでSabiaさんの上記の記事を知りました。
こんなに早くに、問題を洞察しておられたのですね。
感銘受けました。

遅ればせながら、下記のコメントをSabiaブログに書かせていただきました。

+++

私のブログにいただいたコメントで、この記事を知りました。
方策は「聖書を吟味することにあり」というのは、一件飛躍した議論に見えるのですが、実はそうではないんですね。

これしかない、というのが実情です。

そこのところを、どう、飛躍でないように説明で埋めるか、これが日本伝道の重要課題ではないかと思っています。





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