鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.137『創主の子には良きしるしが現れる』(10章:最終)

2006年04月30日 | ヨハネ伝解読


~~久しぶりに「ヨハネ伝解読」をいたしましょう。
聖句を考えることは、鹿嶋春平太チャーチの主柱です。


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=聖句=
 「もし私が父が欲せられるわざを行わないならば、私を信じなくてもいい。だが、私が行っているのなら、たとえ私を信じなくても、最低限私のわざは信じなさい。父なる創造主が私のうちにおられ、私が父の内にいることをはっきり悟るために」(10章37~8節)
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 「自分はその創主のメッセージを与えられた者だ、創主が選んで世に送った存在なのだ」(36節)とイエスが言っても、ユダヤ人たちは「あほか」と信じませんでした。

 そこでイエスの口から出たのが、本日の聖句です。それは~~

 「そのわたしの言葉自体を直接信じられないのなら、信じなくてもいいだろう。けれども、私がしているわざは創主が望まれるものだよね。諸君(ユダヤ人たち)はそのことは信じられるはずだから、信じなさい。そうしたら(その筋道から)創造主と私とは一つであることをはっきり悟るようになるだろうから」(37節)

 ~~という主旨ですね。

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 すごい論理ですね。もし真理なら、素晴らしい論理でもありますね。福音を学ぶ者は、この点を見逃してはなりません。特に、牧師、伝道師などの教職者の人は、この論理を無視してはならないのです。この辺を「しるしばかり求めて・・・」と、誤解した屁理屈付けて否定する人が日本には多いのですが・・・・。

 しるし「ばかり」求めているのではありませんよ。しるし「も」も必須要素だ、と言っているのです。

 「愛と救い」が福音の必須要素であることを否定しているのではない。それに「プラス霊力」で、福音は十全となるといっているのです。それを否定したら、そうなりうる道を自ら断っていることになるのです。

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 だがイエスのこの論理を、ユダヤ人たちは受け入れることが出来ませんでした。それで、イエスを逮捕しようとします(39節)。イエスはこれを逃れて、エルサレムの神殿を去り、ヨルダン川の東側の岸に滞在します。

 「多くの人がやってきて彼を信じた」、とヨハネは記しています(42節)。同時に、その彼らの口から出た言葉の一つも記録しています。

 「(バプテスマの)ヨハネは何のしるしも行わなかった。けれども彼がこのかた(イエス)について語ったことは本当であった」と(41節)。

 つまり、彼らはイエスのしるしを見て、「しるし → その語ることは創主からのメッセージ」という論理を素直に受け入れたのでありました。

 これで10章は終わります。
 深い、すごい章でしたね。


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