鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.88『父が与えて下さる人だけが私に来る』(6章)

2005年10月24日 | ヨハネ伝解読
                        




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=聖句=
「わたしを(この世に)つかわされた父が引き寄せて下さらなければ、だれも私に来ることは出来ません」(44節)。
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 少し前の節に戻ります。36節から45節にかけて、イエスはもう一つのことを言っています。それがこの聖句です。

 ここで、「私に来る」というのは、「イエスの言うことを真理だと信じる」という意味でしょう。つまり、「創造主なる父がそのように働いて下さる人間だけしか、イエスの教えを真理だと信頼することは出来ない」と言っているのです。

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 いやぁ~これはまた重要なところですねぇ。
 文字面だけを読むと、運命説、予定説のように解釈してしまいそうです。「イエスの教えをだれが信じ、誰が信じないかは、当人の意識を超えたところにある全能の創主が、あらかじめ決めておられるのだ」というふうに解せそうです。

  だが、もしそうなら、福音、すなわち「いい知らせ」「グッドニューズ」というものがもつ、人類にとっての価値は小さいものになってしまうでしょう。いくら「いい知らせです」と伝えても、あらかじめ全能の創主が「この人は受け入れない人」と実は決めているというんでは、その聞き手に希望は全くないことになります。

 はたしてそうでしょうか? 福音を受け入れる人を、創造主はあらかじめ決定しておられることになっているのでしょうか? イエスのこの言葉は、そういっているのでしょうか。

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 聖書のサルベーション(救い)を予定されたこととするかどうかは、米国南部のサザンバプティストのあいだでも、今日も意見が分かれるところになっています。鹿嶋の印象では神学者では4割くらいが予定論者といった感じです。鹿嶋自身、予定説の立場をとる若い神学生と論争したことがあります。

 これが一般信徒になりますと、予定論者は1割以下くらいでしょうか。これも鹿嶋の印象ですけれども。

 予定論者は、カルヴァニストとも呼ばれています。予定説の元祖がカルヴァンとされていることからきています。対して、予定説を採らない人がアルメニアンと呼ばれることもあったようでした。が、ともあれ、この問題を考えてみましょう。


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