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鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.45 「4章 統治者は異質集団に同化を要求」(4)~洗礼をめぐる神学論争~

2012年03月14日 | 「幸せ社会の編成原理」

   
     
      
      
ここで幼児洗礼に対するカトリックと聖句主義者の考え方を示しておきましょう。この話は「信者間の言い争いで、どうでもいいこと」ではなく、その成り行きは西欧史、世界史の理解に直結しています。

まず、洗礼(バプテスマ)について。これはイエスの命令に従っておこなう行為です。
新約聖書によれば、復活して現れたイエスは弟子たちにこういっています。
     
「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音(イエスの教え)を宣べ伝えなさい。
信じてバプテスマを受ける者は救われます」(『マルコによる福音書』16章15~16節)
     
この後、弟子たちは宣教し、信じた者にバプテスマを授けていますので、
右の聖句は「福音を信じたものにバプテスマを授けよ」という旨の命令と解読できます。

なおそこで「救われます」というのは最後の審判で「火の湖」に投げ込まれることなく
「天国(天にある創造主の王国)に入れるようになる、という意味です。
聖書ではこれを「救いを受ける」と表現しています。

がともかくこの「バプテスマを信じたものに授けよ」との命令は「信仰者洗礼(believer's Baptesma)」
という神学用語をも生んでいて、広く容認された鉄則になっていました。





幼児洗礼に対する見解を、聖句主義者とカトリック教団との間で論争がなされたと想定して示してみましょう。
両者が対面して論争したわけではありませんが、そうすると論点が明快になるのです。
      
聖句主義者 「幼児洗礼は聖書に根拠づけられていない」

カトリック教団 「いや、そうでもない。洗礼で救われるのはその行為に秘蹟(sacrament)が伴うからで、
生まれたての幼児はこの神秘的な力によって救いが与えられるのだ」

 ~秘跡とは文字通りでは神秘なる痕跡ですが、教団は神学的に
「霊によって起きる神秘な賜物」としました。
この教理を正統として、幼児も洗礼で救われるとしたのです。

カトリック教団は公会議というのを開いて、様々な神学理論を検討します。
そしてそこで多数に承認された神学理論を正統な教理とするのです。
      
聖句主義者 「だが赤ん坊の心には信仰という要素が存在していない」

カトリック教団 「そうかもしれないけど、その点は、成人して堅信(confirmation)礼で補うから
いいじゃないの」

~堅信礼とは「受洗した後に行う儀式」です。
彼らは「堅信礼には信仰を強める秘跡がともなう」という理論を考え出した。

こうして「幼児の時には信仰は薄いとしても、成人して堅信礼をうけたら
信仰は補強されるからいい」という教理を作ったのです。




カトリック教団はこのような論拠を重ねて幼児洗礼を聖書に沿うものとし、この教理を法文化し、
しました。そしてそれを国家の法令「幼児洗礼法(416年)」として発したのでした。

以来、ローマ帝国下の人民は、子供が生まれたらすぐに洗礼を施さねばならなくなりました。

 

 

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Vol.44 「4章 統治者は異質集団に同化を要求」(3)~幼児洗礼法を考案する~

2012年03月14日 | 「幸せ社会の編成原理」

  


      
カトリックランド化政策は一定の成功を収めました。
とくにこれといった信仰を持たない人民は政府の命令に従っただろうからです。
国教会員になれば公的便益を受けられるし、就業の機会を排除されることもなくなるのです。

それだけにカトリック教会は聖句主義者たちをなんとかせねばなりませんでした。
そもそもローマ帝国全土に当初広がったのはバイブリシスト教会で、
彼らは全国にくまなく存在していたしその総数は膨大でした。

だがここでカトリック教団は知恵を出しました。
なんと幼児洗礼法という法律を考案したのです。

幼児洗礼とは「子供が生まれたらすぐに洗礼をほどこす」行為をいいます。
洗礼とはバプテスマの邦訳語であって、イエスの教えを信じた者を(素早く)水に沈めて
浮かび上がらせる行為を意味しています。

教団はこれを滴礼(水を額に垂らす方式)に簡略化し、
生まれた子供に授けることを親に義務づけたのです。

これはうまいアイデアですよね。
これをしておけば、赤子は将来カトリックのクリスチャンとなります。

また彼らが大人になる頃には聖句主義教会の大人も死んでいなくなるでしょう。
かくして「イッツ・オートマチック!」宇多田ヒカルのヒット曲のように
全人民が自動的にカトリック教会員になってしまう仕掛けです。


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Vol.42「4章 統治者は異質人間に同化を要求」(1)~全欧州カトリックランド化を志向~

2012年03月14日 | 「幸せ社会の編成原理」

   
      
 

この章では、国教となったカトリック教団が聖句主義者を自己の内部に取り込もうとする様を描きます。
彼らはなんとしても取り込もうとあの手この手を施します。

国家の唯一国教になることは統治者の一部になることでもあります。
統治者は全社会の安定化を際限なく追求します。
その追求は動物本能ベースであるが故に、思考と行動が単純で直線的になります。

僧侶たちはカトリック(普遍的)の名の如く、帝国圏内の住民すべてを
カトリック教徒にすることを志向しました。
それを神の御旨に沿う使命だとか神学的にもいろいろ理論づけて働きました。

ちなみにこれは国家や地方自治体や企業においても同じで、
統治権を握った側の人間は自然にそういう行動をとります。

当時ローマ帝国の統治地域は欧州からアフリカ、小アジアにまで及んでいました。大帝国です。
後に東西に分裂すると、カトリック教団のテリトリーは西ローマ帝国に縮小する。
とはいえそこは現在の欧州大陸と英国の南半分を含む地域であって、
広大なことに変わりはありません。

このときの教団の意識状態についてはたとえていえば今日の遊園地ディズニーランドを
想像したらいいでしょう。
この土地の内部は、ウォルト・ディズニーの夢、哲学、思想一色でデザインされた
ディズニーの世界になっています。

カトリック教団も、全欧州を文化的にも風俗的にもカトリック・コンゼプト一色でデザインされた、
カトリックランドの建設を目指したのです。

 

 

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Vol.41「3章 カトリック教団、ローマ国教となる」(8)~そしてローマ国教に~

2012年03月14日 | 「幸せ社会の編成原理」

      
        
カトリック側は313年の公認化に喜んで応じました。
それまでの十年間が、探索、逮捕、拷問、死刑の日々だったのですから、
なによりも安堵が大きかったのでしょう。

教団は即座に今コンスタテンチヌス皇帝に賛美の言葉をささげました。
公認は国家統治者が宗教を社会安定装置として取り込んだ事件であると同時に、
政権と宗教教団との結婚でもあったのでした。

皇帝の死後も帝国はコンスタンチヌス路線を進みました。
もう行き着く先はこの宗教の国教化しかありません。
国教として統治体に取り込み、全人民の心をこの宗教でもって統合し
帝国をさらに安定的にするのです。

公認の約80年後の392年カトリック教団はついにローマの国教になりました。
これについても教科書・歴史書物はほとんどあまねく「キリスト教が国教になった」
と記していますよね。
実情はそうではない。国教になったのはカトリック教団だけでした。

その証拠に帝国政府はその10年前の382年に、すべてのキリスト教会はカトリック教会に
併合さるべしという布告を出しています。
ダイナミックに多様化していたキリスト教運動をカトリック方式に統合する。
そのためのリードタイムとして10年が当てられたのでした。

またこういう布告が出るということは、この作業が開始された年に国教化は
実質決まったようなものだったことでもあります。
筆者の知人のカトリック教団の修道女さん(フランチェスコ会)は、
修道院で382年を国教化の年と教わっておられます。

この国教は惟一で独占的な国教でした。
国教といっても戦前の日本のように神道を国教としながらも、
仏教など他の宗教活動を禁止しないゆるやかな方式もあります。

392年のローマ帝国の国教化宣言は、カトリック教団を帝国の唯一国教と定める宣言だった。
そこでは他はすべて禁教です。




     

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Vol.40「3章 カトリック教団、ローマ国教となる」(7)~宗教も安定化装置に~

2012年03月14日 | 「幸せ社会の編成原理」

     
     
      
ですから既成の社会集団はまた、自らの内外のあらゆる要素を基本的に
現システムの安定化装置として取り込もうとします。
宗教集団に対してもそういう行動をとります。

一般に法律と道徳は社会安定化装置として働きます。
法律はその社会で人が踏み行うべき行為を文章に定め、
外からの物的強制力によって人民に守らせます。
道徳はそれを個人の内面の原理として自主的に守らせます。

そして宗教もまた社会安定化機能を持っています。
法律や道徳が課すルールは「神(という超自然的な存在)によって遵守を求められているよ」
と教えてそれらを心理的に補強する働きをするのです。
      
宗教には他にも働きがありますが集団社会というものはこの安定化の機能を
すぐれて求めるものです。
そして統治者は集団の欲求を体現して、宗教を社会安定化装置として役立てようとするのです。
    
コンスタンチヌス前のローマ皇帝や高官は、皇帝崇拝の思想と妥協するように
キリスト教の代表者に要請したでしょう。
相手が変化して自分に同化するように求めたわけです。

だが、教団側はそれに応じなかった。そこで「ならば!」と撲滅を計ったのです。
力あるものがとる自然な行為です。だがそれはならなかった。

ならないどころか、皇帝を身近で守る親衛隊の隊長までがいつのまにかキリスト者となって
密かにクリスチャンを助けるような事態になっていた。
彼も処刑しましたが、全信徒の消滅は実現しませんでした。

+++
      
コンスタンチヌス帝もまた危機に瀕していた帝国の一体性を回復する方法を追求しました。
そして彼のとった方法は画期的だった。
自分の方の思想を希薄化して、相手の思想を取り込み、
それをそのまま国家のアイデンティティとして使ってしまおうというものだったのです。

国家安定化のためには皇帝崇拝など希薄化して、
かわりにキリスト教のいう神をもってきてもいいというのです。

なかなか出来ないことですが、これはローマ人本来の資質が発揮された政策でもありました。
彼らは合理精神に卓越した民族でして、現状よりもっと有効な安定化策があれば、
大胆に切り替えることの出来る合理性を持っていました。

彼らはもともとイタリア半島を横切って流れるチベレ川のほとりに自然発生した
集落国家の一つでした。
だがその卓越した合理性の故に、他の集落国家を吸収し、
さらに他民族をも征服、併合して世界大帝国になりました。

彼らは最初は王政をとっていましたが、これが不適とみれば
元老の合議制で政治を行う元老院共和制に切り替えました。
さらに皇帝が必要となれば皇帝制に切り替えてきた。

そもそもローマ国家がアウグツスツス帝の時皇帝崇拝を始めたのも
国家の一体化・安定化のための方策でした。

「道具主義!」とでも言ったらいいかな。
理念も思想もつまるところは国家社会を統治する道具である、という民族。
中国人にもそういう所がありますが、これがローマ人の真骨頂でした。
コンスタンチヌス帝のおこなった大転換はローマ人の神髄たる合理精神の
フルスケールでの発揮でもあったのです。

+++
   
こういう彼ですからほとんど直感的に、キリスト教団の中からカトリック教団を選んだのでしょう。
一つにはこの教団が統一的な教団教理を作って信徒に布告するという教理主義方式は、
国家運営と相性がよろしかった。

この教団が国家など世俗の機関と同じピラミッド型の管理階層方式で運営していたことも
大きかったでしょう。
要するにこの教団はローマの国家組織と組み合わさりやすかったのです。

コンスタンチヌス帝は以後も、壮麗な大会議場を作って公会議を開いてあげたり、
教会堂を建設してあげたりしてこの教団を優遇しました。

 

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Vol.39「3章 カトリック教団、ローマ国教となる」(6)~社会保存欲は動物的本能~

2012年03月14日 | 「幸せ社会の編成原理」



  
      
コンスタンチヌス帝はどうしてカトリック教団だけを公認したのでしょうか。
教団の公式見解は「神が働いたから」です。
だがそれはあまりに宗教的な見解でして、ここではもう少し経験科学的で現世的な要因を
考えておかねばなりません。 
      
そしてそのためには前段階としてまず、国家も含めて社会集団というのは
強い自己保存本能をもっていることを知ることが必要です。

+++
      
前の章で筆者は、人間が群れて社会を構成する主動機は安全と食の確保だといいました。
既成の社会集団はその欲求充足を一定レベル達成した集団です。
そしてその社会システムを一旦確立すると集団は、
これを維持しようという自己保存欲求を予想外に強大にもつようになります。 
      
哲学者ベルグソンはそのことについて、とても意味深い認識を提供しています。
彼は「人間と社会」の本質的な関係を学究生活の最後のテーマとして問い、
絶筆本『道徳と宗教の二源泉』にそれを書き残しました。

その要旨を筆者流に示しますとこうなります。

~人間社会には様々な取り決め、秩序、ルールが存在する。
それが故に社会は人間に特有な知性活動を基盤にして動いているように見える。

だが事実はそうではない。秩序ある社会は、動物も形成している。

蟻をみよ。
彼らは自分たちの住居である穴の中に食物を蓄積すべく、
ラインを形成して連携しながら獲物を整然と運搬し、貯蔵している。
人間が運搬ラインを手で遮ると全員が一斉にその手に上って噛みつく。

ミツバチもそうだ。巣を作るにも、食料を蓄積するにも、子供を増やすにも、
あらかじめ定まった秩序に沿っておこなっている。
外敵を偵察するにも、それに立ち向かうにも整然と機能分担し連携して行動している。

人間の社会保存行動もそれと同列なものだ。
動物と同列な心理に発しているのであって、知的というよりむしろ動物的本能の一つなのだ
~と彼は言います。

+++
    
これは的確な洞察だと筆者は思います。
後に欲求五段階説で有名になるマズローという心理学者は、
人の欲求を低次から高次に向かって五つあげています。

生理的欲求、安全欲求、愛の欲求、尊敬欲求、自己実現欲求がそれです。
そしてはじめの二つが動物と同列な肉体発の欲求で、後の三つは精神的欲求だとみています。

これに照らし合わせますと、人間の社会保存欲求は精神的欲求のようなそんなに高次な欲求でなく、
むしろ低次の肉体発的な欲求なのだとベルグソンは洞察していることになります。
      
どうもこれは正しそうです。
その証拠に人間集団は現システムを不安定化する動きがでると
ほとんど理屈抜きで反射的に激しく押さえ込もうとします。

「ここで改革しておけばひととき不安定になっても次にはもっと社会は安定化するよ」といっても
そんな知的な論理は許容しません。
改革の間に生じるちょっとした不安定化にも反射的に抵抗する。
ひたすら安定化をすすめることだけしか知らない観です。

社会保全意識が動物的本能の一つであるが故でしょう。
私たちが住む現代社会も同じです。
よく言われるところの「社会の保守性・現状維持欲求」はかくのごとくに
非理知的で根深いものなのです。


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Vol.38「3章 カトリック教団、ローマ国教となる」(5)~遂に公認教団に~

2012年03月14日 | 「幸せ社会の編成原理」

      
      
      
キリスト教徒全滅作戦が失敗に終わるとともに、政府の権威は低下し、
国家は群雄割拠状態になりました。

政権争いには軍人も加わり内戦になりました。
戦に勝利を収めたのはコンスタンチヌス将軍で、彼は皇帝となりました。
新皇帝はカトリック教会に好意的な人でして、
313年に教団を禁教教団から外し公認教団としました。

ここで見逃してならないのは、公認されたのはキリスト教活動者全般ではなく、
カトリック教団だけだったということです。

宗教運動というのは多様化するものです。 仏教でも釈迦が創始したものから、
認識論を重点的に発展させる北伝仏教(中国に顕著になる)や、
修行による神秘的能力開発を重点的に追求する南伝仏教(東南アジアで盛んになった)が
展開しました。

南方では高僧の骨・歯・頭髪など塔に収めて礼拝する原始的な仏教なども広がりました。

キリスト教においても初代教会方式をとる集団、神学論理を知的に追求する教団、
癒しなどの霊的力を重点的に追求する教団などが多様に展開していました。
そのなかでカトリック教団だけが公認宗教とされたのです。
      
+++

ここで目を現代に転じて中学や高校の世界史の教科書をみてみましょう。
そこには「キリスト教が公認された」と書かれています。
教科書だけでなく専門書さらには小説をも含めたほとんど全ての歴史書物がそう書いています。

これでもうキリスト教運動、ひいては世界史の実態はぼやけてしまって、
正確につかめなくなります。

過去の通念を捨ててお読みいただくことを希望いたします。




     

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Vol.37「3章 カトリック教団、ローマ国教となる」(4)~十年に及んだ完全撲滅政策~

2012年03月14日 | 「幸せ社会の編成原理」


      
      
 もう一つは、紀元後303年から13年まで10年間続いた撲滅政策です。
ネロ皇帝による攻撃はローマ市内における局地的なものでしたが、
こちらは全ローマ国家に及んだ桁違いに広範な撲滅運動でした。

期間も十年という長期に及びました。

このとき帝国政府は、全ローマ帝国からキリスト教運動を消滅させようと本気になったのです。
だから約350人殺したといわれるネロ皇帝の迫害などとはスケールが違っていて、
30万とか50万とかいわれる信徒が殺されました。

このころにはカトリック方式の教会組織は多数確立していました。
帝国政府から見た指導者はカトリックの僧侶たちだったので、
司教など教職者の大半が殉教したり、拷問を受けて身体不虞になりました。

一般信徒も数多く殉教しました。

だが撲滅運動が10年続いた頃に、
運動の首謀者だった副皇帝の性器が腐るという事態が起きました。
今でいえば糖尿病だったと思われますが、相手が宗教信徒なので、
これは神罰ではないかとの恐怖を与えたのでしょうか、

彼の撲滅意志は萎えました。



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Vol.36「3章 カトリック教団、ローマ国教となる」(3)~各地の撲滅運動とネロ皇帝の殺戮~

2012年03月14日 | 「幸せ社会の編成原理」


      
   
各地の帝国政庁は断固として撲滅活動をおこないました。

+++

余談ですが宗教への撲滅活動はどこでも周期的になります。
攻撃は拷問、殺戮という流血の行動になるのですが、信仰者は無抵抗だから、
行為は一方的になります。

するとやる方は続けているうちに疲れてしまうのです。
つい気の毒になったり気持ちが悪くなったりもするし、
拷問しても思想は変わらないのだから心もへとへとになります。
そこである程度やって「思い知ったか!」とかいって止めるのです。

するとアンダーグラウンドに逃れていた信徒の方は一難去ったと、
また地表に出て活動しはじめます。
それが徐々に活発になってくると、また「優しくしてればいい気になりゃがって!」と
逮捕、拷問、殺戮を始め、そしてまた疲れます。

そういう風ですから宗教や思想活動への迫害は周期的になるのです。
日本でおきた明治期のキリスト教徒迫害もおおよそ20年周期でおきています。

+++

話を戻します。

 各地のローマ政庁による攻撃も周期的に行われました。
そうしたなかで中央政府が行った比較的大がかりなものが歴史的トピックとして語りつがれています。

代表は二つで、一つは悪名高いネロ皇帝の行ったローマ市における迫害活動です(AD64年)。
これはイエスの使徒たちが生存していた時代のもので、教団管理階層はまだ現れていませんでした。
そこで攻撃は指導者を重点になされました。

初代教会の指導者ペテロもパウロもこの活動のなかで処刑死しています。
ペテロは十字架への逆さ張り付け、パウロは斬首だったと伝えられています。

ネロという人は、子供の頃から残忍趣味をもっていたようです。
お母さんが活躍してこれを皇帝にしたという。

彼はローマ市で起きた大火災をキリスト教徒の仕業によるものとして、
信徒を捜し出して捕縛させ、これを公開の場で見せ物的に殺戮しました。

夕方に広場で十字架を沢山並べ、それに信徒を縛り付けて火刑にするのを来客に見せたり、
円形闘技場でライオンなどの猛獣に襲わせたりしてこれも見せ物にしました。

 

 

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Vol.35「3章 カトリック教団、ローマ国教となる」(2)~カトリック教会を代表と見なす~

2012年03月14日 | 「幸せ社会の編成原理」


       
      
政府高官の多くは教会を無条件に悪としこの絶滅を望みました。
なかにはキリスト教に理解を示す高官もいましたが、
彼らとてこの社会的有力集団とは折衝する必要がありました。

折衝で相手にするのはカトリック教団でした。
聖句主義者の教会数も膨大でしたが相手にしがたかった。
バイブリシストは平等な小グループの任意連携体でしたから全体統率者が明確でなく、
交渉すべき相手が明確でなかったのです。

その点カトリック教団には確固とした管理階層がありますし、
職業管理者は衣装からもすぐわかります。
信徒を統率、運営しているトップもはっきりしていて、命令系統で動いているので、
彼と交渉すれば取り決めたように信徒を動かしてくれる可能性が高いです。

ローマ政庁はカトリック教団をキリスト教会の代表として扱うようになり、
この教団がキリスト教会の顔になりました。

そのため攻撃する時の主要対象もこの教団の管理層となりました。
運動集団を崩壊さすには、集団の脳神経系にあたる管理階層を消滅させるのが
最も効率的です。

彼らは、トップ管理層を真っ先に逮捕し拷問し、処刑することになります。



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