ピラミッド型の階層管理組織における成員の精神劣化は組織が大きくなるほど顕著に進行します。
大組織になるほど管理者と一般成員の距離は大きくなり、
成員の自由な知的活動、臨機応変な創意活動のプラス面は目に入りがたくなります。
その反面マイナス面への心配は増しますので、上司が創意を賞せず、創意的行動を嫌う傾向はますます大きくなります。
すると一般成員が罰せられない範囲での行動しかしなくなるのが早くなり
「連携回避」「責任回避」の行動が加速する時点も早くなります。
世にいう、「大企業病」というのは企業におけるそうした現象を指しています。
組織規模でいうと国家政府は大企業を遙かに超えた巨大大組織です。
それが社会主義国家での政府となれば、一般企業をも国営組織として内部に組み込んでいますので、
その実質規模たるや資本主義社会の政府の比ではありません。
ただし社会主義体制が発足した当初は精神劣化はあまり進行しません。
革命がなって新政府が出来たときには成員にも元気がありますし、
国家が労働英雄などを用いて人民の精神を鼓舞する政策も、一定の効果を発揮します。
だが人為的に仕立て上げる労働英雄が人々の士気を鼓舞する効果は薄れるものです。
同じ演劇の出し物を繰り返し見ていると飽きるように、こういう作為には飽きが生じるのです。
すると組織劣化がはじまります。
そして劣化がもう生産活動が維持できなくなるというところまで進展すると、国家は崩壊します。
20世紀に人類は社会主義制度でもって国家を運営するという壮大な社会実験を行いました。
その歴史経験からすると、社会主義国家の寿命は70年くらいとみられます。
それを過ぎると組織劣化は極度に加速度的になるようです。
北朝鮮社会主義国家は例外的に存続しているように見えますが、実はそうではありません。
この体制を本格的に始めたのは1950年頃です。
70年後の2020年頃にはどうなっているかわかりませんよ。
機能が不全化していく事態は、別の面からいえば組織内での人間の劣化現象でもあります。
知性と精神がが劣化する。知性が活性を失い、精神が貧しくなる。
もっと端的に言えば卑しくなるのです。
ピラミッド型の階層管理組織にはこういう「劣化をもたらす装置」が出来やすいのです。
組織の中・下位層でこうした劣化装置ができあがると、トップ指導層の劣化も時間とともに進行します。
集団組織の創業者は働き始めたときからトップです。だが、それ以後の特に創業家でのトップ継承時代が過ぎると状況は変わります。
一般成員がトップになるには下位管理層から中間管理層を大過なく通過しなければならなくなります。そしてその間に劣化装置が作用するのです。
彼はなるべくトラブルの責任を負わないよう、担当部分以上のことに敢えて手を出さない業務行動をしつつ日を送ります。
すると間もなく「自己保全」の意識が肥大していって会社の全体観を持たなくなります。人間とはそういうものです。
これはトップにははなはだ不適な資質です。
「体を張って」ことにあたるという日常語がある。これには全体観を持ち、かつ自己保身意識を放念して全力で事に当たるというニュアンスがあります。
トップマネジメントとはまさにそれが要求される職位です。なのに昇進階段はこれとは逆の資質に優れた人物がもっとも上りやすくなっている。
そしてうまく上り詰めたものがトップの座に着くということが多くなるのです。
これを上空から見ると集団における指導者能力の劣化がすすむという風景になります。
政治機構に焦点を当てて近代日本史を振り返っても同様なことが見えてきます。
トップの劣化過程は幕末の革命家、明治の創業指導者が表舞台から姿を消そうとする頃にはもう始まっています。
悪い人ではないのだが「凡庸なお父さん」的存在があちこちで指導者になってしまう。
以後指導層の急激な能力低下が進行し、それは大正、昭和期を通してすすみ、太平洋戦争直前にはピークに達していました。
こういう人物が開戦を決定し戦争遂行を指導した。
一般庶人民は法則に沿うかのように地獄の苦しみに落ちていきました。