原発事故から話を始めましょう。
極東の小さな島国に勃発したこの事故は世界を震撼させるとともに、
国内では東電をはじめとする電力会社の情報隠蔽、やらせなどで偽り体質を露呈させました。
私企業だけでなく、佐賀県庁などの自治体、さらには安全・保安院という国家の組織からも
同様の組織体質が表に出されてきています。
最大の当事者である東電からは今も、信じがたいほどの「悪徳セット」が
火山の溶岩のごとくに流れ出しています。
この企業も国民に支払い可能な料金で電力を供給するなど、経済社会に貢献してきています。
ではありますがこういう事態になると、悪徳面が前面に出てきてしまいます。
項目としてあげればそれらは当面「偽り体質」「肥大した自己保全意識と他者への冷淡」、
日々の業務での「連携回避」、
下請け企業も含めた集団内部での「上位者の君臨」と「下位者の隷従気質」、
指導的立場にある社員の「責任回避」と「ノブレス・オブブリージュ(恵まれたものがもつべき社会貢献意識)の欠如」
~等々となるでしょうか。
もともと人間は美徳、悪徳両者の資質を持っています。
そして個々人としては「美徳セット」が優勢になることを望んでいます。
にもかかわらず集まって社会組織を形成すると悪徳要素が優位な行動をとってしまう。
これは人間の集団組織に共通して現れる事象です。
集団は時と共にほぼ法則的に劣化していき、その中で、右のような悪徳要素をはぐくんでいくものなのです。
東電ではその要素が顕著に表れたにすぎません。
後に今少し詳論しますがこの企業の場合、原因は国策としての原発政策を請け負ったことにあります。
それが異例に強大な「偽り」を余儀なくさせ、その結果悪徳要素が増幅された。
筆者はその視点に立っていますので、
この企業に対して多くの世論にみられるような無条件の悪感情は持っていません。
むしろ同情を禁じ得ない気持ちも持つのですが、顕著な事象は問題の明確な認識に助けになります。
筆者の主たる認識課題は、あくまでも人間集団一般に内在する法則的な劣化動向です。
その理論にメリハリをつけるためにこの会社の事例を主に援用させてもらうにすぎないことをご理解ください。
では人間の集団組織一般に内在する法則的な劣化動向について述べましょう。
最初に聖句主義についてお話ししておきましょう。
これは聖書というキリスト教の教典の中の語句(聖句)を最終的なよりどころとして、
個々人がその教えを自由に探求して知っていこうという思想です。
知り方の思想にはもう一つ、権威あるプロの聖職者たちが作成した聖書の要約(教理という)でもって
教えを学ぶのがいいというのもあります。
聖句主義というこの一見なんでもないような思想は、英語ではバイブリシズム(Biblicism)といいます。
そしてそれは今日我々の生活を快適にしている諸制度を作り出してくれています。
民主制度、信教自由、思想言論の自由そしてそれらを保証する民主憲法等々は、
聖句主義者たちなくしては地上に出現しないものでした。
にもかかわらず彼らの歴史は公式の歴史記述から外されてきています。
理由は本文で明らかになってきますが、この隠蔽された歴史には豊穣な知恵が埋まっています。
現代日本の重要課題を解決する知恵も含んでいるし、
さらに進んで、人間に幸福社会を編成させるヒントも満載しています。
日本と世界に多大な犠牲を強いることになった福島原発事故、
この種の事故を二度と起こさないようにする方法も聖句主義の歴史のなかに埋まっています。
日本には原発設備の地震に対する弱さ、メルトダウンの可能性などを明確に把握する技術知識は十分ありました。
これをわかりやすく説く学者も、故・高木仁三郎をはじめとして存在してきた。
彼らの見解を異端として封殺したことが電力会社の怠慢を生み、事故は起きたのです。
だから今後の打開策も「論理的には」簡単に出てきます。
客観的な正論を、たとえ国策に沿わなくても封殺しない、そういう社会を造ればいいのです。
ところが「現実には」正論を封殺しない社会を造るのは容易ではありません。
いろんな要素が絡んでくる。
人間の業(ごう)とすらにみえる自己保全本性や隷従気質も大きな妨げになっています。
それらの本性を乗り越えて情報封殺のない社会を構築する道はほとんどないように見えます。
だがその「人間の業」を打開する糸口も聖句主義の歴史は教えてくれます。
筆者はかねてより、平和が続く中での集団組織能力の劣化現象に関心を抱いていました。
それを法則的に進行させる構造と打開策を探るべく、アメリカ南部に一年間居住しました。
そこで集めた資料の中に異論が封殺されない社会を構築した人々の精神史が眠っていました。
聖句主義活動の歴史は長く、活動者の数も膨大で世界に巨大な影響を与え続けて来ていました。
それは従来学んだ歴史教科書や専門書にはいっせつ記されていませんでしたが、隠れた歴史を探索する人がいました。
彼らが非公式の歴史資料を収集していたのです。
この活動を続けてきた人々を彼らはバイブリシスト(biblicist)と呼んでいました。筆者はそれを聖句主義者と邦訳しました。
バイブリシストたちの二千年にわたる歴史を従来の「公式」歴史記述に埋め込むと、
世界史の光景は一転して立体的に見えてきます。
彼らの影響はあまりに根底的なので風景が一変するのです。
筆者はこれからその意味での情報補填をおこなって、歴史記述の完全化を試みます。
そのプロセスをスムースに理解するには、
従来の歴史通念をいったん捨てて読み始めるのが得策です。おすすめいたします。
(続きます)
これからしばらくこの 「鹿嶋春平太チャーチ」では、
出版努力中の本『幸福社会の編成原理』を先行公開していきます。
前に記しましたように、今回の本で描く鹿嶋の理論は、ほぼ完全に「未踏の理論」になってしまいました。
バイブリシズム(聖句主義)なんて日本人はみな知りません。
こういう本は読者が付いて行きがたい以前に、そもそも本になりがたいです。
本になるには、まず、出版社の誰か一人の編集者がこれを理解して出版を強く意欲しなければなりません。
それだけではない。彼はその意図を編集会議で説明して承認されねばならない。
こうして本作成の作業はやっと着手の段階に入るわけです。
ところが、まず、本稿を理解できる編集者がいない。
どこかには居ると信じますが、そういう希な存在に遭遇するには幸運と時間が必要になります。
さらにもし出会ったとしても編集会議が彼を理解するのは容易ではありません。
皆様に楽に読んでいただけるように本の形にすべく努力はしていますが、
相変わらず出版は難航しています。
しかしこの本は自分の自惚れ主観を押さえて、客観的に見ても「救国の本」です。
日本人、とりわけ指導者の立場にある人たちが緊急に知るべきノウハウを満載しています。
そこで鹿嶋は考えました。
本の内容をこのチャーチで先行公開して徐々に読んでいっていただこう、と。
文章や内容に改善すべき点はじめお気づきの点ありましたら、どうぞコメント欄にご教示ください。
お気楽に何でもおっしゃってください。感想だけでも改善の助けになります。
本書が、コンピューターソフトのリナックスのように、
衆知を集めて改善されていく本になればうれしいです。