
愛知県内を走る名鉄犬山線。
6月には何度も往復しました。
米寿を迎えた一人暮らしの母がいよいよ千葉に移住する決意をしたのが、昨年の末。
父が亡くなって間もなく12年、一人で特に不自由せず地域の活動もしながら頑張っていました。
千葉に誘っても、友人のそばにいる方がよほど居心地が良いからと、一向に動く気配は見せていませんでした。
ところが、昨年末に誘ってみたら以外にもすんなりと、私たちのところに来てくれることになりました。
行くとは言ったものの、母にしてみれば気がかりなことばかり。
家のこと。
地域とのかかわりのこと。
身近にいる身内のこと。
自身の健康のこと。
病院とのかかわり方をどうするか。
年金などのこれからの生活費のこと。
保険に関すること。
普通の生活の場を移動するためには実に多くの課題があり、80歳も後半になっての転居は並大抵の決意ではなかったということを、一緒に片付けをする中で私は感じ取っていきました。
女学生の時に終戦を迎え、昭和の高度成長期に家庭から社会を見つめ、平成に入ってからは子どもたちの生活を離れたところから見守ってきた一人の女性の生き方に寄りそうことは、私自身の60年を振り返ることでもありました。
とてもとても大変でしたが、良い経験をしました。
実家を失うということは、私にとってどういうことだったのでしょうか。
拠り所としていたわけではありませんが、芯のどこかが削られたような気がするのです。
同時に、こだわる気持ちがどこかに消えてしまったようにも感じています。
これでいいのかどうかはわかりません。