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福谷章子のまちづくり

さまざまな役割を持ちながら暮らす中で、日々出会い触れ合う人々、街、文化、自然、出来事についてつづります。

一息ついて美味しい話

2017年08月01日 | 家庭生活&家族事情


6月15日に千葉から実家に行き、滞在5日間で達成した仕分けと荷造りと荷出し。
短い期間でいろいろすることがありました。

仏壇の搬出。
冷蔵庫や座卓や書棚など、引き取り手のある家具の五月雨式の搬出。
食品は置いていけないので、塩一粒にいたるまでの処分(妹に全て押し付けました)。
名残を惜しんで来てくれる人たちとの積もる話。
かかりつけの病院(ひとつではない)への最後の通院。←これについては、とても大切なことを後で学びます。
市役所での転出手続き。
そして、ご近所への挨拶まわりが予定外に時間がかかりました。
それもそのはずです。50年もいたわけですから簡単なあいさつでは済むはずもありません。

食事は荷物の山の中で冷蔵庫の整理を兼ねて摂り、冷蔵庫が無くなって数日は「精力つけよう!」と外食です。
近く(といっても車で30分程度)に住む妹が、頻繁に手伝いに駆けつけ、引越し前日は甥も助っ人に来てくれました。

そして、お引っ越し。
主役の母は挨拶回りでほとんどいない中、エイヤッ!と、梱包した荷物をトラックに積み込み、引越し屋さんは去っていきました。
家に鍵をかけてから、母と妹と3人で父のお墓参りです。

父がコツコツと働き、作りあげた物を無にしてしまいました。
「ごめんなさい」と思うとともに、形のあるものは儚いと身に沁みました。
信じるもの、依って立つものは形のあるものではないと考え、気持ちを未来に向けることにします。

墓参り後は、女3人で最後の晩餐です。
   

  

犬山遊園駅前でイタリアンを楽しみながら、
「あ!ブレーカーを落としてくるのを忘れた!!」
荷物を送り、ほっとして電気屋さんに言われたことをすっかり忘れてしまいました。
託す妹がいて良かった(^_^;)

この日は、名古屋泊まりにしました。

母は、その日のうちに千葉に行き翌朝荷物を受け取りたいと言い張りましたが、どう考えてもそれは無理だと私は判断しホテルを予約しておきました。
もちろん、そのことに夫が同意し、荷物の受け取りを引き受けてくれたから出来たことです。

翌日、帰宅すると大型の家具はほぼ収まっていました。
ここから今日まで、我が家は廃棄大作戦や新たな経験が続いています。


超高齢核家族個人化社会問題

2017年08月01日 | 家庭生活&家族事情


実家をたたむ話はまだまだ尽きませんが、とりあえずお墓のことも考えなくてはなりません。
墓については、既に20年以上前から散骨とか樹木葬などが提案されていましたが、まさに家から個人へと墓も変容していかざるを得ないと感じます。

我が家の墓は、実家から車で40分ほどの可児にあります。
なぜここかといえば、生前の父が気に入り購入していたからです。
 

母も元気なうちは一人で通っていましたが、そのうち駅からタクシーを使わざるを得なくなり、最近ではもっぱら妹が車で運んでいました。
そんなわけで、千葉に移ったらどうしようかと悩み、お寺にも相談していたようですが、妹が元気なうちはお参りに行けるからと言ってくれて、そのままにしておくことになりました。

とはいってもいつかは何とかしなければなりません。
そこで、仏壇の精入れをお願したお寺に、お墓のことも相談してみました。

すると以外にもあっさりと
「そのままにしておくのがいいですよ。仮にこちらに移しても子どもたちはここに居ないでしょ?結局、どこにあっても遠いものなんだから、今あるお墓にお母様もあなたも入ればいいんじゃないの?」
とのことでした。

一方、姑はお守をしていた二つの墓を、数年前にお寺の納骨堂にまとめました。

永代供養といっても今は30年。
家が代々続いた時代は終わり(その時代でも続く家はどれほどだったか?)、家と家との結びつきから個人と個人との結びつきに変わっているにもかかわらず、いまだに家制度を前提とした仕組みや観念から抜け出せないでいるのです。

今日、ふらりと立ち寄った本屋さんで目にしたのは、70歳になった親をどうするか、とか、親が倒れた時の対応策に関する書籍でした。
超高齢核家族個人化社会の問題は、いよいよ深刻になってきているのでしょう。



形には意味がある

2017年07月30日 | 家庭生活&家族事情


「おぶくさま」はお仏壇に供えるご飯ですが、最近の我が家はご飯を炊いた時にまずこれを作ることになっています。
なっていますが、しばしば忘れます。
習慣化されていないし、信心も足りないのか、食事の途中に「あ~!」と思い出すことが多いのです。

実家の処分の際の仏壇は結局どうしたか?
ということについて、今回はまとめてみます。

我が実家はもともと仏壇の無い家でしたが、父が亡くなった12年前から母は仏壇のお守を始めました。
したがって、仏壇イコール父の居場所として守ってきたと言えるでしょう。
 

転居に際して、この仏壇を持ち込むことに母には少し抵抗がありました。
その理由の一つは、我が家は狭くて置き場を確保するのに相当の工夫を要すること。
もう一つは、我が家に既にある夫の家の先祖の位牌と仏様は、仏壇に入っていないこと。
後者の方が母を強く躊躇させていたようです。

そこで、考えた挙句「同じサイズの仏壇を並べて置く」ことになりました。
宗派は異なりますが、お寺に尋ねたところ構わないとのことでした。
そう決まったら母は急に張り切って、二つの仏壇のお世話をすることにして、実家の仏壇はお精ぬきをして処分することになりました。

さて。
二つ並べて置けるサイズは限りがあります。
購入して見ると、何と!実家の仏様は少しサイズオーバーで中に入りません。
母と二人で悩んだ末、仏壇の上に置いて「これはいい!」と納得しました。
 

ところが、お精入れにいらしたご住職から、この配置ではいけないと教えられました。
「仏壇というのは、仏様が居る場だから仏壇というのであって、お位牌しか入っていないのであれば単なる位牌箱ですよ」
なるほど!
母にとっては、仏壇イコール亡き父の居場所だったので、お位牌こそが大切だったのでしょう。

ご住職によって丁寧に仏様が収められ、無事に開眼供養と相成りました。
形には意味があったのです。
その意味を知らずして形式だけ守ることの怖さにちょっと触れた思いです。
 

こんな調子ですから仏壇のお守も極めて表面的で、仏教についても不見識です。
せめて知識としてもう少し身につけておいた方がいいと思い、書物を探して読み始めました。

日常生活の中に、自らけじめをつけていくことは実はとてもしんどいことだと感じます。
「このくらいいいや」とか、「誰に迷惑をかけるわけでもない」とついダラダラして過ごしてきましたが、簡単な形式とかルールに少しだけ縛られるのは意外と楽なことなのかもしれません。
そしてその意味が理解できれば、少し内心が強くなれるような気がします。
見えない世界を理解し未知の世界に触れるためには、特にそう思います。



お一人様の引っ越しサポート

2017年07月29日 | 家庭生活&家族事情


実家を空き家にすることなく、スムーズに離れるためには「処分」という方法しかなかったので、そのために5月から何度か名古屋と千葉とを行き来しました。

まずは、ゴールデンウィークの数日間。
家を処分し、土地を売却するための業者さんとの母との最終やり取りを見届け、荷物選別の方針を決めました。
引越し屋さんの手配もこの時にしておきました。

常時使用している物や、貴重な書類など、持ち出したい物を荷造りすること。
不必要な物の処分は、解体屋さんにお願いしているので、一切手をつけないこと。

「一切手をつけない」というのが、極めて重要だったのですが、米寿の母にはこれを受け入れることが出来ず、粗大ごみや不燃ごみの時にごみ出しに労力を使っていたようです。
さらに、私は深く考えていなかった、仏壇をどうするか、お墓をどうするかという難題を抱え、一人思い悩んだ末に母なりの方針を決めたようでした。
   

引越しを控えた6月中旬に再訪した時には、母はすっかり疲れ果てていました。

それでも、ご近所への挨拶の準備や、地元でお世話になった組織へのお礼など、切羽詰まってから言いだすことが山ほどありました。

私は、この家を出て36年経ちます。
その間、都合の良い時に訪れ、子育てや仕事が大変な時にはたくさん助けられて危機を乗り切ってきました。
しかし、私が手助けをしたことは一度も無かった、実家のことは何も知らなかったのです。
母のベッドわきに避難用リュックを見つけた時には、一人暮らしの覚悟を感じました。
 

子育てや介護など、まだまだ家族の力に負うところが多いですが、核家族に力があるのはほんの短い期間です。
あっという間に、年老いた二人、あるいは一人となってしまい、育った子どもたちは身近にいないことが多いのではないでしょうか。
そして、限界近くになって、近居なり同居をする。
その時にけじめをつけ、立つ鳥跡を濁さずという状態で生まれ育った場所を離れるには、相応のサポートが必要です。

空き家問題が深刻となっていて、その対策は活用の観点からようやく考えられていますが、このまま放っておいたら増え続けることは必然だということも、今回の学びです。

手放す覚悟

2017年07月29日 | 家庭生活&家族事情


87歳の母が新生活を始めるため、必要な物品を運び出した日の実家です。
昭和42年に建てられ、およそ50年、昭和の風情が漂っています。
今はもう、影も形もありません。

ここを離れて手放そうと決意してからの母の様子に揺らぎは感じられませんでした。
売却の段取りを子どもたちに託し、諸手続きについては一つずつ連絡を取り片付けているようでした。

一方で、持ち出す品々となると判断力があるような無いような・・・(^_^;)
思い出の品は捨てられない。
使えそうなものを捨てるのはもったいない。
という気持ちが強く、結局「お一人様のお引っ越し」とは思えないほどの荷物を持ち出すことになりました。
 

家は古いものの、母一人で管理していたにしては整えられていたように感じます。
父が亡くなってからは、シルバーさんやお友だちんの娘さんの手を借りながら、庭や諸室の管理をしていました。
  

それも負担になって来たのでしょうか。
何時の頃からか、
「私が自分で判断できるうちに、この家の先行きを決めたい。この家がある限り安心して暮らせない。」
というようなことを言い始め、ついに「処分」を決心したようです。

これは、母の晩年の大きな決断です。
私たちはその思いを尊重し、後悔のないように実現できるよう寄りそうしかありません。

家の整理は、向き合えば向き合うほど記憶がよみがえり、物に対する愛着が増します。
えいやっ!と思考停止にすることが、処分の要諦なのだと知りました。

私自身については、残して来てちょっと後悔しているのは学生時代の友人たちとの旅行の写真です。
アルバムを繰っていたら、時間が止まってしまいました。
持ち出そうかな・・・と思ったものの、この過去を今後どういう時に見返すのだろうか?と想像がつかず、棚に戻してきてしまいました。
 

母がこだわったのは、他人から頂いた手作りのもの。
孫たちがお土産に買ってきた品々。
そして古着。
おそらく今後も着ないだろうと思える衣類が我が家にはどっさり増えました。

物を手放すと言うのは、物を手に入れるよりもずっと覚悟のいるものなのかもしれません。