幼稚園のクリスマス会がありました。キリスト教の幼稚園なので、園行事で最大のイベント。インフルエンザで休園が続きながらもなんとか無事終了。
同じバス停のママたちによると、宗教には無関心な親でも、子供たちが手をあわせてお祈りする姿や賛美歌を歌う姿には心打たれるらしい。賛美歌も祈りのひとつなんだと思う。
私自身はキリスト教の家庭に育ち、中・高校・大学とキリスト教の学校という環境で、前半素直に受け入れ、途中反発、大結論クリスチャンになることは今後もないでしょう~、でしたが、賛美歌だけは今も好き~。そして、こうやってクリスマス会に参加してみると、しみじみとやっぱりクリスマスはキリスト教のものだなあ、って思う(当たり前なんだけど)。まあ、サンタクロースの日(プレゼントもらえる日)でも、それはそれでワクワクするし、実際楽しいクリスマス会の準備も友達としているのだけれど。でも、やっぱり派手なことなく厳かな、キリスト教本来のクリスマスが好き。救い主といわれる神の子が、豪華な宮殿ではなく、どこの宿屋からもはじかれて、馬小屋の飼葉桶の中で生まれたことの意味は深い。子供たちは、ワケわからないままページェント(降誕劇)を演じているのだろうけれど、人間を超えたおおいなる存在が貧しい馬小屋で生まれたことで、大いなる存在=金持ちではない、きらびやかな世界でないことを知らず知らずのうちに学んでるんだろう。
また、降誕劇の主役は人形のイエスを除くと、「マリアさま」とみな思いがちなのだけれど、先生がうまーく役割を割り振っていて、どの子も同じくらいの長さのセリフ、活躍ぶりで、どんな役柄でも満足できるよう配慮してあるところもよかったなぁ。一人一人が大事な存在。そして、自分のことだけ考えず、お友達のことを思う日が本当のクリスマス。その思う心が祈りなのかも。先生たちの配慮に拍手。
最近祈りっていいなあ、と思うようになってきた。昔は、お祈りしてても途中で寝ちゃうし、こんなツマラナイ時間はない(すんません)と思っていたのだけれど。他人のためにできることって突き詰めると“祈ること”しかないんじゃないかと・・・。それは何も手をあわせて、特定の宗教の神さまにお祈りすることじゃなくて、その人のことを心から思う、幸せと平和を願う、それだけでも、ちゃあんとした祈りなんじゃないか、って思う今日この頃なのです。
ちなみに礼拝が終わったあとは、楽しいクリスマス会でした。先生たちからはトーンチャイムの演奏、有志ママたちによる人形劇。ここでも、先生たちは「お歌のプレゼント」「楽しい劇のプレゼント」という表現をしていて、ああ、いいな、って。プレゼントって何も形あるものだけじゃないのよね~。
とはいえ、ちゃあんとプレゼントもありましたヨ。しかも、たっくさん!写真のスイーツの数々はお菓子委員のママたちの作った愛情たっぷりの手作り。母にもちょうだ~い。コマと木製ハンガーは幼稚園から。百町森のもので、嬉し~い。今年は運動会のテーマが海だったから、魚のモチーフなのかしら?もうひとつ、粘土にどんぐりや小枝の飾りの付いたキャンドルスタンドは子供たちからおうちの人へのプレゼント。もらうだけじゃなくて、人にもあげましょう、ってところが、やっぱりいいわ~。
ところで、うちの息子・・・ページェントでは年少さんはみな羊なのだけれど、なぜか自分はサンタクロースだと言い張っていて・・・。理由はどうもこのプレゼントにあったらしい。先生から、「みんながおうちの人のサンタクロースになろうね」と言われたので頭がいっぱいで、自分は羊ではなく、サンタなのだと激しく思い込んでいます(笑)。
それにしても、楽しい幼稚園です。幼稚園、いろんな考え方があるけれど、遊び時間はできるだけ自由で、でも礼拝などしめるところはしめてというバランスが個人的には好き。こんな素敵な幼少期が過ごせるチビは幸せダナー。またまた母が通いた~い、と思ってしまったクリスマス会でした。
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プレゼントもしゃれている。
カナダ留学中に友達の家族に連れて行ってもらったクリスマスの礼拝を思い出しました。厳かですよね。
かわいいサンタさんこんどおうちに遊びに来てね。
楽しい幼稚園で、環境(田舎)が抜群なのよん。
幼稚園では思いっきり泥んこしてほしいわ。
おかげで、幼稚園に行きたくないと泣くの
ではなく、幼稚園に行きたいと泣く(^_^;
ちなみに昨年のプレゼントも見せてもらった
のだけれど、母は昨年の(カラフルな木の
動物パズル)がほしかった・・・。
≫mitsouさん
蝋燭つけるたび、我が子ものすごく大音量で、
“アードベントカレンダーにあ~かりが
つ・く・と~♪”
と毎回歌います。楽しいよね♪こういうの
いい思い出になるよね。