昭和40年代後半、
九州の炭鉱が相次いで閉山されて、
職を失った炭鉱マンたちが、
数多く岡山県玉野市へ移住してきた。
中学時代には、
九州から転校してきた同級生が何人もいて、
クラスに九州文化が程好く浸透していた。
そんな頃、
少し遅れて 太田君 が転校してきた。
太田君 は、
他の九州出身の同級生たちとは違い、
都会的なムード を漂わせていた。
なぜなら、
太田君 は 軍艦島 出身だったのである。
軍艦島に住んでいた という事実は
他の九州出身の同級生たちからは羨望だった。
まるで 未来の国 からやってきたように・・・・。
炭鉱で育った子供たちの間で、
軍艦島 は、うわさの超近代都市だったのである。
軍艦島(端島) は大正時代から
鉄筋コンクリートの共同住宅が建ち並び、
人口密度は東京の9倍の超過密都市。
娯楽、嗜好品、生活必需品は
東京よりもいち早く、島内で何でも揃う
完結した 超モダニズム都市 だったのである。
しかし、1974年に
軍艦島 は閉山され、
都市機能をすべて残したまま無人島となる。
当時、
太田君 をつかまえては、
軍艦島 の話を根掘り葉掘り聞いた。
太田君 の影響を受けてか・・・・
軍艦島 への憧れがずっとある。
いつの日か、
軍艦島 を復活させたい
夢のようなものを抱いていた。
(その頃のノート)
今まで、
あまり一般の人には
知られることのなかった 軍艦島 であったが、
2009年から一般公開され、
船で渡れるようになり・・・・
ついこの頃は、
Googleストリートビューで
詳しく画像が見えるようになってしまった。
それが、
良いことなのか? 悪いことなのか?
単に、
廃墟を見世物にするだけならば、虚しい。
その辺のところ・・・・
超モダニズム都市 の行く末を、
太田君 に聞いてみたい。