八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

超モダニズム都市の行く末

2013-07-17 12:55:55 | イケン!

 

昭和40年代後半、 

九州の炭鉱が相次いで閉山されて、

 

職を失った炭鉱マンたちが、

数多く岡山県玉野市へ移住してきた。

 

中学時代には、

九州から転校してきた同級生が何人もいて、 

クラスに九州文化が程好く浸透していた。

 

そんな頃、

少し遅れて 太田君 が転校してきた。

 

太田君 は、

他の九州出身の同級生たちとは違い、

都会的なムード を漂わせていた。 

 

なぜなら、

太田君 は 軍艦島 出身だったのである。

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軍艦島に住んでいた という事実は

他の九州出身の同級生たちからは羨望だった。

 

まるで 未来の国 からやってきたように・・・・。

 

炭鉱で育った子供たちの間で、

軍艦島 は、うわさの超近代都市だったのである。

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軍艦島(端島) は大正時代から

鉄筋コンクリートの共同住宅が建ち並び、

人口密度は東京の9倍の超過密都市。

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娯楽、嗜好品、生活必需品は

東京よりもいち早く、島内で何でも揃う

完結した 超モダニズム都市 だったのである。

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しかし、1974年に

軍艦島 は閉山され、

都市機能をすべて残したまま無人島となる。

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当時、

太田君 をつかまえては、

軍艦島 の話を根掘り葉掘り聞いた。

 

太田君 の影響を受けてか・・・・

軍艦島 への憧れがずっとある。

 

いつの日か、

軍艦島 を復活させたい

夢のようなものを抱いていた。

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                                (その頃のノート)

 

今まで、

あまり一般の人には

知られることのなかった 軍艦島 であったが、

 

2009年から一般公開され、

船で渡れるようになり・・・・

 

ついこの頃は、

Googleストリートビューで

詳しく画像が見えるようになってしまった。

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それが、

良いことなのか? 悪いことなのか?

 

単に、

廃墟を見世物にするだけならば、虚しい。

 

その辺のところ・・・・

  

超モダニズム都市 の行く末を、 

太田君 に聞いてみたい。  

 

  

 

 


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