この頃、
備前石工 のことが
気になって、気になって、困っている。
鞆の浦の
淀姫波止 船番所波止(初期) や 焚場
を造ったのは、 備前石工 児島栄五郎 である。
また、
九州熊本を中心として、樋門や眼鏡橋を造ったのは、
備前石工 小坂勘五郎 である。
熊本 馬門橋
さらに、
函館の五稜郭や弁天台場を造ったのは、
備前石工 井上喜三郎 である。
函館 弁天台場
備前石工 という集団を調べると、
備前児島郡阿津村 にたどりつく。
阿津村 とは、
小串台場跡 近くの 阿津? ということで、
小串台場跡
阿津 の石工集団は、
干拓・塩田の堤防や樋門、石橋、波止場・・・・
特に海洋土木に関して、
全国各地に出向いて仕事をした出職集団だったのである。
かつての児島湾は、
廻船による海運の要所だったのだろう。
阿津 から、
多くの 備前石工 が全国に旅立ったと思われる。
備前石工 の残り香を探すために、
我が家から、車で10分もかからない
岡山市南区阿津 の 廣幡八幡宮 を訪ねた。
向拝の階段は美しい花崗岩である。
拝殿の亀腹も美しい花崗岩で、
精度が 良く、緊張感がある。
本殿の石積は、
典型的な 備前積 で草の生える隙間もない。
興味深いのは、
この 瓢箪石!
備前石工 の遊び心なのだろうか?
それとも、何かのサインなのだろうか?
よく見れば、
この 瓢箪石 は取り外せるようになっている。
きっと、
この奥に何かあるのだろうが・・・・
それを暴くと、
バチが当たる可能性も大であるが、
思い切って開けて、
宝くじを当てる可能性に賭けてみるのも良し。
私は岡山市出身なのですが、初めて聞きました。備前は焼き物、隣の長船は刀鍛冶、多くの職人が活躍していたのですね。貴重な情報ありがとうございました^^これからもちょくちょく覗かせていただきますね。