本日は!
姫島 へ行ってきた。
姫島 へ渡る船上で、
対馬藩士 多田荘蔵 のことを
ゆっくりと考えたかったのだが・・・・
500馬力×2基の
高速船「ひめしま」(39トン)が高速過ぎて、
島へ渡る という情感が掻き消される。
対馬藩士 多田荘蔵 とは
海のサムライ である。
多田荘蔵 とは、
玄界灘の海を自在に渡り、
活躍した幕末の志士である。
有名な話が、
野村望東尼 救出劇である。
慶応二年(1866)
九月十六日の昼過ぎ、
唐津浜玉(対馬領)の港から
多田荘蔵 らは船に乗り込み
姫島 へ向かって船を進めた。
船は弁才船ではなく、
五丁櫓 か 八丁櫓 の
帆を張った小早船だっただろう。
多田荘蔵 らは、
姫島 に船を着けると
瞬く間に牢を破り 野村望東尼 を救出する。
その後、
船は 筑前大島 に向かう。
筑前大島 では流罪人三人を救出して
下関の商人 白石正一郎 の屋敷へと
船を進めた。
船の全航程は次の通りである。
浜玉 → 姫島 7.3海里(13.5km)
姫島 → 筑前大島 27.3海里(50.5km)
筑前大島 → 下関 24.3海里(45.0km)
合計 58.9海里(109.0km)
ちなみに、
58.9海里とは5ノットの速度で
12時間弱の距離である。
この話、
ナライ(北風) や、
コチ(東風) では失敗する。
昼から夜にかけて
マニシ(西風) が吹くことを予測できて
なおかつ、
潮 を読める 海のサムライ のみが
成し遂げる作戦である・・・・。
玄界灘の海 は、
一瞬にして時化るのだ。
歴史は、
海からの視座 で読み解くと
リアリティーがある。
そんなことを、
野村望東尼御堂(昭和56年築) の
蟷螂を観察しながら考えて・・・・
小さな祠の 綿積神社 で
おもしろき こともなき世を おもしろく (高杉晋作)
すみなすことは こころなりけり (野村望東尼)
と詠んで・・・・
すみなす って、
住む と 澄む の掛詞やん!
・・・・と気づいたら、
高杉晋作 という
澄んだ心を持つ青年を看取った
野村望東尼 の慈しみを感じた。
・・・・おもしろいのう。