八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

海のサムライ 多田荘蔵

2009-10-27 23:13:00 | シーパラダイス

 

本日は!

姫島 へ行ってきた。

 

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姫島 へ渡る船上で、

対馬藩士 多田荘蔵 のことを

ゆっくりと考えたかったのだが・・・・

 

500馬力×2基の

高速船「ひめしま」(39トン)が高速過ぎて、  

島へ渡る という情感が掻き消される。

 

 

対馬藩士 多田荘蔵 とは

海のサムライ である。

 

 

多田荘蔵 とは、

玄界灘の海を自在に渡り、

活躍した幕末の志士である。

 

 

有名な話が、

野村望東尼 救出劇である。

 

 

慶応二年(1866)

九月十六日の昼過ぎ、

 

唐津浜玉(対馬領)の港から

多田荘蔵 らは船に乗り込み

姫島 へ向かって船を進めた。

 

船は弁才船ではなく、

五丁櫓 か 八丁櫓 の

帆を張った小早船だっただろう。

 

多田荘蔵 らは、

姫島 に船を着けると

瞬く間に牢を破り 野村望東尼 を救出する。

 

その後、

船は 筑前大島 に向かう。

 

筑前大島 では流罪人三人を救出して

下関の商人 白石正一郎 の屋敷へと

船を進めた。

 

 

船の全航程は次の通りである。

 

浜玉    → 姫島   7.3海里(13.5km)

姫島 → 筑前大島  27.3海里(50.5km)

筑前大島 → 下関  24.3海里(45.0km)

 

合計 58.9海里(109.0km)

 

ちなみに、

58.9海里とは5ノットの速度で

12時間弱の距離である。 

 

 

この話、 

 

ナライ(北風) や、

コチ(東風) では失敗する。

 

昼から夜にかけて

マニシ(西風) が吹くことを予測できて

 

なおかつ、

 

 を読める 海のサムライ のみが

成し遂げる作戦である・・・・。

 

 

玄界灘の海 は、

一瞬にして時化るのだ。

 

 

歴史は、

海からの視座 で読み解くと

リアリティーがある。

 

 

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そんなことを、

野村望東尼御堂(昭和56年築) の

蟷螂を観察しながら考えて・・・・

 

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小さな祠の 綿積神社 で

 

 おもしろき こともなき世を おもしろく  (高杉晋作)

 すみなすことは こころなりけり      (野村望東尼)

 

と詠んで・・・・

 

すみなす って、

住む と 澄む の掛詞やん!

 

・・・・と気づいたら、

 

 

高杉晋作 という

澄んだ心を持つ青年を看取った

野村望東尼 の慈しみを感じた。

 

  

 

 

    ・・・・おもしろいのう。

 

 

 

 

 


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