紫雲丸(瀬戸丸) と
第三宇高丸 は、
昭和30年5月11日、
濃霧の中、女木島沖で衝突し、
紫雲丸 は沈んだ。
修学旅行中の児童生徒100名を含む
168名もの人命が犠牲になった
紫雲丸事故 の話なのであるが・・・・
この悲しい海難事故の後、
「橋があったら、こんな悲しい事故は起こらなかった」
というヘンな論理を推進理由に掲げる
様々な思惑を持った人たちの働きによって
最初から破綻している
マンモス公共事業 本四架橋 が完成し、
瀬戸内周辺の港町はことごとく衰退してしまった。
事故の日に話を戻そう。
あの日、
紫雲丸 は 宇野港 に向かっていたのだ。
犠牲となった多くの児童生徒は、
まだ見ぬ 宇野港 宇野駅 から列車に乗る旅を
楽しみに・・・・ 楽しみに・・・・ していたのだ。
私には 犠牲者168名の御霊 が
未だに 宇野港 に上陸することなく
備讃瀬戸を彷徨っているように思える。
海の底は、暗く冷たい。
今からでも遅くはない。
宇野港 で、
紫雲丸 犠牲者168名の御霊 を
手厚く迎えることはできないものだろうか?
そんな想いを抱くのは
私だけだろうか?
暑い夏のお盆の夜、
紫雲丸 犠牲者168名の御霊 が迷わないように・・・・
宇野港 の広大な空き地で
迎え火を焚く 鎮魂の儀式 を行ってみたい。