八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

夜霧のノマドワーカー

2012-05-02 01:49:30 | イケン!

 

この頃、しきりに、

ノマド(遊牧民) という言葉が

メディアから大量に流されている。

 

その都度、大昔によく聞いた

ハウスマヌカン という言葉を思い出して苦笑してしまう。 

意味は全然関係ないが、言葉の消費のされ方としてはよく似ている。

 

 

そもそも、

ノマド なる概念や言葉を手繰ってゆくと・・・・

 

やはり、

建築家 黒川紀章 に遡る。

Kurokawa_1

  

1969年 黒川紀章 は、

『ホモ・モーベンス 都市と人間の未来』 において、

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 ・ 都市的コミュニティーの不成立と古典的コミュニティーの

  実質的崩壊の一方で、人々の価値目的に対する選択の多様化。

 

 ・ ピラミッド型社会の崩壊からネットワーク型社会、

  多重ネットワーク型社会への移行。

 

と予言して、 

未来都市に生きる人間の新しい価値として

モビリティー(移動可能性)を提唱し、

 

 『ホモ・モーベンス』(動民) と名づけ、

 『ホモ・モーベンス』のすみかはカプセルである と宣言した。

 

その先駆的予言を現実化した作品が、 

名建築 『中銀カプセルタワービル』 (竣工 1972年)

Img_3214

 

 

それから10数年経って、

 

次の世代の建築家 伊東豊雄 が発表したのが

『東京遊牧少女の包(パオ)』 (1985年) 

Pao

 

都市に存在する商業施設や公共施設を

自分の家と見立てて暮らす遊牧少女の物語である。

 

映画館やコンサートホールが、彼女のリビングルーム!

レストランやカフェが、彼女のダイニングルーム!

おしゃれなアパレル店が、彼女のクローゼット!

 

唯一眠るためのベッドルームのみが

移動可能なテント=包(パオ)である。

 

バブル時代の何でも手に入った時代を象徴する

建築家 伊東豊雄 の傑作なのだが、

 

このプロジェクトを担当したのは

当時スタッフであった 妹島和世 である。

 

 

それから20数年経って、

私が発表?した作品が・・・・

 

40フィート外洋コンテナをタテ使いに利用する

『搭状住居計画』 である。  

Img_6019  

Img_6027

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前者の2例は、どちらかというと

時代の勝者に光を当てたプロジェクトだが、

 

私の 『塔状住居 計画』 については、

時代の敗者に光を当てている。

 

Kontenazumen

 

 コンセプトは・・・・

 http://sholly.blog.ocn.ne.jp/genba/2010/12/post_81f1.html

 

 

まあ、

ゴチャゴチャした話は置いといて、

 

ノマド(遊牧民) というキレイな言葉の裏側で

時代の本質的な問題点が隠蔽されていることに

注意しなければならない。

 

この先、ノマド という言葉は、

またたく間に消費されて、夜霧へ消えてゆくのだろうか?

 

 

そんなことを心配する私が行きつく先は、

ノマド というよりは、 

やはり 漂泊 という言葉なのだろう。

 

 

漂泊 といえば・・・・

 

鎌倉中期、

寺をもたず、宗派をたてず、

生涯を遊行僧として過ごした捨聖 一遍!

Photo_4

 

ますます日本は、

困難な時代になりそうだけど・・・・

 

Photo_5

                                          (一遍聖絵)

それより先に、

私の生活が困難になりそうなので、

 

  

踊り念仏の練習をしよう!

 

 

 

 


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