この頃、しきりに、
ノマド(遊牧民) という言葉が
メディアから大量に流されている。
その都度、大昔によく聞いた
ハウスマヌカン という言葉を思い出して苦笑してしまう。
意味は全然関係ないが、言葉の消費のされ方としてはよく似ている。
そもそも、
ノマド なる概念や言葉を手繰ってゆくと・・・・
やはり、
建築家 黒川紀章 に遡る。
1969年 黒川紀章 は、
『ホモ・モーベンス 都市と人間の未来』 において、
・ 都市的コミュニティーの不成立と古典的コミュニティーの
実質的崩壊の一方で、人々の価値目的に対する選択の多様化。
・ ピラミッド型社会の崩壊からネットワーク型社会、
多重ネットワーク型社会への移行。
と予言して、
未来都市に生きる人間の新しい価値として
モビリティー(移動可能性)を提唱し、
『ホモ・モーベンス』(動民) と名づけ、
『ホモ・モーベンス』のすみかはカプセルである と宣言した。
その先駆的予言を現実化した作品が、
名建築 『中銀カプセルタワービル』 (竣工 1972年)
それから10数年経って、
次の世代の建築家 伊東豊雄 が発表したのが
『東京遊牧少女の包(パオ)』 (1985年)
都市に存在する商業施設や公共施設を
自分の家と見立てて暮らす遊牧少女の物語である。
映画館やコンサートホールが、彼女のリビングルーム!
レストランやカフェが、彼女のダイニングルーム!
おしゃれなアパレル店が、彼女のクローゼット!
唯一眠るためのベッドルームのみが
移動可能なテント=包(パオ)である。
バブル時代の何でも手に入った時代を象徴する
建築家 伊東豊雄 の傑作なのだが、
このプロジェクトを担当したのは
当時スタッフであった 妹島和世 である。
それから20数年経って、
私が発表?した作品が・・・・
40フィート外洋コンテナをタテ使いに利用する
『搭状住居計画』 である。
前者の2例は、どちらかというと
時代の勝者に光を当てたプロジェクトだが、
私の 『塔状住居 計画』 については、
時代の敗者に光を当てている。
コンセプトは・・・・
http://sholly.blog.ocn.ne.jp/genba/2010/12/post_81f1.html
まあ、
ゴチャゴチャした話は置いといて、
ノマド(遊牧民) というキレイな言葉の裏側で
時代の本質的な問題点が隠蔽されていることに
注意しなければならない。
この先、ノマド という言葉は、
またたく間に消費されて、夜霧へ消えてゆくのだろうか?
そんなことを心配する私が行きつく先は、
ノマド というよりは、
やはり 漂泊 という言葉なのだろう。
漂泊 といえば・・・・
鎌倉中期、
寺をもたず、宗派をたてず、
生涯を遊行僧として過ごした捨聖 一遍!
ますます日本は、
困難な時代になりそうだけど・・・・
(一遍聖絵)
それより先に、
私の生活が困難になりそうなので、
踊り念仏の練習をしよう!