八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

『紫雲丸』 物語 その2

2012-11-04 00:48:04 | センチメンタル

 

紫雲丸 と 第三宇高丸 は、

昭和30年5月11日、濃霧の中、女木島沖で衝突し、  

紫雲丸 は沈んだ。

 

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168名もの命が犠牲になった

紫雲丸 2度目の沈没である。

 

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紫雲丸 には、

修学旅行中の生徒及び引率の教師などが多数乗船していた。

児童生徒の遭難者及び犠牲者数は以下のとおりである。

 

 広島県木江南小学校     97名中     22名

 島根県川津小学校      58名中     21名

 愛媛県庄内小学校       77名中     29名

 高知県南海中学校     117名中     28名

 合計               349名中  100名

 

 

また、

各学校の旅行行程は以下のとおりである。

 

■ 木江南小学校104名(児童97名)

5月9日早朝、大崎上島を出発する。

学校近くの桟橋から伝馬船に乗り、

沖で停泊している富士丸に乗り移る。

富士丸は今治に渡り、

一行は波止浜駅から蒸気機関車に乗って

金刀比羅宮へ参拝に向かう。

金刀比羅宮の参道では、

子供たちはたくさんのお土産を買ったという。

この日の宿は、琴平 魚清旅館。

翌5月10日、一行は栗林公園、動物園をまわり、

琴電で屋島に向かう。

屋島ではケーブルカーに乗り

山頂でカワラ投げを楽しんだ。

この日の宿は、高松 三松旅館。

旅館では、子供たちが、家族への土産物を宝物のように扱い、
 
何度も広げ、何度もしまい、何度も何度も確認していたという。
 
そして5月11日早朝、

一行は高松桟橋から運命の 紫雲丸 に乗り込む。

見送りに来た三松旅館の人たちと

五色のテープをつなぎあっていた。

宇野港到着後は倉敷大原美術館を見学し、

尾道経由で大崎上島に帰る予定だった。

 

■ 川津小学校66名(児童58名)

5月9日早朝、川津農協前で集合し、

市営バスに乗って松江駅に向かう。

松江から米子へ。米子から伯備線に乗り換えて岡山へ。

岡山から宇野線に乗り換えて宇野へ。

宇野桟橋から眉山丸に乗って、宇高航路を渡り高松へ。

高松から琴電に乗って琴平へ。

この日の宿は 琴平 すし駒旅館。

翌5月10日、金刀比羅宮に参拝する。

土讃線経由で高松に向かい、高松で三越を見学。

そして屋島、栗林公園、動物園をまわる。

この日の宿は、瓦町 丸天旅館。

丸天旅館の若主人が、子供たちに

バイオリンで“一人演奏会”を催してくれたという。

そして5月11日早朝、

一行は高松桟橋から運命の 紫雲丸 に乗り込む。

見送りに来た丸天旅館の人たちと

五色のテープをつなぎあっていた。

宇野港到着後は、宇野線に乗り

岡山で動物園見学などをして、

伯備線経由で松江に帰る予定だった。

 

■ 庄内小学校83名(児童77名)

5月10日夜、

運動場、大野四辻の2ヶ所に集合した子供たちは、

それぞれ農協のトラックの荷台に乗り、

途中で合流して壬生川駅に向かった。

一行は待合室で夜行汽車を待ち、

時計は深夜12時をまわり、

翌5月11日午前1時33分、

壬生川駅を発車し高松へ向かう。

午前5時52分、高松桟橋駅着。

一行は高松桟橋から運命の 紫雲丸 に乗り込む。

 

■ 高知市立南海中学校121名(生徒117名)

一行は高知から高松に出て、5月11日早朝、

高松桟橋から運命の 紫雲丸 に乗り込む。

宇野から京阪神をまわり、大阪から船で高知に帰る

4泊5日の旅程だった。

 

 

5月11日早朝、

それぞれの事情をもった乗客が高松桟橋に集結し、

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紫雲丸 は五色のテープで見送られ、 

午前6時40分、船客781人と貨車等19両を載せて

高松を出航し、約10ノットの全速力で宇野港に向かった。

 

・・・・

 

 

 

 


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すいません、お聞きしたい事があるのですが。 (尚古堂)
2013-03-27 16:22:46
すいません、お聞きしたい事があるのですが。

私は現在、紫雲丸事故に関連して当時の各学校の
足取りを調べているのですが、庄内小学校については
ホームページが立ち上がっていて、また、川津小学校に
ついては、松江市の教育委員会から資料の提供を受け
られたのですが、南海中学校については解答待ち、木江南
小学校は資料の所在がが不明と言われ、暗礁に乗り上げた
状態です。

そこで、申し訳ありませんが木江南小学校の足取りに関しての
原典資料について入手先や入手方法をご教示いただけない
でしょうか。

当時の関係者にお会いする事ができ、大まかな話は
伺ったのですが、あくまで概略なので、詳しく知りたいのです。

ご面倒をお掛けしますが、事情ご賢察の上、
よろしくお願いします。
返信する
はじめまして。 (tajahara)
2013-03-27 16:54:40
はじめまして。
 
この記事については『悲劇の紫雲丸 瀬戸大橋の礎となった子供たち』(高松洋平)を古書で手に入れて参考にしました。

3年前に大崎上島に立ち寄って紫雲丸記念館を訪ねたのですが、学校がお休みでした。
 
いいですね、大崎上島。
返信する
こんにちは。 (尚古堂)
2013-03-28 10:25:53
こんにちは。

この度は早速の御教示、ありがとうございました。

『悲劇の紫雲丸』については、存在は知っていましたが
手元不如意につき『紫雲丸はなぜ沈んだか』を、先に入手した
次第です。

やはり、『悲劇の紫雲丸』も、入手した方がよさそうですね。
島内の図書館にあればいいのですが、探したけどありません
でした。

3年前に大崎上島を訪問されたとの事、嬉しく、かつ、
ありがたく思います。

紫雲丸記念館を訪問されたそうですが、閉館していたそうで
お気の毒様でした。

紫雲丸事故を調べる過程で、大崎上島町教育委員会に
問い合わせをした際、記念館の見学に際して以下の御回答を
頂いたので一部を転載します。

『施設の管理上無人の施設ですので職員の立ち合いが必要になります。そのため月曜日から金曜日は社会教育課の事業(放課後子ども教室)が展開されており、見学が可能と言うより希望に沿いやすいということでご理解ください。ただ、木江小学校の児童がたくさんいる中での見学となります。そのほかの日時ですと事前に連絡いただいたら職員が立ち会います』。

教育委員会の社会教育課の電話番号は、0846-64-3055
です。

また、大崎上島にお越し頂けたら幸いです。
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