今日は空を一日中厚い雲が覆っていた。それにもかかわらず雨は一滴も降っていない。夏から秋に移ってゆく時のつかみどころのない天候とはこういうものだろう。このような不安定な空模様の下で土日はキッチリ仕事なので今夜から明日にかけてはのんびり過ごしたい。先ほど駅前の公園で珍しく猫たちが寄って来てやむなくビールのつまみを分け与えたが大人の方が子猫を前脚で払いのけ独占したのには驚かされた。俳句を含め人間社会と酷似している。船団誌を昨日から読んでいるがあの坪内稔典氏の心血注いでの場所でもう少し何とかならないかと思う。時代が時代だからやむを得ないのかもしれない。あくまでも船団賞の話である。一般作品欄は全く別である。坪内さん本人や池田澄子さん、詩人のねじめ正一さんを含め新鋭からベテランまで実に幅広く、季題の新たな解釈が溢れ返っている。ただ無季句が意外に少なくその点だけが残念である。しかしここにある季題と俳句定型の再接近には大変興味がある。伝統結社からは完全に断ち切られた場所でのこの事態には何かしらの戦略がありそうだ。少なくとも単なる時代遅れの自然回帰ではなさそうである。ここの東京句会はe船団というHPを見て今月1日に連絡さえつかなかった理由が判明した。完全予約制で会場は銀座のとあるレストランで食事を摂りながらのもので3千円らしい。会費を含めてのものなら決して高くはないがこのふやけたスタンスは私は受け付けない。これならガチの伝統結社の地道な結社句会の方がよっぽど勉強になる。当分句会出席は見送る他ない。10月末に関西方面の大会に出る予定なので無駄使いも出来ないからちょうどよかったとあきらめたい。 どうにもならない九月裏庭に猫集ふ まほろば
今日の東京23区北部は予報に反してどんよりと曇っている。昨日と寸分違わぬ28~22度の降水確率20%のはずがである。やはり秋の天候に様変わりしているのかもしれない。昨日の新宿の病院での肝臓疾患の通告が少し堪えたのかもしれない。一人吟行のはずが1句も書けなかった。もともと自然物などを目の前にして俳句を詠む(=所謂花鳥諷詠)などという犯罪的な感覚は私には無い。この21世紀の世界を生きる者としての最低限の覚悟である。今後俳句に限らず自分の道を邁進したい。アナグロの反人間的な文芸ファシズムにはこれまでの経験と知識を動員して全面対決してゆきたい。そうは言いつつも今日からは健康増進と生きるための活動に自分のペースを完全に守りつつ進みたい。これまで通り邪魔なものは人間であれ何であれ手段を選ばずあっさりと排除しなければならない。手許に「船団」弟102号がある。昨日一部書きとめた船団賞の受賞作である。他の候補作共々空疎なレトリック以外何も得るものはなかった。あえて言えば今の世の中なんて俳句なんてこんなものだろう・・という予定調和の範囲内の言葉群であった。言い換えれば私が入れ替わっても大差は無いということである。ここには生きているという手応えがまるで感じられない。抒情という使い古された慰安の行為さえ無用の現代という人間の精神の退廃の断片が転がっているだけである。それを坪内稔典氏らが必死に前向きに拾い上げているだけである。受賞者無しが妥当ではなかったか。一応受賞・候補者の各20句からもう1句(2句目)を引いておく。今度はダメ(無感動)な句ばかりを選ぶ。句評は自分のことで忙しいので時間があれば書きたい。 生きるって闘うことだろしゃぼん玉 まほろば
わたくしも金魚も水曜日な気分 工藤恵
鍵穴に頼る合鍵しゃぼん玉 渡部ひとみ
わたくしの中に木の芽のようなもの 芳野ヒロユキ
二十ある塾の北窓開けにけり 藤井なお子
冬紅葉部屋も心も南向き 児玉硝子
わたくしも金魚も水曜日な気分 工藤恵
鍵穴に頼る合鍵しゃぼん玉 渡部ひとみ
わたくしの中に木の芽のようなもの 芳野ヒロユキ
二十ある塾の北窓開けにけり 藤井なお子
冬紅葉部屋も心も南向き 児玉硝子