まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【ポストモダンの始原の恣意】21世紀俳句はもはや《定型》の壁を突破した!?/新俳句入門(18)

2017-09-24 08:11:21 | 新俳句入門

昨秋だったか、NHKの深夜枠で【大学俳句選手権】を観た。これも松山市で開催されているもので、総合審査員は夏井いつきであった。予選は、同じ若者の過去の優勝者などにやらせていた。松山城を巡りながら、いくつかの季題で句作を競うものだったが、同じNHKeテレの俳句講座の入選作も混じっていたので、ヤラセの要素もいくぶん加わっていたようだ。ところで、昨年の【俳壇賞】の受賞者は当のNHKの俳句番組制作者で、夏井いつきの結社『いつき組』の同人であった。少しは、公正性を遵守して欲しい。こんなことをやっていると、NHKも俳句も社会的ステータスを決定的に失うことになる。そんな些細事より、世の中の【ポストモダン】の進展により、少数ながら輝きを見せる俳句おたくたちの《俳句》とは、いったい何なのだろうか?もちろん、今日に至るまで世間に流布され続けている《俳句》は、もはやハイクでしかなく、戦後俳句が大上段に批判の対象として来た【俳句形式】ではないのではないか?この番組の20歳代になりたての若者たちを見ていて、そんな違和感を感じてしまった。もともと《俳句》とは、虚子など明治期のB級文芸作家が、当時の欧州近代文学(詩・小説)の翻訳の手法によって仮構し、イデオロギー的に偽装したもので、江戸期の蕉風俳諧に至る日本詩歌の《伝統》を継承したものではない。むしろ、現代の若者たちの【ポストモダン】の始原の恣意に染められた21世紀俳句の方が、明治から戦後に至る【近代俳句】の残滓よりかは、遥かに新鮮である。有季定型イデオロギーに固執することで、負の自我の空虚にしがみつくしか能の無い旧時代の倒錯した似非俳句を、常態としてあっけらかんとかなぐり捨てる、若者たちの21世紀俳句の爽快さったらない。・・・《続く》

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俳句を見事に婚活に生かしきった現代俳句協会青年部長神野紗希さん(32)。お相手も「鷹」編集長高柳尭行氏(35)。

 


【そのまた極悪】月よりも大きなものに母の尻 キタロー/極メタ俳句の系譜(1)

2017-09-23 08:48:45 | エッセー・評論

*YAHOOより転載/朝カフェ&ちびブラス付

吐く息にぼた餅二個の香りかな   キタロー(ヤフーブログ『四苦八苦純情可憐俳句』)
ヤフーブログのキタローさんが、長い長い自己再発見の旅から勇躍帰って来た。ぼた餅を口いっぱいに頬張り、エクセレント妻や流通センターの娘を足蹴にしながら、相変わらずの毒ガス俳句を撒き散らしている。毒ガスの存在意義は、一にも二にも読者の感動の抑制能力にある。掲句の【ぼた餅の香り】など、その最たるものであろう。・・おっと、9月いっぱいは当ブログは休止中である。所属結社誌の【俳句時評】の2回目は、締切の9月15日を軽くオーバーして、ついに後半部に突入した。主宰や先輩同人や自称前衛俳人のベタさかげんを宣告するのが楽しみである。・・・《続く》 
 
極悪の極悪そのまた極悪秋意かな   まほろば
 
 
カフェ・ミュージック
 
梅津和時ちびぶらす NHKSPのBGMでお馴染み!
 
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【俳句の此岸】80年代の空無感に浸り始める/私とは誰か~プレおたく世代の現在(33)

2017-09-22 06:31:06 | エッセー・評論

私の1970年代の底無しの《絶望》を救ったのは、他ならぬ80年代の【ファッション原理主義】であった。遅ればせながら、80年代の《空無感》に参入する勇気を与えてくれた。ファッションの生息する【境界域】からの、精神への浸透(構成)力である。

1980年代とはいったい何だったのか?少なくとも前半は、何も無い《空洞》であった。70年代の中央線文化(関西フォークの在京拠点)の中心地【吉祥寺】に舞い戻り、79年の大学中退を受けて通信制大学への編入学など、モラトアリアム(現代のニートに近似)は続いた。時代は、元祖新人類の登場と【三無主義】の急進展による空虚感一色に染まっていった。60年代ロック(ニューロック)の延長戦としての70年代ロックは前半までで見事に消滅し、80年代に入ると70年代末に狂い咲いた【パンク・ニューウェイブ】がテクノとファッションに集約化され、街のアチコチで鳴り響いていた。70年後半に若者文化の突然変異態のように『宇宙戦艦ヤマト』ブームが起こったが、80年代のまだ未分化の【サブカルチャー】の前兆に止まっていた。ただ「テクノポップ」を中心とするニューウェイブ音楽は、ファッションにも飛び火し、あたかも70年代文化の進化形のように自己主張し始めた。前時代の自己回復の主体実存》の無効性は、これらを担った【元祖おたく】や【ポストモダン】の先駆けによって、いよいよ確実なものになっていった。私は、遅ればせながら【三無主義】の空無感に浸り始めていた。そんな私にとって、一つだけ魅力的だったのは、DCブランド・キャラクターズと呼ばれた一群の先鋭的なファッション・クリエイターの手による【超ファッション】であった。その中のアンチ機能主義的なダブダボ・ジャケットで身を包むことで、いくぶんなりとも時流に乗ることが出来たような安堵感を得ることがかなったのだった。・・・《続く》

「川久保玲」の画像検索結果

1980年代のファッション界を席巻した川久保玲。DCブランド【コムデギャルソン】の創始者。

プラスティックス他 テクノPOP集 1980頃

https://youtu.be/kO6yD2fNEUY?t=36

 


【俳句の此岸】未来の主役として祝福された自我の終焉/私とは誰か~プレおたく世代の現在(32)

2017-09-19 09:54:50 | エッセー・評論

深秋や君の全力を世界は待ってるぜ   まほろば  最新作  即興

1980年代の空虚さは息が詰るほどだった。70年代の終焉のこれといった手応えは無かった。ただ確実に変わったものがある。それは街のすがたであった。例えば、吉祥寺駅前のどぶ板の飲み屋街は小ぎれいな路地に変貌し、ジャズ喫茶の老舗で吉祥寺の象徴でもあったFUNKYは影も形もなく消えてしまった。正確に言えば、ある場所に移転した。それは、路地を抜けたほんの1~2分の所であった。新しく出店した吉祥寺パルコのすぐ隣のビルの2階である。窮屈な階段を上ると、カウンターのみの狭苦しい、パスタ店と思えるほどの瀟洒な造りのいまで言うカフェバーに成り果てていた。かろうじて、旧店の地階に置かれていたJBLパラゴンが、店内の片隅に置かれていた。流れていたのはやはりジャズのままだったが、どこまでもイージーでライトな曲ばかりで、かつてのハードバップ中心の選曲を知らない者には、それがジャズであることにさえ気付かないほどであった。そんな変化の中で、私はコツコツと通信制大学のレポート作成作業に勤しんでいた。この吉祥寺から京王井の頭線の終点にあった【渋谷】も、同じくJR中央線快速で20分足らずで行き着く【新宿】も、以前のメインストリートの雑踏や路地裏の底知れないメタフィジック感といったものは一掃され、やはり西武パルコの未知の消費感覚や丸井のカジュアル感に支配されていた。何もかもが明るく、そして軽いものに根底から変貌してしまっていた。その原因の一つだったのが、70年代後半の政治の季節の終焉、経済の高度成長の終焉、そして《わたし》という・・いつか確実に訪れるであろう未来の大いなる理想世界の主役たるべく祝福された《自我》の終焉であった。こうして、1980年代という、私という存在の不確かさ極まりない、辺りに流れていたテクノポップのように何もかもが無機質で、おそらく無価値で・・おそらく完全に相対的で、まるでつかみどころの無い、薄明かりの底の地べたに沈み込み、ポッカリと開いた空洞の中の情けない存在でしかあり得なかった。かつて、1960年代末の革命に恋焦がれて・・藁をも掴む想いで上京した希望の星のような《わたし》は、もはや影もかたちも無かったのだ。・・・《続く》

プラスティックス テクノポップ 1980

 https://youtu.be/v_RM0kuYQR4?t=54


ジョン・F・ケネディの声/新雑句雑感(238)~プロローグ5の終わり

2017-09-15 09:05:04 | 新雑句雑感

ミサイルが飛ぶたび秋の声を聴く  自由より不自由好む秋の声  早朝ビールの何とも美味し秋の声  蚊を打てど打てど寄り来る秋の声  俳句とはサブカルと知る秋の声  秋声をジョン・F・ケネディの声に乗せ  秋声いまも新宿西口地下広場  ブルートレイン廃止の報せ秋の声  角川映画名作揃い秋の声  廣太郎句集の空洞秋の声  左耳なぜか聞こえぬ秋の声  ユーミンの瞳を閉じて秋の声  秋声あらた三十年の俳句ゼロ  師を持たぬ蒼さと白さ秋の声  幻聴のもとをたどれば秋の声  図書館の近代俳句史秋の声  芭蕉とはお前のことだ秋の声  斉藤由貴の不倫好きこと秋の声  WINSの落胆つづく秋の声  自動ドア何故に開かぬ秋の声  松原みきの真夜中のドア秋の声