まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

いまが中秋/2020東京五輪に向けて思う~プロローグ3の終わり(その133)

2014-09-28 18:06:45 | 日記
昨日の仕事は最後の最後に想定外の大逆転が起こり、視界が真っ暗になった。それでもいつも通り終了後のベルギービールは美味であった。これがあるから何でも我慢できる。全ては人間とその時代の業である。私には私の固有の同時代が今も周囲を圧するごとく歴然と聳え佇っている。私は己の人生を全うするためには手段を選ぶべきではない。他人は他人、自分は自分である。SNSなどというまやかしでさえ私にはドンと来いである。ところで今日予定していたNPO定例会出席は見送った。昨夜徹夜で同時代のPOP音楽を味わった。先ほどやっと起き上がれたがまたレッド・ツェッペリンのデンマークラジオLIVEを流している。その超絶さといったら無い。ほぼ同時期のコルトレーンの1965~67のものに負けていない。全て即興演奏である。即興が即興でなくなる瞬間の華々しさはむしろ定型的ですらある。21世紀に至った時間の流れも前世紀同様人類にとって無為極まるものであったことがありありと体感出来る。 いまが中秋心肺停止の空白し(御嶽山噴火で山頂の31人) まほろば

時は過ぎゆく/2020東京五輪に向けて思う~プロローグ3の終わり(その132)

2014-09-28 03:20:08 | 日記
昨日は見てはいけないものをこれでもかと見せつけられた。唯一の救いは人間の醜塊さを徹底して排除してフォーマルなスタンダードな安定感を持つ人が至近距離に存在したことである。普遍性ということである。普遍性とは元より人間固有の美学とも言える。チンピラゴロツキの類とはその存立基盤を根本的に異にする。と言うわけで尾崎亜美メドレーを聴いている。80年代を突破し抜いた尾崎豊と奇しくも同姓である。私にとり1970年代の敗北主義に甘んじなかったJーPOPの創始者の一人である。POPとは人間の魂を盛る器であることをその華麗な詞曲で余すことなく表明した麗しさの達人であった。別途【J-POPの巨人たち】で書きたい。代表曲「オリビアを聴きながら」(詞・曲・歌 尾崎亜美)から。拙句は 時は過ぎゆく紋白蝶は生きていた  まほろば

眠れぬ夜は 星を数えてみる/光の糸をたどれば 浮かぶあなたの顔/誕生日にはカトレアを忘れない/優しい人だったみたい けれどおしまい

闇でも光でもない/雑句雑感Ⅲ~プロローグ3の終わり(その131)

2014-09-28 00:04:36 | 雑句雑感Ⅲ
闇でも光でもないニッポン全土に夏続く  鉄橋を渡る前に鉄橋を破壊し尽くす秋の風塵  アムステルダムで合法麻薬に溺れた晩夏光  過去を絶つ前に未来を絶てば未踏の原野  過去を絶つために私の中で戦争が始まる  火を焚いても胸焦がしても夏空は消えない  ここから始まるしかない八月半ばの一ト日  苦行のような秋晴れはもうたくさん ハレルヤ  マラッカ海峡に身を投げて九月の長雨を喚ぶ  干からびた母をギュッと抱きしめても秋はもう来ない