昨年の暮からキリスト教会に10回以上足を運んだ。8年前まで3年間住んでいた首都圏の県庁所在地のプロテスタント教会である。私にとってこの地は地獄のようなものであった。ハッキリと《地獄》と言わないのは、その地獄の仕組みが理解出来たからである。この半年ほど、その地に繰り返し舞い戻ったのはその都度小さな《天国》を手に入れるためであった。そして、私はパッタリとそこには行かなくなった。すべて予定通りの行動である。今度は、そこにも時折来ていたK君から都内の別の教会に来ないかとの誘いが熱心に始まった。その《地獄》のようなものについての認識を共に持っているのではないかと一瞬期待させるものがあった。しかし、彼の中ではすでに天国のようなものについての認識が《地獄》を凌駕していたのだろう。私がいまこのときに持っている《地獄》を抜け出せる方法など持ち合わせている筈も無かった。ただそれだけのこと。・・・《続く》