まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

空が紅い/雑句雑感Ⅲ~プロローグ3の終わり(その126)

2014-09-24 20:14:52 | 雑句雑感Ⅲ
私って幸せなんだと秋始め  家中探しても夏空しか見当たらぬ  火を焚きたいが裏庭にはポチがいる  人生とはまず秋が来て空が紅い  どうにか生きて自殺願望の子を想う  

私が主役/雑句雑感Ⅲ~プロローグ3の終わり(その125)

2014-09-24 19:38:23 | 雑句雑感Ⅲ
世紀末までの約束「悲しみよこんにちは」  だから言ったじゃないの人生の秋遠し  キャリーのメイド服がふと死にたくなる  ここから先は秋晴ればかり冬よ来い  私が主役エヴァンゲリオンの空から降って来た 《続く》    

秋燕はもういない/2020東京五輪に向けて思う~プロローグ3の終わり(その124)

2014-09-24 17:15:51 | 日記
今日は朝から雨だがそれほど降りは強くない。台風はそれたか熱帯低気圧に変わったのだろう。まだ疲れは取れていないがレンタルビデオにでも足を運ぶことになりそうである。こんな時は夜通しYOU TUBEということになる。キャリパミュでもジックリ聴いてみる(読んでみる)のもよい。俳句など何度読んでも無駄である。その無駄さかげんが現代俳句の真骨頂なのであろう。ビデオは寺澤しのぶの「千年の愉楽」(原作 中上健二)にしたいがまだ原作も読んでいないし・・、J・Pベルモンドの「勝手にしやがれ」やジーン・セバーグの「悲しみよこんにちは」などにする予定である。ベルモンドといえば西新井のジャン・ポール・ベルモンドさん(ロス帰り)と無性に会いたい。しかし昼間から紙パックの焼酎を路上で煽り過ぎて入院中なのだそうである。彼も団塊の世代の片割れであった。 西新井のジャン・ポール・ベルモンド秋燕はもういない  まほろば

猫たらん人たらん/2020東京五輪に向けて思う~プロローグ3の終わり(その123)

2014-09-24 04:12:30 | 日記
もう昨日になってしまったが今日は暑かった。29度くらいにはなっていたはずだ。それでも秋らしく汗はほとんど掻かない。仕事は比較的順調に終始した。しかし東京西北部の名うての下町タウンらしく全くなにもないということはあり得ない。10時からの勤務の開始直後眼前の横断歩道で60代位の男性と自転車の主婦が激突し、男性は転倒し・・パトカー、救急車入り乱れての大騒ぎとなった。男性はズボンをめくり膝坊主の出血を見せると警察官は観念して過失障害事件として本署レベルに持っていったようだ。その後は無難に進み、昼食はいつもの中華料理店で済ませた。帰りは疲れもあって真っ直ぐ帰宅しようとしたが、乗り換え駅で餃子の王将に立ち寄りチャ-ハンと餃子を注文した。ここの餃子は冷凍ではなく自店で一つ一つ手作りということが売りになっている。しかしこの晩はチャーハンがメインであった。これが近所の店舗のものとは違っていて盛りも多く、卵が多く、スープも卵が多い中華スープであった。そしてレジではアレッ!という金額だったのでもしや・・と店を出てレシートを見ると餃子の追加記入がなかった。そんなこんなで自宅近くまで帰って来ると公園でもう一缶ビールを空けた。いつもの猫の母子が待っていた。餌やりのオバサンが帰ると母猫に挨拶替わりに瞬時に悪因縁を絶つ神道式浄霊を施してあげた。人間以外では実に30年振りのことである。猫は一瞬「何するの・・?」と驚いていたが、すぐさま足元に降りて顔を擦り付けて来て受け入れてくれたようだ。この猫と元の飼い主との初発の断絶を見越して励ましたのである。猫社会も人間界同様サバイバリズムの嵐が吹き荒れているはずである。お互い頑張って生き抜こうとエールを送ってみた。  大仰に猫たらん人たらん秋彼岸  まほろば

オザキを探す/雑句雑感Ⅲ~プロローグ3の終わり(その122)

2014-09-24 03:29:01 | 雑句雑感Ⅲ
渋谷センター街でオザキを探す秋彼岸  秋彼岸人生はいつ始まったのか  オヤジギャグでドストエフスキー秋彼岸  ワイフといふ死語再生す秋彼岸  猫集ふ渦中にありぬ秋彼岸  般若心経に愛の名言秋彼岸  もう一人の矢切の渡し秋彼岸