限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

惑鴻醸危:(第7回目)『ナルシスト撃退鏡』

2009-07-28 00:21:30 | 日記
人はたいてい、他人の方が自分が持っている物より素晴らしいと感じるもののようだ。英語の諺で、『隣の芝は青い』と言うのがその心理を表している。ところが、自分の顔だけは別らしい。白雪姫の意地悪の継母のように、女性はだれもが(とは言い過ぎかも?)鏡に写った自分の姿に惚れぼれとするようである。

以前、東京でサラリーマンをしていた時のことである。帰りの夜の電車でドアにぴったりくっついて、窓ガラスに面して立つOLらしき女の子をよく見かけた。地下鉄が地上に出ると、外の暗さと車内の明るさのコントラストがくっきりとし、ドアの窓が鏡のようにその女の子の顔を写しだす。そうすると、まるでパブロフの犬よろしく、その即製の鏡にむかってしきりと髪の毛をいじりだすのである。それだけに止まらず、窓に映る自分の姿にうっとりしている。

その自己陶酔がどこから来るかと考えるに、美しい、という判断基準が極めて主観的であるからだろう。英語の認定試験(TOEIC)のように美しさの客観的な点数を示されると自分自身の評価を再点検せざるを得ないはずである。

そこで、『ナルシスト撃退鏡』をいうものを考案する。あの白雪姫の継母の鏡のデジタル版である。


Walt Disney : 白雪姫

この『ナルシスト撃退鏡』には、普通の鏡のような形をしているが、ボタンが一つと、小さな液晶ディスプレイが一つついている。ボタンは『鏡よ、鏡、私の美人度を教えておくれ』ボタンといい、それを押すと鏡がその映っている人の『美人係数』を瞬時に計算して表示する。さて、『ナルシスト撃退鏡』を電車のドアに装着することを提案する。そうすると、かの自己陶酔嬢もようやく、自分と世間の感覚の微妙なずれに気がつくであろう。時間というのは貴重である。通勤時間も細切れではあるが、積み上げると膨大な時間となるので、自己陶酔もいい加減に切り上げ、時間の有効利用すべきだと、ついおせっかいをやきたくなる。

ところが、最近、女の子だけでなく、男にもこのような自己陶酔症が感染してきたようである。男子トイレの手洗いの前を占領し、しきりと髪をいじっている男の子がいる。どうやら男子トイレにもこの『ナルシスト撃退鏡』を設置する必要がありそうだ。
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