限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

惑鴻醸危:(第5回目)『地縛霊が存在しない科学的理由』

2009-07-10 00:22:30 | 日記
現代科学は古代ギリシャにその源を発している。紀元前6世紀のタレスから始まり、紀元前4世紀のユークリッド、紀元前3世紀のアルキメデスと独創的なアイデアをもったギリシャの科学者が綺羅星のごとく名を連ねている。

ギリシャ人の偉い点は、論理を突き詰めていったとき、それがたとえ日常感覚と合わなくても、論理的帰結の方を信ずる、その主知主義にある。

たとえば antipodes という単語がある。分解すると anti (反対)と podes (足)、文字通り『地球の裏側に足をこちらに向けて立っている人』という意味である。岬の丘から海を航行する船が見ると遠ざかるに従って次第にその姿が見えなくなることから、古代ギリシャではすでに地球は球であることに気づいていた。球だから自分のいる場所だけでなく、球の反対側でも人が落ちずに立っているはずだ。つまり、地球の裏側には足をこちらに向けて立っている人がいる、ということが論理的に導かれる。


アリスタルコス(出展:Wikipedia

さらに言うと紀元前3世紀のギリシャでは、論理的帰結から地動説がアリスタルコスによって唱えられていた。理由は、満天の星が一夜のうちに地球の周りを一周しないといけないとすると膨大なエネルギーが要るが、もし逆に地球が一周し、星が静止しているとするとエネルギーは少なくてすむはずだと、考えたからだ。

2000年以上も前の人間が、たとえ一部にしろ、すでに理性に従い迷信を脱していたにもかかわらず、この科学が進んだ現代でも迷信に惑わされている人が実に多い。

例えば、日本では、交通事故や通り魔などで死亡するとその場所に恨みを残して、地縛霊となる、といわれている。ギリシャ人に倣って地縛霊の存在を論理的に考察してみることにしよう。

霊というのは通常、非物質的なものと考えられている。質量を持たないので、ニュートン力学で言われている慣性力が作用しない。それで、地球の引力にひっぱられて地表に引き付けられることなく、自由に空中に浮かんでいられるという訳だ。

しかし、地球自体は実は一刻も同じ場所にいない。地球は自転しているが、その速度は秒速にして460メートルにもなる。霊が地球の慣性力に支配されないので、空中に浮いてはいられるのだが、同じ理屈で、地球の自転に置いてきぼりされるので、見かけ上同じ場所にいる、ということは、自転の速さで移動していなければいけないことになる。

しかし、これで驚いてはいけない。地球は、まだまだすごい速さで宇宙空間を移動しているのだ。地球が太陽の周りを回る公転運動の速さは、秒速30Km。つまり公転運動は自転運動の70倍近い速度なのだ。さらには、太陽系自体が銀河の縁を移動しているのだが、これは秒速250Km。その上この銀河系が宇宙のなかを大きく移動していてその速さは秒速700Km。これらを合計すると、地球というのは秒速1000Kmもの速さで宇宙空間を飛んでいるのだ。

従って、自縛霊が同じ場所にいることができるためには、実に秒速1000Kmもの速さで移動していないといけないことになる。自縛霊はその膨大な移動エネルギーを一体どこから得ているのだろうか?エネルギーだけでなく、秒速1000Kmもの速度で移動している地球にぴったりと沿って移動する自縛霊の正確な位置制御のメカニズムも疑問だ。

このように考えると、論理的に考えて地縛霊は存在しない、いや、存在し得ない、と言えるのではないだろうか?それでもまだ自縛霊の存在を信じると言うのは、いまだに天動説を信じているのと五十歩百歩ではないだろうか?
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