限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第9回目)『アレキサンダー大王の寛恕とポロス王の威厳』

2009-07-16 00:08:08 | 日記
戦争に動物を使うというのは、例えばインド、スリランカ、タイでは、象が戦闘に使われるのは当たり前だったようだ。

17世紀の探検家で、セイロン島(現在のスリランカ)に20年も拘留され、最後には、インディ・ジョーンズもどきのスリル溢れる脱出劇を演じたロバート・ノックスの体験記『セイロン島誌(平凡社東洋文庫)』には、当時の戦象のようすが書かれている。

しかし、古代ヨーロッパでは、象を戦場で見るのは驚愕の出来事であった。紀元前218年、ハンニバルが戦象をスペインから南フランス、それからアルプスを越えてイタリア北部に連れていった時は、ローマ軍は大いにうろたえた。ローマ軍にとって幸運だったのは、アルプス越で、大半の象が氷結した崖から落ちたり、寒さや飢えで凍え死んだりして、当初の37頭がイタリアに来たときはわずか3頭にまで減っていたことだった。

ギリシャの例では、紀元前48年にメガラ市がローマの武将カレヌスに攻められた時、篭城の果てにとうとう持ちこたえきれず、最後の手段として、飼っていた猛獣のライオンを放った。しかし、ローマ軍のあまりの喚声に仰天したライオンは敵に向かわず、逆に飼い主のメガラ市民を襲った。そのすざまじさは『敵からさえも哀れまれる』程の悲惨な状況だったと伝えられている。(Plutarch, Brutus 8)

中国の神話では、昔々、黄帝と炎帝が戦ったときに、ありとあらゆる猛獣を駆使したと言われている。猛獣だけにとどまらず猛禽類も旗代わりに使ったとか。さしずめ現代なら、ホークスとイーグルスの熱戦とでもいうところか。『黄帝与炎帝戦於坂泉之野、帥熊、羆、狼、豹、虎為前駆。、鷹、鳶為旗幟。』(列子・黄帝編)



若き英雄アレキサンダー大王にも登場願おう。アレキサンダーがインド北部(今のパキスタン)に進撃した時、パンジャブのポロス王は戦象をインダス川にずらっと並べてその渡河を阻止しようとした。アレキサンダーは攪乱戦法を用いて相手の注意をそらして、上流の見張りの手薄な箇所から渡河してポロス王の背後を衝き、勝利を収めた。捕らわれの身になったポロス王はどういう待遇がお望みか、と聞かれて、『王たるにふさわしく(basilikos)』とだけ答えた。負けても、貴高い、毅然たる態度に感服したアレキサンダーは、ポロス王を敗者としてではなく盟友として遇した。(Plutarch, Alexander 60)
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