獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡雅弥さんの「地の塩」その9)もう評論家はやめたいと思います

2024-05-17 01:12:04 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 


カテゴリー: SALT OF THE EARTH

「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。


Salt17 - 朝礼台から訓示しても

2018年4月23日 投稿
友岡雅弥


関東のある都市のことです。

その都市では、30年余り前、路上生活者(ホームレス)が少年たちに襲われ、3人が死亡、十数人が重軽傷を負うという事件があったのです。

逮捕後、少年たちはこう言い放ちました。

「街の清掃に協力しただけだよ」
「大人たちも、ゴミだと思ってるんだろ。だから僕たちがやったんだ」

被害者は、その言葉通り公園のゴミかごで死んでいたのです。


「今から数年前に」も、死者はなかったものの、同様の事件が起こりました。

ここで、いつも、「いのちを大切に」とか、時には、訳の分からない、戦後民主主義のために、自分勝手な子どもが増えたとかいう自分勝手な解釈する人たちが、わらわらとでてきます。

普通、加害者生徒の中学校では「命の貴さ」授業が行われたりしますが、そうではありませんでした。

この加害者の子どもたちが通っていた中学校の校長は、「子どもたちの問題だ。教え諭さねば」とは考えなかったのです。

校長は、考えました。

全校朝礼で高みから「命の尊さ」を訴えるだけではなんにもならない。
まず、自分が野宿者の現実を少しでも分かろう。

それで、月十回、野宿者を訪問し、世間話を続けたのです。
野宿者を「支援する」のではなく、「助ける」のではなく、世間話を続けたんです。

「直接会って、野宿者のことがやっと少しづつ分かってきました」と校長は言ってます。

人に騙され、裏切られ続けた野宿者。中には、月に20日以上必死で働いて、3万円しか得れない人もいました。


実は、中学校は校内も荒れていたのです。

野宿者を訪れ続ける校長の噂、そしてその姿に雰囲気が変わっていったのです。生徒たちも、路上生活者を訪れ出しました。

特に、暴力が絶えなかったグループが、野宿者を訪れだし、1人ととても親しくなりました。その野宿者は、もと職人だったのです。

2ヶ月通った、といいます。もちろん、校長のように世間話を続けて。

そして、とうとう、その野宿者のことを「師匠」「親方」といい、自分たちが心に抱えていて、教師にも親にも言わなかった悩みを、その人だけには打ち明けるまでになったのです。


もう、「評論家」「コメンテイター」はやめたいと思います。「高み」からおりて、「現場」に行くことから、まず、自分が変わるのではないでしょうか?

 

 


解説
野宿者を訪れ続ける校長の噂、そしてその姿に雰囲気が変わっていったのです。生徒たちも、路上生活者を訪れ出しました。
特に、暴力が絶えなかったグループが、野宿者を訪れだし、1人ととても親しくなりました。その野宿者は、もと職人だったのです。

この話、どこかで聞いたことがあるような気がしました。

佐藤二朗主演のNHKドラマ「ひきこもり先生シーズン2」(2022)後編のエピソードに似ています。

シーズン1では嫌な感じだった校長先生・榊徹三(高橋克典)が随分と雰囲気が変わってました。
この前校長・榊さん、ホームレスの支援団体の仕事をしているのです。
この榊さんの姿が、友岡さんの紹介する校長先生に重なりました。


もう、「評論家」「コメンテイター」はやめたいと思います。「高み」からおりて、「現場」に行くことから、まず、自分が変わるのではないでしょうか?

心にしみる言葉です。私も、「現場」でジタバタしながら、成長していきたいです。

 

友岡さんのエッセイが読めるすたぽはおすすめです。

 


獅子風蓮