獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

週刊新潮・正木伸城氏の手記 (3)

2022-11-30 01:57:14 | 正木伸城

正木伸城さんは創価学会元理事長・正木正明氏の息子で、創価中学校、創価高校、創価大学と一貫して創価学園に学んだ経歴を持ち、創価学会本部職員として働いた経歴をお持ちです。
組織のあり方に疑問を持ち本部職員を退職した後も創価学会にとどまり、ライターとして活動していらっしゃるそうです。

「週刊新潮」(2022年12月1日号)に、正木伸城さんの手記が載っていました。

以下、「週刊新潮」の記事の引用をもとに解説します。


教団の「内・外」両方から

学会は公称827万世帯という会員数を誇るが、その勢力は衰え続けている。組織が名簿上把握している会員のうち実際に動いている学会員がどれだけいるかというと、かなり少ないのが現実だ。
たとえば私がリーダーだったある地域では、布教熱心な信者は青年世代で1割を切っていた。若い世代に限らず学会全体で見たとしても、実は、熱心に活動する学会員の方がマイノリティなのである。学会に所属していても、無関心だったり、ネガティブな考えを持っていたりという理由から、つかず離れずの関係を維持している層の方がはるかに多い。その傾向は、特に学会二世、三世、四世になるにつれて、顕著にみら れるのだ。
これにより、会員数の減少が臨界点に達した時に、学会はどう対応するだろうか。機関紙・聖教新聞の部数が減り、財務(お布施のようなもの)の金額も激減した時に、かつての水準を維持するために学会員に過度な負担を強いるようになったとしたら――そういう危うさについて、学会自身は自戒の意味でも「ゼロではない」と考えておいたほうがいいと思う。
たとえば創価学会は「マイ聖教運動」という活動を大きく展開していた。これは、機関紙である聖教新聞を一家で一部取るのではなく、一人あたり一部取ることを推奨する運動で、仮に五人世帯の家なら五部購読することになる。この運動は、当時すでに減少傾向にあった聖教新聞の発行部数を補うことに貢献した取り組みだったが、学会員の金銭的負担は増大した。もちろん学会員の中には宗教的使命感をもとにマイ聖教運動に参画する人も多いので、それを「負担」だと感じる人がすべてではない。が、 こういった会員の使命感にあぐらをかいて同じような構図の運動を追加していけば、会員の使命感がいつ「負担感」に変わるかわからない。もし現実にそうなるとしたら、それは「会員からの搾取」という危険な入り口に立つことを意味するし、創価学会にはそうなってほしくない。
現在、旧統一教会問題がフォーカスされている。私は同教団と創価学会がまったく同じ問題を抱えているとは考えていない。
そもそもすべての宗教がカルトであるわけではないし、宗教二世のありようも個々人で異なる。それをひとからげにして論じ続ければ、「宗教=カルト」「宗教二世=かわいそう」というイメージをただ強化するだけで終わってしまう。それでは、まっとうに宗教を信仰している人や、特段の信仰心を持たず、ただ家の宗教を継いでいるだけという人、そして信仰に適応できた宗教二世を生きづらくさせてしまいかねない。私は、そうはさせたくない。
もちろん、宗教二世が直面している状況には看過すべきではない人権問題もある。だからこそ、今般の流れをより価値のあるものにするためにも“カルト”や“反社会性”、さらには宗教がどうあるべきかについて、教団の内側、外側の両方向から議論をすることが必要なのだと感じている。
創価学会も例外ではない。私は、教団が魅力を失っているがゆえに「信者離れ」が起きていると考えているが、その現実にきちんと向き合い、教団のあるべき姿、社会で果たすべき役割を模索してほしいと思う。

 


解説
たとえば私がリーダーだったある地域では、布教 熱心な信者は青年世代で1割を切っていた。若い世代に限らず学会全体で見たとしても、実は、熱心に活動する学会員の方がマイノリティなのである。学会に所属していても、無関心だったり、ネガティブな考えを持っていたりという理由から、つかず離れずの関係を維持している層の方がはるかに多い。その傾向は、特に学会二世、三世、四世になるにつれて、顕著にみら れるのだ。

的確な現状分析だと思います。
本部職員だった人がここまで創価学会組織の衰退を認めるのは、異例のことではないでしょうか。

これにより、会員数の減少が臨界点に達した時に、学会はどう対応するだろうか。機関紙・聖教新聞の部数が減り、財務(お布施のようなもの)の金額も激減した時に、かつての水準を維持するために学会員に過度な負担を強いるようになったとしたら――そういう危うさについて、学会自身は自戒の意味でも「ゼロではない」と考えておいたほうがいいと思う。

会員数の減少が臨界点に達した時に起こる不吉な予想は、元本部職員だけあって信ぴょう性があります。

正木氏の指摘を真摯に受け止め、創価学会上層部は末端会員の悩みに真剣に向き合ってもらいたいと思います。

 

獅子風蓮


週刊新潮・正木伸城氏の手記 (2)

2022-11-29 01:08:18 | 正木伸城

正木伸城さんは創価学会元理事長・正木正明氏の息子で、創価中学校、創価高校、創価大学と一貫して創価学園に学んだ経歴を持ち、創価学会本部職員として働いた経歴をお持ちです。
組織のあり方に疑問を持ち本部職員を退職した後も創価学会にとどまり、ライターとして活動していらっしゃるそうです。

「週刊新潮」(2022年12月1日号)に、正木伸城さんの手記が載っていました。

以下、「週刊新潮」の記事の引用をもとに解説します。


池田先生にお応えする戦い

学会員は選挙のことを「法戦」と呼ぶ。 法戦の過程で学ぶのは、公明党の実績や党の候補者の情報ばかりだ。地域の会合では法戦の成果が活動報告・エピソードとしてシェアされ、数字として報告される(いわゆるF票=フレンド票の獲得数、投票依頼などをした数がその一例である)。もちろん 幹部は公明党礼賛の話しかしない。熱心な末端活動家も党の支持者ばかりだ。そんな人たちに囲まれながら、仮に「公明党以外の党にもこのようなすばらしさがあるので、別の党を応援したい」と表明するとしたら?そう思ったとしても、口に出して言うのはかなり難しい。
しかも、活動の現場では公明党支持と信仰が結びつけて語られることさえある。一言でいえば「公明党を応援できないあなたには信心がない」と見做される場合があるのだ。熱心な学会員であればあるほど、そう見られることに強い抵抗を感じるのは当然である。そのような学会員たちは納得がいかないまま公明党を応援し、信仰と選挙応援のはざまで葛藤し、苦しむことになる。
たとえば2015年ごろの安保法制の議論の際には、法案成立を目指す自民党に追随していた公明党に異論を唱えた学会員がいたし、学会内でも法案そのものについて意見が分かれた。これは、古くは1999年に自民党と連立を組んだ時 (それまでの公明党は自民党をさんざん攻撃してきたので、連立は学会員にとっても驚きだった)や、2003年の自衛隊イラク派遣などの際にも見られた現象である。
かつて私が所属していたある地域の組織では、学会に入会した新しいメンバーが法戦の段になってついていけなくなり離脱したことがあった。公明党の政策によって、学会が「居づらい場所」になってしまったのだ。
とはいえ多くの学会員は、最後は「池田先生が作られた公明党だから」と自らに言い聞かせて支持を継続する。しかし、個人的には 「本当にそれでいいの?」 と思う。
一方、公明党支持のマインドにがっちりハマっている熱心な学会員は、使命感に燃えて自ら選挙応援を行う。私も以前はそうだったのでわかるのだが、これがとても楽しいのだ。それま 公明党に賛同していなかった学会員以外の友人が、 自分の語りによって態度を変え、公明党を支持してくれた時の喜びはひとしおだし、何より「政治を通じて世界を変えている」という手応えを感じながら(そう信じながら)法戦に身を投 じることができる。その充実感は、なかなか比較できるものがないレベルだ。
また、多くの学会員は池田大作氏のことを「人生の師匠」と心に定め、法戦を「池田先生にお応えする戦い」と位置づける。その法戦で公明党が完勝した時には「師匠にお応えできた!」と歓喜して涙を流す学会員も少なくない。一般には理解されにくいと思うが、この歓喜があるからこそ創価学会の法戦が前に進むのである。つまり言葉を選ばずに言えば、創価学会にとって法戦は“組織を盛り上げる祭典”の機能を持つ。 学会の強さは法戦によって担保されてきたともいえるのだ。
だが、公明党は2005年の衆院選の比例区で898万票を獲得したのをピークに、得票数を減らし続けている。今年7月の参院選の比例票は618万票だ。17年足らずの間に300万票近くを減らした要因に、学会の法戦に対する考え方や戦い方の負の側面が反映 されていることは間違いないだろう。もちろん、会員数そのものが減少していることも影響「大」だと思う。


解説
かつて私が所属していたある地域の組織では、学会に入会した新しいメンバーが法戦の段になってついていけなくなり離脱したことがあった。公明党の政策によって、学会が「居づらい場所」になってしまったのだ。


私は、学生部のときに組織に疑問を持ち、非活になったので、「法戦」を実際には経験していません。F取りもしたことがありません。
究極の「チョイ活」(チョイスという意味のチョイ)でした。
ですから、ほんとうの意味で「法戦」の歓喜も苦しみも知りません。
小中学生のころの記憶として、選挙の終わったあと、布団の上で家族の皆と選挙速報を聞いていたことくらいです。
公明党の全員当選に喜んだりしたり、候補者の落選にがっかりしたり。

その法戦で公明党が完勝した時には「師匠にお応えできた!」と歓喜して涙を流す学会員も少なくない。一般には理解されにくいと思うが、この歓喜があるからこそ創価学会の法戦が前に進むのである。つまり言葉を選ばずに言えば、創価学会にとって法戦は“組織を盛り上げる祭典”の機能を持つ。 学会の強さは法戦によって担保されてきたともいえるのだ。

ですから、この記述には共感を覚えます。
アンチ界隈では、創価学会の選挙というと嫌な思い出しか語られないようなところがありますが、実際にどっぷりと創価の選挙に漬かっていたときには、それなりの充実感を持ってやっていた人も多いのではないでしょうか。

しかし、正木氏のように、公明党の政策に異論を持つような意識の高い会員には、政策抜きで公明党を応援することは苦痛となります。
こうして、創価学会の中でも比較的高学歴で、自分の頭で物事を考えられる部分、いいかえると真面目で聡明な貴重な戦力になりうる会員が、非活・脱会に向かう契機になっているのです。
皮肉なことです。

そろそろ、創価学会は選挙との関りを考え直す時期に来ているのかもしれません。

 

獅子風蓮


週刊新潮・正木伸城氏の手記 (1)

2022-11-28 01:41:26 | 正木伸城

正木伸城さんは創価学会元理事長・正木正明氏の息子で、創価中学校、創価高校、創価大学と一貫して創価学園に学んだ経歴を持ち、創価学会本部職員として働いた経歴をお持ちです。
組織のあり方に疑問を持ち本部職員を退職した後も創価学会にとどまり、ライターとして活動していらっしゃるそうです。

「週刊新潮」(2022年12月1日号)に、正木伸城さんの手記が載っていました。

以下、「週刊新潮」の記事の引用をもとに解説します。

 


創価学会“ロイヤルファミリー”に生まれて……
「元理事長の子息」の私が経験した「公明党」と「池田名誉会長」
元創価学会本部職員・ライター 正木伸城

私が創価学会に入会したのは生まれて約2ヵ月後のこと。私は学会の未来を担う子=学会っ子として育てられた。他の宗教と同じく、創価学会にも宗教儀式や儀典があるのだが、幼い頃に違和感を抱いたことはあまりない。
たとえば朝晩に仏教経典を読むことも、一般のすべての家で行われている儀式だと思っていた。その認識が崩れたのは小学1年生の時だ。わが家に遊びに来た友だちが仏典を唱えている私の母の姿を見て、「お前のお母さん、何してるの……」とドン引きしたのである。瞬間、私は多くを悟った。
また、小学校の修学旅行で日光に行くことになった際には、母から「鳥居をくぐってはいけない」「神社で拝んではいけない」と念を押された。現地で友人たちが礼をする中、直立し続けた私は、この時にも「他との違い」を感じた。ただし「創価学会の教えが世界で一番」と信じていたため、嫌というよりはむしろ誇らしい気持ちが強かったことを覚えている。
このように親から幼少期に信仰を教わり、その流れのまま信仰生活が始まったという学会二世は少なくない。ところが、思春期に入ると、この状況は一変する。自我意識が変容するからか、それなりの数の子どもが学会活動から離脱するのだ。私もその例に漏れず、小学校を卒業するあたりから学会の教えやスタンスに疑問を抱くようになった。それは「祈りは叶う」という基本的な教えに対する違和感から、特定の他宗教を悪しざまにののしる学会員の態度まで多岐にわたった。この私の疑問に対して先輩 信者たちの反応は様々で、質問すること自体を不信心とみなす人もいたし、丁寧に返答してくれる人もいた。 
結局、私は学会の教えに納得することはできなかったものの、信心自体を否定することはせず、小学生の時の信仰活動参画というスタンスの延長で創価中学に進学することになった。
意外に思われるかもしれないが、創価学園(創価小・中・高)の授業で宗教教育が行われることはない。授業という形で創価学会について学ぶこともない。ただ、私が通っていた頃の学園には礼拝の部屋が存在し、そこには学会の本尊が置かれていた。それに、学園祭等のイベントを迎える前には準備活動として、「学園を創立した池田大作先生(=創価学会の“永遠の師匠”でもある)」について学ぶこともあった。礼拝室に集まって行事の成功を祈る生徒もいた。
とはいえ、それはあくまで生徒同士での活動・研鑽である。池田氏について疑問をぶつけたとしても、周囲から排除されることはない。私が信仰について問うこと自体を「ダメだ」という友人は少数で、「どうなんだろうね」と議論できる友だちがいたのは事実だ。
それでも、ある種の同調圧力が全くないと言えば嘘になるだろう。学園の行事などで創価学会に関わる仏教用語が飛び出すことはまずないが、イベント中に「池田先生」への尊敬を表現するような団体演技が行われたりすることはあるからだ。
たとえば、みなで振りつけ付きの歌を歌い、池田氏に向かって決意を宣誓することもあった。 そんな一連の取り組みが全員参加型であることもしばしばだ。この演技をボイコットするのは容易ではない。多くの生徒は池田氏に対して様々な感情を持ちつつも行事には参加する。そして池田氏への尊敬を、本気か形だけかを問わず表現する。


自分に嘘はつけない

私自身は、最初はそういった行事に嫌々参加していた。しかし、直接池田氏の振る舞いに触れるうちに心境に変化が訪れる。世間的には池田氏は独裁的なイメージを持たれがちだが、少なくとも私が目撃した池田氏は、気さくで心配りも行き届くやさしさのある人物だった。何より、ユーモアがあった(これは生徒の心をつかむ上で大事な要素でもあったと思う)。
学園の行事にとあるプロサッカー選手が来た際は、池田氏がドリブルをする仕草をして会場の爆笑を誘った。彼の人間味は、私の心を動かさずに置かなかった。その感情は親しみへ、そして尊敬へ変わった。
後に創価大学に進んで学会活動に目覚め、学会本部に就職した私にとって、創価学園の文化は信心の原点になった。私はやがて、その後の人生を学会をど真ん中にして生きると決めた。学園時代に芽生えた池田氏への尊敬の念は、氏を「永遠の師匠」と見る自身の信仰的態度に結実した。このように、学園での体験と後の信仰が結びついた人は多いだろう。
振り返るに、私がこの環境下で学会を辞めて別の道を選択するのは正直難しかったと思う。親族から友人関係までのほとんどを学会関係者が占めていた私からすれば、学会から離脱することは死も同然の決断になる。似たことを感じる学会二世はかなりいるだろう。それまで信じていたものを 手放す苦しみも尋常ではない。
だから創価学会の二世信者に信教の自由があるのかと問われると、首を傾げてしまう。個人的には、学会二世が信仰をするか否かをより選びやすい状況・選べる機会が増えることを望んでいる。一世信者と同じように二世信者にも信教の自由が確保されることを願っている。
私が創価学会本部を辞めたのは36歳の時だ。退職したいと思った理由は、本部の文化や不文律になじめなかったこと、さまざまに見聞きすることの中に受容できない部分があったこと、組織運営上の構造的な問題をどうすることもできないジレンマを抱えていたことなど多岐にわたるが、公明党を心から応援できなくなったことも一因である。私はいつしか、公明党の政局的な振る舞いや政策などに手放しで賛同できなくなっていた。
しかし、本部職員のままでいると、組織の中ではどうしても指導的な立場になってしまう。そして多くの学会員に公明党のすばらしさを語り、支援を促さなければならなくなる。心から推すことができない公明党を多くの人に勧めるのだ。自分に嘘をつくことに私は耐えられなかった。それで 学会本部を去った。家族・親族からは凄まじい猛反対に遭ったし、友人から過激に非難されたこともあった。現実的な問題として収入がなくなり生活が立ち行かなくなるという心配もあった。だが、私の決心は揺るがなかった(付言しておくが、私は創価学会自体を退会してはいない)。
ちなみに、世間では、学会員の公明党支援は強制だと思っている人が多いかもしれない。だが、実は、学会員がどの政党・どの候補者を支援するかは、表向き「各人の自由」ということになっている。池田大作氏もそう明言している。
ところが、学会活動の現場に行くと、実際は異なるケースが相当にあるのも事実である。

(つづく)


解説
世間的には池田氏は独裁的なイメージを持たれがちだが、少なくとも私が目撃した池田氏は、気さくで心配りも行き届くやさしさのある人物だった。何より、ユーモアがあった(これは生徒の心をつかむ上で大事な要素でもあったと思う)。
学園の行事にとあるプロサッカー選手が来た際は、池田氏がドリブルをする仕草をして会場の爆笑を誘った。彼の人間味は、私の心を動かさずに置かなかった。その感情は親しみへ、そして尊敬へ変わった。

創価学園で頻回に池田氏と接する機会を持ちながらも池田氏を批判的に見ることしかできない長井秀和さんと違い、池田氏と接することで氏への親しみと尊敬を育んでいったという正木氏に、かつての創価学園で学んだ私としては共感を覚えます。

 

私が創価学会本部を辞めたのは36歳の時だ。退職したいと思った理由は、本部の文化や不文律になじめなかったこと、さまざまに見聞きすることの中に受容できない部分があったこと、組織運営上の構造的な問題をどうすることもできないジレンマを抱えていたことなど多岐にわたるが、公明党を心から応援できなくなったことも一因である。私はいつしか、公明党の政局的な振る舞いや政策などに手放しで賛同できなくなっていた。

かつて、本部職員を解雇されたいわゆる「3人組」がいました。
彼らはカンパなどに頼って、学会上層部への批判を行っていましたが、その後活動は低迷しているようです。
正木氏が彼らと違うのは、本部職員として組織の指導層にとどまることが、自分の倫理観と合わず「自分に嘘をつけない」と思ったことにあります。
また、退職後も、ライターとして堅実に仕事をしていることも大きな違いでしょう。
精神疾患を乗り越え、よくぞここまで頑張ってこられたと尊敬します。

私は創価学会を辞めた立場であり、直接学会の改革に参加することはできませんが、正木さんのような方が学会にとどまり発言を続けることは、「聖教新聞の多部数購読、選挙、財務」など、創価学会の組織の問題を改善する機会になることでしょう。


応援しています。

 

獅子風蓮


長井秀和さんのインタビュー記事 (3)

2022-11-27 01:47:01 | 長井秀和

「週刊新潮」(2022年11月24日号)に、創価出身の芸人、長井秀和さんのインタビュー記事が載っていました。

長井さんは、創価小学校、創価中学校、創価高校、創価大学と一貫して創価学園に学んだ経歴を持ちながら、お笑い芸人として活躍し、その後脱会に至った人です。
長井さんの体験は、私たちアンチの非活・脱会者にも共感するところもありますが、その主張にはやや違和感を感じるところがあります。
違和感の生じるのは、なぜなのか。
「週刊新潮」の記事を引用しながら、考えてみたいと思います。

以下は、週刊新潮 (2022年11月24日号)からの引用です。


末代に至るまで不幸が...

それに、ビジネスの世界でもそうですが、成功者は50人に一人くらいで十分なんです。ダイエットだって育毛だって30人に一人成果が出れば“効く薬だ”となる。宗教も同じで、信者の50人に一人くらいが成功したり救われたりした経験をすれば、功徳があるという話になるわけです。学会も本部や関連企業のポスト、全国に持つ地方議会の議席などを駆使すればいくらでも“功徳”を演出できるのです。 

長井氏は学会に絶望し、12年に脱会を表明するが、彼のように表立って脱会宣言をする例は稀なのだという。もちろん、脱会宣言をした長井氏にとっても、その道のりは険しかった。

学会といえど信仰を強制することは出来ませんから、脱会するのは自由です。ただ、私のように家族も学会員の場合、脱会には途方もない精神的負担が伴うことになる。例えば私の場合も、脱会に当たって両親から“信心が浅いからだ”と責められ断絶状態になりましたし、18年に父が他界した後も家族とはぎこちない関係が続いています。
それに学会歴が長ければ長いほど、人間関係は学会中心になっていく。そういう人が脱会することは村八分どころか、“村全部”状態、つまり人間関係を全て失ってしまうことにもなりかねないのです。
だから多くの人は無理に抜けようとせず「非活」、すなわち籍は置いたまま表立って活動するのを控えるという道を選ぶことになる。選挙のときにだけ「公明党の候補に必ず入れる」と約束しておけば良いのです。
一方、わざわざ辞める、などと言わでものことを言えば、それまでの仲間からこれでもかというほど呪詛の言葉を投げつけられる。「仏敵」と呼ばれるくらいならまだましで、“第六天の魔王に食い破られた愚かで無様な姿”とか“自分だけでなく子どもも孫も末代に至るまで不幸が起きる”とか“頭破作七分(ずはさしちぶん)の仏罰が下る”とか……。頭破作七分の仏罰とは、脳みそが散り散りになって精神的におかしくなってしまう、くらいの意味です。もちろん、私も言われたことがあります。
こんな非科学的で迷信じみた言葉を気にするなと思われるかもしれませんが、なまじ信心が残っていたりするとこれが耐えられない。私のような不真面目な信徒でも、やはり家族のことを持ち出されると、気が滅入りそうになったものです。
このように学会は、組織が自ら手を下さずとも信者同士の間でアメとムチが見事に機能するようにプログラミングされている。熱心に信仰する信者がいる一方で、辞めたくても辞められない人たちがいるのもまた事実なのです。

 


解説

だから多くの人は無理に抜けようとせず「非活」、すなわち籍は置いたまま表立って活動するのを控えるという道を選ぶことになる。選挙のときにだけ「公明党の候補に必ず入れる」と約束しておけば良いのです。

一般の週刊誌で「非活」なんて言葉を聞くのは、へんな感じですね。
アンチとしては、このような言葉が一般の人の目に触れるのはうれしいやら恥ずかしいやら。

このように学会は、組織が自ら手を下さずとも信者同士の間でアメとムチが見事に機能するようにプログラミングされている。熱心に信仰する信者がいる一方で、辞めたくても辞められない人たちがいるのもまた事実なのです。

たしかに、創価学会の組織に疑問を持ち辞めたいと思っても、いろいろ問題を抱えて悩む会員が少なくないのは確かです。
しかし、ネットの発達した時代ですから、自分でいろいろ情報を集め決意しさえすれば、創価学会の活動から身を引いたり脱会することができるのも事実です。

長井さんが政治活動をすることで、何を目指そうとしているのか。
これからも注目していきたいと思います。

少なくとも、長井さんを反創価学会のヒーローとして全面的に支持することはありません。

獅子風蓮


長井秀和さんのインタビュー記事 (2)

2022-11-26 01:51:14 | 長井秀和

「週刊新潮」(2022年11月24日号)で、創価出身の芸人、長井秀和さんのインタビュー記事が載っていました。

長井さんは、創価小学校、創価中学校、創価高校、創価大学と一貫して創価学園に学んだ経歴を持ちながら、お笑い芸人として活躍し、その後脱会に至った人です。
長井さんの体験は、私たちアンチの非活・脱会者にも共感するところもありますが、その主張にはやや違和感を感じるところがあります。
違和感の生じるのは、なぜなのか。
「週刊新潮」の記事を引用しながら、考えてみたいと思います。

以下は、週刊新潮 (2022年11月24日号)からの引用です。


仏壇に2000万円?

私が創価小に転校した1970年代、池田氏は日蓮正宗で固く禁じられていた本尊のコピーを作るという本尊模刻事件や、宿敵・共産党と手を組もうとした創共協定事件を起こし学会本部に居づらくなっていた。そんな中、彼が頻繁に出入りしていたのが、自分が創った創価学園だったのです。学園なら理屈抜きで“偉大な創立者”扱いをしてもらえますから。
だから私は小・中学生の頃だけで通算60回くらいは池田氏と会った記憶があるんです。当時は、しょっちゅうアイスクリームとかお小遣いをくれるオッチャンくらいの印象でした。今や“現れない人神”となってしまった池田氏ですが、昔はもっと気さくに姿を現していたんです。
ところが、大きくなり聖教新聞などで池田氏の言葉を読むと、どうも違和感を覚えてしまう。生身の池田氏からは、彼が書いたとされる提言や論文に見合う知性を感じなかったんですね。また、彼が執筆した小説 『人間革命』を読んでも“そんなわけないでしょ”と思いはじめ、池田氏の作られすぎたカリスマ性を異様だと感じるようになったのです。 
それでも45%は残っていた信仰心が0%になってしまったのは、忘れもしない2007年夏のこと。参院選の応援のために埼玉県を訪れていたときに、車に同乗していたさる最高幹部が 終始、池田氏の悪口を言っていたんです。もう、言うことがコロコロ変わるだの無茶を押し付けられるだのと言いたい放題。 
それをきっかけに、自分で学会のこと、池田氏のことを調べてみようと、創価学会について書かれた様々な書籍を読んでみた。すると、出るわ出るわ、デタラメのオンパレード。それまで純粋培養されてきた私は、外の世界から見た学会がいかに嘘にまみれているかを知ってしまったのです。
学会で献金を表す「財務」もそうです。今年もその季節となりましたが、毎年1月下旬から全国一斉に振込みが行われ、集まる金額は1000億円以上とも。 ただ、かつて池田氏は他の新興宗教と違って寄付や献金はやらない。と明言していたはずなんです。それが、1972年に大石寺に正本堂を建立するための寄付を募ったことをきっかけ に、毎年の恒例行事となってしまった。正本堂建立の際は、数日で300億円以上が集まったといいますから、献金の旨味に味をしめてしまったのでしょう。
学会側が明言することはありませんが、財務の額はおおむね収入の1割が目安と言われています。10日で1割の高利貸し“十一(トイチ)”に因んで、私は学会の財務を “宗教十一”と呼んでいますが、収入が低ければ低いほど、当然、負担は大きくなる。うちの両親でもすでに総額で数千万円の寄付をしていると思いますよ。それだけでなく、例えば高額な学会専用の仏壇を3基も 購入していて、仏壇関連だけで約2000万円。統一教会の“100万円の壺”なんて安すぎて、多くの学会員はピンと来ないんじゃないでしょうか。
霊峰・富士は近くで見ればゴミだらけと言いますが、池田氏の悪口を言っていた幹部も同じ気持ちだったのかもしれません。間近で見続けた池田氏の姿を、嘘で糊塗し続けることに疲れていたのでしょうね。

統一教会の被害者救済を巡り、現在、国会では高額献金を規制する新法の是非が議論されているが、これに対する公明党の歯切れの悪さも長井氏の話を聞けば頷ける。あからさまな欺罔(ぎもう)行為は無いとはいえ、献金や物販の規模は、統一教会のそれとは、まさに桁違いなのである。
しかし一方で、学会には未だ池田氏を崇敬する信徒が数百万人いるのも事実。一体、彼らが学会や池田氏に引き付けられる理由はどこにあるのか。

学会という組織はどこか大学の総合学科のような雰囲気があるんです。理知的でお勉強家タイプの人間には教義の研究機関や学術系の出版社が用意されていますし、実利主義的な人間にはいっぱい儲けて、そのお金を広宣流布のために使えばいい、と組織に貢献する道がある。つまりどんな会員にも宗教的な役割を与えられる受け皿の広さがあった。この裾野の広さこそ学会の最大の強みでしょう。

 


解説
私が創価小に転校した1970年代、池田氏は日蓮正宗で固く禁じられていた本尊のコピーを作るという本尊模刻事件や、宿敵・共産党と手を組もうとした創共協定事件を起こし学会本部に居づらくなっていた。そんな中、彼が頻繁に出入りしていたのが、自分が創った創価学園だったのです。学園なら理屈抜きで“偉大な創立者”扱いをしてもらえますから。

私は昭和51年(1976年)に創価高校を卒業しています。
創共協定が調印されたのが昭和49年(1974年)、発表されたのがその翌年です。
またいわゆる52年路線で創価学会は宗門からの独立を目指していたわけですが、それが失敗し、『聖教新聞』に本尊模刻の事実を認める記事が掲載されたのが昭和53年(1978年)です。

池田氏が「学会本部に居づらく」なって創価学園に入り浸ったというのは初耳ですが、私の在学中はそのようなことはなかったので、創共協定が発表されたあと公明党の幹部などによって骨抜きにされた昭和50年のころに池田氏が「学会本部に居づらく」なって創価学園に入り浸ったということはないでしょう。

長井さんの認識が正しいとしても、池田氏が「学会本部に居づらく」なって創価学園に入り浸ったというのは、いわゆる52年路線が頓挫した昭和53年以降ということになります。
私はそのころにはすでに学園にいなかったので、創立者がたびたび学園を訪れたという経験はありません。

長井さんの文章によって、当時の池田氏の胸中を想像することができます。
貴重な情報、ありがとうございます。

私の場合、数少ない機会ですが、池田氏にお会いし、池田氏が学園生を可愛がってくださっていたことは実感として知っています。

それでも45%は残っていた信仰心が0%になってしまったのは、忘れもしない2007年夏のこと。参院選の応援のために埼玉県を訪れていたときに、車に同乗していたさる最高幹部が 終始、池田氏の悪口を言っていたんです。もう、言うことがコロコロ変わるだの無茶を押し付けられるだのと言いたい放題。

この最高幹部はきっと池田氏の前にでると従順を装って何も意見など言わなかったのでしょうね。自分は、幹部として大きな恩恵を受けていて、陰で、青年に池田氏の悪口をいう。なんという不誠実な人間でしょう。

財務の額はおおむね収入の1割が目安と言われています。10日で 1割の高利貸し“十一(トイチ)”に因んで、私は学会の財務を “宗教十一”と呼んでいますが、収入が低ければ低いほど、当然、負担は大きくなる。

これは初耳です。
キリスト教会で、「献金の額ははおおむね収入の1割が目安」というのは聞いたことがありますが、創価学会で本当にそんなことを言っていたのですか。
あくまで建前上は1口1万円の財務で、実際には3ケタとか煽られてはいたのでしょうが、統一教会の献金額のすさまじさには及ばないと思っています。

うちの両親でもすでに総額で数千万円の寄付をしていると思いますよ。それだけでなく、例えば高額な学会専用の仏壇を3基も 購入していて、仏壇関連だけで約2000万円。統一教会の“100万円の壺”なんて安すぎて、多くの学会員はピンと来ないんじゃないでしょうか。

ここは、多くの学会員が違和感を感じる部分ではないでしょうか。
「多くの学会員はピンと来ない」のではなく、統一教会の数億円という献金額に、多くの学会員は、驚いたのではないでしょうか。
統一教会の場合は子どもの学費を削ってでも献金を求められますが、創価学会の場合は、子どもはできれば大学に進学するように指導されます。
財務のために子どもが進学を断念したというケースは少ないのではないでしょうか。
少なくとも、私の家は一時生活保護を受けるほど貧乏でしたが、一念発起して生活保護を返上し、母親が働き、兄と私の創価高校の授業料を払ってくれました。
母親は、子どもに大学進学を望んでいました。
それは、池田氏の指導によるものでした。
統一教会の献金のひどさがニュースで流れた時、妻が私に「(統一教会でなく)創価学会で良かったね」といったものです。
子どもの進学を諦めさせない、という点で、創価学会は統一教会とははっきり違っていたと思います。


(つづく)


獅子風蓮