友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。
カテゴリー: SALT OF THE EARTH
「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。
2018年3月19日 投稿
友岡雅弥
ダニエル・バレンボイムという音楽家がいます。今や、クラシック界の「巨匠」ということになると思います。
(中略)
バレンボイムは、ユダヤ系移民の子として、1942年にアルゼンチンで生まれました。そして、建国(1948年に建国宣言)間もないイスラエルに家族で移住。パレスチナ難民の財産はすべて没収するという法律をイスラエルが作って2年目の、1952年のことです。すでにこの年、ヨーロッパで、ピアニストとしてデヴュー。10歳!
そして指揮者としても頭角をあらわし、30代という異例の若さで、パリ管弦楽団の音楽監督に。そして、世界屈指のシカゴ交響楽団の音楽監督へ。
すごい経歴ですが、彼のすごすぎる経歴とそれに似合った、すべて標準以上、まとまりすぎの音は、僕にはちょっと苦手です。
しかし、僕にとっては、違う意味で「記憶すべき音楽人」「尊敬すべき人」でありつづけています。人としては、大好きです。
僕にとっては、ダニエル・バレンボイムは、いつも「誰かと対(つい)」になって、 記憶に深く刻まれている存在です。
まず、ピアノ・コンチェルトの中の最高峰と多くの人が認める、ベートーベンの"Das Klavierkonzert Nr.5, Es-dur, op.73 Kaiser" 。ピアノ協奏曲第五番『皇帝』ですね。
『皇帝』と聞いて、まず、多くの批評家が、そのベスト盤に挙げるのが、アルトゥール・ルービンシュタイン独奏、バレンボイム指揮ロンド ン・フィル盤です。1975年録音のもので、1970年代というのは、オーディオの世界で「音が最も良かった」時代。
ルービンシュタインが88歳、バレンボイムが30代(たしか、32か33)。
巨匠と新鋭。孫と祖父くらい年齢差があり、しかも二人ともユダヤ人。ルービンシュタインは、ナチスの迫害を逃れ、アメリカに移住したものの、多くの身内をナチスによって殺されています。
バレンボイムも、両親はアシュケナージ。つまり、(ナチスより以前)迫害と差別のなか、東ヨーロッパに流浪したユダヤ人の流れを引き、さらに、南米まで移住を余儀なくされています。
その二人が、ベートーベンのピアノコンチェルトで出会い、そして、それがいまだに、最高と評価の高いものなのです。
それから、バレンボイムと天才チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレ。
二人は、結婚し、幸せに暮らしていましたが(デュ・プレ21歳、バレンボイムも24歳とか25歳とか)、デュ・プレが多発性硬化症のため、チェロが弾けなくなり、そして42歳で逝去。彼女の天才的演奏と悲劇的人生は、何冊もの本となり、映画(『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ(Hilary and Jackie)』)ともなりました。
それから、思想家にして、批評家、文学研究者、エドワード・サイードとの深い友好。
サイードは、エルサレムに住むパレスチナ人のキリスト教家庭に生まれ(パレスチナというと、全員がムスリムであるような印象ですが、キリスト教徒もたくさんいたのです)、そして故郷を失い、アメリカへ。ハーバード大学で博士号を修得、コロンビア大学で長く教員生活を送りました。
「オリエンタリズム」という理論を構築し、とても大きな影響を世界に与えました。 また、アメリカにおける、最大のパレスチナ擁護者であり、迫害を受け続けるパレスチナの人々の代弁者でした。
そのパレスチナ人のサイードと、流浪のユダヤ人の子孫であるバレンボイムが、深い友好関係にあったのです。
バレンボイムは、イスラエルのパレスチナ政策に一貫して反対を続けていました。
ヨルダン川西岸とガザをイスラエルが占領していることに強く抗議し続けています。それは、イスラエル国家をまさに破滅に向かわせるものだとまで、言っています。そして、その彼がイスラエルの不当占領だと糾弾する地域で、住民(パレスチナ人)のためのコンサートを開催しつづけています。
また、イスラエルには、1978年から続くノーベル賞に肩を並べるほど権威がある「ウォルフ賞(ウルフ賞)」というのがあり、2004年、バレンボイムはこの賞を受賞しています。その時に、イスラエル国会で彼はスピーチし、
「心に痛みを感じながら、私は今日お尋ねしたいのです。征服と支配の立場が、はたしてイスラエルの独立宣言にかなっているでしょうか、と。
他民族の原則的な権利を打ちのめすことが代償なら、一つの民族の独立に理屈というものがあるでしょうか。ユダヤ人民は、その歴史は苦難と迫害に満ちていますが、隣国の民族の権利と苦難に無関心であってよいものでしょうか――」
と、語りかけました。もちろん、イスラエル政府は激怒。
バレンボイムは、パレスチナ自治政府から名誉市民権を与えられています。
ちなみに、サイードは、音楽に造詣が深く、日本で人気のあるフランスの名ピアニスト、アンリ・バルダと同門の、若いときには、ピアニストを目指したほどです。彼の音楽評論の専門書は、二冊、邦訳されています。
サイードとバレンボイムをつないだのは、音楽でした。出版されたサイードの音楽評論には、バレンボイムが序文を寄せています。
また、バレンボイムが、イスラエルで、ワーグナー(ナチスがワーグナーを利用したことで、イスラエルではワーグナーがタブーとなっている)を演奏したことについて、サイードは、2001年10月号の「ルモンド・ディプロマティーク」で、支持の論陣を張っています。もちろん、単純な支持ということではなく、複雑な問題を敵味方、「親イスラエ ル」「反イスラエル」に色分けすることの危険を述べるのです。 ('Barenboim brise le tabou Wagner')
「しかし、それですべてではない。バレンボイムは障害物をひっくり返し、禁断の一線を越え、タブーの地へと入り込む芸術家である。それだけで彼がことさら政治的な人間であるということにはならないが、イスラエルによるパレスチナ占領に公然と反対し、1999年初頭にはヨルダン川西岸のビル・ゼイト大学で無料コンサートを開いた初めてのイスラエル人となったのも事実である。ここ3年間は(最初の2年はワイマール、3年目はシカゴで)、イスラエルとアラブの若い音楽家による合奏会を開いている。政治や闘争を超越し政治の介在しない音楽の演奏という芸術による結びつきを創り出そうとする大胆な試みといえる」
「最後に、アラブ人に関わる状況でもうひとつ、これに類する事例について述べる。 昨年クネセト(註 イスラエルの国会)で、マフムード・ダルウィーシュを高校生に読ませてよいかどうかという議論が起こった。我々の多くにとって、この発案が激しく非難されたことは、正統派シオニストの閉鎖的精神の証拠として受け止められた。 多くの者は、イスラエルの若者たちに偉大なパレスチナ人作家を読む機会を与えるという考えに対して反対があることを嘆いた。そして、歴史や現実は永久に隠しおおせるものではなく、そのような検閲を教育に持ち込むべきではないと主張した」
「最も強調したいのは次のことだ。人生は、批判精神や解放体験を打ちのめそうとするタブーや禁止事項によって支配されるものではない。この心構えは、常に第一に掲げるだけの意義がある。知らないでいることや知ろうしないことが、現在の道を切り開くことはないのである」(訳・三浦礼恒、瀬尾じゅん)
ちょっと、歴史的背景が分からないと、理解しにくいかもしれませんが、少し解説すると――
最初の一文は、パレスチナとイスラエルの関係に、「政治(そして軍事)」とは違う回路を開こうとしているバレンボイムの努力を語り、
二つ目の文は、「ワーグナーを演奏すること」が、「親ナチス」であるということではないということを、世界的なパレスチナの詩人、マフムード・ダルウィーシュの詩を学校で教えることを禁止しようとしているイスラエル当局のありかたに対する批判がイスラエルの国内にも広く起こったことを通じて証明し、
三つ目の文は、「隠ぺい」や「タブー」ではなく、「きちんと知ること、きちんと知らせること」が、社会を豊かにすることを訴えています。
サイードとバレンボイムは、"Parallels and Paradoxes" (邦題『音楽と社会』)という共著を著し、そして、1999年West-Eastern Divan Orchestra (Orchester des West-ostlichen Divans)という、オーケストラまで設立するに至ります。
*二人は、これらの活動によりスペイン王室より、「諸国民間の相互理解の向上に尽くした」とPremios Principe de Asturias (アストゥリアス皇太子賞)平和賞を受賞しています。
West-Eastern Divan Orchestra は、ドイツのゲーテが、14世紀、イラン出身の詩人、ハーフェズの詩に影響を受けてつくった『西東詩集』(West-ostlicher Divan)に由来します。
団員は、アラブ諸国(特にイスラエル周辺)とイスラエルの青年。
バレンボイムは、自伝でこう語っています。
「強弱を合わせ、出だしを合わせ、ヴィブラートを合わせて。そうするには、オーケストラで自分の隣人になじむほかはない」(『ダニエル・バレンボイム自伝』P.291 )
音楽という共通言語を使い、美しい響きをだすために、「隣人」に合わせ、なじむのです。
さらに、このオーケストラを中核として、今、ベルリンでは、現在、バレンボイム・サイード・アカデミー(Barenboim-Said Academy)が出来ました。毎年、中東から約90人の学生が募集され、音楽や人文科学を学びます(2016年に第一期生)。
なんと、ドイツ政府はこのアカデミーを「中東和平のためにドイツとして貢献できる」こと、と高く評価し、建設費用3400万ユーロのうち、2000万ユーロを拠出。今後も支援を続けていくことを公表しています。
建物には、ホールがあり、20世紀を代表する現代音楽の作曲家にして、20世紀21世紀にわたって世界的に活躍した指揮者の名前を冠して、ピエール・ブーレーズ・ホール(Pierre-Boulez-Saal)。
(中略)
人種、性別、宗教、年齢など、さまざまな分断が、平然と行われる昨今の世界、また日本を見ると、「自分が出来ること(音楽)で、分断を越える」という、バレンボイムの姿勢は、とても貴く、また、「私」の手本となるものだと思えてなりません。
この「私」が出来ることで、社会を少しでも変えていけるのではないか、と思います。
【解説】
私は別のところ(獅子風蓮の夏空ブログ)で、クラシック音楽についての記事などを書いていましたが、実際にはクラシック音楽については全くの素人で、少しづつ好きな曲を聴いているだけなのです。
それに比べると、友岡雅弥さんの場合はものすごく詳しいので感心します。(蘊蓄の一部は省略しました、ごめんなさい)
イスラエルとパレスチナ人との間で、戦争と虐殺が起きている今だからこそ、バレンボイム氏がしたように、両者が音楽などの文化を通じて心を通わせる必要性を感じます。
友岡雅弥さんが生きていたら、現在の中東情勢をどのように見るでしょうか。
創価学会に非常に大きな影響力を持つ佐藤優氏は、イスラエルびいきなので「休戦などする必要がない」という意見をお持ちのようですが、一刻も早くイスラエルによる虐殺は止めるべきではないかと、私は考えます。
参考:池田大作の死~佐藤優氏の動画(その1)(2023-12-14)
友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。
獅子風蓮