獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その6)

2024-05-26 01:51:06 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

これまでは増田弘『石橋湛山』を読んで、湛山の人生と政治思想について学んできました。

さらに、もう少し湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
■第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第1章 オションボリ

(つづきです)

「省三さん、よく来たね。私が望月日謙です」
日謙は溢れるばかりの笑顔で省三を迎えてくれた。明治27年(1894)9月のことであった。
(まるで春風のような人だ)
省三は、子供ながらも初対面で日謙の人柄をそう見て取った。
この日謙との出会いは、湛山の人生における最初の大事な出会いになった。
省三はこうして長遠寺に預けられた。そして鏡中条村尋常高等小学校高等科2年に転校することになった。
長遠寺は日蓮宗の大寺である。久遠寺の触頭(ふれがしら)で最盛期には末寺26カ寺、寺中の坊7軒を数えた。日蓮上人の時代に創建されており、昌福寺よりも格上の寺といえた。
この寺にも弟子がいた。そのうち兄弟子に当たったのは藤井教仁、望月義山の二人であった。
日謙は省三を湛誓の息子としてではなく、こうした弟子たちの一人として扱った。
「昌福寺で、湛誓師からどういう教育を受けていたかは知らないが、ここでは教仁や義山たち同様に仏の弟子としての修行をしてもらいます」
省三も特別扱いを望んでいたわけではなかった。
「分かりました。僕もそのつもりでいましたから」
こうして、朝は早く起きて兄弟子たちとともに便所の掃除やランプ磨きをやった。
日謙の偉さは、こうした場合でも自分が率先して参加することであった。日謙には、厳格さと大きな包容力とが共に備えられていた。

これから後、中学校を卒業するまでの間に、省三が家族の住む静岡市の本覚寺を訪れたのはただ一度だけである。それも日謙に連れられての訪問で、以後は湛誓・きんとの間の親子関係は絶たれたに等しかった。省三の手紙に対する返事も、両親からは一度としてなかった。
省三は寂しかったし、悲しかった。周囲の子供たちのように家族で日々を過ごしたいとも願った。だが、それはもう不可能であった。
しかし、そうした感情がそのまま両親への恨みや憎しみにはつながらなかった。それが、湛誓という人間の教育方針であると理解することで、省三は辛うじて自分を抑えることが出来た。
ずっと後になって湛山となった省三が、父・湛誓の晩年に「どういうつもりでお父さんは僕を日謙師に預けたのですか」と尋ねた。
すると湛誓に「おまえも昌福寺の素読で学んだはずだ。『孟子』に、古の者子を易えて之を教ゆ、とあるではないか。それを実行したまでだよ」
そう答えたという。これは「自分の子供を教育することは難しいから、他人同士お互いに子供を取り替えて教える」ということである。湛誓の答えから「いやしくも自分の子供の教育を他に託したからには、なまじ親との交通を許し、未練を与えるのは、師のやり方に背くことになるであろう」
という湛誓の、慟哭に近い思いが見えてくる。
湛山自身、後にこう回想する。
〈もし望月師に預けられず、父の下に育てられたら、あるいは、その余りに厳格なるに耐えず、しくじっていたかもしれぬ。父にも、また、そんな懸念があって、早く私を望月師に託し、いわゆる子を易えて教ゆの方法を取ったのかも知れぬ。いずれにしても私が、望月上人の薫陶を受けえたことは、一生の幸福であった。そうしてくれた父にも深く感謝しなければならない〉(『湛山回想』)
両親との別離、日謙の薫陶は、幼くして湛山の独立自尊・自力本願の精神を養うのに大きな影響を与えた。言い方を換えれば、湛山が省三少年の時代に、それだけの器を用意していたことにほかならない。

明治28年(1895)3月、鏡中条村尋常高等小学校の高等科を終了した省三を、新たな出会いが待っていた。

 


解説
両親との別離、日謙の薫陶は、幼くして湛山の独立自尊・自力本願の精神を養うのに大きな影響を与えた。

子どもの教育を考えるとき、深く心に刻んでおきたい事例だと思います。

 


獅子風蓮