獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:通りすがりの男子部さん登場(4)

2022-01-31 01:15:39 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■ちかごろ創価の内部でこんなことがあった      投稿日: 2014年9月14日

昨日の騒ぎで、アクセス数が4185ありました。これは決して喜ぶようなことではないと思います。火事場の見物に押し寄せる烏合の衆的な現象ではないでしょうか。これでもし、本部長さんとの論戦が始まったとしたら、こんなものではなくなると思います。もちろんおかしなコメントを承認することはないですが、それでも管理する側にとってはたいへんな精神的負担となるような気がします。かつて、あえて承認制をとらずにすべてのコメントをリアルタイムに表示していた最初の時期には、ある意味よい面もありはしましたが、結局はまったく収拾がつかない、誰かが言ってたようなゴミ溜めのような(笑)ブログになり中断を余儀なくされたからです。
創価学会の内部の実態を客観的に知ることができるブログ。ここではこれを目指したいと思っています。なので、このブログをやめさせようとか、創価を批判するものに対して盲目的に敵対心を募らせて攻撃しようとする、マインドコントロールされた活動家に対しては、完全にスルーしていきたいと思います。これが今回の私の反省点です。「話せばわかる」これは幻想です。きれいごとです。創価が決してきれいごとで済まされない大きな社会問題を作っている以上、私たちは目を背けてはならないと思います。現実のたいへんな数の人たちが、創価学会を信じて活動したがために悩み苦しんで、今も脱会することさえ難しい状況にある方もたくさんいらっしゃることが、このブログだけを見てもわかります。このブログで見えてくる創価の実態は、全体に比べればほんの僅かだと思います。そのほんの僅かでさえ、たいへんな社会矛盾を抱えていることがわかります。私たちは、たまにやってくる猥雑な暴徒に気をとられることなく、創価の問題の本質を見極めながら、一人ひとりの覚醒に少しでも寄り添ってあげられるような存在になることができればと思います。
というわけで、ちょっとした騒ぎは今回でおしまいにして、これからまた、淡々と粛々と創価学会の実態を浮き彫りにしていきたいと思っています。今回のテーマは……と、しばらく考えたのですが、どうもうまい言葉が出てきません。そこでみなさんからテーマの提案、もしくはテーマでなくても、「ちかごろ創価の内部でこんなことがあった」といったことを報告していただけるとありがたいです。そこからタイムリーなテーマが浮かび上がってくると思います。皆さま、よろしくお願いします。

 


解説
対話ブログが非公開になったため、コメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:通りすがりの男子部さん登場(3)

2022-01-30 01:12:28 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■通りすがりの男子部さんへのコメントはこちらに    投稿日: 2014年9月13日

ふう、さきほどやっと通りすがりの男子部さんとのページをアップしました。こんなときに限って仕事がながびいてしまうんですよね(笑)。
読んでいただけるとわかるとおり、通りすがりの男子部さんとの会話は、他の方は遠慮していただくことにしました。もちろん、皆さんが言いたいことが山ほどあるのはよくわかっています。でも普通にコメントを承認していたら、必ず炎上すると思います。なので、かわりにこのページのブログにみなさんが通りすがりの男子部さんへ言いたいことを書いてください。ただし、常識とエチケットを保ったコメントをお願いします。逆に、通りすがりの男子部さんは、ここへはコメントしないでください。このブログの本来の姿を維持するためには、こうしたルールを決めなければ、かならず荒れてしまいます。このブログも荒れて休止に追いやられた経緯があるからです。どうか、よろしくお願いします。
まあ、通りすがりの男子部さんとの討論が始まるにしても、ブログ読破と副会長等への承認がいりますから、しばらく時間がかかると思います。もちろん、その条件をクリアしなければ、通りすがりの男子部さんからのどんなコメント(言い訳)も承認しませんので、話が流れる可能性もあります。私のほうは売られた論戦ですから、いつでも受けて立ちます。

 


解説
「ブログ読破と副会長等への承認」という高いハードルを設定したため、なかなか通りすがりの男子部さんはコメントすることができませんね。

対話ブログが非公開になったため、コメントを参照することはできません。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:通りすがりの男子部さん登場(2)

2022-01-29 01:33:35 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■通りすがりの男子部さんとの会話      投稿日: 2014年9月13日

このページは、32歳創価学会男子部本部長創価班団長という「通りすがりの男子部」さんと、このブログの管理人であるシニフィエとの会話のページです。
なお、ここでは他の方のコメントは承認しませんのでご注意ください。
昨日の午前中に、通りすがりの男子部さんから下記のとおりコメントが来ました。
「コメントするのであれば、このブログを最初から全部読んでからにしてください」との私からのお願いは無視されました。
________________________________
通りすがりの男子部
2014年9月12日10時56分に投稿
シニフィエさん
恐ろしく多弁ですね(笑)
肚の座った人間はそんなベラベラ喋りませんよ。
本部長が偉いとか思ってもないし一言も言ってもいませんが?
長すぎて論点見失いかけましたが…
要約すると
①「ゴミの吹き溜まりのようなサイト」が許せない
②論破できるものなら一つでもしてみろ
ですね。
私は「根拠のない中傷・自己中心的な愚痴」=ゴミのようなもの
と思ってるのでそのように形容したまでです。
最初はそれくらいパンチが効いたものがいいと思いましたが、
よほどお気に召さなかったようで(笑)
私の周りにいる同志について語りましょう。
私に信心を教えてくれた先輩は、友達の母親が大病を患うと、
「自分の全ての福運を使ってでも、お母さんを助けて下さい!」
と祈るような方でした。そして実際に治してしまうのです。
この先輩に信心を強制されたことはありませんが、
私の心が腐りそうになると、悲しみを帯びた真剣な眼差しで
私を叱ってくれました。
私の母はおっちょこちょいで片付けが苦手なダメな人ですが、
悩んでいる人がいれば、自分のことのように悲しみ、
一生懸命頑張る人です。
そんな母に助けられ、母を慕っている人が
私の周りには大勢います。
「そこの通りすがりの男子部、おまえはゴミみたいな人間だな」
私はこう言われても何とも思いません。
しかし、
私は、尊敬する母や、大切な先輩・後輩を侮辱する
ことは絶対に許すことはできない。
シニフィエさん
私がこの発言で謝罪しないといけないなら、
私の大切な人たちを侮辱したあなたは
100回くらい土下座しないといけないのではないですか?
②について
私は学会の本以外にも、あらゆる名著を
読んでるし、アンチ本(山友、藤原、福島、乙骨など)
もほとんど読んでいる。
旧帝国大の大学院(それが凄いとか微塵も思いませんが)
で論理的思考を徹底的に学んでいるので、
こんな流言を論破するなんて実際にたやすいことなんですよ。
では、
そこまで言うならこのサイトに書かれている内容について
私から一つ、あなたに論戦を挑みましょう。
ただし、もしそれに応えられなかったら、
このサイトを閉鎖すると約束できますか?
いい加減な言い訳で逃げたら絶対にダメですよ。
______________________________
このブログは最初のページから何度も書いているように、討論の場ではないというのにもかかわらず、それを無視してこのように暴言を続ける通りすがりの男子部さんを、私は最初から相手にすべきではないと考えましたが、通りすがりの男子部さんがこのブログを知ったきっかけが、彼が現在折伏している友人から聞いたとのことでしたので、その友人が今さら創価の悪に入ってしまうのを見過ごせないと考えた結果、その友人(仮にAさんとさせていただきました)に創価の実態を知ってもらうためにも、また創価学会に入るとどのような人間になってしまうのかを、リアルに知ってもらうためにも、通りすがりの男子部さんのコメントを掲載するようにしました。もう最初のコメントで、彼の一般常識とモラルのなさが全開なのですが、今日、さらに追い打ちをかけるようにトンデモコメントが届きました。まったく話にもなにもならないのですが、行きがかり上、もうしばらくコメントの承認をしようと思っています。ただ、ふつうに承認していては、ここの常連さんをはじめ、多数の方から、ものすごいブーイングがあると予想されます。いわゆる炎上ですね。ブログの品位も信頼性も下がる。そうすると面白半分の心ない荒らしがやってくる。それは何としても避けたい。これから紹介する通りすがりの男子部さんのコメントは、創価学会会員でありながら、創価の現実をまったくわかっていない完全に洗脳された発言のため、多くの人の逆鱗にふれることは目に見えています。
そこで私は、このブログの主旨やルールさえ無視しながら、暴言をくりかえす通りすがりの男子部さんとのコメントをどうやったら炎上することなく掲載することができるかを考えました。
その結果、以下の5つのルールを決めたいと思います。
1 このページは通りすがりの男子部さんと私の二人だけの討論の場とします。
したがって、他の方がこのページに投稿しても承認しませんので、くれぐれもご注意ください。
2 通りすがりの男子部さんはコメントする前にこのブログを最初から最後まで読破すること。
3 通りすがりの男子部さんが私とネット上の討論をすることを、あなたの地区の総県長(それに準じる役職)か副会長に許可を取ること。
つまり総県長か副会長の実印入り承認書き(印鑑証明書付き)の画像をこのブログに表示してください。
4 私が負けたら、このブログを閉鎖し、実印入りの謝罪文(印鑑証明書付き)を出す。
5 通りすがりの男子部さんが負けたら、総県長(それに準じる役職)か副会長とあなたの連名で実印入りの謝罪文(印鑑証明書付き)を出す。
あまりものごとを考えないで発言する傾向にある通りすがりの男子部さんですから、もしかしたら「なぜこのようなルールを決めるのか」がわからないかもしれませんので、念のために言っておきますと、このブログの管理人は私だからです。管理人の私がどんなルールを決めようが自由です。わかりますか?それを「討論して負けたらこのブログを閉鎖しろ」なんて、あなたが言えるような立場ではないことをわかっておいてくださいね。それをあえて言うのですから、あなたにもそれなりのことはしてもらいます。
なお、これはこのブログのテーマである「対話を求めて」という内容から激しく逸脱しています。
こんなくだらない会話は対話とは言えません。ダイアローグではなく下世話なトークであることを承知でやります。
2011年11月6日、このブログの一番最初に、私はこう書きました。
________________________________
このブログは、対話の場としてつくりました。対話とは、闘いではありません。互いの考えをぶつけあって、どちらが正しいのかを競うようなことを対話とはいいません。私は対話とは「他者を認めること」だと思います。互いの存在を認めあうこと。たとえ考え方は違っていても、互いの考え方・生き方を尊重し認めあうところに対話が生まれ、対話の中に互いの相違点や共通点が明らかになり、信頼関係が築き上げられます。そしてそこに無益な闘いは生まれません。
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ですから、他人のブログに乗り込んで自己紹介もせず、このブログを「ゴミの吹き溜まり」と吐き、「これ以上コメントするのであれば、このブログを最初から全部読んでからにしてください」という管理人の言うことも無視して、一方的に自分との討論に負けたらこのブログを閉鎖しろという通りすがりの男子部さんと、対話などが成立するわけがないのですが、彼に折伏されている友人はじめ、多くの人に創価学会の真実に気づいてもらうためにも、この現役男子部本部長との会話を公開する意味があるのではないかと考えました。
ですから、ここでの会話は、これまでのここのブログの主旨とは違うんだということ、決して対話などではないという前提を皆さんに了解していただいた上で始めたいと思います。
さて、通りすがりの男子部さんに以上のような条件が約束できなければ、討論はなしです。私もこのブログを遊びでやっているわけではありません。私の人生を棒に振らせた創価学会の真実をひとりでも多くの人に知ってもらうために、そしていまだに創価学会の犠牲となっている方がたくさんいらっしゃることに一石を投じるために、かなりの時間を割いて真剣にやっているのです。いきなりやってきてブログを閉鎖しろというなら、通りすがりの男子部さんにもそれなりの覚悟があってのことでしょう。それとも、単にカッとなったはずみで言ったことですか?でももうあとには引けません。
上記のルールを守れるのなら、あなたと討論の相手をします。どうですか?あなたが言うように、私が負けたらこのサイトを閉鎖しましょう。謝罪文も出しましょう。そしたら創価学会の大好きな「勝利」ですよ。それがあなたの目的ですもんね。このサイトがあったらまずいと思っているのでしょう。でも創価ではネットはデマばかりだから見ないのではなかったですか?そんなデマしか書いていないブログを、そうまでして閉鎖させたいのはなぜですか?どうしてゴミの溜まり場のようなブログのために頭に血を昇らせているんでしょうか。
私は約束は守りますよ。でもすでに最初から私のブログのルールを破っているのはあなたなのですよ。それをわかってますか?まあ、それがいつもの創価学会のやり方ですね。創価学会に世間の常識は通用しませんからね。
それでは通りすがりの男子部さん、まずはこのブログを最初から読破して、総県長か副会長のところにお願いに行ってください。待ってますよ。
いい加減な言い訳で逃げたら絶対にダメですよ(笑)。
ではとりあえず、上にあげた今回の通りすがりの男子部さんのコメントに対する返事をしておきます。その次に通りすがりの男子部さんは、このページのコメント欄に、総県長(それに準じる役職)は副会長の承認書きの画像とともに、論戦のテーマを出してください。
上でも言いましたように、このページは対話ではありません。あえて通りすがりの男子部さんの挑発に乗って、通りすがりの男子部さんレベルで書きますので、よろしくお願いします。
それから通りすがりの男子部さん、このハンドルネーム、長くていちいち書くのが面倒なので「本部長」にさせてください。
>シニフィエさん恐ろしく多弁ですね(笑)
>肚の座った人間はそんなベラベラ喋りませんよ。
>本部長が偉いとか思ってもないし一言も言ってもいませんが?
本部長さん、自分のブログを自分で書いて何かいけないことでもあるのですか?あなたのブログに大量に書き込んでるわけじゃないんです。私は肝の座った人間ではありませんから、こうして自分のブログに自分の責任においてベラベラしゃべるんです。それが何か?他人のブログにいちゃもんつけてるほうがよっぽど○○タマちっちゃいんじゃないですか(笑)
いやいや本部長は偉いですよ、と言ったのは私です。なにもあなたが言っているとは言ってません。それが何か?学会の役職というのは、どれだけお金を集められるかで決まりますからね。ヒラの部員さんなら、自分の新聞代や財務の分しかお金を出しませんが、本部長ともなると、たくさんの部員さんからお金を集められますもんね。それが創価の役職です。ちなみに創価班というのは「どれだけ文句を言わずにタダで雑用をやる人間か」で採用されます。だから団長のあなたは、創価班の彼らを「どいつが従順に働くか」という視点で評価しているでしょ。それと同じで、あなたの上の役職の人も、あなたをそのような目で監視しているのです。あまり従順でないと牙城会に回されます(笑)。本部長くらいならそのあたりは知らないでしょうけど、創価の役職ってそれで決めてるんですよ。知らなかったでしょ、本部長さん。総県長に会うんだったら訊いてごらんなさい。でも本部長程度では教えてくれないな。
>「そこの通りすがりの男子部、おまえはゴミみたいな人間だな」
>私はこう言われても何とも思いません。
>しかし、私は、尊敬する母や、大切な先輩・後輩を侮辱することは絶対に許すことはできない。
本部長!ふつう見ず知らずの人に「ゴミみたいな人間だな」って言われたら怒るんですよ。それが当たり前の人間なんですよ。だから創価の人は他人の苦しみや悩みがわからないんですね。それとも本部長だけの得意技?
本部長!私はあなたのお母さんをいつ侮辱しましたか?あなたのお母さんの話をいつ私がしましたか?ここであなたのお母さんがどんな方だったかを私に話す理由がわかりません。それにあなたの大切な先輩・後輩を侮辱したりしましたか?わたし本部長の先輩や後輩を誰一人知りませんが?
>シニフィエさん
>私がこの発言で謝罪しないといけないなら、
>私の大切な人たちを侮辱したあなたは
>100回くらい土下座しないといけないのではないですか?
やっぱり本部長は謝罪する気はなかったということですね。ありゃりゃ、自分でバラしちゃったね?本部長。
>私は学会の本以外にも、あらゆる名著を読んでるし、アンチ本(山友、藤原、福島、乙骨など)もほとんど読んでいる。
>旧帝国大の大学院(それが凄いとか微塵も思いませんが)で論理的思考を徹底的に学んでいるので、
>こんな流言を論破するなんて実際にたやすいことなんですよ。
そうですか?。旧帝国大の大学院ですか?。ちょうどこのコメントを読んでいるときに、旧帝国大のひとつである北海道大学の大学院を出て、今は某国立大学の准教授をしているちょうど40歳になる友人が私の目の前にいましてね
「あ、ちょうどよかった。○○くん北大だったよね。大学院?」
「そうですけど。なんすか?」
「いやね、創価学会の32歳の男子部本部長って言う人が、自分は旧帝国大の大学院で論理的思考を徹底的に学んでいるんでって言ってるんだけど、ふつう32歳の男が自分の出身大学を旧帝国大って言うの?」
「なんすか、それ?戦前に卒業したおじいちゃんの話っすか?」
「いやいや、なんかマジに言ってるよ、この人」
「うわっ、キモっ!東大か京大なら大学名を言うだろうし、大学名が明かせない場だとしても、いくらなんでも旧帝国大だなんて、恥ずかしくって言えませんよ」
「だろ?オレもそう思うんだ。それに『論理的思考を徹底的に学んだ』っていういい方も変だよね」
「うん、ヘン。北大も論理学の大学院はあるんですよ。僕の論理学の先輩はなかなか就職できずにずっと大学に居残っていて、40代になってやっと就職ができたくらいだから、みんなあの先輩は働かない人だって思ってたっすよ。」
「へ?、そうなんだ」
「で、シニフィエさん、その旧帝国大の人がなんだって言ってるんすか?」
「いやね、創価学会の批判なんて簡単に論破できるって言ってるんだ」
「創価って、あのカルトでしょ」
「あ、知ってる?」
「ええ、大学にもいました。みんな嫌われてましたよ。気味悪いって」
「だろ」
「なんというか、そうとう自慢したいんだけど、頭悪くてスベった…みたいな(笑)」
「だよね、アタマ悪そうだよね、旧帝国大(笑)」
「だって論理学がいくらできたからって、理屈に合わないことをいくらこねくりまわしてもどうにもならないっすよね」
「そうそう、そこがすでに論理的でない(笑)理屈で事実は変えられないもんね」
「(笑)その人ほんとに国立大なんすかあ?」
とまあ、こんな会話でした。
ちなみに私も某国立大の大学院を修了しましたし、50代半ばの私ですが、同世代に自分の出身校のことを旧帝国大って言う人はひとりもいませんでしたので、びっくりしました。で、毎週いっしょに飲んでる42歳の友人が九州大学出身だったので、家に帰って電話して訊いてみました。
「ごめんね遅くに。お前さあ、たしか九大だったよね」
「そうですけど」
「自分の出身大学のこと旧帝国大って言ったりする?」
「なんすか、それ?」
と、全く同じリアクションだったので笑ってしまいました。
「いやね、創価学会の男子部本部長と言う人がね………」
と、あとはほぼ同じような会話。
本部長!あらゆる名著を読んでる人は他人に「あらゆる名著を読んでる」なんて言わないんですよ(笑)。
たとえば人類史に残る名著中の名著、プラトンの『国家』、ダンテの『神曲』、ニーチェの『ツァラトゥストラ』、ハイデガーの『存在と時間』読みました?
ちなみに私は読みました。まずこれを読まずして何を読むんですか?池田大作全集ですか?
たしかに『存在と時間』は難しすぎてわかりません(笑)。というか日本語になっていない。というか、ハイデガーは勝手にどんどん自分だけの言葉をつくっていく人ですから、ドイツ語の時点で難解極まりないです。それをもともと難しい日本語にするわけですから、こりゃもう宇宙人の言語です。でも木田元先生の名解説で目から鱗でした。
この4人が人類の思想史の大転換期のキーパーソンですよね。あ、もうひとりブッダがいました。でもブッダはどこまで本人が言ってることなのかわかりませんからね。そしてプラトンの場合もソクラテスの伝承ですから、ほんとに重要なのはソクラテスですけどね。「命がけの屁理屈おやじ」私はソクラテスをそう呼んでいます(笑)。まあ、それぞれがどうだったかというよりも、人類の考え方が大局的にどのように動いたのかを掴むのが大切です。…あ、これはこれは旧帝国大出身の大先生に説教するなんて百年早いですね(笑)申し訳ありません。本部長の専門が論理学ならプラトンは必須ですよね。私には難しくてわかりませんでしたが、ブッダの論理学もすごいですよね。それに論理学といえばヘーゲルにも詳しいんでしょうけど、上の4人の影響力に比べれば、過渡期の人物です。
それとあらゆる名著を読んだ本部長さんなら、法華経には書かせない天台の『摩訶止観』『法華玄義』『法華文句』はもちろん読みましたよね。東洋の叡智の最高峰ですもんね。私は中村元先生の解説で読みました。それでも難しかった…というか、面白くなかった(笑)。本部長が日蓮門下なら当然お読みのことと思います。それとももう創価にとって日蓮はどうでもいいのかな?御本尊もコピーだし。創価の公式ホームページには日蓮正宗がきれいさっぱり消えてなくなったし。教学試験の問題も創価のことばっかりだし。
私、べつに哲学が専門でも何でもない単なる一般人なので、私の読書量など上っ面だけで、読んだうちに入りません。でも最低限、上にあげたくらいの本なら読んでます。本部長が論理学の専門でしたら私のハンドルネームのシニフィエも言語学のソシュールにあやかっているって、すぐにわかってもらえましたよね。私の専門は芸術で、某国立大学の非常勤講師もやってきましたが、それでも「あらゆる芸術を知っている」なんて、恥ずかしくって口が裂けても言えませんよ。人並みに羞恥心のある人間ならね。
>では、
>そこまで言うならこのサイトに書かれている内容について
>私から一つ、あなたに論戦を挑みましょう。
>ただし、もしそれに応えられなかったら、
>このサイトを閉鎖すると約束できますか?
>いい加減な言い訳で逃げたら絶対にダメですよ。
本部長さん、私、あなたとの論戦、負ける気がしないんですけど、副会長に大恥かかせていいんですか?
でも本部長さんから挑んできた論戦ですから、もうあとには引けませんよね。
それでは本部長さん、ブログ読破と総県長か副会長の承認書き、お待ちしてます。
いい加減な言い訳で逃げたら絶対にダメですよ……どっかで聞いたなあ(笑)
もちろん副会長からやめとけと言われたなんて言い訳聞きませんからね。
全国の創価学会男子部の代表として、副会長の自宅前に何日土下座してでももらってきてくださいね。
このところ毎日アクセスが3000前後となっています。本部長との討論が始まったら、こんなものではないでしょう。
すでに全国の相当な数の学会員、脱会者、外部の方があなたの行動を固唾をのんで見守っていますよ。
頑張れ!本部長!
(追伸)
それにしても、軽く論破できるんだったら、ブログの閉鎖だ旧帝国大学だなんだと大騒ぎしないで、さっさとここに書いてしまえばよかったのになあ…
本部長から勧誘されているAさん、これから本部長の姿をよ?く見ておいてくださいね。そして創価学会がどういう人間の集まりなのかを、しっかりと理解してください。

 


解説
対話ブログに殴り込みをかけてきた「通りすがりの男子部」さん。
シニフィエさんにケンカをふっかけ、シニフィエさんが受けて立ったということでしょうか。

ちなみに私も某国立大の大学院を修了しましたし、50代半ばの私ですが……

シニフィエさんって美術系の国立大出身なんですか。
ということは東京藝術大学でしょうか。
すごいですね。

「通りすがりの男子部」さんの学歴に対する疑念の言葉が続きます。

対話ブログが非公開になったため、コメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:通りすがりの男子部さん登場(1)

2022-01-28 01:30:43 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■いま創価学会の勧誘を受けている方へ     投稿日: 2014年9月11日

創価学会は実際の会員の数を明かしません。いったい何人の会員がいて、実際に何人が活動をしているのか、一般の会員には見当もつきません。それと同時に、何人の学会員が辞めていったのかも明かしません。これが知れるとまずいことになるからでしょう。おそらくそうとうな数だと予想はできますが、はっきりしたことはわかりませんね。それでは統監数の何%が実働数なのでしょう。年齢分布はどうでしょうね。おそらく創価もかなりの高齢化が進んでいるでしょうし、二世三世はのきなみ非活になっているようですから、これから創価は教学試験に力を入れて人材(金蔓)を増やそうとしているのも納得です。どれだけ創価を盲信するロボトミーを増やせるかで、集まる金額が決まってきますからね。そのためには教義だろうが歴史だろうが、どんなにでも変えていくのが創価流のやりかたです。ほんとにバリ活の会員さんが哀れです。気がついたら何もないわけですから。ないだけではなく、それまでの人生を棒に振ったことをいやでも思い知らされる。もちろん創価は何一つ責任はとらない。もちろん貢いだお金も返ってこない。株やネットワークビジネスでお金を損したほうが、まだましです。創価は家族までも不幸に巻き込みますからね。
今現在、創価学会員から勧誘を受けている皆さん。創価学会に絶対に入ってはいけません。入ったら最後、ボロボロになるまで利用されて、あとには何も残りません。50年以上やってきた私をはじめ、ここにコメントされる多くの方が口をそろえて訴えているんです。私たちのような言動を、創価は「魔の仕業だ」とか「創価を陥れようとしている」などと言います。私たちは悪魔ですか?(笑)悪魔とかサタンとか、ハリーポッターじゃあるまいし、いい大人が真顔で言うことではありませんよね。
カルト宗教の大きな特徴として、信者に不安をあおり、自分たちだけが助かり、幸せになる方法があることを信じ込ませ、それには教団への忠誠とお金が必要になるということを信じ込ませます。創価はもちろん、統一教会も、幸福の科学も、キリスト教系の新興宗教も、オウム真理教もみんな同じです。普通ならそんなものを信じはしないと思いますが、我が身の将来への漠然とした不安感や、現代社会の生きづらさに悶々とする中にあっては、何か生きる希望が欲しいと思うあまり、このような罠に引っかかってしまう人が意外にいるんですね。
私の場合は両親がそれに引っかかってしまい、私はそんな盲信する両親のもとに生まれ、創価学会だけが正しい宗教だとことあるごとに教え込まれ、この信心を疑ったり離れたりしたら、とんでもない不幸が襲いかかってくると、ずっと教え込まれてきました。そのことが間違いだと気づくのに50年の月日がかかりました。父は創価を信じたまま亡くなり、母は認知症で自分の人生が何だったのかさえわからない状態です。両親は完全に創価に利用されて、数千万円のお金を貢がされ、人生のすべてを創価に捧げてきました。でも4人の子どものうち、創価を信じているのは一人だけです。私も含めた3人は完全に覚醒し脱会しています。前にも書きましたが、創価を信じている兄は、生死をさまよう交通事故にあい、障害者となりました。あとの3人は元気に暮らしています。創価の信心をして幸せになる人がどれだけいるでしょう。創価の信心をしなかったからといって不幸になる人がどれだけいるでしょう。私のまわりの創価の活動家に、悠々自適の幸せな家族は見当たりません。どこもそれなりの問題を抱えながら生きています。それは創価でない人も同じです。いや、創価にお金と時間を奪われないだけ幸せだと思います。創価の信心はしてもしなくても何も変わらない。むしろお金と時間を奪われるだけ不幸になる。これが50年創価の人たちを見てきた結論です。創価学会は宗教ではない。これはどのような視点から見ても動かしがたい事実です。創価は信者のお金を目当てにした詐欺団体である。これが50年の体験から得た確信です。
今現在、学会員から「折伏(しゃくぶく)」を受けている皆さん。「折伏」とはいわゆる勧誘のことです。きっと今だから猫なで声で、美味しいことばかりを言って入会を迫っているでしょう。そんなものに騙されてはいけません。最初は信仰にお金はいらないなどと言いながら、次々とお金を要求してきます。「財務」といって、額が多ければ多いほど幸せになり、貢いだお金は何倍にもなって返ってくるなどと、投資詐欺のようなことを言ってきます。やれ新聞だ書籍だ民音だと、いろんなものを買わされます。また外部の人に聖教新聞をとらせるように、考えられる友人知人、職場の同僚や部下や上司にまで新聞をとらせようとします。新聞といっても、信者向けの機関誌で、マスコミの新聞とはまったく違います。信者以外の人が読んでも何の役にも立ちません。信者が読んでも役には立たないどころか、盲信がますます強くなるだけなんですけどね。そんな有料機関誌の注文がとれない場合は自分でお金を出してまでとらせます。それが正しい信心の姿だとまで言います。そしてお金集めの極めつけが毎年行われる「財務」という名の寄付金集めです。表向きは「まごころで」と言いながら、とにかく3桁の財務をしよう!と言われます。3桁ってわかりますか?100万円単位で毎年寄付を出せということです。一般的には考えられないでしょ。それも毎年ですよ。ちょうど夏のボーナス時期に申し込み受付が始まり、冬のボーナスの時期に銀行振込が実施されます。大金持ちの慈善パーティではないんですから、普通の一般家庭に100万円単位の寄付を毎年させるのは異常なんですが、学会員さんはそれでも功徳がある、出したお金が二倍にも三倍にもなって返ってくるとの「指導」を真に受けて、ありったけのお金を振り込んでいるのです。とんでもないですよね。
かつて私の部員さんで、高校を卒業してすぐに就職した男子部がいました。もちろん独身です。給料だって生活するので精一杯の額でした。その彼に上の幹部は活動の度に詰め寄って、とうとう彼は貯金の100万円全額を寄付したのです。彼はとても気の優しい、どちらかといえば引っ込み思案の、はっきりものを言えない性格の人間でした。彼に連日「ありったけの財務をして人間革命しよう!」と詰め寄っていた幹部の顔が今でも忘れられません。そしてその彼はというと、何も変わらないまま、務めていた会社も倒産し、長い間職にも就けずに苦労していました。当然、創価は何の補償もしてくれません。何の責任もとりません。もし彼が幹部に文句を言ったとしても「それは君の信心が足りないからだ」の一言ですませるでしょう。そして「今の苦しいときにこそ、もっともっと活動に打ち込んで池田先生にお応えできる人材になるんだ。何があっても信心根本に、絶対に疑うことなくやり抜くのが学会精神だぞ。今の苦しみは君がこの信心よって変毒為薬し、人間革命ができるチャンスと捉えるのが本当の信心だぞ。さ、いっしょに祈ろうじゃないか。祈って祈って、これまでの自分が過去世に積んできた罪障をすべて消し去り、創価学会の信心を貫くことによって福運を積み、社会に実証を示すことのできる人材になろうじゃないか。オレたちには池田先生がいる。永遠の師匠と心をひとつにして世界平和のためにともに頑張っていこう」などと適当な嘘八百を並べます。どんな部員さんの悩みにも、躊躇せずにこれだけ真顔で言えれば創価の幹部はできるんです(笑)。誰に対してもこの「指導」と言う名のマインドコントロールで、ありったけのお金を巻き上げるのが幹部の役目です。かといってその幹部も本気で信じていますから、よけいたちが悪い。悪気で言ってるわけじゃない。こうすると自分も幸せになれると信じているんですね。部員さんからお金を吸い上げても自分がもらうわけじゃない。お金は全部中枢部が吸い取ってしまう仕組みになっています。そしてその金額も用途も会員さんにはいっさい知らされません。創価学会は宗教法人ですから税金もかからないので、いくら集まったかを公表する義務すらありません。そして会員さんはそのことになんら疑問を持ちません。疑問を持つと不幸になると怯えているからです。普段から疑えばいっぺんに福運が消え、不幸になると脅され続けています。日蓮の教学を学ぶのはそのためです。いま、創価は任用試験の受験者を大々的に増やそうと必死です。任用試験と言うのは、はじめて受ける創価の教学試験のことです。つまり創価初心者に日蓮の選民思想の基本を叩き込む絶好の機会ですね。教えられるほうはもちろん、その組織ぐるみで教えることによって、教えるほうのマインドコントロールも強化されるという仕組みになっています。なにも初心者のマインドコントロールだけが目的ではありません。
32才既婚で、学会男子部では本部長と創価班団長をしているという「通りすがりの男子部」さんから折伏を受けている友人の方。このサイトを通りすがりの男子部さんに紹介したぐらいですから、まだこれを読んでくれていると思います。このページは、まさにあなたへ向けて書いています。そしてこのページのコメント欄には、あなたへ向けて、何があっても創価学会にだけは入っては行けないと言うことを多くの体験者が語ってくれると思います。ここにコメントされる皆さんは、かつては創価学会で真面目に活動し、何かのきっかけによって創価の悪事に気がついて組織から離れた方です。また、まだ組織から離れられないで悩んでいる方もいらっしゃいます。でもこのブログに行き着いて、そんな悩みを持っているのが自分だけじゃないということがわかっただけでもよかったとみなさん言ってくれます。それほど創価学会は抜けるのが困難なんです。単に入会の時と同じように脱会できるわけではありません。脱会の意志を上の役職の人に言おうものなら、何人もの学会員から取り囲まれて「あなたは魔にやられている」とか「アタマがどうかしたんじゃないか」とか「辞めたら不幸になるぞ」「地獄に堕ちるぞ」「ろくな死に方はしない」などとさんざん脅されます。これで実際に心を病む人が大勢いるんです。創価学会の活動をするということは、同時にとんでもないマインドコントロールに支配されて、世間一般の感覚が麻痺してしまうと言うことなんです。だからここまで「やめなさい!」と強く訴えているんです。実際に創価学会は恐ろしいところです。組織存続のためには暴力団をつかって邪魔な人を自殺に見せかけて殺したりもします。信じられないかもしれませんが、そういうところなんです。今は猫なで声で勧誘されていると思います。手を替え品を替え、なだめたりすかしたりして、なんとか創価に引き込もうと、通りすがりの男子部さんは一生懸命あなたのことを考えたフリをしていると思いますが、実際は組織内での成果をあげて、功徳をもらおうと考えているだけなのです。あなたの幸せを本気で考えているわけではありませんよ。これは何十年も活動をしてきた私や、ここにコメントされる皆さんだからこそ自信をもって、あなたに伝えることができるんです。創価に入ってはいけません。創価は戦後最大の単なる金銭詐欺です。このことを前提に通りすがりの男子部さんとよく話し合ってください。といっても話し合いになるような相手ではないということを前提にしていないと、いつのまにか丸め込まれてしまいますので、くれぐれも用心してくださいね。
ということで、皆さん。通りすがりの男子部さんから折伏されている方へ、どうか渾身のメッセージをお願いします。まかりまちがえば、ここでひとり創価の犠牲者が増えるかもしれません。せっかくこのサイトを見てくださって、現役男子部本部長に紹介までしてくださっている方ですから、私たちはこの方をみすみす創価に入れるようなことがあってはならないと思いませんか。みなさんの見てきた創価学会の恐ろしい本当の現実を、まだ何も知らないこの方に教えてあげて下さい。どうかよろしくお願いします。
なお、ひきつづき「通りすがりの男子部」さんへのコメントはご遠慮ください。ご協力感謝します。

 

 


解説
32才既婚で、学会男子部では本部長と創価班団長をしているという「通りすがりの男子部」さんから折伏を受けている友人の方。このサイトを通りすがりの男子部さんに紹介したぐらいですから、まだこれを読んでくれていると思います。このページは、まさにあなたへ向けて書いています。

ライブ感があふれていて、いいですね。
リアルタイムで読んでいたら、ぐっと引き寄せられたことでしょう。

対話ブログが非公開になったため、コメントを参照することはできません。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:その後の記事(13)

2022-01-27 01:28:47 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■創価学会のご本尊とは何か?          投稿日: 2014年9月8日

昨日はデング熱や報道ステーションディレクター怪死のことを書いたせいか、アクセス数がいきなり3300にまであがりました。たぶんたまたまそうした検索にひっかかって訪れた方がたくさんおられたのでしょう。きっかけはどうあれ、創価の悪事をより多くの人に知ってもらうにはよかったのかなと思います。
さて、このブログも、ひととおり創価の問題点について語ることができたように思います。そして「創価学会は宗教ではなく、宗教にみせかけたマインドコントロールによって会員からお金をまきあげる極悪集団」ということがはっきりしたわけで、それに気づくか気づかないかは、結局本人次第ということ。まわりがいくら真実を言っても聞く耳を閉ざしてしまうから、どんなに破綻しておかしな理論も信じて疑わず、ありったけのお金を貢いでしまっているということでした。これが創価学会のほんとうの姿だといってまちがいないと思います。これが実際に創価学会に何十年と活動してきた方々の結論です。
もちろんこれからも具体的な創価の現状を皆さんに語っていただくことで、創価の現実に気がつくきっかけとなっていただければと思います。そこでまた、ふたたび各論的な展開になっていきますが、これまでのここでの話を踏まえた上で、もう一度創価がやっていることの矛盾点といいますか、常識では考えられない暴挙の数々を皆さんで紹介していきましょう。
そこで、今回のテーマは「創価学会のご本尊とは何か?」とさせていただきます。日々、学会員さんが一生懸命、自らの幸せと世界の平和を願って拝んでいる「ご本尊」とはいったい何なのかを、もう一度検証してみましょう。
現在の創価のご本尊は、日寛上人が書写したご本尊を日蓮正宗に無断でスキャンしたデータに、よけいな授与書きを消し、文字の太さを改ざんしてカラーコピーしたものを会員さんに3000円で販売しています。まあ、例えるとアンパンマンの絵本を勝手に印刷して販売している悪徳業者のようなものです。絵本なら即刻逮捕されますが、これがよその宗教のご本尊だと問題ないのだそうです。中国のディズニーランドもどきの遊園地と同じなんですが、学会員さんはそれでも何の疑問も感じることなく、日夜朝暮に怠らず南無妙法蓮華経と唱え奉られていらっしゃる(笑)。
それどころか、3000円で買ったカラーコピーが本物で功徳があり、日蓮正宗のご本尊なんかに功徳はないと言い張っている。アンパンマンの絵本を密造した悪徳業者が「やなせたかしが偽物だ」と言い張っているようなものなんですが、学会員さんはこれも少しも疑問に思わずに、3000円のカラーコピーに向かって「功徳をください、福運ください、財務が何倍にもなって返ってきますように」と祈り「日蓮正宗がはやくつぶれますように」と朝晩呪っているわけです。そしてそのような行動こそが一家和楽の家庭を築き、最高の幸福をもたらし、世界を平和にすると本気で考えているんですね。学会員さん、そうですよね。違ってたら何が違うのか言ってください。
いや、学会員さんが何を信じ、何を拝もうが勝手なのですが、いやいや活動をされている多くの方が辞められないで悩んでいることも知って欲しいのです。辞めたいと言う人には、すんなり辞めさせてあげてください。それが信教の自由が保障された日本人の権利ではないでしょうか。何を信じてもいいですが、信じない自由だってあるのです。ましてや誰かに「これを信じろ。信じなかったら恐ろしいことが起きるぞ」と脅される筋合いは絶対にないのですが、学会員さんは平気でそんなことを言うんですよね。個人的に言わせてもらえば、毎日地獄に堕ちろと呪っているお寺のご本尊を無断で複製したペラッペラのカラーコピーじゃなくて、もう少しましなものを信じたらどうかなとは思うんですが、そんなことは余計なお世話ですもんね。やめろとはいいませんから、せめて辞めたいと思っている人に「罰が当たる」とか「地獄に堕ちる」とか「ろくな死に方はしない」などと脅すのは、いみじくも信仰を持つものとしていかがなものかと思うんですが、学会員さんにとってそんなことも世界平和のためにやる偉大な仏道修行なんですよね。仏法は道理。自分の行いはすべて自分に返ってきますからね。これが世界平和への唯一の行動なんですね、学会員さん。
創価学会公式サイトにはご本尊についてこう書いてあります………と、ここで紹介しようとしたら、あれあれ?なんと創価学会公式サイトにはご本尊についての説明がない!それどころか、日蓮正宗の文字がどこにもない!創価学会の年表にすら出ていない!創価学会は初代会長の牧口常三郎さんと理事長の戸田城聖さんが日蓮正宗の信徒団体として発足させたんじゃなかったんですっけ?公式ホームページのどこを探しても日蓮正宗の文字が出てきません。サイト内検索で「日蓮正宗」を検索したら、かろうじて1カ所出てきました。
「弾圧を恐れて国家神道を受け入れた日蓮正宗宗門を牧口は厳しく諌め、軍部権力と敢然と対峙していきます。」
だそうです。後にも先にここだけ。だからここで突然「日蓮正宗」が出てきても、前後の脈絡がまるでわからない(笑)。創価学会の歴史を語る中で、牧口会長が日蓮正宗を厳しく諌めなければならなかったことの理由がまるでわからないんです。だって日蓮正宗はここで初めて出てきて、これ以降もいっさい登場しませんから。そもそも創価学会の創立の由来は日蓮正宗の教義を広宣流布することでした。それは1991年に創価学会が日蓮正宗から破門されるまでは、日本最大の信徒団体だったわけです。それを完全に消し去っているんですね。いやあ、これは驚きました?!「ネットはデマばかり」っていうのは「創価ネットはデマばかり」ってことだったんですね(笑)。いずれにせよ、創価学会公式ホームページによれば、創価学会は1930年の創立から1991年に日蓮正宗から破門されるまで、日蓮正宗の信徒団体であった61年間の歴史を、はじめからなかったものとしてしまっているのです。創価学会の永遠の指導者とする3人の会長が日蓮正宗の信徒であったことが、まったく記されていないのを見て、なんだか恐ろしくなりました。じゃあ、この3人はどうやって日蓮仏法を知ったの?学んだの?独学?じゃあ、そのうち小説人間革命にも日蓮正宗が抹消されて、牧口・戸田・池田の永遠の指導者は図書館かどっかで日蓮仏法を学んだということになるのかな(笑)。
で、ご本尊。サイト内検索したら文章の中にいくらか出てきますが、ご本尊とは何ぞやという項目はありません。昔なら「ご本尊根本に」というのが創価の常套句だったのが、いっさいありません。勤行のやり方として「ご本尊に向かって読経・唱題する」といった程度の説明で終わっています。日蓮仏法の根幹であるはずの三大秘法のひとつ「一閻浮提総与の大御本尊」がこの扱いとは驚きました。どうやらご本尊とは勤行唱題のときの鏡程度のあつかいですね。それなら複製のカラーコピーでもいいわけだ(笑)。
ウィキペディアによると、創価学会のご本尊は
日蓮により弘安2年10月12日に図顕された一閻浮提総与の大御本尊と呼ばれる文字曼荼羅
以前は“日蓮正宗総本山大石寺に安置されている本門戒壇の大御本尊 ”とされて来たが、2002年の会則変更により表記が変更された
現在の総本部に安置されている創価学会常住御本尊は、第2代会長戸田城聖が発願し、当時の日蓮正宗法主・日昇上人によって書写、授与された紙幅の本尊を板に彫刻したものである
とあるので、こっちのほうがよっぽどきちんと書いてありますね(笑)。
どうやら今の創価は、この「ご本尊」にあまり触れられたくないようです。そりゃそうでしょう、自分たちの由来である日蓮正宗をなかったものとしているのですから、このご本尊がどこから来たものかの説明がつきませんよね。すでにこの時点でまったく説明のつかない事態になってるんです。新入信者やSGIメンバーにはどんな説明をしているのでしょうね。「私たちが毎日拝んでいるこのご本尊は、いったい何なのですか?」と訊かれたら、「いや大した意味はないんだけど、拝む対象がなくては困るでしょ。大切なのはお題目を唱えることによって自分の中にあるご本尊を呼び覚ますことなのよ」な?んて苦し紛れの説明をする幹部の姿が目に浮かびますね。昔なら体験発表のときには必ず「何があってもご本尊を根本に、広宣流布のお役に立てる人材として、池田先生にお応えしていきます!」などと涙声で絶叫していたものです。その信心の根本であったご本尊。公式サイトにも「弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです」とはありますが、当然、今の創価学会はその日蓮さんのご本尊はもっていない。日蓮正宗の大御本尊といえば、日蓮さんの出世の本壊ですよ。つまりこれを顕わすために末法の本仏として生まれて来たんだとまで言った三大秘法のひとつですよ。それを創価は軽くスルーするんですか?おかしくないですか?そして創価の公式ホームページには、創価のご本尊の由来についてはいっさい書いていないんです。というか、書きようがないというのが本音でしょうけど。
学会員さん……なんだかな??……って思いませんか?創価は破門される前までの61年間は、本家本元の日蓮さんのご本尊が日蓮正宗にあるとしてきたんですよね。それで正本堂まで建てた。でも破門されて正本堂も壊されちゃった。それからは、創価が日蓮正宗に無断でつくった複製カラーコピーを毎日拝んでる自分って、いったい何だろう?って。
創価学会の会則には第1章総則の第2条(教義)には今でも
「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする。」
とあります。
でもその三大秘法の大御本尊は61年間は日蓮正宗大石寺にあるとして、会員さんを参拝に連れて行っていたわけですよね。創価学会にとって、日蓮さんが打ち立てた一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊はどこへいったのでしょうか?破門されたからといって、そんな750年も伝えられて来たことを部外者の創価学会が簡単に変えちゃっていいんでしょうか?さらに学会本部にあるご本尊は「第2代会長戸田城聖が発願し、当時の日蓮正宗法主・日昇上人によって書写、授与された紙幅の本尊を板に彫刻したものである」とあるように、戸田さんの時代に日蓮正宗の法主だった日昇上人が書写したものを、どこの誰だか知らない人が板に彫ったものなんですよね。え??、そんなんでいいんですか?日蓮正宗側では「そんなものはご本尊ではない」と言ってるわけですよ。それって宗教なんですか?信仰って言えるんですか?そんなものにいくらお金をつぎ込んだんですか?自分の人生のどれだけの時間を割いてきましたか?これからも、ありったけのお金を時間と労働力を貢ぎながら、そんなカラーコピーを死ぬまで拝み続けるつもりですか?
………失礼ですが………バカじゃないですか?
ま、最後の行はご愛嬌のジョークと捉えてくださいね。


解説
相手の信仰と信仰の対象に対して、
バカじゃないですか?
とバカにする。
冗談では済まされないとは、このことです。

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是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮