獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その2)

2024-05-22 01:07:29 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

これまでは増田弘『石橋湛山』を読んで、湛山の人生と政治思想について学んできました。

さらに、もう少し湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
■第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第1章 オションボリ

(つづきです)

湛誓は増穂村の生まれであったから、ここには多くの知人や親戚がいた。昌福寺には、そうした人々が折りにふれてはやってくる。用事のない者もいたし、ある者もいた。なかには湛誓の生活に直接関わり合う者もいた。
床屋の熊王藤十郎もそのひとりであった。藤十郎は、一週間に一度、必ずお寺を訪ねてきた。僧侶の頭が不精になっているのくらいみっともないものはない。湛誓は、頭を剃ってもらうならば知り合いのほうがいいと思って、赴任してくるなり藤十郎にそれを依頼したのだった。若いが藤十郎は腕がよく、しかも自分と藤十郎とは従兄弟同士になる、と聞かされていたからだ。藤十郎にとってもいい稼ぎになった。普通、十銭のところ湛誓は五十銭も散髪代をはずんだためである。
その藤十郎が馬鹿なことを言って湛誓を怒らせたのである。
湛誓は赴任してやもめ暮らしを始めてみると、生活上の不便さに気づいた。これまではきんがすべてやってくれていたから、感じなかったのだ。しかも岩間湛湧、小沢湛漸という若い弟子が二人同居していた。そこで小室山妙法寺の住職がなにくれとなく気遣ってくれて、近所に住む性格のよい娘を「手伝いとして使ったらどうだ」と世話をしてくれた。お春というその娘のことが発端であった。
藤十郎は、いつも湛誓の頭を剃り上げながら世間話をした。反対に湛誓が法話代わりにあれこれ話すこともある。
その日は湛誓の機嫌がよくて、湛誓にしては珍しく世間話、というよりも滅多に他人の前ではやらないはずの猥談に近い話を始めたのであった。湛誓も、自分より年は下だが頭の回転が速く、そのうえ又従兄弟であるという藤十郎に対して気の置けない感じがして、あけっぴろげでいられたのだ。
「あの、お手伝いの娘だが、お春という」
「顔はともかく、よく気が利くし、よく働くと評判ですね」
藤十郎が合いの手を入れる。
「うん。そのとおりだ。そこでお春だが」
湛誓は、剃刀が耳に後ろに当たったのを感じて、一瞬言葉を断った。
「それで? 常作さん」
藤十郎が促した。湛誓の本名は「常作」といった。藤十郎には、昌福寺の御前様(お上人様)も、従兄弟の「常作さん」であった。
「山奥の村から出てきたのだから、言葉遣いを上品にしなければならないと考えたらしい」
「お春がですか?」
「そうだ。で、すべてが御の字づくしになった。御火鉢、御茶碗、御便所、御履物とな。まあ、ここまではよい。しかし、なかには御をつけたら変になるものもたくさんある」
「そうですね。屁に御なんぞつけた日にゃあ」
藤十郎は、自分で言ってから「ぷっ」と噴き出した。
「これこれ、藤十郎、剃刀が危ない」
「ああ、すみません。 つい、おかしくて……」
「そこである日、注意したのだ。そんなに何もかもに御の字をつけなくてもよい」
藤十郎の手が止まった。湛誓の話に集中してきたからである。
「それから何日か経って、いい香りの柚子をもらったので儂が自分で柚子味噌を作ろうと思い立った。しかし、擂り鉢はあるが擂りこぎが見つからない。それでお春を呼んで尋ねた。おいおい、擂りこぎはどこにある? 実はお春は擂りこぎを洗って桶の中に置き忘れていたのだがな」
藤十郎は、すでに答えを予想して、「くっくっ」と声にならない声を立てている。湛誓もそれを知りながら平然と続けた。
「呼ばれて飛んできたお春は、こう答えたのだ」
湛誓がひと呼吸置いた。
「はい、けの中でございます、御前さん、とな」
同時に二人は噴き出して、大声で笑いだしてしまった。
「桶の中でございます」が「お」を取って「け」というわけである。
「擂りこぎだけに毛の中でございます、御前さん」
藤十郎は湛誓の「オチ」に脚色を加え、いかにも猥雑な言葉で繰り返してから、再び大笑いした。
つまり擂りこぎを男性のシンボルに見立てたというわけである。
大笑いの後、藤十郎が頭の仕上げを終えると、湛誓が奥に立って皿を持ってきた。
「藤十郎、これがその柚子味噌だ。食べてごらん」
これで終わっておけばよかったものを、藤十郎は咄嗟に考えた。あの謹厳実直な湛誓さんが猥談をするなど珍しいことだ。自分も湛誓と同じくらい大笑いできる猥談をここで仕返さなきゃあ。
「では常作さん、いやいや、和尚、晩に乗りますか」
藤十郎には快作ともいえる一発猥談であった。
「おしょう、ばんにのる」。つまり「和尚が晩に乗る(夜、その娘を相手にする)」と「お相伴に与かる」を掛けた言葉であった。
瞬間、湛誓の顔色が変わった。藤十郎がはっと気づいた時にはすでに遅かった。湛誓の剃り上げたばかりの頭が真っ赤になっていた。
「藤十郎、冗談も考え考え言え。この湛誓は日蓮様にお仕えする身なるぞ。手伝いの子女に手をつけるなど、想像されるだけでも罰が当たることだ。馬鹿者め!」
湛誓は、田舎だけにこの手の想像を周囲にされることを恐れていた。だから藤十郎が放った猥談が、自分の猥談へのお返しの意味であるとは分かっていても、この話が独り歩きしたならば、必ずや誰かが面白おかしくお春と自分のことを噂するに決まっている、と思ったのである。それは自分のためばかりか、お春のためにもならない。
「やはり、檀家総代の勧めてくれるように、甲府から女房子供を呼び寄せよう」
思わぬ猥談が、省三を父親の生まれ故郷に運ぶことになった。そして「石橋湛山は我が増穂の出身」と言わせるようになるのであった。
床屋の藤十郎には後年、一人の息子が生まれる。
作家・熊王徳平である。

(つづく)

 

 


解説
瞬間、湛誓の顔色が変わった。藤十郎がはっと気づいた時にはすでに遅かった。湛誓の剃り上げたばかりの頭が真っ赤になっていた。
「藤十郎、冗談も考え考え言え。この湛誓は日蓮様にお仕えする身なるぞ。手伝いの子女に手をつけるなど、想像されるだけでも罰が当たることだ。馬鹿者め!」

湛山の父、杉田湛誓は、身持ちの固い実直な方だったようです。

 


獅子風蓮