獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

ゼロさんとの「対話」 その7

2021-04-30 00:00:00 | ゼロさんのブログ

●獅子風蓮のコメント(日付不明)
ゼロさんへ
2/26 か 27日に送った私の、真実を求めてさんに対する返信が削除されています。
意図的なのかどうかは分かりませんが、今一度送りますので、よろしくお願いいたします。
_________________________

真実を求めてさん

>獅子風蓮さんが、対話を求めての管理人さんを攻撃するとする獅子風蓮さんの正当な理由が、わかりません。
>正当な理由があるのですか?

繰り返しになりますが……
私のブログの記事。
「対話ブログにコメントをしてみました」(1)~(13)
をよく読んでみてください。
とくに「冤罪は晴れたのか?」①~⑥
を読めば、なぜ私がシニフィエさんに怒っているのか分かっていただけると思います。

要するに、私は「対話」を求めて「対話ブログ」を訪問したのに、「対話」の入り口にも入れてもらえず、最後にはシニフィエさんは、HOPEさんの非公開のコメント(明らかな誤解に基づくもの)の文章を利用し、私を攻撃してきたのです。
私は、突然、ありもしない罪を着せられました。
こうして、シニフィエさんは私を冤罪に陥れたのです。
その後、HOPEさんが私の呼びかけに応じて私のブログでコメントをしてくれたおかげで、私の冤罪は晴れたわけですが……
シニフィエさんは表面上私に謝罪しましたが、こんどは悪いのは自分ではなく嘘つきのHOPEさんだと、責任をHOPEさんに押し付けました。
また、私に謝罪した後も、シニフィエさんの周囲の人は、私に悪意のこもったコメントを寄せ、シニフィエさんは、それをそのまま垂れ流しました。
シニフィエさんは、私にいわれなき罪を着せたことを認めて謝罪をしたわけでないのです。

本当の意味で、冤罪は晴れていなかったのです。

シニフィエさんのズルい本性を見た思いでした。

今回のSGKMKパクリ事件でも、シニフィエさんは、筆者の〇〇さんと告発者の△△さんに、表面上謝罪しておきながら、その後、ハルキが二人を侮辱するようなコメントを寄せ、シニフィエさんはそれをそのまま垂れ流しました。
お二人が本当に傷つき怒っているのは、SGKMKさん本人よりも、ハルキとシニフィエさんなのです。

>日蓮さんの教えをしんじるといいながら自分の意見も堂々と言えないとなると、日蓮信者の面汚れとおもいます。
>獅子風蓮さん、日蓮信仰のほこりを行動で示してください。


真実を求めてさんが何に怒っているのかよく分かりません。
私は、いつも自分の意見を、その都度その都度、誠実に言っているつもりです。

私は、対話ブログでも、シニフィエさんに「個人の信仰に敬意を払ってほしい」と何回もお願いしています。
別に、対話ブログが休止になったのを見計らって、自分のブログで自分の主張を述べたというわけではありません。
私が自分の主張を述べたくても、あの時点で、対話ブログは休止していたのです。
べつに私が対話ブログを休止に追い込んだわけではなく、あくまでシニフィエさんご自身の判断で休止になったわけです。

私は、対話ブログのみんなと仲良く情報交換したかっただけなのです。
けっして、対話ブログを潰す目的で近寄ったわけではありません。

しかし、あまりに理不尽なシニフィエさんとその周囲の人々の振る舞いに、おかしな構造に気づいてしまったのです。
まるで、みなさんのやっていることは、創価学会の座談会やセミナーで、新来者を取り囲んで、言葉を浴びせかけ、入信を迫るやり方にそっくりだということを。
それまで、日蓮仏法を捨てきれなかった人が、脱会して、創価学会とも日蓮正宗とも縁を切るようになると、みんなで拍手喝采する。
それは、創価学会における、新来者の本尊流布をみんなで祝う姿の裏返しのように思えました。

このへんのことは私のブログ「私の自己紹介に過敏に反応する人たち 対話ブログにコメントをしてみました(12)」に書きましたので、繰り返しません。

この辺でいいでしょうか。

まだご不満でしたら、ひとつづつ、ご指摘ください。

よろしくお願いいたします。

獅子風蓮


ゼロさんとの「対話」 その6

2021-04-29 00:00:00 | ゼロさんのブログ

●ゼロさんのコメント(日付不明)

>獅子風蓮さん

お返事ありがとうございます

>根拠は『狩野川物語』にしかない

獅子風蓮さんがそう思うことは自由ですが
私はそのようには言っておりません
もうそこは
それぞれの視点で宜しいのでは?と思います

それを文献を引っ張り出して
やり取りする意味は私にはありません

牧口会長を尊敬されるのであれば
獅子風蓮さんのブログで
そのように書かれていくことで
読み手は
そう理解するのではないでしょうか
ここもしかりだと思います

ところでですが
最初のお返事に対しては
獅子風蓮さんから
ほとんどお答えがないのですが
そこは無視はなさらないで下さい

私は一つ一つ全てに
お答えしたつもりですので
そこは宜しくお願いしますね

それから
獅子風蓮さんのコメントは
ここに2つ存在しておりますので
時間が出来たときにコピペ移動しますので
宜しくお願いします(^_^)/


●獅子風蓮のコメント(日付不明)
>ゼロさん

お疲れ様です。
獅子風蓮です。

>ところでですが
>最初のお返事に対しては
>獅子風蓮さんから
>ほとんどお答えがないのですが
>そこは無視はなさらないで下さい

すみません。
どんな内容でしたっけ。
コメントを見返したのですが、よく分かりません。
あらためて、質問していただけますか。

よろしくお願いいたします。

獅子風蓮

●ゼロさんのコメント(日付不明)
>獅子風蓮さん、お疲れ様です。


>どんな内容でしたっけ

それであれば・・私はもういいです
お互いに
時間は無駄にしたくないと思いますので(^_^)


それからこの獅子風蓮さんのコメントは
blogシステムの理由から
最初のコメントには移動しないことにしました
携帯端末からだと
一人の方への返信のやり取りは
20回を超えた場合に古い順から見えなくなるみたいで
意味が無くなってしまうので
★このコメントについては一旦クローズして下さい★

もしも新たにコメントされるのでしたら
新規でコメントして下さい

この辺のことも
ルールとして「みなさんの声」に追記したいと思います

そして
momoko-006さん
その都合で申し訳ないのですが
momoko-006さんの書籍ご紹介等のコメントは
古いコメントが消えてしまう場合には
消させて頂きますので・・何卒ご了承ください。

以上、宜しくお願い致します。


ゼロさんとの「対話」 その5

2021-04-28 07:00:00 | ゼロさんのブログ

●ゼロさんのコメント(日付不明)
>獅子風蓮さん
お返事ありがとうございます

>私の早とちりですかね?

疑念があるようなので率直に申し上げますが

混乱を招いている人と
混乱している人は違うんですよ

獅子風蓮さんは
最終的には
複数の人によって利用されていまい
混乱した方
これが私の見え方なんですよ


対話を求めてというブログは
そのスタンスであるが故に
多くの方の覚醒に貢献してきましたが
その反面
人によっては遺恨を残すこともある
そんな場所だとも思います

そんな目には見えないものが
アンチ界隈にはシーン・・と漂っていて
好きか嫌いか・・敵か味方か
そんな感情的なものが
きっと誰にでもあると思っています

ネットとは
そんな世界なのかもしれませんが

傷ついてしまったり
怒りに震えるようなことがあったとしても
極論を言ってしまえば
あえて極論を言ってしまうならば

全ては自己責任だと思っています

それは
私自身の考え方ですけどね・・

そして
現在こんな状況になってはいますが

私は自分のブログが
毎日新しく訪問されている方にとって
どうあるべきか・・
そのことしか考えていません

獅子風蓮さんが
どのように怒られているのか
感情的な部分は
記事を読まなくても分かっていますが

でもそれは
ネットで公開しながら
他人を巻き込んですることでも無いと
自分自身は考えていますよ


そして獅子風蓮さんが
ご自身のHPを立ち上げられて
amebaブログを
開始した目的は知っているつもりです

リアルで
獅子風蓮さんの事を知っている方々に
一体どのように映っているのでしょうか?
そのようなことも冷静になられて
考えて欲しいと思っています

余計なお世話ですけどね・・

(続きます)

●ゼロさんのコメント(日付不明)
>獅子風蓮さん (続きます)

件の書籍名はご指摘の通りですが、そもそも月刊ペンという会社は、財界が資金を出して作った出版社ですから、その目的は言うまでもありません。権力とべったりだった原田社長も然り、隈部も然りと言ったところでしょう。
そして「邪教教団・創価学会」と言う書籍は、月刊ペン事件の問題となった雑誌と同年に出版されたものですから、つまり質としては同レベルですね?名誉毀損で訴えられたような人物が書いた書籍となれば、印象としてはいかがわしいものと映ります。確かにそう思われても仕方がないです。

しかし逆を返せば、その書籍の信憑性を測るのであれば、それは月刊ペン事件の裁判の内容に重なる内容とも見えます。

これが私にとっての物差しでした。

法律の詳しいことは分かりませんが
現在の名誉毀損罪は
第三者から指摘された内容が事実であっても、それが嘘であっても、条件が満たされれば刑事罰を受けます。

しかし当時は、内容が事実であれば罰則は免責されるもの・・
これが一つのポイントでした

この裁判では、最高裁で池田が公人と解釈されて、1審に差し戻されたり
地裁ー高裁ー最高裁(差し戻し)
地裁ー高裁ー最高裁と巡っているうちに
隈部大蔵が亡くなって終わった裁判です

つまりこの裁判のやり取りから
根も葉もないようなことは書いていない
私はそう解釈するに至った・・と言うことなんです

それともう一つ
親告罪である名誉毀損罪は、亡くなった方の人権も守る法律ですが、それは指摘された内容が”嘘”の場合のみなんです。
★つまり事実に対しては訴えられない。

この「邪教教団・創価学会」の内容を見れば、創価学会にとっては、会の始まりに関わるような大問題ですし、初代・2代会長への名誉毀損も甚だしい内容です。

しかし創価学会は訴えていないんです!
私の最終結論は・・ここです!

そうゆう見え方もあんですよね

ですが色々調べても・・
住所まで書かれている方位学研究家の情報や両方の証言に出てくるコックの情報など
まったく探せない状況でしたので
そこは断念しました、そんな事を調べてから、あの記事は書いていますので

ただのコピペの記事ではないんですよ

>ブログの価値が下がってしまうのを・・
お気持ちはありがたく受け取りました

こちらこそ!
今後とも宜しくお願い致します!

ゼロより


●獅子風蓮のコメント(日付不明)
獅子風蓮より

ゼロさん
お疲れ様です。
獅子風蓮です。

月刊ペン事件の裁判の経過は承知しています。
創価学会としては、池田氏の出廷を何としても阻止したかった。
そのために、右翼有力者を介して、大金を被告側に渡し、名誉棄損の有罪判決に持ち込んだ。
そういう欺瞞的な経過もよく承知しています。

でも、『狩野川物語』の信ぴょう性の問題と、月刊ペン事件の裁判の経過の問題は、別のものです。
隈部大蔵が謀略的でうさん臭い人物だったことは間違いないと思うのです。
『狩野川物語』を根拠としてゼロさんの主張を展開することは、あまりお勧めしない、というだけのことです。

つづく

●獅子風蓮のコメント(日付不明)
志茂田景樹の『折伏鬼』という小説があります。
あまりに過激な内容のために長らく絶版でしたがついに電子書籍となって復刻!
とアマゾンで紹介されています。
アマゾンのkindle で読むことができます。
アマゾンの解説を読むと、

>むりやり連れていかれた新興宗教団体の集会で、壇上の会長は中学一年のわたしに「いつか信心することになる」と予言し、哄笑した。十年の後、まさにわたしは巨大な組織の中にいた。が、数年の激しい活動の末、わたしを捉えたのは大きな疑惑であった。傷つき絶望して、わたしはそこを去った……。

とありますが、意外なことに、小説の主人公は多田(戸田のこと)を好意的に描いているのです。

>この人たちの話を総合すると、人情の機微に通じて、情にもろく、剽軽な人物像、つまり、わたしが入信前まで胸にあたためていた多田像とほぼおなじものが浮かびあがる。……

つづく

●獅子風蓮のコメント(日付不明)
それはともかくとして、志茂田景樹の『汚れた偶像』という書籍もアマゾンのkindle で読むことができます。
この書籍の中の『俗物教祖』というのを読むと、あくまで小説ですから細かい事実関係に誤りはあることを差し引いたとしても、戸田氏の生い立ちと牧口先生との出会い。創価教育学会ができたころのいきさつと、戦後の歩みなどの、大体のイメージがつかめます。

牧口先生(小説では西口)は堅物で、戸田氏(小説では岩田平六)と組んで金儲けのために創価教育学会を始めたなどというくだりは、見られません。

ただ、戦後、創価学会の再建のために、資金の援助を頼みにいった先で、岩田平六(戸田氏のこと)はこのように言ったと書かれています。

「宗教ってのは、もうかることがわかっただろうて。出資したくてウズウズしているやつはいっぱいいるんだが、早急にはまにあわん。いまなら月六分の利子を出そう、どうだ?」
「ええ、まあ、乗りましょう」……

これは、学会再建のために新聞・雑誌を出すための資金を得るための営業用の言葉であり、金儲けのために戦後の創価学会の再建を目指した、というのとは違うと思うのです。
あるいは、ねっからの商売人だった戸田氏のことだから、「宗教はもうかる」という気持ちはまったくなかったわけでもないでしょう。

しかし、戸田氏の再建した創価学会は、表向き、会員間の金銭貸借は禁止で、財力のある人のみ財務部員となれる、正真正銘の「金のかからない宗教」であったわけで、ゼロさんの言うように、
「牧口先生と戸田氏は、金儲けのために創価教育学会を作った」というのは、ちょっと違うと思うのです。

お時間があれば、志茂田景樹氏の小説、読んでみてください。

獅子風蓮


●ゼロさんのコメント(日付不明)
>獅子風蓮さん

お忙しい中で
お返事ありがとうございます

色々と情報をありがとうございます。
おすすめ頂いた書籍は読んでみますね!

獅子風蓮さん・・
率直にお聞きします
私の勘違いでしたら申し訳ないのですが

私は根本的には
獅子風蓮さんが尊敬されている方を
このブログで批判されている事が許せないのでは?
・・と思っていますが気のせいでしょうか?

私は獅子風蓮さんが誰を尊敬していても
例えそれが池田大作であっても
そのような内容でブログを書かれていても
私はそこに干渉するつもりはまったく無いんですよ

逆に言えば

★そのような方の
★ブログがあった方が良いぐらいに思っています

確かに
私のブログのスタンスとは異なりますし
矛盾している言葉に伝わるかも知れませんが

その意味が伝わりますでしょうか?


●獅子風蓮のコメント(日付不明)
ゼロさん

コメントの返事ありがとうございました。

>私は根本的には
>獅子風蓮さんが尊敬されている方を
>このブログで批判されている事が許せないのでは?
>・・と思っていますが気のせいでしょうか?

物事の本質をつかむのには、全体の流れをつかむことが大事だと、私は思うのです。
牧口先生と戸田氏が創価教育学会を作った目的が、金儲けのためだったのか、そうではないのか。
多くの学者や評論家の著作、本質をえぐる小説などを読むと、やはり堅物の牧口先生が金儲けのために創価教育学会を作ったとは思えないのです。

ゼロさんの主張は、狭いアンチブログの中では支持され、それがあたかも真実かのようにブログの参加者の中で共有されていきますが、その根拠は『狩野川物語』にしかないわけで、客観的に見たら、危うい現状に思えるのです。

別に、私が尊敬している人物を批判されたことに感情的に反発しているわけではありません。

ゼロさんのブログのいちファンとして、ブログタイトル下の二行がない方がいいのになと思っただけです。
他意はありません。

獅子風蓮


ゼロさんとの「対話」 その4

2021-04-27 09:00:00 | ゼロさんのブログ

●獅子風蓮のコメント(日付不明)
>ゼロさん

ゼロさん

>獅子風蓮さんのブログは
>あの記事を書いてからは一切読んでいませんよ

分かりました。
でも、その時のコメント欄の雰囲気などから、てっきり私のことを皮肉る文章だと思ってしまいました。
私の早とちりですかね?

>その管理人さんの責任って何でしょうか?
>人の言葉ではなくて
>ご自分の言葉でご説明頂けますか?

真実を求めてさんへの返事にも書きましたが、私のブログの記事。
「対話ブログにコメントをしてみました」(1)~(13)
をよく読んでみてください。
とくに「冤罪は晴れたのか?」①~⑥
を読めば、なぜ私がシニフィエさんに怒っているのか分かっていただけると思います。

>それに「狩野川物語り」は単なるフィクションではありませんよ
>私が実際に読んだのは「歴史的資料」として扱われている分野です
>私もはっきり事実とは言っていませんが
>実にありあえる・・と言うスタンスです

この辺のことは対話ブログで書いたつもりでした。
その時は、特に反論はなかったので、私の主張が受け入れられたとばかり思っていました。

ポイントは、「戸田城聖-創価学会-」(日隈威徳)と佐野眞一のノンフィクション「化城の人」です。
両者とも、創価学会と戸田氏については厳しい目で批評しているのですが、創価教育学会設立当時の記載を読んでみても、「狩野川物語り」の中身と共通する点はありませんでした。

つづく。


●獅子風蓮のコメント(日付不明)
そもそも
ゼロさんのブログ記事「創価学会はこうしてつくられた 2018-06-19 11:00:00」では、

『邪教教団・創価学会』P152~P160より本文を抜粋しています。

ちなみに『邪教教団・創価学会』という本はアマゾンの古書では該当するものがなく、
『邪教集団・創価学会―これでもあなたは信じるか (1976年) 室生 忠 , 隈部 大蔵 (著)』のことでしょうか。

>昭和十二年、創価学会ができた前後の事情を実証する一つの事実は、東京都杉並区方南町在住の柴田登志子・方位学研究家の証言である。
>もう一つは、ドキュメンタリードラマの『狩野川物語』である。

(中略)

>ちなみに創価学会・公明党の「言論出版妨害事件」が表面化したのは、昭和四十四年末から四十五年にかけてであった。
>そういう私自身
>隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』(東北出版社刊)
>福島泰照著『創価学会・公明党の解明』(展望社刊、のちに太陽出版社刊)
>というような、筆名で書いた私の創価学会・公明党についての批判書が、直接、関節に、彼らから大きな妨害をこうむったなまなましい経験をもっている。

つづく。


●獅子風蓮のコメント(日付不明)

つまり、『邪教集団・創価学会』の著者のうちのどちらかは、創価学会・公明党に対する批判書を出すにあたり、大きな妨害を受けており、創価学会・公明党に対する憎しみは相当なものがあったと思われます。
この著者とは、後の「月刊ペン」事件で創価学会より名誉棄損で訴えられた隈部大蔵です。

『「月刊ペン」事件埋もれていた真実』山崎正友(2001年、第三書館)によると、p30に次のような記述が見られます。

>昭和四十三年、隈部大蔵はペンネームで『創価学会・公明党の破滅』および『創価学会・公明党の解明』という批判書を書き、出版しようとしていた。(略)。

隈部大蔵は、元地方紙の論説委員であったが、もう一つの顔は諜報訓練機関である陸軍中野学校の卒業生。ゲリラ戦要員養成を主とする二俣分校の3期生で、煽動・攪乱のスペシャリストでした。
隈部は周囲に隠していたが、大乗教団という日蓮宗系新興宗教の幹部でもありました。
そうした人物を新編集長に迎えた『月刊ペン』は、1976年「四重五重の大罪犯す創価学会」などといったタイトルの特集を組み、大々的な創価学会攻撃を開始したのでした。

ひとことで言って、隈部大蔵なる人物はそうとういかがわしい。
そういう人物が共著者となって書いた『邪教集団・創価学会』の中に、ドキュメンタリードラマ『狩野川物語』
が引用されていたとしても、その信ぴょう性には疑問がつくのです。

>そもそも
>獅子風蓮さんには獅子風蓮さんのスタンスがあります
>様々なブログがあって良いのではないでしょうか?
>私は
>そんな獅子風蓮さんの信仰スタンスを
>ここで紹介したかったんですよ

ありがとうございます。

真実を求めてさんへの返事でも書きましたが、

もともと私は、ゼロさんのブログに共鳴するところが多く、ゼロさんの「アンチはいろいろな考えの人がいていい」という言葉に励まされたものです。
「お婆ちゃんの御本尊」の記事のように、信仰は信仰として尊重する態度にも、共感しました。

ゼロさんには期待するところが大きいだけ、言うべきことは言っておきたいと思ったのです。

ゼロさんのブログのタイトルの下にあの2行があるせいで、ブログの価値が下がってしまうのを恐れたのです。

ゼロさんとは、対話を続けていきたいと思っています。

これからも、よろしくお願いいたします。

獅子風蓮


ゼロさんとの「対話」 その3

2021-04-26 12:50:45 | ゼロさんのブログ

●真実を求めてさんコメント(日付不明)

>獅子風蓮

獅子風蓮さんのコメント引用はじめ

私にはどうしてこうも白黒つけなければいけないのかよく分かりません。

創価学会中枢のやっていることは、会員を騙して金と票と時間を奪っていることですから、詐欺と言われてもしょうがありません。
その意味では「創価学会は宗教ではない」と私は思います。

でも、ゼロさんが最近のブログで書いていた「お婆ちゃんのご本尊様」という記事がありますが、
この記事の中のお婆ちゃんのように、「創価信仰の中でも組織活動とは距離を置いて、
純粋に信仰をされている方も」いるのです。
私の母のことは私のブログで書きましたが、戸田城聖時代に入信した狂信的な人でしたが、
それでも創価信仰の中で死んでいったことは、母にとって幸せだったと思うのです。
そういう創価学会の中にあって、組織とは別に信仰レベルで救われている人は、一定数いるわけで、
その意味では「創価学会は宗教ではない」とは、私には言い切れません。

獅子風蓮さんのコメント引用終了

もっと簡単に獅子風蓮さんのコメント短くすると

>創価学会中枢は、会員を騙して金と票と時間を奪っている詐欺です。「創価学会は宗教ではない」と私は思います。

>「創価信仰の中でも組織活動とは距離を置いて、純粋に信仰をされている方、私の母などは、信仰レベルで救われている人で、
その意味では「創価学会は宗教ではない」とは、私には言い切れません。

こんなに簡単にわかりやすく、短くいえることを長々と書いているの?
ほんといい加減にしてほしい。
獅子風蓮さんは、東大卒のお医者さんで頭のいいかたなんでしょ。

意図的に簡単なことをむつかしく説明する獅子風蓮さんのコメントは、とても迷惑です。

わかりずらい。

わかりやすく書けるんでしょ。東大卒なんでしょ。

本当に迷惑してます。
「創価信仰の中でも組織活動とは距離を置いて、純粋に信仰をされている方、獅子風蓮さんの母など、信仰レベルで救われている人、創価に疑問を持たない人をこのブログの対象になってません。

創価学会中枢のやっていることは、会員を騙して金と票と時間を奪っている、創価学会に疑問を持っている人を対象にしているブログで、創価信仰の中でも組織活動とは距離を置いて、

純粋に信仰をされている方、獅子風蓮さんの母などは、信仰レベルで救われている人は、

このブログの対象になっていないと管理人が、いってました。このようなブログの基本スタイルを理解しないでご自分の頭脳をじまんしたいなら別の場所でやってください。

たいへん迷惑です。

獅子風蓮さん、わかりましたか?

真実を求めて


●真実を求めてさんコメント(日付不明)

>獅子風蓮
対話を求めての私の質問をコピーしました。獅子風蓮さんの対話を求めての管理人さんに対する個人攻撃の理由がわかりません。長い文章を書くのは、得意なんですよね。本当に東大理科3類を卒業されてますか?ならば誰がよんでもわかりやすい文章で説明をお願いいたします。簡単な謝罪をお願いしていません。お願いしているなのは、対話を求めての管理人さんに対する個人攻撃の詳しい理由です。

真実を求めて


●獅子風蓮のコメント(日付不明)
>真実を求めてさん

>獅子風蓮さんの対話を求めての管理人さんに対する個人攻撃の理由がわかりません。

私のブログの記事。
「対話ブログにコメントをしてみました」(1)~(13)
をよく読んでみてください。

とくに「冤罪は晴れたのか?」①~⑥
を読めば、なぜ私がシニフィエさんに怒っているのか分かっていただけると思います。

要するに、私は「対話」を求めて「対話ブログ」を訪問したのに、「対話」の入り口にも入れてもらえず、最後には、HOPEさんの非公開のコメント(明らかな誤解に基づくもの)の文章を利用し、私を攻撃してきたのです。
私は、突然、ありもしない罪を着せられました。
こうして、シニフィエさんは私を冤罪に陥れたのです。
その後、HOPEさんが私の呼びかけに応じて私のブログでコメントをしてくれたおかげで、私の冤罪は晴れたわけですが……
シニフィエさんは表面上私に謝罪しましたが、こんどは悪いのは自分ではなく嘘つきのHOPEさんだと、責任をHOPEさんに押し付けました。
また、私に謝罪した後も、シニフィエさんの周囲の人は、私に悪意のこもったコメントを寄せ、シニフィエさんは、それをそのまま垂れ流しました。

本当の意味で、冤罪は晴れていなかったのです。

シニフィエさんのズルい本性を見た思いでした。

今回のSGKMKパクリ事件でも、シニフィエさんは、筆者の〇〇さんと告発者の△△さんに、表面上謝罪しておきながら、その後、ハルキが二人を侮辱するようなコメントを寄せ、シニフィエさんはそれをそのまま垂れ流しました。
お二人が本当に傷つき怒っているのは、SGKMKさん本人よりも、ハルキとシニフィエさんなのです。

その無念をゼロさんが晴らしてくれるのかと思っていたら、なんとも腰の引けた対応をしているので、ゼロさんに頑張ってほしいという思いから、ゼロさんに強い言葉をかけてしまいました。

もともと、ゼロさんのブログには共鳴するところが多く、ゼロさんの「アンチはいろいろな考えの人がいていい」という言葉には励まされたものです。
「お婆ちゃんの御本尊」の記事のように、信仰は信仰として尊重する態度にも、共感しました。

ゼロさんには期待するところが大きいだけ、言うべきことは言っておきたいと思ったのです。

ゼロさんとは、対話を続けていきたいと思っています。

真実を求めてさんは、今少し、見守っていてください。

よろしくお願いいたします。

獅子風蓮


●真実を求めてさんコメント(日付不明)

>獅子風蓮
親しき者にも、礼儀あり。 失礼な発言反省します。

書き直しました。

獅子風蓮さんが、対話を求めての管理人さんに対する個人攻撃の理由は、獅子風蓮さんのブログを読めばわかると言うので読んでみました。

以下、獅子風蓮のブログを読んでの私の感想です。


獅子風蓮さんは、対話を求めてのブログをつぶしたかった、と私は、おもいました。

そのように考えると獅子風蓮さんのこれまでの獅子風蓮さんの発言が理解しやすい。

獅子風蓮さんは、対話を求めての管理人さんに議論では、勝てない。

自分の本音を出さないように用心して、対話のブログに大量のコメントをしてコメントの邪魔をする。

人のいい管理人さんは、獅子風蓮さんのコメントを承認。

獅子風蓮さんは、図にのっていちゃもんをつける。

自殺願望のあらしもやってきて、ブログが混乱する。

獅子風蓮さんは、ここぞとばかりに管理人さんをせめまくる。

本当によくできたテレビドラマ風。

対話を求めてのブログが終了してから獅子風蓮さんの本音をだしたのは、ドン引きしました。

最後まで自分の本音を出さなければ、獅子風蓮さんの本音は、ばれなかったのに。

対話のブログの目的は、しずかに創価を離れること。

獅子風蓮さんの目的は、日蓮信仰。それも獅子風蓮さんの都合のよい日蓮解釈。

対話を求めてのブログでは、獅子風蓮さんは、その具体的な説明をされてませんね。

何故自分の説明を一切されないのですか?

その感覚、常識のなさがわたしには、りかいできません。

対話のブログがもりあがると、創価に疑問をもつ創価学会員は、創価をやめ日蓮の信仰をなくすのが大部分だと思います。

でもそうなると日蓮信仰の獅子風蓮さんに都合かわるい。

獅子風蓮さんがなぜ対話を求めての管理人を攻撃するか、

最後までハッキリとしなかったが、最高の落ちがオーヘンリの短編小説のように落ちが最後にありました。

獅子風蓮さんご自身か、対話を求めてのブログが終了したあとに本音をポロリ。

何故本音で対話を求めての管理人と対話をしなかったのか?

私には、理解できません。何故理解できないか。

自分の意見を言わない人とネット上のブログ上では、会話が不可能だと私は、かんがえるからです。

もしも可能だと獅子風蓮さんが、かんがえるのであれば、獅子風蓮さんの感覚は、非常識です。

ブログのあらしそのものです。

次に続く2

●真実を求めてさんコメント(日付不明)

signifie
2021年2月9日 23:59
また、この「対話を求めて 静かに創価学会から去るために」でお会いしましょう!みなさんそれまでお元気で!

対話を求めてのブログが終了したのが2月9日。獅子風蓮さんの本音コメントの日が2月15日

対話を求めての管理人さんから、何度もきかれても答えを拒否した獅子風蓮さん。

対話を求めてのブログが終了後に、獅子風蓮さんの本音をポロリ。

獅子風蓮さんの非常識な感覚にびっくりし、非難するのは、普通だと思います。

獅子風蓮さんは、どうおもわれますか?

獅子風蓮さんのコメント引用初め

私の自己紹介に過敏に反応する人たち 対話ブログにコメントをしてみました(12)
2021-02-15 18:19:11
テーマ:対話ブログ

獅子風蓮です。
法華講みかつのアラカン男性です。

脱会して、日蓮正宗・法華講員となるも、さまざまな理由から法華講みかつとなる。信仰は保つ。ちなみに、私は、この立場です。

どうしてみんな、対話ブログにやってきてシニフィエさんに背中を押されると、いとも簡単に信仰を捨てられるのですか。

この先、あなたやあなたの大事な人が、不治の病にかかったとき、人生の崖っぷちにたったとき、ふと題目が口に出ることはありませんか。

自分や大事な人のために題目を唱えることは、素晴らしいことだとは思いませんか。

それでもあなたは、シニフィエさんや対話ブログに集う仲間のことを思い浮かべて、必死に信仰から背を向けようとするのですか。

あるいは、シニフィエさんに背中を押されて、信仰を捨てたものの、後に鬱になったり、後悔したりすることは絶対にないと言い切れますか。

そんなとき、シニフィエさんも誰も、責任をとってくれませんよ。

獅子風蓮でした。

獅子風蓮さんのコメント引用終了

次に続く3


●真実を求めてさんコメント(日付不明)

>獅子風蓮
獅子風蓮さんの本音を最初出せないのは、何故?

管理人さんとの議論が怖かったからだとおもいます。

獅子風蓮さんの本音を対話を求めてのブログ終了後に出したのは、何故?

対話を求めてのブログを獅子風蓮さんがつぶしたい。最初に、獅子風蓮さんの意見を言うと獅子風蓮さんの計画が頓挫すると獅子風蓮さんが考えたと私は、思います。

私の感想になりますが、
獅子風邪蓮さんの対話を求めてのブログでの居場所はないとおもわれます。

これからずっと獅子風蓮さんは、非難され続けられたままになるとおもいます。

獅子風蓮さんの反論する場所は、限られています。ゼロさんのブログでの機会で説明したほうが多くの人の目に触れるし疑惑をはらす絶好のチャンスだとおもわれます。

創価アンチブログの向かう敵は極悪創価だとおもいます。

獅子風蓮さんが、対話を求めての管理人さんを攻撃するとする獅子風蓮さんの正当な理由が、わかりません。

正当な理由があるのですか?

次に続く4


●真実を求めてさんコメント(日付不明)

>獅子風蓮
獅子風蓮さんのブログの獅子風蓮さんの明確で、わかりやすいコメントをよんで疑惑が確信にかわりました。

繰り返しますが 、


獅子風蓮さんが対話を求めての管理人さんを攻撃する理由は、以下に示す、獅子風蓮さんの発言だと私は、おもっています。

獅子風蓮さん本人の言葉ですので嘘はないと思うし、獅子風蓮さんが、自分にたいする疑惑の説明するのも可能だと思います。

獅子風蓮さんは、対話を求めてのブログのしずかに創価を離れるとする目的と対立する発言をされています

違うというのであれは、分かりやすく説明をお願いいたします。

簡単な謝罪をお願いしていません。誰もかわかる、具体的でわかりやすいせつめいお願いいたします。

どんなにながくてもokです。

ご自身のことばで説明してください。

簡単なコピーですませることは、やめてくださいね。

宜しくお願いいたします。

獅子風蓮さんの発言、引用初め

どうしてみんな、対話ブログにやってきてシニフィエさんに背中を押されると、いとも簡単に信仰を捨てられるのですか。

この先、あなたやあなたの大事な人が、不治の病にかかったとき、人生の崖っぷちにたったとき、ふと題目が口に出ることはありませんか。

自分や大事な人のために題目を唱えることは、素晴らしいことだとは思いませんか。

それでもあなたは、シニフィエさんや対話ブログに集う仲間のことを思い浮かべて、必死に信仰から背を向けようとするのですか。

あるいは、シニフィエさんに背中を押されて、信仰を捨てたものの、後に鬱になったり、後悔したりすることは絶対にないと言い切れますか。

そんなとき、シニフィエさんも誰も、責任をとってくれませんよ。

獅子風蓮でした。

獅子風蓮さんのコメント引用終了


獅子風蓮さんは、日蓮信仰だと公言していますが、本当ですか?

日蓮さんの教え

智者に我義やぶられずば用いじとなり

日蓮さんの教えをしんじるといいながら自分の意見も堂々と言えないとなると、日蓮信者の面汚れとおもいます。

獅子風蓮さん、日蓮信仰のほこりを行動で示してください。

宜しくお願いいたします。。


●真実を求めてさんコメント(日付不明)

>獅子風蓮
創価アンチと言っても、みんな同じでは、ありません。

私は、対話を求めての管理人さんと同じ考えですが、獅子風蓮さんのように日蓮信仰のかたがいてもいいとおもいます。


全体主義の社会ではないのですから。

獅子風蓮さんが、対話を求めてで議論したいなら、どんどんやればいいと想います。

議論ずきな方は、たくさんいてたいへんだとおもいます。

獅子風蓮さんの手におえないとおもいますが、私は、獅子風蓮さんをとめたいとは、全然おもいません。


●獅子風蓮のコメント(2021-02-26 17:37:23)

真実を求めてさん

>獅子風蓮さんが、対話を求めての管理人さんを攻撃するとする獅子風蓮さんの正当な理由が、わかりません。
>正当な理由があるのですか?

繰り返しになりますが……
私のブログの記事。
「対話ブログにコメントをしてみました」(1)~(13)
をよく読んでみてください。
とくに「冤罪は晴れたのか?」①~⑥
を読めば、なぜ私がシニフィエさんに怒っているのか分かっていただけると思います。

要するに、私は「対話」を求めて「対話ブログ」を訪問したのに、「対話」の入り口にも入れてもらえず、最後にはシニフィエさんは、HOPEさんの非公開のコメント(明らかな誤解に基づくもの)の文章を利用し、私を攻撃してきたのです。
私は、突然、ありもしない罪を着せられました。
こうして、シニフィエさんは私を冤罪に陥れたのです。
その後、HOPEさんが私の呼びかけに応じて私のブログでコメントをしてくれたおかげで、私の冤罪は晴れたわけですが……
シニフィエさんは表面上私に謝罪しましたが、こんどは悪いのは自分ではなく嘘つきのHOPEさんだと、責任をHOPEさんに押し付けました。
また、私に謝罪した後も、シニフィエさんの周囲の人は、私に悪意のこもったコメントを寄せ、シニフィエさんは、それをそのまま垂れ流しました。
シニフィエさんは、私にいわれなき罪を着せたことを認めて謝罪をしたわけでないのです。

本当の意味で、冤罪は晴れていなかったのです。

シニフィエさんのズルい本性を見た思いでした。

今回のSGKMKパクリ事件でも、シニフィエさんは、筆者の〇〇さんと告発者の△△さんに、表面上謝罪しておきながら、その後、ハルキが二人を侮辱するようなコメントを寄せ、シニフィエさんはそれをそのまま垂れ流しました。
お二人が本当に傷つき怒っているのは、SGKMKさん本人よりも、ハルキとシニフィエさんなのです。

>日蓮さんの教えをしんじるといいながら自分の意見も堂々と言えないとなると、日蓮信者の面汚れとおもいます。
>獅子風蓮さん、日蓮信仰のほこりを行動で示してください。


真実を求めてさんが何に怒っているのかよく分かりません。
私は、いつも自分の意見を、その都度その都度、誠実に言っているつもりです。

私は、対話ブログでも、シニフィエさんに「個人の信仰に敬意を払ってほしい」と何回もお願いしています。
別に、対話ブログが休止になったのを見計らって、自分のブログで自分の主張を述べたというわけではありません。
私が自分の主張を述べたくても、あの時点で、対話ブログは休止していたのです。
べつに私が対話ブログを休止に追い込んだわけではなく、あくまでシニフィエさんご自身の判断で休止になったわけです。

私は、対話ブログのみんなと仲良く情報交換したかっただけなのです。
けっして、対話ブログを潰す目的で近寄ったわけではありません。

しかし、あまりに理不尽なシニフィエさんとその周囲の人々の振る舞いに、おかしな構造に気づいてしまったのです。
まるで、みなさんのやっていることは、創価学会の座談会やセミナーで、新来者を取り囲んで、言葉を浴びせかけ、入信を迫るやり方にそっくりだということを。
それまで、日蓮仏法を捨てきれなかった人が、脱会して、創価学会とも日蓮正宗とも縁を切るようになると、みんなで拍手喝采する。
それは、創価学会における、新来者の本尊流布をみんなで祝う姿の裏返しのように思えました。

このへんのことは私のブログ「私の自己紹介に過敏に反応する人たち 対話ブログにコメントをしてみました(12)」に書きましたので、繰り返しません。

この辺でいいでしょうか。

まだご不満でしたら、ひとつづつ、ご指摘ください。

よろしくお願いいたします。

獅子風蓮


●真実を求めてさんコメント(2021-02-27 21:08:22)

>獅子風蓮
繰り返しますが 、
獅子風蓮さんが対話を求めての管理人さんを攻撃する理由は、以下に示す、獅子風蓮さんの発言だと私は、おもっています。

獅子風蓮さん本人の言葉ですので嘘はないと思うし、獅子風蓮さんが、自分にたいする疑惑の説明するのも可能だと思います。

獅子風蓮さんは、対話を求めてのブログのしずかに創価を離れるとする目的と対立する発言をされています。

違うであれは、分かりやすく説明をお願いいたします。

簡単な謝罪をお願いしていません。誰もかわかる、具体的でわかりやすいせつめいお願いいたします。


獅子風蓮さんの発言、引用初め

どうしてみんな、対話ブログにやってきてシニフィエさんに背中を押されると、いとも簡単に信仰を捨てられるのですか。

この先、あなたやあなたの大事な人が、不治の病にかかったとき、人生の崖っぷちにたったとき、ふと題目が口に出ることはありませんか。

自分や大事な人のために題目を唱えることは、素晴らしいことだとは思いませんか。

それでもあなたは、シニフィエさんや対話ブログに集う仲間のことを思い浮かべて、必死に信仰から背を向けようとするのですか。

あるいは、シニフィエさんに背中を押されて、信仰を捨てたものの、後に鬱になったり、後悔したりすることは絶対にないと言い切れますか。

そんなとき、シニフィエさんも誰も、責任をとってくれませんよ。

獅子風蓮でした。

獅子風蓮さんのコメント引用終了

対話を求めての管理人さんは、何度も、何度も、何度も、獅子風蓮さんのかんがえを理解しようと質問しています。

その質問の答えを保留して、質問から逃げ回ったのは、獅子風蓮さんでした。

獅子風蓮さんの上記の発言は、おもいのです。対話を求めてのブログで獅子風蓮さんの上記の発言する機会は、十分ありました。

また私が、獅子風蓮さんの発言の真意を質問しているのに、何故獅子風蓮さんの発言の説明が一切ないのですか?

ご自身の発言に責任を持てないのですか?

日蓮さんは、打首の場で、これほどの喜び、わらえかしといっています。


獅子風蓮さんは、日蓮信仰なんでしょ。

日蓮さんなら、ズバリ答えるとおもわれます。

日蓮さんなら。

●真実を求めてさんコメント(2021-02-28 16:30:23)

獅子風蓮さんの対話を求めてのブログのコメントを引用

真剣に祈ることは、自身の免疫系を賦活することにもつながり、それは無意味だとは思いません。
創価学会にも日蓮正宗にも、教義的な誤りを見つけることはたやすいですが、信仰の対象を与えてくれたことに、感謝しています。 と、書きました。

最後の一文が良くなかったのですね。
私の場合、「このご本尊に祈る以外に正しい信仰はない」とは思っていません。
たまたま私の家には日蓮正宗の御本尊があり、それは創価学会や日蓮正宗が存在しなければ、私とご縁がなかった存在です。
困難にぶつかった時に、祈る対象を与えてくれた、それ一点のみにおいて、創価学会にも日蓮正宗にも感謝している、という気持ちを書いただけですが、このブログに集まる人には不愉快な一言でしたね。
シニフィエさんがこのブログを立ち上げたコンセプトとしては、たしか「個々人の信仰は自由だ。しかし、創価は詐欺だから、創価の組織から離れなさい」ということだったと思うのですが……

もし私の一言が不愉快でしたら、お詫びします。

獅子風蓮でした。

引用終了

と獅子風蓮さんは、対話を求めてのブログの人に上手いこといいながら、本音は、

次に続く


●真実を求めてさんコメント(2021-02-28 17:33:10)

対話を求めてのブログの終了後の獅子風蓮さんのご自身のブログ発言、引用初め

どうしてみんな、対話ブログにやってきてシニフィエさんに背中を押されると、いとも簡単に信仰を捨てられるのですか。

この先、あなたやあなたの大事な人が、不治の病にかかったとき、人生の崖っぷちにたったとき、ふと題目が口に出ることはありませんか。

自分や大事な人のために題目を唱えることは、素晴らしいことだとは思いませんか。

それでもあなたは、シニフィエさんや対話ブログに集う仲間のことを思い浮かべて、必死に信仰から背を向けようとするのですか。

あるいは、シニフィエさんに背中を押されて、信仰を捨てたものの、後に鬱になったり、後悔したりすることは絶対にないと言い切れますか。

そんなとき、シニフィエさんも誰も、責任をとってくれませんよ。

獅子風蓮でした。

獅子風蓮さんのコメント引用終了

対話を求めてのブログでの獅子風蓮さんのコメント引用

信仰の対象を与えてくれたことに、感謝しています。 と、書きました。

最後の一文が良くなかったのですね。
私の場合、「このご本尊に祈る以外に正しい信仰はない」とは思っていません。

引用終了

他方、獅子風蓮さんご自身のブログは、本音で日蓮信仰を捨てるなと訴えています。

これってダブルスタンダードな発言です。

獅子風蓮さん、みなさんがみてます。納得できる説明を宜しくお願いいたします。

獅子風蓮さんのコメント引用
初め

私の言葉や存在で動揺するような「覚醒」など、本物の「覚醒」とは言えません。

シニフィエさんのセオリーをバージョンアップするためにも、私との真剣な「対話」が役立つはずでした。

__相手の信仰と信仰の対象に対する最低限の敬意ははらってほしい。

私が投げかけたボールは、けっこう重要なものだったのです。

シニフィエさんは、正々堂々と「対話」でもって、私に打ち返してきてほしかったと思います。

獅子風蓮でした。

自分と他人に対しては、誠実に、ウソをつかないで生きていきたい。
それがおくればせながら、最終的に、私のたどり着いた、倫理的な生き方です。

獅子風蓮でした。


獅子風蓮さんのコメント引用終了

獅子風蓮さんは、たしか日蓮さんの次に言葉も好きだと発言さられています。

智者にわが義やぶれずば用いず。

言論戦は、得意なんですよね。

納得できる説明を宜しくお願いいたします。