獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

村木厚子『私は負けない』第一部 終章 その2

2023-05-15 01:03:16 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
■終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


身柄拘束は慎重を期して

もう一つ、とても大事なのは、身柄拘束の問題です。検察官が「逃亡の恐れ」「罪証隠滅の恐れ」があると言えば、裁判所はほとんどのケースでそれを受け入れて、勾留を認めてきました。私の場合も、「マスコミに追われて逃亡する恐れがある」などと言って、保釈がなかなか認められませんでした。そして、上村さんの例でも分かるように、それが事実と異なる調書を作ることに利用されてしまっています。これは、検察だけでなく、裁判所の問題でもあります。
こんなニュースがありました。神戸地裁尼崎支部で、スーパーで566円相当のミカンなどを万引きしたとして窃盗で起訴された被告人に懲役1年が言い渡された判決で、裁判官がうっかり刑期から未決勾留日数として20日を差し引いてしまったのです。この被告人は身柄拘束されていなかったのに、勾留されていた期間から20日間は服役したものとみなす、という判断をしてしまったのです。
この程度の微罪で実刑ですから、同じような前科がいくつもあったのでしょう。そういう人なのだから、身柄拘束がされていて当然、という感覚が、裁判官の中にあったのではないでしょうか。それくらい、身柄拘束が当たり前のことになっているのです。
法制審の会議で、被疑者の身柄拘束は必要最小限でやっている、裁判所は適正に判断している、と言う専門家もいらっしゃいますが、果たしてどうでしょう。
「基本構想」では、「被疑者勾留の期間が原則10日と短期間に限られている」と書かれていましたが、これにも疑問を感じます。私は逮捕翌日、取り調べの検察官に、勾留期間は20日だと告げられました。勾留が認められる期間は、原則は10日で、「やむを得ない事由があると認めるとき」に限って、最大10日の延長が認められるのが法律の建前ですが、現場では、逮捕されたら20日の勾留は覚悟しなければならないのが実態です。
しかも上村さんの場合は、一連の事件であるにもかかわらず、検察は虚偽の稟議書と証明書を分けて立件し、それぞれで20日間、合わせて40日間の勾留がなされました。
制度は、建前通りに運用されてはいないのです。勾留について、もう少しまともなルール作りと、それを適切に運用する仕組みが必要だと思います。
もちろん、人々の安全を守ったり、犯罪の摘発は大切です。そのために、通信傍受や司法取り引き的なことが必要だということも、法制審で議論されています。私は、きちんとしたルールを作り、手続きが透明化されるのであれば、新しい手法を取り入れてもいいと思います。今までのように、誰の目も届かない密室の中で、保釈などを巡って取り引き的なやりとりをするのではなく、すべて可視化された中であれば、それが問題のあるものか適正な交渉であるか、裁判官が後から確認することが可能だからです。

 

引き返せる検察になってほしい

冤罪は、疑われた本人だけでなく、その周囲の人たちにも、大変な影響を及ぼします。私も夫と二人の娘には大変な負担をかけました。両親にも本当に親不孝をしてしまいました。私の父は心配のあまり胃潰瘍を患いました。母は、判決から1年もたたずに亡くなりましたが、娘の無実を信じながら過ごす日々の心労は、いかばかりだったかと思います。夫の父も、わざわざ北海道から拘置所に面会に来てくれました。高齢の親たちに心配をかけたことは、とても辛かった。冤罪は家族にも重い荷を背負わせてしまうのです。
私が冤罪を晴らして社会に復帰できたのは、私が無実だったから、だけではありません。 幸運だったからです。無罪になるのは、優秀な弁護人やよい裁判官に巡り合うなど、いくつかの条件が重ならなければ難しいのです。やってもいない罪に問われた時、運を頼みにしなければならないのでは、法治国家としてあまりに残念です。普通に適正な手続きを行えば、無実の者の嫌疑が速やかに晴れるような、冤罪ができる限り防げるような、そんな仕組みが必要ではないでしょうか。
職場復帰をして間もなく、友人が集まる会合がありました。検事をやっているH氏が、わざわざ私の隣の席に座って、「申し訳ない」と頭を下げました。いろいろな話をしているうちに、彼が、息子も検事になったんだが、今度の事件を見て、検事をやめると言い出したんだと話してくれました。「どうか、息子さんに検事をやめないでと伝えてください。 検察からいい人がどんどんやめてしまうようになったら国民が困るんだから」と話しました。
事件の後、何人かの現役、あるいは元検事総長とお話をする機会を得ました。元特捜部長とも話しました。皆さんが、深く謝られたのはもちろんですが、みんなから異口同音にこうお礼を言われたのには驚きました。「こんなことを言うのは失礼だとわかってはいるが、ありがとう。こういうことがなければ、検察は変われなかった」と。考えてみれば、検察は常に巨悪と闘うことを期待され、また、常に「間違うことは許されない」というプレッシャーの下で仕事をしています。警察もまた同じです。どんなに一人ひとりがモラルを高く保とうと努力しても、こうしたプレッシャーの下、今の制度のままでは、無理な取り調べをし、事実とかけ離れた供述調書を作り、間違いに途中で気づいても、けっして引き返さない、そんなことがまた繰り返されるでしょう。そういうことができない、そういうことをしなくて済む制度を作る必要があります。その意味で、法制審の議論は本当に重要です。委員として最善を尽くしたいと思って います。
制度改革をし、それを実行に移す、そしてその効果を検証する、これから長い道のりです。夫の言う「得難い経験だけど、二度と味わいたくない経験」をした人間としてこのプロセスに関わっていかなくてはと思っています。これも、すぐに「勝てる」戦いではないでしょう。でも、私は私なりに、粘り強く、負けないための戦いを続けていこうと思います。そして、検察が国民からの信頼を取り戻すための努力を続けていくことを願い、それをこれからもしっかり見守っていきたいと思います。


解説】】
事件の後、何人かの現役、あるいは元検事総長とお話をする機会を得ました。元特捜部長とも話しました。皆さんが、深く謝られたのはもちろんですが、みんなから異口同音にこうお礼を言われたのには驚きました。「こんなことを言うのは失礼だとわかってはいるが、ありがとう。こういうことがなければ、検察は変われなかった」と。考えてみれば、検察は常に巨悪と闘うことを期待され、また、常に「間違うことは許されない」というプレッシャーの下で仕事をしています。警察もまた同じです。どんなに一人ひとりがモラルを高く保とうと努力しても、こうしたプレッシャーの下、今の制度のままでは、無理な取り調べをし、事実とかけ離れた供述調書を作り、間違いに途中で気づいても、けっして引き返さない、そんなことがまた繰り返されるでしょう。そういうことができない、そういうことをしなくて済む制度を作る必要があります。

ここは、胸に刺さります。
硬直した組織を変えるためには、誰かが声を上げなくてはいけない。


さて、官僚化して硬直した現在の創価学会上層部の意識を変えるためには、誰がどういう行動を取ることが必要とされているのでしょうか。
私など、へなちょこ脱会者にすぎないので、いくらこんなブログを書いても、たいした力にならないことは承知しています。
しかし、私のブログが、少しでも良心的な幹部の心に届き、創価学会組織が風通しのいい正直な組織に変わればいいなと思っています。


このシリーズは、これで終了です。

村木厚子『私は負けない』の残りの部分に関心のある方は、ぜひ購入してお読みになることをお勧めします。

 

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』第一部 終章 その1

2023-05-14 01:57:50 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
■終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


■終 章 信じられる司法制度を作るために

 

法制審議会の委員に

こうして私自身の事件は一つの区切りを迎えましたが、これとは別に、私は、大きな役割を与えられることになりました。
職場復帰から半年ほどたった2011年4月、岡崎トミ子議員から「江田五月(えださつき)法務大臣が、あなたに会いたいと言っているから、私の事務所まで来て」と電話がありました。何事かと大急ぎで事務所まで行ってみると岡崎議員ご本人は不在。不思議に思いながらしばらく待つと法務大臣が秘書官だけを連れて入ってこられました。そして、法務大臣の諮問機関である法制審議会の特別部会「新時代の刑事司法制度特別部会」の委員になってほしい、と言われたのです。当初は迷いました。私の場合、たまたま巻き込まれただけで、刑事司法の分野については素人です。役人が自分の職務と関係のない他省の審議会の委員になるというのも異例です。でも、夫から「君の役割だ」と励まされ、制度の改革には実際に経験した者の声が必要だと思って、お引き受けしました。後で打ち合わせにこられた法務省の官房長は、「いやあ、僕らも村木さんを検察官研修の講師に呼ぶことまでは思いついたけど、さすがに審議会の委員にするというのは思いつきませんでしたよ」と笑っていました。
特別部会は、委員26人、幹事14人の大所帯。法学者、警察・検察関係者、裁判官、弁護士という刑事司法の専門家がほとんどです。その中に、経済団体、労働組合、犯罪被害者、マスコミを代表する形でそれぞれ1名、それに映画監督の周防正行(すおまさゆき)さんと私がいわば非専門家として加わっています。また、部会長も本田勝彦さんで財界出身の方です。このメンバーの中で、刑事裁判の被告人だったり、拘置所に長期間入ったことのあるのはおそらく私だけだろうと思 います。

 

可視化と全面的な証拠開示を

議論の一番の焦点はやはり可視化の問題でした。これについては、原則、すべての事件、全過程を録音・録画すべきであるという意見がある一方で、録音・録画にきわめて消極的な意見もありました。証拠開示、身柄拘束についても、今の制度を変えるべきかどうかで激しい議論がありました。また、通信傍受の拡大、刑の減免制度の導入などの証拠収集手段の強化策や、犯罪被害者や証人を保護する方策など様々なテーマで幅広い議論が行われました。この分野の知識のまったくない私の「素朴な疑問や意見に専門家の方々が忍耐強く答えてくださったことに心から感謝しています。
会議は、11年6月29日に始まり、17回の議論を重ねたところで、「時代に即した新たな刑事司法制度の基本構想」と題する中間報告の案が提示されました。これを見て、私はがっかりしました。それは、可視化について、次の二つの案が書かれていたからです。
①裁判員制度対象事件の身柄事件を対象とし、一定の例外事由を定めつつ、原則として、被疑者取調べの全過程について録音・録画を義務付ける。
②録音・録画の対象とする範囲は、取調官の一定の裁量に委ねるものとする。
可視化とは、取り調べの全過程を録音・録画などにより記録して、後で検証することができるようにすることです。①は可視化の制度化に反対はしないが、始めるならもっとも限定的で小さな制度で、という人たちの意見であり、②は可視化の制度化には反対する人たちの意見です。原則としてすべての事件で可視化を行うべきだという人や、できるだけ広い範囲の事件で行ってほしいという人の意見は、そこには反映されていませんでした。
さすがに、この当初の案には反対が相次いだため、①案は「一定の例外事由を定めつつ、原則として、被疑者取調べの全過程について録音・録画を義務付ける(対象事件については、裁判員制度対象事件の身柄事件を念頭に置いて……〔作業分科会での検討を踏まえ〕 更に当部会でその範囲の在り方についての検討を加えることとする)」と改められました。
そもそも裁判員裁判の対象となる事件は、起訴された全事件のうち3パーセントほどです。
裁判員裁判対象事件だけで可視化をしようとすれば、私の事件も、4人を誤認逮捕し2人に虚偽の自白をさせてしまったPC遠隔操作事件も対象になりません。このように、録音・録画が「例外的」になる状況では、調書や取り調べへの過度な依存を是正することにはなりません。
まして、対象範囲を取調官の裁量に委ねるのでは、捜査する側が記録したい場面だけを記録することになり、不正な取り調べの抑止力になるという可視化の効果は発揮できないでしょう。すべての警察や検察庁に必要なだけ録画機器を揃えるのは、財政上の負担が大きいという意見もありますが、それなら、制度導入当初は録音のみでもよい、としたらどうでしょう。録音なら簡単にできます。参考人の事情聴取も録音をすればいい。そして、徐々に録画の設備を整えていけばいいと思います。
もう一つ、検察官による取り調べの録音・録画をまず先行して制度化するという代替案も法制審の中で出されています。検察官の作成した供述調書は、いわゆる二号書面ということで、「特信性」があれば証拠として採用されるのでとりわけ重要です。このとき、録音や録画が残されていないと、片方で被告人や証人が「ひどい取り調べで、不本意な調書を作られた」と言い、片や検察官が「いやいや、ちゃんと取り調べた」と言った場合、裁判官はどうやって判断するのか、ということになります。取り調べは密室で行われ、何の証拠もありません。まさか、どちらの人相が悪そうか、で判断するとは思いませんが、こうしたケースで、常に正しく判断できていると断言できる裁判官はいるでしょうか。これまで、裁判官は公務員である検事の方を信じる可能性が圧倒的に高かった、と言われます。 その結果、裁判所が判断を間違えてしまったケースもあるのではないでしょうか。
やはり録音・録画は、できるだけ広い範囲の事件で、取り調べの全過程について行う必要があると思います。「あるべき姿は、全事件、全過程」という考え方を出発点に議論を進めてほしいと切に願っています。
冤罪は、警察官や検察官が作ろうとして作ってしまうわけではなく、正義感をもってまじめに役割を果たそうとした結果でもあります。そういうまじめな人たちですから、いったん制度ができれば、それに最適な取り調べ技術を習得するなど、捜査の能力はむしろ高まると、私は信じています。
それから、証拠開示の問題があります。私の事件では、フロッピーのプロパティなど、いくつかの客観証拠が、無罪を裏付けてくれました。郵便不正事件は証明書の偽造事件ですから、その証明書を作った際のフロッピーはもっとも基本的な客観証拠です。でも、今の刑事司法制度では、このフロッピーを検察がなかったものにしてしまうことができます。
弁護団が、フロッピーが存在し、これを捜査機関が押収しているということを知るすべはありません。そして今回のように持ち主に返されてしまった場合は、仮に弁護団が証拠請求しても「存在しない」として開示されません。結局フロッピーは証拠として裁判に提出されませんでした。たまたま今回は、うっかり紛れ込んだ一通の捜査報告書が私を救ってくれたのです。検察は、被告人に有利な証拠を出さないことができるのです。
口利き依頼を受けたとされる日に、石井一議員がゴルフに行っていたことを示す客観証拠も、検察は自ら開示しようとはせず、弁護団の追及にあって、しぶしぶ出してきました。証拠改竄にしても、前田元検事の証言によれば、検察側のストーリーと矛盾する証拠を弁護側に渡したくない、ということが出発点でした。
検察に都合の悪い証拠が隠されたりすることなく、そうした証拠が弁護側に公正に開示されるような仕組みが必要だと思います。

 


解説
議論の一番の焦点はやはり可視化の問題でした。これについては、原則、すべての事件、全過程を録音・録画すべきであるという意見がある一方で、録音・録画にきわめて消極的な意見もありました。

冤罪を防ぐためには、私もすべての事件・全過程を録音・録画すべきだと思います。

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』第一部第4章 その2

2023-05-13 01:31:50 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
■第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに

 


期待はずれの検証報告

事件については、証拠改竄などの刑事事件の捜査とは別に、最高検が検証を行うということでしたので、期待をしていました。問題が起きた時に、組織が自ら事実を解明し、問題の所在を明らかにすることはとても大切ですし、検察も国民の信頼を回復するためにはしっかりした検証を行うだろうと思っていました。
それだけに、12月24日に公表された検証結果報告書を実際に見た時には、落胆しました。私についての逮捕、起訴、公判遂行の各段階における判断の誤りについては率直に認めていただきました。前田元検事による証拠改竄の経緯も、ある程度明らかになりました。しかし、肝心なところに、まったく触れられていません。
この事件に私は関与していませんし、関与をうかがわせる客観的証拠もまったくなかったのに、私が関与したとする事実に反する供述調書が大量に作成されました。裁判所が特信性を否定したり、信用性がないと判断する証拠がたくさん作られたのです。検証報告では、そうした取り調べの実態、すなわち、多数の検事により事実と異なる一定のストーリーに沿った調書が大量に作成された過程そのものは、まったく検証されませんでした。
取り調べの実態を解明するには、容疑者や参考人として取り調べを受けた側の人たちから事情を聴く必要があったと思います。私自身も検証への協力は惜しまないつもりでした。しかし、最高検からの接触は一切なく、事情を説明する機会もいただけませんでした。取り調べを行う検察官からのみ話を聞いて、それを元にどのような取り調べが行われたのかを判断したのであれば、不十分で偏った検証に終わってしまったと言わざるをえません。犯人の言い分だけ聞いて、被害者から一度も事情を聴かないなんて、そんな捜査がどこにあるでしょうか。
たとえば、捜査線上に最初に私の名前が浮かんだきっかけとして、検証報告書は倉沢さんの供述を挙げています。問題の証明書に押されている企画課長印は本物なので、厚労省内の者が関与している可能性が出てきて、それについて倉沢さんを調べたそうです。そうしたら、04年2月25日頃に私に会って証明書発行を頼んだこと、彼の目の前で私が郵政公社東京支社長に電話をしたこと、6月初めに再度発行を私に頼んだこと、そして私から直接証明書をもらったことを供述した、というのです。そして、こう書いてあります。
〈倉沢の供述については、検察官が村木氏に対する具体的な嫌疑を抱く前の段階で、本件犯行への村木氏への関与に関する供述を始めたもの〉
検察官から何の誘導も圧力も取り引きもなく、誤解を招くような情報提供もないのに、倉沢さんが自発的に虚偽供述を始めたかのような書きぶりです。果たして、そのようなことがありえるのでしょうか。
取り調べが録音されず、メモも廃棄されているので、残念ながら客観的事実から確認することはできません。そうであれば、取り調べた検察官の話で事実を認定するのではなく、どのようにしてその供述がなされたのか、せめて倉沢さんやその弁護人に話を聞き直して、併記する必要があるでしょう。
上村さんが私の関与を述べた供述については、次のような評価です。
〈逮捕後早期の段階で、村木氏の指示を認める供述調書が作成されるに至り、連日弁護人の接見がなされている中、その後もおおむね一貫した内容の供述調書が作成されていた〉
調書が作成された後、客観証拠であるフロッピーディスクとの矛盾を置き去りにしたとか、犯行の理由や動機についての検討が足りなかったなどという指摘はありますが、そもそもなぜ、そのような調書ができてしまったのかについての検証がなされていません。國井検事の「多数決」発言についても、裁判の経緯を説明する中で、上村さんと國井検事の公判での証言を両論併記しているだけです。
上村さんについては、こんな記載もあります。
〈上村の弁護人は、ほぼ連日、上村と接見していたが、大阪地検に対し、取調べに関する苦情等の申入れはなされなかった〉
弁護人が、苦情を申し入れられなかったのはなぜなのか、最高検はまったく聞いていません。自分たちにとって都合の悪いことは聞かず、都合の悪い証拠は挙げず、都合のいいものだけで組み立てて、問題をできるだけ小さく見せようとしているように見えてなりません。結果的には間違ったが、仕方なかった事情もたくさんある、という弁解が聞こえてくるようでした。また、大坪元特捜部長や前田恒彦元検事の仕事の進め方に大きな問題があったことはよく分かりましたが、そうした幹部を育ててきた組織の風土・文化、そうした仕事の進め方を許してきた組織の機能の在り方などが十分検証されていないのも残念でした。
普通、問題が起きたときに行う検証というのは、まず事実を明らかにして、原因を突き止めて、それに対する改善の提言を行うはずです。それがなされることで、改革が行える。ところが、最高検の検証では、肝心のところでそれができていませんでした。 元判事、 元検事、弁護士という3人の法律家が検証アドバイザーを務められ、いろいろ意見を言ってくださったようですが、それでもこういう結果でした。

 

国を相手に裁判をする

どうして私が逮捕されたのか、検察はなぜ間違えたのか、なぜ引き返せなかったのか、それをどうしても知りたい。検証報告書に失望した私は自分で裁判を起こして、事実の解明に努めようと思いました。国家賠償請求訴訟を起こすことを決めたのです。
私自身も国家公務員ですし、裁判は費用もかかることなので、国を相手に裁判を起こすかどうか、ためらいがなかったわけではありません。それでも、なぜ、どのようにして検察は私をターゲットにしたのかが、知りたかったのです。今回の問題に大きくかかわっていながら、責任を問われることのないままになっている人たちもいて、納得がいかない気持ちもありました。12月27日に、国だけでなく、前田、大坪両元検事に加え、國井検事を訴える裁判を提起しました。
冤罪事件に巻き込まれた人が、国賠訴訟を起こしても、まず勝てないというのが実情だ、と弁護団からは聞いていました。再審で無罪となった元死刑囚が起こした裁判ですら、敗訴しています。でも、私の目的は、裁判に勝つことではありませんでした。裁判の過程で、前田元検事や國井検事らに、直接事実関係を確かめるための裁判でした。自分がなぜ、どのようにターゲットにされたのかを調べる手段は他になかったのです。この私の思いを応援してくださる弁護団は、「負けたら費用はいらない」と、事実上手弁当でやってくださることになりました。提訴して10ヵ月ほどたったころ、弘中弁護士から、暗い声で「国が認諾するっていうんだ」と連絡がありました。「認諾」、初めて聞く言葉です。一切の弁明をせず、私の言い分を認めて賠償金を払って裁判を終わりにする、というのです。したがって、検事たちに対する証人調べもありません。支払われるお金の原資は税金です。請求金額を1億円とか10億円とか、財務省が認諾を許してくれないような額にしておけばよかったのかもしれません。でも、弁護団のこれまでのやり方は、常識的にやるというのがスタンスで、そのような現実離れした請求をすることは考えていませんでした。
国の認諾によって、私が真相を追及する手段はなくなりました。本当にがっかりしました。賠償金は、弁護士費用などの実費を除いて、社会福祉法人の南高愛隣会というところに寄付することにしました。私の気持ちを汲んで、障害のある方々の取り調べや裁判、累犯障害者(障害があるがゆえに何度も犯罪を繰り返している障害者)の社会復帰など、日の当たりにくい分野に取り組むための基金が設立されました。私が巻き込まれたのは、障害のある人にかかわる事件でしたし、そこで刑事司法の問題点が明らかになったので、賠償金はこの二つの領域にまたがる場で使ってもらおうと思いました。
取り調べや裁判で、自分の主張を分かってもらうのは、ハンディのない私でもとても難しかった。ハンディのある人の場合は、なおさら困難でしょう。そういう人たちを支援する人が必要だと、自分の経験を通して強く感じました。
障害がある人もない人も地域社会の重要なメンバー。共に生きる社会を目指したいと思い、「共生社会を創る愛の基金」と名付けました。

 

 


解説
どうして私が逮捕されたのか、検察はなぜ間違えたのか、なぜ引き返せなかったのか、それをどうしても知りたい。検証報告書に失望した私は自分で裁判を起こして、事実の解明に努めようと思いました。国家賠償請求訴訟を起こすことを決めたのです。(中略)
提訴して10ヵ月ほどたったころ、弘中弁護士から、暗い声で「国が認諾するっていうんだ」と連絡がありました。「認諾」、初めて聞く言葉です。一切の弁明をせず、私の言い分を認めて賠償金を払って裁判を終わりにする、というのです。したがって、検事たちに対する証人調べもありません。支払われるお金の原資は税金です。請求金額を1億円とか10億円とか、財務省が認諾を許してくれないような額にしておけばよかったのかもしれません。でも、弁護団のこれまでのやり方は、常識的にやるというのがスタンスで、そのような現実離れした請求をすることは考えていませんでした。
国の認諾によって、私が真相を追及する手段はなくなりました。本当にがっかりしました。

国は、責任を追及されそうな裁判については「認諾」という手段を使うのですね。
支払われるお金の原資は税金です。
国は、なんの痛みを感じることなく、責任追及から逃げることができます。

そういえば、森友学園問題のとき、犠牲となった赤木さんの奥さんが、夫の自死の責任を問う民事訴訟を起こしたときも、国は「認諾」することで、逃げました。
遺族の気持ちにそうために、真摯に問題に向かい合うべきだったと思います。

 

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』第一部第4章 その1

2023-05-12 01:47:58 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
■第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに

 


■第4章 無罪判決、そして……

 

基本に忠実な判決

判決の前に、裁判所から弁護団に問い合わせがありました。
「無罪の垂れ幕は出すんでしょうか」
まだ、判決を聞いていないのに、もう無罪認定していると、みんなで大笑いしました。支援してくださった方たちからは、(垂れ幕を)やってください」という声もありましたが、うちの家族は大反対。速やかに却下となりました。
2010年9月10日、法廷で、「被告人は無罪」という裁判長の声を聞いた時、心臓が大きく一つ鼓動しました。特別な感動がこみ上げてくるわけではなく、こういう時には体で感じるものなのだな、と思いました。
もちろんほっとしました。でも、大喜びというわけではありませんでした。これで喜んでしまっていては、控訴されたら辛いし、心が折れてしまうかもしれない。そうならないように、「これは第一ラウンド。控訴されてもしっかり最後まで闘うぞ」と自分に言い聞かせていました。実際、検察が一生懸命控訴の準備をしている、という話も聞こえてきていました。
私が判決で一番うれしかったのは、どんなに供述調書が具体的で迫真性があっても、そういうものは後から作り出すことも可能であるし、事件から取り調べが行われるまでの5年という時の流れが人の記憶に影響を与えたことも配慮して、まずは客観的な証拠を中心に調書の信用性を検討する、とはっきり言ったことです。刑事司法の一番本質的なことをストレートに宣言されたところに、この判決の一番の価値があるのではないか、と思いました。
検察側の主張についても、一つひとつ丁寧に検討していました。どういう角度から見ても、検察の主張は逃げ道をふさがれた格好でした。証拠採否の決定の時とは違って、判決には捜査に対する批判はありませんでした。それも、検察が控訴を断念しやすくするための工夫のようです。弁護団が、「本当に玄人受けのする判決、どうやっても控訴できないように道をふさいである」と教えてくれました。
ある新聞社の検察担当の記者が、こんなことを教えてくれました。
「判決が出るまでは控訴準備を進めていたようだけれど、判決を読んで、諦めがついたようですよ。大阪地検は憑き物が落ちたような感じになっていますよ」
もうあんなむちゃくちゃなストーリーを掲げて戦わなくてもいいんですよ、と裁判所に諭してもらったような状況ではないでしょうか。
そして、控訴期限が来る前に、証拠改竄の問題が明らかになって、9月21日に検察側が控訴断念を発表しました。
無罪判決が確定し、翌日から私は仕事に復帰しました。

 

負けてはいけない

こんなに早くゴールが訪れるとは予想していませんでした。何年も闘わなければならないのだろうな、と思っていましたし、何年かかっても、最後まで闘うんだ、と常に自分に言い聞かせていました。
それは、一つは私にとって、信用とか名誉というものが、とても大事だったからです。それをなくしてしまったら、これまで社会人として生きてきた自分の人生、その根幹が壊れてしまうような気がしました。もう一つは、最後まで闘う姿勢を子どもたちに見せることが、親としての責任だと感じていたからです。
検察の卑怯なやり方に「負けたくない」「負けてはいけない」という強い思いがありました。お金や時間は、検察の武器になります。闘い続ければ、お金がかかるし、時間がかかる。ここで諦めれば、早く終わってやり直せるというささやきが聞こえてきます。でも、お金や時間を利用して相手を攻撃するのは、兵糧攻めと同じ。そういうやり方に負けてしまうことがとても嫌でした。
とはいえ、そういう攻撃に対して、誰もが闘えるわけではない。生活の事情で闘いを断念せざるをえない人は少なくないでしょう。幸い私の場合は、夫がいて収入はあるので、すぐに生活に困るわけではない。役所でも、応援してくれる人はたくさんいて、夫はみんなに親切にされながら働けているわけです。こんなに、闘う環境に恵まれている人はめったにいないかもしれない。だったら、私はとにかく最後まで闘おうと思いました。
「勝つ」「勝ちたい」という言葉は自分の頭に浮かんできませんでした。そうではなく、「負けない」「負けたくない」という言葉が常に私の中にありました。それは、たぶん、私は戦って勝ち上がってきた人間ではないので、「勝つ」ということへの執着がないからでしょう。
私が社会人になった頃は、女性はコピー取りやお茶くみをやるのが当たり前で、男性より昇進のスピードも遅いのが普通。子どもを持っている女性の先輩は、親と同居の人が多いのですが、うちは夫婦だけで子育てをしていましたから、常にハンディを背負っていました。なので、何事も「勝てる」とは最初から思っていない。職場に迷惑をかける状況になったらあきらめるけど、それまではがんばって、やれるところまでやってみよう、という感じでやってきました。局長や次官になったではないか、お前は勝ち組だと言われるかもしれませんが、昇進というのは結果なんです。たまたまポストが空いたとか、たまたまやった仕事が評価されたとか、「たまたま」が重なった結果、今の立場があるだけ。私が勝ちを取りに行ったものとは違います。子どもの病気など、これまでの間にも、仕事を続けられるかどうか分からないというピンチは、何度もありました。だから、今回のような不利な状況から始まる闘いには慣れていた、と言えるかもしれません。
これが、役所やビジネスの世界で、トップを目指してやってきて、いい結果を出し、勝ち上がってきた人であれば、もっと辛かったでしょう。刑事司法の世界は、有罪率99パーセントですから、なかなか勝てません。特捜部の事件はなおさらです。しかも、こちらが仕掛けていくのではなく、守りの闘いです。負けないための闘いです。私の場合は、そういう仕掛けられた闘いが性格的に合っていたのかもしれません。

 

検察はなぜ引き返せなかったのか

一方の検察、特に特捜検察は、「巨悪」と闘い、勝ってきたという自負があります。そのために思い込みが生じ、それが自らの思考を縛ってしまったのかもしれません。
今回の事件で、上村さんは相手が本当の障害者団体と思い込み、問題を先送りしている間 に督促され、手続きを踏むのをさぼって「ええいっ」と自分で勝手に証明書を作ってしまった。障害者団体に迷惑をかけてはいけないと思い込んでしまった。そういう人の思考や心境が、「巨悪」を敵にする発想では理解できず、歪んだレンズを通してしか、事態を見られなかったのではないでしょうか。
しかも、「勝ち」にこだわりすぎて、何度も引き返すチャンスがあったのに、それをすべて活かせませんでした。なぜ、この組織はこんなにも、引き返せないのでしょうか。真相が分かることが、最も大事なことではないのでしょうか。それとも、引き返すことが「負け」と思っているのでしょうか?
そして、そのプロセスで多くの人間が、フロッピーディスク改竄の事実を知っていて隠していました。すべてが極秘裏に対応され、裁判ではずっと「村木は犯人だ」と主張し、懲役1年半を求刑しました。いったい検事という職業は何のためにあるのでしょうか。
今回の事件を振り返ると、國井検事はひどいとか、前田元検事はとんでもないことをやったとか、大坪元特捜部長はもともと危ない人だったとか、そういう個々の検事の資質や行為だけの問題にしてはいけないと思います。組織としての対応が問題だったのです。それを変えるには、個々の検事の倫理観に訴えるだけではなく、仕組みを変えなければなりません。
検事たちは、使命を与えられ、走り始めると、とにかくひたすらそれに向かってまじめに突き進んでしまう。それは、ある種の本能なのでしょう。それが困難な事件を解決するために活かされることもあるのでしょう。でも、今回のように、一丸となってストーリーどおりの調書作りに励んでしまったり、問題が発覚しても途中で止められず、最後まで走り続けてしまうことにもなります。だから、途中で止める仕組みを作っていく必要があると思います。いくら倫理憲章を作っても、精神論では根本的な体質を変えることはできません。それは、検事のような立場に置かれた人間の性(さが)でもあるからです。
そう思うのは、自分自身でこんな体験をしているからです。
私が、労働省(現在は厚生労働省)に入って2年目に、地方の労働基準監督署で見習いをやりました。労働基準監督官は、司法警察員でもあるので、労災で死亡事故があった場合など、立ち入り調査を行ったり、関係者を尋問したり、場合によっては逮捕したりする権限があります。私は見習いだったので、そういう権限はなく、ただ話を聞いて聞き取り書を作るだけでした。そうであっても、会社の人は、悪いと分かっていて事故につながるようなことをした、というような証言を引き出せないか、と思ってしまいました。もちろん、言ってもいないことを書こうとか、嘘でもいいから言わせようとか、そんなことは思いません。思わないけれど、故意に何かをしたという証言を引き出さなければ、という発想が、自分の中に生まれるんです。「人が一人亡くなったのだから、誰に責任があるのか明らかにしなければ」「事業所が隠している事実を明るみに出さなければ」という気持ち。 それは、一種の正義感です。私のような見習でも、そんな気持ちになったのです。
警察官や検察官は、そういう正義感をたくさん育てながら、仕事をしているのでしょう。だから、必ず「責任を取らせなければ」という方向にバイアスがかかる。自分たちの見立てが間違っていても、相手が隠しているんじゃないか、責任を逃れようとしているんじゃないか、という方にばかり発想が働いてしまう。自分たちの見立てそのものが違っているのではないか、というふうになかなかなりにくい。だから、間違った方向に突き進んでいる時に、それを止めるには、個々の警察官や検察官の自覚を育てるだけではなく、きちんと止められる仕組みを入れないとダメだと思うのです。

 

 


解説】】
検察、特に特捜検察は、「巨悪」と闘い、勝ってきたという自負があります。そのために思い込みが生じ、それが自らの思考を縛ってしまったのかもしれません。
(中略)
「勝ち」にこだわりすぎて、何度も引き返すチャンスがあったのに、それをすべて活かせませんでした。なぜ、この組織はこんなにも、引き返せないのでしょうか。真相が分かることが、最も大事なことではないのでしょうか。それとも、引き返すことが「負け」と思っているのでしょうか?
(中略)
警察官や検察官は、そういう正義感をたくさん育てながら、仕事をしているのでしょう。だから、必ず「責任を取らせなければ」という方向にバイアスがかかる。自分たちの見立てが間違っていても、相手が隠しているんじゃないか、責任を逃れようとしているんじゃないか、という方にばかり発想が働いてしまう。自分たちの見立てそのものが違っているのではないか、というふうになかなかなりにくい。だから、間違った方向に突き進んでいる時に、それを止めるには、個々の警察官や検察官の自覚を育てるだけではなく、きちんと止められる仕組みを入れないとダメだと思うのです。

「なぜ、この組織はこんなにも、引き返せないのでしょうか」
私も、本当に不思議に思います。私などは、ここの検察官の責任を追及したくなります。
しかし村木さんは、個々の検事の資質に問題があるのではなく、冤罪の歯止めとなる仕組みが必要なのではないかと考えます。

冷静ですね。

 

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』第一部第3章 その6

2023-05-09 01:23:15 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
■第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


検事全員がメモを廃棄

裁判は順調に進んでいましたが、私の緊張感はやわらぐことはありませんでした。公判が終わって家に戻ると、疲れでぐったりし、決まって頭痛に悩まされました。
証人尋問の最後には、取り調べを担当した6人の検事が出てきました。
それで分かったのは、被疑者や参考人の調書ができると、翌日には他の取り調べ担当の検事に配っていた、ということです。関係者の供述調書を共有していたわけです。
私は、ありもしないことについて、複数の人が細かいところまでまったく同じ供述をしているのをずっと不思議に思っていました。たとえば、倉沢さんを職員たちに引き合わせたという場面の私のセリフが、みんなの調書に載っています。それぞれ別の検事が事情聴取をしていて、しかも5年以上も前のことなのに、なぜこんなにもセリフがきれいに一致するのだろうか、と不思議でなりませんでした。
その謎がやっと解けました。誰か一人の調書ができると、それが検事たちに配られ、別の検事もすでにできている調書に合わせて調書を作る。そうやって、情報を共有しながら、共通のストーリーを検事全員で組み立て、整合性のある証拠を作り上げていく、まさにチームプレーです。これが、検察の作業のやり方なのだと、よく分かりました。
検事に対する証人尋問で、裁判官がとりわけ関心を示したのは、取り調べ時のメモがすべて廃棄されていることでした。出てきた6人の検事が、全員、取り調べ時のメモはすでに処分している、と答えました。
凜の会の河野さんの弁護人は、大声で怒鳴るなどの威迫的な取り調べがあったとして、検察に申し入れをしています。林谷検事は、副部長から注意をされたそうです。この時の弁護人の申し入れには、「メモ類については、くれぐれも廃棄しないように。廃棄すれば公用文書毀棄罪になる」という趣旨の警告も入っていました。取り調べを行った林谷検事は、弁護団の追及に、その申し入れ書を読んだことを認めました。最高裁の判例でも、取り調べ時のメモは証拠開示の対象になるとしている、と弁護団が指摘したのに対しても、林谷検事はうなずいていました。当然、そのような判例があることは、知っていたでしょう。にもかかわらず、公判前整理手続が始まった頃に、メモを廃棄していたのです。
証人となった検事たちは、廃棄の理由を「メモには個人のプライバシーに関することも書いてあったから」「メモの内容は供述調書に反映しているので、不要だ」などと述べました。それでも裁判官たちは、証人となった検事たちに、メモについて口々に問いただしていたのが印象的でした。客観的な証拠が少なく、関係者の供述が重要な事件で、その供述がなされた時期や経緯を判断する手がかりとなるメモを検事全員が廃棄していたのは、裁判官も異様に感じたのかもしれません。
國井検事も、検察側証人として出てきました。彼は、法廷に来る前に、これまでの裁判で出てきた証言の記録を全部読んでいたのでしょう。それと食い違わず、うまく適合するような形で証言をしていました。
上村さんは、國井検事から、厚労省の職員はみんな私と倉沢さんが会ったことを認めているなどと言われ、真実を決めるのは「多数決」だと迫られた、と語っています。そのことについて聞かれた國井検事は、こう述べました。
「多数決の話は、一般論として、上村さんから『裁判の事実認定の問題として、裁判官が3人いて、どうやって決めるんですか』という話があった。私は、『裁判官も3人いれば、意見が割れることもあるだろうから、多数決もあるんじゃないの』というような話をした」
明らかに嘘だと思います。私の取り調べでも、私に彼流の「多数決論」を展開していたのですから。でも、取り調べの状況を録音しているわけではないので、偽証と決め付ける証拠はありません。こういう話がすらすら出てくるのを見て、周到に準備をしているなあと感じました。私が一番腹が立ったのは、國井検事が上村さんのことを「狡猾」と言ったことです。
「彼は事実を供述した後も、やはり単独犯にできないかと、心が揺れ動いていた。被疑者ノートには私の話をうまく取り込んで書いているな、狡猾だな、と思った」
そして、家宅捜索の時に、フロッピーディスクは、当初の供述とは違う場所から発見されたとか、証明書を作成した日付を5月28日と供述したとか、上村さんが記憶違いをしていたことなどを、あたかも最初は本当のことを隠していたかのように証言しました。
國井検事は、私の取り調べの時には、上村さんがいかにいい人で、まじめで純情でかわい そうなのかを繰り返し述べていました。「だから、あなたが指示したと認めなさい、あんないい人のせいにしたらかわいそうでしょう?」と。そういうことを散々言っていた彼が、法廷で、多くの人の前で、上村さんがいかに悪い人かを印象づける話をし、「狡猾」と称したのです。自分の聞き間違いではないかと、長い間、弁護側の席から國井検事の横顔を見つめていました。
こういう人にとって、真実とは何なのでしょうか。

 

それでも懲役1年6月を求刑

裁判の最後の山は、証拠の採否決定でした。検察側が申請した供述調書を、裁判所が証拠として採用するかどうかの判断です。検察が、最後に論告をする時には、裁判所が採用した証拠に基づいて主張を組み立てていかなければならないので、どういう証拠が採用されるかは、とても重要な山場でした。
私は、これまでの裁判での証言で、ある程度真実が明らかになったのに、この期に及んで検察側が上村さんや倉沢さんの供述調書を証拠として請求できる仕組みがある、と聞いた時には、ショックを受けました。検察官が作成した調書の内容が法廷での供述と異なる場合、調書の方が公判供述より信用できる特別な事情(特信性)があると認められれば、証拠として採用できる、という規定があるのです。あんなにひどい調書でも、証拠に採用される可能性がある、という制度に対して、えもいわれぬ不信感が湧いてきました。これだけ公判を重ねてきて、しかも証人には主尋問と反対尋問が行われて、傍聴人も見ている前で事件の真相が見えてきたのに、それを密室で作った調書で巻き返せるかもしれない、というのがすごく不思議で、違和感がありました。
結局、裁判所は検察側が請求した43通の調書のうち、上村さんや倉沢さんの調書など、34通を証拠採用しませんでした。決定文書はとても長いもので、裁判長が読み上げるのにも時間がかかりました。上村さんの調書が採用されないと分かった時に、記者たちがどっと飛び出して行きました。
裁判所は、上村さんの裁判での証言が被疑者ノートに書かれていることと符合していることを、とても重く見ていました。「多数決」についても、上村さんの証言を受け入れて、捜査の在り方を批判しています。検事が、私が事件に関与しているというストーリーを描いて取り調べに臨んだ、ということも認定しています。
検察側は、上村さんの調書は「具体的」で「迫真性」に富むから「特信性」があると主張してきましたが、裁判所はいくら具体的で迫真性があっても、客観的証拠と合わなければ慎重に判断しなければならない、とも言っています。これは、とても重要な指摘だと思いました。一方、塩田さんなど、私と事件を結びつける供述調書が作成された厚労省関係者については、「特信性あり」として調書は採用されてしまいました。上村さんには被疑者ノートがあったけれど、塩田さんの場合は、法廷での証言を裏付けるものがありませんでした。 ただ調書の内容を否定するだけではダメで、何かプラスアルファの材料がないと、検察側の言うとおりに採用されてしまうのかもしれません。
検察側は、不採用になったものについて異議申し立てをしました。この時点では、無罪判決になった時には、控訴するつもりでいたのでしょう。その時に、裁判所がちゃんと証拠を採用してくれなかった、判断が間違っている、と主張する手はずとして、異議申し立てをしていたようです。
なので、この時点では、あと何年闘いが続くのか分からない、と思っていました。一区切りはついた感じはしましたが、まだ弁護団は最終弁論、私は最終意見陳述の準備に力を注がなければなりませんでしたので、ほっとする余裕はありませんでした。
多くの証拠が不採用になったので、検察側の論告は、ひどいものになりました。それでもまだ自分たちのストーリーにしがみつくしかなかったようです。
倉沢さんが口利きを頼んだという日時には、石井議員にはアリバイがあることがはっきりしたにもかかわらず、倉沢供述について「日時に関しては誤りがありえるとはいえても、石井議員に対する口添え依頼の存在という厳然たる事実に関する信用性まではゆるがせるものではない」と言い切っていました。どこが「厳然たる事実」なのでしょうか。
フロッピーのプロパティとストーリーの矛盾についての説明は、上村さんが04年6月1日未明にデータを作成したことは認めつつ、想像をたくましくして、こんな主張をしました。
〈(上村は)現実の(証明書の)発行については、逡巡していたところ、その後、被告人からの指示等で背中を押されて、公的証明書を発行するという最終決断に至ったという経緯が合理的に推認される〉
なんら証拠に基づかない「推認」でした。
最後に、被告人を懲役1年6月に処すようにとの求刑を、前田検事が行いました。
最終弁論では、様々な証拠や証言から検察のストーリーがいかに不合理かを述べていただきました。最終意見陳述で、私は次のように述べました。
〈私は、本件の証明書の偽造には一切関わっておりません。
いわゆる「議員案件」というものに対して、役所が事の善悪を考えず、「結論ありき」で、法律や規則をまげて処理をするということは、実際の行政の実態とあまりにかけ離れています。(中略)
私は、一日も早く無実であることが明らかになり、社会に復帰でき、「普通の暮らし」ができる日が来ることを心から願っています〉
もはや、いささかのためらいもなく、「無実」を訴えることができました。


解説
多くの証拠が不採用になったので、検察側の論告は、ひどいものになりました。それでもまだ自分たちのストーリーにしがみつくしかなかったようです。(中略)
なんら証拠に基づかない「推認」でした。
最後に、被告人を懲役1年6月に処すようにとの求刑を、前田検事が行いました。

私は医師ですので、医師が患者の正しい診断にいたる過程と、検察官の求刑に至るまでのプロセスのあまりの違いに驚くばかりです。
医師は、当初の見立てが誤りかもしれないと思ったら、正しい診断を求めて、必要な検査をしたり専門医の判断を仰いだりします。
すべては、患者の生命を救うためです。
しかし、検察官は、最初に立てた自分たちのストーリーにあくまで固執するのですね。
医者なら、そうとうのやぶ医者です。
冤罪によって被告人の社会的生命が抹殺されるようなことが起こるなら、検察官の責任はきっちり取らせるべきでしょう。

獅子風蓮