獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅠ:ブログの開始 (21)

2021-09-30 01:10:07 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■功徳って何だろう?           投稿日: 2012年1月12日
創価学会員のみなさん。「功徳」って何だろうって、もう一度あらためて考えてみませんか。
私は学会のおかしさに気づいてから、功徳ということばがどれだけ滑稽なものかを感じます。多くの学会員は「功徳」につられて信心を始め、「地獄に落ちる」という言葉で学会から抜けられなくなります。信心したおかげで病意が治った。信心のおかげで貧乏から抜け出した。私も子どもの頃からそんな話をさんざん聞かされて育ちました。信心すれば、もっといえばお題目を唱えるだけでどんな夢も叶う。「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」などと御書の中のいろんな箇所を引っぱり出しては、とにかく何も考えなくていいから信じていきなさいという。信心してもしなくても、人生にはいいこともあれば悪いこともあります。なのになぜか学会では入信した途端いいことは信心による功徳であり、悪いことは信心が足りないことになる。どんなときもです。幹部は会員のそうした一喜一憂を功徳と信心が足りないのどちらかで済ませてしまいます。つまり「余計なことは考えなくていいから、学会活動に励みなさい」結局幹部が言うのはこれだけです。会員はそれを真に受けます。さらに近頃は功徳は「信心のおかげ」ではなく「先生のおかげ」になっています。いいことすべては「先生のおかげ」であり、することすべては「先生のために」が合い言葉です。どこかの将軍様とひとつも変わらないですよね。
昔、私が若い頃勤めていた仕事場の同僚がネットワークビジネスにはまったことがありました。「ちょっと話があるんだけど家に行っていいかな」から始まりました。私も別に断る理由はなかったので、軽い気持ちで彼が来るのを待っていました。結局簡単に言うと「一生遊んで暮らせるビジネスをしないか?」ということでした。「これだけのことをやるだけで、孫の代まで遊んで暮らせるんだ」ということです。「今度そんな暮らしを実現している凄い人が来るから、話だけでも聞きに来ないか」と言うんです。どこかで聞いたような話でしょ(笑)。「僕はね、君の幸せを思って誘っているんだ」「ここでほんの少し頑張れば、あとは素晴らしい人生が待っている」「ほら、こんなにたくさんの人が入っていて、みんなで楽しくやってるよ」「僕もね、最初はそんなうまい話があるわけないだろと思ってたんだけど、実際にこれをやってる人たちは、ものすごい財産を築いてる。それも最初に数人の友だちを誘うだけで、あとは何にもしなくてもその友だちがまたその友だちを誘って、その人たちが稼いだ利益が全部自分のものになる仕組みなんだよ。これは驚いたね。友だちに健康にいい食品や素晴らしいキッチン用品を勧めるだけで、あとは何もしなくてもどんどんお金が舞い込んでくる。夢のビジネスが目の前にあるんだ。その利益はたとえ自分が死んだとしても、自分の子どもたちに入って来るんだよ、ありがたいよね、凄いだろ。」やはりどっかで聞いた話です(笑)。そのとき私は友人として止めるべきだったのかもしれません。しかし彼はまさに欲に目が眩んでしまって「僕はこの夢のようなビジネスに人生をかけてみるよ」という始末。結果は案の定でした。もちろん私はそんな口車には乗りませんでしたが、つきあいでいろんな健康食品やキッチン用品を買いました。商品はどれも粗悪なものでした。トマトすら切れない包丁やバカ高いフィルターをしょっちゅう交換しなければならない浄水器。ほんとに効果があるのか分からないサプリメント…彼ばかりではなく、それまで会ったこともなかった彼の家族までがどかどかと自宅に乗り込んで来ては商品を売りつけに来ます。30万円ほどは買ったでしょう。そのうち彼はそのビジネスを辞めました。私に何も言わなくなりました。辞めたことすら言いませんでした。まあ、それはそれでよかったのだと思います。
それから10数年後に、別の友人が彼とは別のネットワークビジネスにハマりました。私は以前の友人のことがあったので、「君とは今まで通り友人としてつきあっていきたいから、僕の前ではネットワークビジネスの話をしないでくれ」と言いました。彼は約束を守ってくれました。そのうち彼もネットワークビジネスから足を洗いました。以前の友人と同じで、そうとう損をした結果のようでした。
ネットワークビジネスがあれだけ社会問題として世間を騒がしていたにもかかわらず、なぜ彼らはハマっていったのか。それはまさに欲に目が眩んでまわりが見えなくなるんですね。「一生遊んで暮らせる方法」を目の前にちらつかせる。実際に億万長者になったほんの一部の人の体験談のパンフレットを読ませる。話を聞かせる。自分もこんなふうになりたいと思ってしまう。それはそっくりそのまま創価学会の折伏にあてはまります。学会はそれこそ「功徳」ということばの魔力によって多くの会員を獲得しました。「これをやれば夢のような人生を送ることができる」「これをやれば不治の病も必ず治る」といった甘い言葉で会員を増やしていく手法はネットワークビジネスとひとつも変わりません。
ご存知のようにネットワークビジネスで実際に利益を上げるのは、上層部のほんの一部だけです。上にお話しした友人のようにほとんどの人が犠牲となります。つまりもともとこの犠牲を目的としています。会員は多くの自分の顧客(会員)を獲得することで組織の上部に昇進することが出来ます。逆に昇進しなければいつまでも自分で商品を仕入れて売り続けなければなりません。会員の多くは昇進を目指してビジネスを続けますが、結局とんでもない量の在庫を抱え込んで破綻します。一定期間に販売実績を確保しなければ上には上がれない。だから売れもしない商品を自腹を切ってでも仕入れて数字をあわせることで現状をキープするのです。来月もその次の月も同じように…ということで、いつのまにかビジネスではなく自分自身がネットワークビジネスの餌食になっていることに気づかない。それは欲に目が眩んでいるから現実が見えなくなってしまっているんですね。ほんの一部の億万長者を掲げることで、そこにたどり着けるよう一心不乱にビジネスに駆け回る。あの遠慮のない異様な姿はほんとうに創価学会員によく似ています。こうした何も知らされずに狂ったように働く末端会員の犠牲をほんの一部の上層部が吸い上げて巨万の冨を独占するシステムがネットワークビジネスであり、それはそのまま創価学会の「功徳」による集金システムでもあります。
もうひとつ創価学会によく似たことをやる集団がいます。「あなたは先祖を粗末にした罰で病気になった。このままではあなたの子どもまで長くは生きられない。でもこの印鑑を買えばすばらしい先祖供養ができて、家族共々幸せがやってきます。はい30万円」「どうやらあなたの曾祖母がとてもひどい死に方をして成仏できないでこの家に災いをもたらしています。でも安心してください。この壷を買って玄関に飾っておけば、すべての災いを跳ね返してくれます。はい200万円」こうした霊感商法に引っかかる人が今でも絶えません。わけのわからない不安を煽って恐怖心を植え付け、そこにつけ込んで法外な高額商品を売りつける。この手口もどこかで聞いたことがありますよね(笑)。創価学会員がみんな口にすることば「地獄に落ちる」。会員さんの多くはほんとうにそれを信じています。私もそうでした。毎日行なっている朝晩の勤行を何かの理由でできなかった日に、ちょっと悪いことが起こると「あ、勤行さぼったからかもしれない」と思ってしまう(笑)。それくらいならまだ可愛いものですが、子どもが大きな病気にかかってしまったとか、連帯保証人になって他人の莫大な借金をかぶってしまったとか、そんなこともみんな自分の信心が足りなかったからなんだと思い込まされて、ますます学会活動に励みます。それでいくら折伏や新聞啓蒙をやり、全財産を財務に貢いでも何も事態は変わらない。当然です。たとえ疑問を抱いたとしても幹部は「仏法は道理だ。仏法に背けば地獄に落ちるのはあたりまえ」そんな言葉で脅しに脅してなんとか学会に留まらせる。こうした精神的な脅しは完全に暴力です。いまどき他人にそんなことを言えば普通に訴えられます。ここにコメントしてくださる方も、この精神の暴力に耐えられなくて脱会できないでいた場合が多いようです。創価学会は精神の暴力をつかって巨万の冨を集める集団です。その莫大な利益はすべて「先生」に集まってきます。
このように創価学会はネットワークビジネスと同様の「功徳」と、霊感商法と同様の「精神の暴力」によって末端会員からお金をすいあげてきました。こんなわかりやすいシステムが内部にいるとわからなくなるんですね。これがMCの恐ろしいところです。要は人間の心の弱さにつけ込んで、どこまでもお金をしぼりだしていく。それだけの集団です。創価学会は世界の平和や文化とは無縁の非合法な営利集団なのです。
53年間、創価学会員であるこの私がはっきりと言います。
創価学会の信心による功徳なんかありません。
功徳欲しさに信仰にすがりつく姿は、欲に目が眩んでネットワークビジネスに明け暮れる人と同じです。
学会活動をやめても地獄へ落ちません。
私はこの2ヶ月間、勤行唱題目を全くしていません。でも悪いことは何一つないばかりか、以前より仕事も順調で家庭も円満です。
創価学会員のみなさん。ここに寄せられる多くの学会員の体験や思いを、この「功徳」と「精神の暴力」といった観点から、もう一度見直してみてはいかがでしょうか。自分が日々行なっている信仰は、単に「功徳」と呼ばれる甘い汁欲しさのためではなかったろうか。そして信仰に背くことに対して異常なまでに恐怖心を抱いてはいないか。はたしてそれが信仰と呼べるものなのかどうか。もしかしたらとんでもないネットワークビジネスと霊感商法の餌食になっているんじゃないか。一度でいいですからそうした視点でここに寄せられる多くのコメントを読んでみてください。きっと自分のやってきたことの本当の姿が見えてくるかもしれませんよ。


解説
>創価学会の信心による功徳なんかありません。
>学会活動をやめても地獄へ落ちません。

この明確なメッセージによって、学会を辞めることができた人が少なからずいたことでしょう。
それはシニフィエさんの功績だったと私は思います。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:ブログの開始 (20)

2021-09-29 01:04:24 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■今の気持ち           投稿日: 2012年1月11日
このブログは私が何かを書いていくのを見ていただくというものではなくて、皆さんのコメントが主体となって進行していくのが理想的だと思っています。ここは皆さんの創価学会に対する思いを社会に示していく器になるといいなと思っています。ただブログの性格上更新しないといけないので、自分のことについてもときどきお話をするという、私はいわば進行役と考えてください。多くの方に創価学会の本当の姿を語っていただいて、それまでどう考えてもおかしいんだけど罰が怖くて言えなかったことや、学会の指導と違った自分の考えに自信が持てない方の悩みなど、正直に心を開いていただければうれしいです。これまでのみなさんのコメントではっきりと言えるのは、学会で悩んでいる方は一人ではない。むしろ悩まない方がおかしいのだということ。これまでの学会に心酔してきた自分の人生の否を認めるのが怖い人。否を認めることで不幸が降り掛かってくるのではないかといった恐怖心に苛まれている方。心配はいりません。学会はおかしいというあなたの心の方が正しいのです。学会を否定することで何一つ不幸になることはありません。信心したからといって功徳があるわけでもなければ、勤行をしなくなったからといって災難にあうわけではありません。むしろ自分の素直な心を押さえつけて生きていくことが、最大の不幸なのです。ですから、このブログのコメント欄に、あなたの学会に対する思いの丈を示してください。そうすれば、自分が恐れていたものが何であったかがすぐにわかると思います。あなたはどこの誰とも知られずに、多くのあなたと同じ疑問を持った方がここにいらっしゃいます。そしてあなたの正直な思いの一言が、多くの方の心を開いていく力を持っているはずです。悩んでいるのならば、なおのことここにあなたの気持ちを伝えてください。あなたは決して一人で悩む必要はありません。
これはネットの匿名性の長所だと思います。このネットの匿名性とブログの信頼性が確保できるかぎりにおいては、大きな力になると考えます。ネットの匿名性の功罪はいろいろとあると思いますが、少なくともこのブログに関しては、知性と分別のある方にコメントしていただいているので、ほんとうに感謝しています。このブログを立ち上げる前に一番心配だったのが、面白半分で無益な攻撃をする方たちによる書き込みによって、真剣に悩んでいらっしゃる方が引いてしまうのではないかということでした。たしかに最初の方で数名の方が場違いなコメントをされましたが、私はあくまでできるだけ書かれた言葉に対して誠実というか愚直なまでにお答えしました。見方によっては反対意見に対する攻撃であるかのように感じられたかもしれません。しかし私は最初に「ここは戦いの場ではなく対話の場としていきたい」と申し上げているとおり、何が正しくて何が間違いなのかについての討論をする気はありません。しかし中立な立場で学会とアンチを取り上げるつもりもありません。みなさんお分かりの通り、私は2ヶ月前に完全にアンチになりました(笑)。この期に及んで学会側の肩を持つ気はさらさらありません。一日もはやく創価学会が消滅することを願っています。ただネット上で正邪を討論したところで某巨大掲示板のように暇人の無益な罵り合いになるだけで、そこから何も生み出すことはありません。というかそれらは何かを生み出す目的で存在してはいませんので当然のことです。ですから私はここで単に学会を攻撃するのではなくて、できるだけ自分がこの目で見た事実を示していきたいと思います。その事実についての思いを述べていきたいと思っています。
また、私は創価学会の提唱する日蓮仏法に関しての理論的な矛盾を指摘したり、学術的な論証をする気もありません。学会がおかしいから本来の日蓮仏法を継承しているとする他の宗教団体に加担する気もありません。正直言いますと、まだ何がなんだか分からない状態ですので、ここで仏法がどうこうという気になれないのです。戦時中の軍国教育を受けていた子供たちが、終戦を境に、日本は間違っていた、天皇は人間だった、と正反対のことを教えられたようなもので、「え?そうなの?だったら今までのことは何だったの?お国のためにとお父さんは無駄死にしたの?それで世の中済まされてしまうわけ?」といった感じです。ただ「やっぱり自分の中の創価学会以外の部分が間違いではなかったんだ」というせめてもの安堵感といいますか、そのまま死なないでよかったという気持ちはあります。ですから自分としては、これまでに積み重ねてきた学会以外の部分で信仰や哲学についての見方を深めていければと思っています。
以上、なんとなく今の気持ちを書いてみました。


解説
このブログは私が何かを書いていくのを見ていただくというものではなくて、皆さんのコメントが主体となって進行していくのが理想的だと思っています。ここは皆さんの創価学会に対する思いを社会に示していく器になるといいなと思っています。ただブログの性格上更新しないといけないので、自分のことについてもときどきお話をするという、私はいわば進行役と考えてください。

ここで対話ブログの方向性がほぼ決まったといっていいでしょう。
参加者が主体となってコメントを交わしていくことによってブログが活性化し、アクセス数を徐々に伸ばし、後に巨大ブログと呼ばれるほどの存在に成長していきます。
そういう場を提供したシニフィエさんの判断は正しかったと、私は素直に思います。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:ブログの開始 (19)

2021-09-28 01:57:42 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■3でいきます!             投稿日: 2012年1月9日
おひとりおひとりお返事が書けないことお許しください。
希望様をはじめ、ここに集ってくださっているみなさま、
発表します。
3でいきます!


ブログをたちあげてからひと月で、
ここまで多くのみなさんと対話ができ、
さらにこれからの前向きな方向性まで決まるとは
思いもしませんでした。 
どんよりした気持ちから、なんだかワクワクとした
上向きな気持ちになってきました。
 なんかあまりに単純な私(笑) 
みなさま、ありがとうございます! 
みなさまの存在がなければ、
まだまだ先の見えない泥の中を
這いつくばっていたと思います。
今の仕事が一段落したら、不自然な感じを出すことなく、
 折りをみてもう一度組織にじんわりと潜入してみます。 
潜入っていうか、私はまだれっきとした
(かどうかはわかりませんが) 創価学会員ですから、
できるだけ真面目に会合に参加しようと思います。 
きっと同志(笑)の方々も喜んでくれるでしょう。 
「そうか、戻って来てくれたんだね、
 もともとサラブレッドだったんだもんなあ、 
 先生も喜んでくださるよ、あははは」
とか言うんでしょうね。 
で、逐一ここに報告します。 
かといって急激な変化はないかもしれませんが、
彼らの言動が、どれだけ社会規範から逸脱しているかを
しっかり検証して、
 創価学会カルトの実態を多くの人に知っていただく。
そうした情報の信頼性を担保するためにも、
 地道にやっていきたいと思います。 
おそらく当面は選挙でしょうね。 
選挙に関してどのような指示がなされるのか。
 選挙違反行為を組織的に指示していないか。 
で、言いたくなるでしょうね、 
「そりゃおかしいだろ、犯罪だろ」って。
その場にいたら、もうストレスたまるでしょうね。
でもこのブログに逐一報告して、
みなさんに知っていただけると思うと
やれる勇気がわいてきます。
あ?急いで辞めなくてよかった(笑)。
もしかしたら「急に組織に戻ってくる人物に要注意!」
の通達が全国の組織に出回るかもしれません。
それでみんな疑心暗鬼になって、
組織の不穏な空気を察する人が出てくるといいですね。 
全国各地に私のようなゲリラが出没して、
学会の真実を告発していく。 
いわば学会にとっては同時多発テロみたいなものですね(笑)
もちろん私の行動が個人的な自己満足に終ることないよう、
慎重に行動していきたいと思います。
ですから親しい友人にもこのことは話さないでおこうと思います。
あせる気持ちを抑えて、粛々とやっていこうと思います。
もし、これをご覧になっている方で
組織の実態を報告してくださる方がいらっしゃいましたら、
是非是非お願いします。
ここに来れば誰にでも学会の実態がわかる!
という場所にしていきたいと思います。
多くの方が、ここを見てMCから解き放たれる
きっかけになることを望みます。
ここをチェックしている本部職員のみなさん。
非常事態ですよ?(笑)
全国にシニフィエが出没してリアルタイムにぶちまけるよ?
怪しい人いっぱいいるよ?
「ウォーリーを探せ」ならぬ「シニフィエを探せ」ですね。
こんなことで慌てている自分って何だろうって
一度自分の人生についても考えてくださいね?。
もう一度言っておきます。
私はこのブログを予告なしに閉鎖したりすることはありません。
もし突然このブログが閉鎖されるようなことがあれば
外部によるなんらかの操作であるとご判断ください。
またもし閉鎖されたとしても、何度でも立ち上げますので、
よろしくお願いします。

●サラマンダラ(2012年1月10日 02:35)
皆さまおはようございます先に師弟不二のことを言われて居りますがまず草創期の副会長に直接話を聞くことがどきましたが名誉会長は副会長にすら 私の心などお前ごときに解るわけがない と罵倒すると言われてました。さていったいこれはどういうことでしょう?。良く会合で、先生の御心をわが心として頑張ろうなんて幹部が言ってますが、副会長にすら俺の心などわかるはずがないっていってるのに何であなたに、また末端会員にわかるの? 師弟不二ならば師匠は弟子に自分の思いを狂いなく託していくのが当たり前なのに、俺はお前らとは違うんだという思い上がった傲慢な人間性すでに指導者失格。さらに自分に対する忠誠心を試すために、下種な話で恐縮ですが、自分の食べた中身のないうどんの汁を回し飲みさせ 上手い、おいしいと言わなければ機嫌が悪かったそうです皆さんが思っている師弟不二など程遠く  全くやくざの親分子分とかわりないやりかたと、怒りをあらわにされていました。何もかもいつの間にか自分の都合のよい解釈にコントロールされて行ったのですこれは独裁者の歴史の常ではないでしょうか勇気を出そう、マインド、コントロールから抜け出そう!ほんと気持は晴れ晴れ恐れるものもなく新しい人生始まるよ!


解説
名誉会長は副会長にすら 私の心などお前ごときに解るわけがない と罵倒すると言われてました。

サラマンダラさんはじめ多くの人は、池田氏のこのような発言を、傲慢な発言だと批判しますが、戸田時代からの池田氏と他の青年部の関係あたりから検証してみると、別の捉え方もできるのではないかと、私は考えています。(狂信的な他の青年部の中にあってただ一人池田氏だけはいい意味で”醒めていた“)いつか考察してみたいと思います。

 

獅子風蓮

 


対話ブログ・ステージⅠ:ブログの開始 (18)

2021-09-27 01:54:44 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■聖教新聞を編集しているみなさんへ         投稿日: 2012年1月8日
MCが解けてから、私は聖教新聞を見るようになりました(笑)。いちいち読みはしませんが、見るのは見ます。新聞紙上で池田氏がどのように扱われているかに興味が出てきたので、以前よりも格段に隅々まで見るようになりました。やはり去年の春以降、池田氏のちゃんとした様子の写真はありません。去年の11月頃に、最高幹部と写った記念写真がありましたが、それはまるで洗濯して縮んでしまったボロボロの古いぬいぐるみのように、いかにも椅子にちょこんと座らされたといった感じで、どこを見ているのかもわからないようなまったく生気のない顔の表情でした。それはたとえ学会シンパであっても、さすがにわかったようです。そのときの新聞は記念に今でも保管しています(笑)。過去の写真は必ず撮影日と場所が明記されているのですが、この時期の数枚の写真に関してはなぜか「11月新宿区にて」などとぼかしています。なぜですか?先日の腕のかたちがとても不自然な写真は合成だろうという話もあるくらいですが、あれってどうして腕が途中でとぎれているんですか?世間にさまざまな憶測が飛び交う中でも、決して池田氏は人前に現われません。学会創立80周年も、毎年出席していた創価大学の卒業式にも、もちろん5・3にも姿を見せない。大好きな名誉称号をくれるといって外国からわざわざ来てくれた客人に会いもしない。聖教新聞にはやたらと池田氏の過去の写真が載っていますよね。なんかやり方が見え透いていて悲哀さえ感じます。それでも大きな会合にはなぜかしっかりと「メッセージ」だけは送られてくる。あのメッセージが池田氏から誰が受け取っているのですか?聖教新聞社には誰が伝えているのですか?さらに今年から聖教新聞には月一で青年に語りかける連載まではじまるそうですが、池田氏にそんな気力があるなら、どうして姿を見せないのですか?聖教新聞を編集しているみなさんは、毎日大変だろうなと思います。毎日毎日どうやってごまかそうかと頭を抱えているのではないですか?かといって誰にも愚痴れないし、まともな人間ならストレスで身が持たないでしょう。よかったら愚痴でいいですからこのブログにコメントしてみませんか?(笑)
これだけの会員数がいて、みんな「先生、先生」と「指導」を求めているのに、一年半以上も会員の前に顔を出さずに、その理由を一切明らかにしない学会本部。学会の正義を信じている創価学会員の皆さん。どなたか座談会でそのことを幹部に質問してはどうでしょうか。「池田先生はどうしてみんなの前に姿を見せないのですか?見せない理由を言わずにメッセージだけ送ってくる理由は何ですか?もし人前に出ることができないほど体調が悪いのなら、世界中の会員が先生の健康を祈ることもできるのに、どうして何も知らせてくれないんですか?こんな簡単な質問に答えられない理由は何なのですか?学会の師弟不二とはこういうことなのですか?」って(笑)。まあ、そんなことを言おうものなら、幹部は答えるどころか「あなたは信心が足りない!」とか「お題目を上げきって先生にお応えできる私たちになることです」とかわけのわからない言葉でその場はやりすごして、あとから「◯◯さんは、頭がどうかしちゃったみたい」と同志を平気で狂人あつかいするんでしょうね。で、さらに自分で物事を考えない素直な会員さんは幹部の言うことを鵜呑みにするんでしょうね。幹部の言うことに疑問を持つと不幸になると信じてますからね。
昔、幹部から「先生対自分の直の信心をしなさい」と言われたものです。直も何も姿も見せずに、その理由さえ言わない人にどうやって心を合わせられるんでしょう。聖教新聞での池田氏の動向ひとつとってみてもこれだけ不自然なのに、学会は何もなかったかのように財務だ選挙だと動きまわれるのが不思議です。でもみんな「そうは思うんだけど罰が恐くて」という脅迫観念に縛られていたり、幹部の言うことを聞いていれば自分で何も考えることをしなくてすむし、末端組織のコミュニティに依存してれば安心だし、さもなくば完全にイってしまってるかですね。そういう姿だけを見ても、彼らの思考回路はどう考えてもカルトだと思います。なんで今まで気づかなかったのか…と何度後悔してもしたりません。
これから私は創価学会に対してどのような態度で望めばいいのかをずっと考えています。
1. ただ単に脱会届を出して、これからは学会と一切関係ないこととして終らせるのか。
2. 正面切って学会の矛盾を問いかけるために同級生の副会長、もしくは従兄弟の県幹部と徹底的に議論するのか。
3. 黙ってこのまま学会員であり続けて、こっそり学会の真実をネットで訴えていくのか。
ざっとこの3つが頭に浮かびます。今のところ3の方向でいくのがいいかなと思ってはいます。1はなんだか泣き寝入りみたいで自分自身が納得できないし、2はどんな被害があるかわからない。私はともかく家族まで危険に晒される可能性もあります。私一人では何もできませんが、やはりこうして皆さんの声をできるだけたくさん集めることで、世論のレベルまで高めることができるのではないかと思っています。ここだけではなく、こうした動きを多くの方が実践されることで、創価学会がカルトであることを世の中にきちんと示すことは可能だと思います。それは「自分の人生を台無しにしやがった学会にギャフンと言わせてやる」ではなくて(笑)、学会による被害者をこれ以上出さないようにという考えです。
みなさんのお話を聞く中で、私の受けた被害はまだ軽いほうなのではないかと思いました。それは以前書いたように、自分の中での学会ではない部分の人生をしっかり生きてきたからだと思いました。パソコンに例えると、ハードディスクをパーテーションで区切っていたので、学会のディスクが壊れても、別のディスクは正常に動いていたということかなと。分かりづらかったですね(笑)。ですから私は学会のハードディスクが壊れても、それ以外のハードディスクがあったからこうしていろんなものの辻褄がすぐに合わさって、いろんなものが見えてきたのだと思います。学会のハードディスクだけで生きてきた方、つまり自分の全てを学会の組織活動に捧げて身も心もボロボロになるまで気づかなかった方、もしくはそのまま人生を終らせてしまった方(私の父)のことを思えば、私などかすり傷とまでは言わないにしても(笑)、右足骨折ぐらいのものなのかなと思います。
そう遠くないうちに創価学会は内部崩壊し、壊滅的な信者離れによって戦後最大のカルト教団事件であるという歴史的評価がなされると思います。それは基本的に池田氏のカリスマ性にのみ依存しなければ維持できない学会自体の構造が持っている宿命でもあります。もともと池田氏が金と権力を我がものにするためだけにつくった営利団体なのですから、池田氏自らがそうした性格の組織を望んだわけです。「先生、先生」と崇められ、何の疑問も抱かずに必死になってお金を貢いでくる信者が集まる集団。それは彼にとっては夢のような集団だったでしょう。
三代会長の座につくために、あらゆる汚い策略を張り巡らして競争相手を蹴落とし、この組織を自分のものにしてからさらに大きな営利集団に仕立て上げた彼の野望は見事に叶いました。そのためにどれだけの人間の人生を踏みにじってきたことか。「功徳欲しさに騙されるやつが悪いんだ」この期に及んで、そんな彼の声が聞こえてきそうです。絵に描いたような典型的なカルトです。自分が中心でない組織など池田氏にとっては何の意味もないわけですから、今となっては組織がどうなろうがどうだっていいのだろうと思います。
私はここ最近の学会本部をはじめとした異常な建設物ラッシュに恐ろしさを感じています。組織が崩壊して摘発される前にやばいお金は使い果たしてしまうつもりではないかなどと思ったりもします。学会上層部はもはや明らかな組織崩壊に備えての身辺整理に入っているんじゃないかと。矢野氏の「乱脈経理」を出すまでもなく、これから学会の裏側が隠しきれなくなれば、膨大な数の損害賠償訴訟が起こされるでしょう。それまでに宗教法人の隠れ蓑で蓄えていた表に出せない財産を、あわてて建物や他のものに変えておく算段なのかなと勝手に想像したりしてます。まあ、想像ですから、実際はもっと別のとんでもない思惑があるのかもしれません。とにかく最近の建設ラッシュは異様だと思います。学会からの甘い汁を吸っている企業のみなさん、それから見せかけだけでも会員というだけで多くの学会員のファンを獲得して営業を行なっている芸能人のみなさん、そろそろ学会から手を引いとかないと痛い目にあうかもしれませんよ(笑)。
聖教新聞をつくっているみなさん。今の聖教新聞を眺めていると、そんなことがわかります。というか、あの白々しい苦し紛れの紙面は、そんなことしか伝えていないのですよ。

●サラマンダラ(2012年1月9日 00:27)
おはようございますシニフェイ様全く同感の極みですそれと、やはり手法としては3だと思います告発、発信し続けることがもっとも大切なことだと思われます。貴方様のお立場からすればかなり中枢の情報が入るように思われますので今のままで良いのではないでしょうか(気持はすでに完全に退会されているようなので)真実を心ある人は知りたがっているのですからね。私も何十年も四六中側近で使えた副会長が、あれだけそばにいたのに会長が勤行、唱題する声など全くと言ってよいくらい聞いたことがなかった言われるのを聞いて、唖然としました。これが尊敬していた信心の、そして人生の指導者???その時思ったのは、どこかの国の将軍様のように知らぬ間に偶像化された人物を信じ切っていたんだなと、気付きました考えてみれば、新聞に載る先生、映像で見る先生、幹部から聞かされる先生しか知らされない多くの純粋な末端会員、偉大なる大先生とマインドコントロールされているのも気がつくはずもなく、疑いを抱けば自ら、スリ、ハンドク、無疑ワクシンを思い出し、疑いを打ち消す努力をしながら、矛盾を抱きながら組織について行ってるのが現状ではないでしょうか。どうかいつまでも発信、告発し続けてください取りとめのない書き込みごめんなさい

●レモン
2012年1月9日 05:58
シニフェイ様投稿は初めてです。このブログはスタート時より拝読させて頂いていました。一応、婦人部です。50年、学会員やっています(笑)今は、非活で、同時中継のみ参加。嘘を見つけに行っています。「全く同感の極みです、やはり手法としては3だと思います」サラマンダラさんの意見と同じです。本日付けの聖教新聞を見て、「どこまで、会員を騙すんだろう」と、以前より隅々まで目を通すようになり、自分でも笑い、シニフェイ様も同じ状態で、又、笑い・・・。私は、昨年、グラフを止めました。幹部から、電話はありましたが、まあまあすんなり止めれました。昨年末の財務も止めました。幹部の反応は、今のところありません。創価大学出身の知り合いがいます。M理事長と同期の方です。ゴーストライターは、5人いる、と、聞きました。おいおいと、内情を暴露してまいります。本日は、ここまでにしますが、同じ状況の方々が大勢いらっしゃるので、一人で悩まないで、「対話」させて頂きたく投稿いたしました。


解説
これから私は創価学会に対してどのような態度で望めばいいのかをずっと考えています。
1. ただ単に脱会届を出して、これからは学会と一切関係ないこととして終らせるのか。
2. 正面切って学会の矛盾を問いかけるために同級生の副会長、もしくは従兄弟の県幹部と徹底的に議論するのか。
3. 黙ってこのまま学会員であり続けて、こっそり学会の真実をネットで訴えていくのか。
ざっとこの3つが頭に浮かびます。今のところ3の方向でいくのがいいかなと思ってはいます。

このように、シニフィエさんは今後の行動の選択肢を示しています。

レモンさんが投稿しています。
>一応、婦人部です。50年、学会員やっています(笑)
私が知っているレモンさんのプロフィールと違いますね。
別人でしょうか。


PS:その後、「君が人生の時」のブログ主・レモンさんより呼びかけがありました。
その結果、この時のレモンさんは別人と判明。
ちなみに私の知るレモンさんが対話に初めて投稿したのは2014年とのことでした。
レモンさんにはご迷惑をおかけしました。
でも、疑問が一つ解決してすっきりしました。
レモンさん、ありがとうございました。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:ブログの開始 (17)

2021-09-26 01:51:54 | 対話ブログ

■検討中                     投稿日: 2012年1月5日
いやはや、困りました。
原因が分かりません。
まったくランダムにコメントが載ったり載らなかったり。
すみません、なにかとご迷惑をおかけします。
みなさま、コメントしていただくときは、
単純にコメント欄に書き込んだあと、そのすぐ下にある
コメントの記入者:の選択欄で「名前:URL」を選択し、
ハンドルネームを記入していただいたあと、
そのすぐ下にある「送信」ボタンをクリックしてください。
すると「文字の確認」という欄が出てきますので
そこに見えている崩れたアルファベットをそのとおりに記入して
「公開」ボタンをクリックしてください。
たぶんそれで大丈夫のはずなんですが…
天下のグーグルがこんな初歩的な不具合を
放っておくわけはないとは思うのですが
原因はよくわかりません。
いま、他の会社のブログへの移行を検討中です。
広告が入らなくて、シンプルなデザインで
コメントもきちんと読めて
私の正体がばれないところ(笑)を探しています。
一時的な不具合であればこのまま続けますが、
これからも続くようでしたら別ブログに移るつもりです。
みなさま、どうかもうしばらく我慢してください。
先にも再三書きましたように、
私の意思でコメントを削除するときは、
必ず理由を述べてからやりますので、
それ以外は不具合だとお考えください。
黙って削除することは絶対ないです。
よろしくお願いします!


解説
システムの不具合で、まったくランダムにコメントが載ったり載らなかったりしているようですね。
シニフィエさんは真面目に誠実に対応しています。

獅子風蓮