獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

乙骨さんからメールをもらいました。

2023-05-17 01:18:11 | 東村山女性市議転落死事件

以前、こんな記事を書きました。

「東村山市議転落死事件~宇留嶋瑞郎氏のブログ」(2023-05-10)

創価学会が起こした『週刊現代』らに対する裁判の顛末。
当初は、創価学会対、朝木親子+講談社の図式だったのが、朝木側と講談社の主張が対立したことで、三つ巴の闘いになった。
そうして、裁判の証人として、乙骨氏が、講談社側の証言に立ち、両者の会談で、例のやり取りがあったことを証言したという。

などの内容について、乙骨さんにメールで真偽を尋ねました。

私のぶしつけな質問に対して、乙骨さんは、誠実に答えてくれました。
私信ですので全てを公開することはしませんが、結論から言えば、宇留嶋氏の書いていることは本当だということです。

また、乙骨さんは、著書『怪死』の出版に際して矢野氏側からクレームがつき、裁判に訴えられたということも認められました。

どうも、矢野氏は、自分の気に入らない人物や事柄に対しては、誠実な対話を繰り返すという地道な作業をするよりも、すぐに裁判に訴えるようなところのある人物だということは確かなようです。

今後は、矢野氏の過去の言動については、距離を置いて検証していきたいと思います。


今回は、回答しにくい内容であったにもかかわらず、正直にお答えしてしてくれた乙骨正生さんに、最大限の敬意を表します。

ありがとうございました。

 


獅子風蓮


高倉先生、ご返事ください。

2023-05-16 01:00:36 | 東村山女性市議転落死事件

以前、こんな記事を書きました。

「東村山市議転落死事件~高倉氏の「陳述書」はどう考えたらいいのか?」(2023-05-11)
その中で、香川大学の教授だった高倉良一氏のブログを引用しましたが、礼儀だと思い、高倉先生にメールで報告しました。5/11のことです。

また、かねてからの疑問を高倉先生にぶつけてみました。

__高倉先生がこのお話を聞いた野崎さんは、現在すでに亡くなられたというのは本当でしょうか。
__大阪の研究会で一緒だった他のメンバーは、この話を野崎さんから聞いてはいないのでしょうか。
__野崎さんの言った「暴力団員に身を隠せと命じた創価学会幹部」というのは、中村税理士で間違いないでしょうか。
__中村税理士のフルネームはお判りでしょうか。
__中村税理士を追跡することはできないでしょうか。


東村山市議転落事件の真相解明のため、高倉先生と情報交換をしたかったのですが、現在までのところ返信はありません。

高倉先生、この記事に直接コメントを下さっても構いません。
お返事を待っています。


獅子風蓮


東村山市議転落死事件~高倉氏の「陳述書」はどう考えたらいいのか?

2023-05-11 01:33:32 | 東村山女性市議転落死事件

前回、東村山市議転落死事件について、関係者の主張についてはより客観的に検証すべきであると書きました。

矢野氏らの言い分を100%信用するのは危ないかもしれない、ということです。

しかし、朝木明代氏の転落死が他殺であった可能性がまったくなくなったわけではありません。
その中でも、特筆すべき証拠というか証言が、香川大学の教授だった高倉良一氏のブログです。

このことは、一昨年、対話ブログでコメントをしたときにも書きました。
私のブログで、当時のコメントを再現しています。
参照してください。

対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その5(2021-06-11)

少し引用します。


別に、現在の創価学会を擁護しようなどという気持ちはないのですが、40年を経て、だいぶ変わったんだなあという印象です。
でも、肝心な批判拒否体質は変わっていない点、過去の誤りをきちんと反省できてないことなど、まだまだダメだなあと思うのです。
創価学会の存在すべてが憎い、幹部の顔を見ると腹が立つ、という気持ちは理解できるのですが、私は、創価学会幹部職員の中にわずかにいるかもしれない良心的な部分に訴えたいのです。

会員をだまして時間と金を搾取するようなことはもうやめて、ください。
学会の犯罪行為を知る立場の人で、それを墓場まで持っていこうと考えている人は、どうぞ、将来の創価学会の再生のために、その秘密を明るみに出してください。

ここでは、1例として、「東村山女性市議転落死事件」についてとりあげたいと思います。
少し前に、『東村山の闇』と『怪死 東村山女性市議転落死事件』を読み、創価学会・公明党の謀略性に驚き、恐怖を感じました。
創価学会・公明党の理不尽に怯むことなく闘って無残な最期を迎えた朝木明代さんの死を無駄にしないためにも、創価学会・公明党の悪をなんとか白日の下にさらしたいものです。
さて、創価学会批判の関連書籍を読んでいるときに、気になる情報に遭遇しました。
『サヨナラ私の池田大作 パート2』という本の中に「〈対談〉池田創価はどうしてカルト化したのか  --福本澗一×木村福子」という文章があります。
その中で、福本澗一という人が、「今の創価の最大の弱点は東村山事件と反対者の粛正・解職解任」という項目で次のように述べています。(93ページ)

福本 香川大学に高倉良一氏という教授がいます。池田大作名誉会長を裁判で訴えている人です。
 彼は朝木問題について詳細な情報を持っているようです。私が離脱した時も、創価が最も知りたかったのは私がどれだけ朝木問題を知っているかということもあったのでしょう。今回の創価人事では山本哲也副会長が解任されました。そこには深い意味があると思うのです。山本哲也氏は、高倉教授を尋問した中心者でした。また”池田の長男”の池田博正氏を支える”未来本部”のエリートでしたから、いろいろと憶測を呼んでいます。八幡浜高校・慶応大学の同級生山本ひろし参議院議員の支援をして以来、四国総主事になったのが運の尽きで、尋問担当になったのでしょう。山本ひろし議員は、私の後釜です。
 今の創価にとっての弱点を幾つか挙げると、朝木事件と池田センセーの海外へ持ち込んだ円や銀行に預けた金、つまり為替問題が出てきそうなのです。海外の金では外為法違反をやっている恐れです。学会はそういう金のダーティーな部分を国会の場で追及されるのが一番痛い。
木村 どこまでそれらの事実は明らかになっているのですか?
福本 朝木事件に関しては、暴力団の後藤組関係者が鍵を握っているようです。それについては後藤組へ金を渡していた創価の当時のN経理部担当者が野崎至亮氏に話し、その内容を何と高倉教授に語っていたのです。2014年3月9日のブログでは、その当時の経理部長名はNだと実名で書いています。Nもその後、表舞台から消えていますが、事件の真相を一番知っている人物でしょう。法律改正で殺人罪には時効がなくなりました。


そこで、私は、高倉教授のブログを探しました。
創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その135

背景をかいつまんで説明します。
高倉氏は大学生のころ創価学会に入会した。
学会活動を熱心にするうち、組織の先輩の紹介で創価学会員の女性と結婚した。
子ども(長男、長女)も生まれて幸せにくらしていたが、ある時期より創価学会と池田名誉会長に対する不信が芽生えた。
そのきっかけになったのは、大阪で定期的に開かれていた仏法の勉強会だったようである。
その参加者に、創価学会幹部の野崎至亮氏がいた。
信心強情な妻に、学会組織のおかしいところを分かってもらおうと、高倉氏は、かねてより書きためていた日記のコピーを妻に渡した。
それを読んだ妻は驚いて、日記を組織の上司に渡し、指導を受けた。妻は、子ども二人を連れて、実家に帰ってしまった。
その日記が四国創価学会の上層部に渡り、学会本部にも知られるようになった。
学会の上層部は、日記に書かれていたことを理由に、高倉氏の組織上の先輩和田氏を査問した。
その後、和田氏から呼び出されて、東京のホテルの一室で、創価学会幹部による査問を、高倉氏は受けた……
というところでしょうか。
その後、生命の危険を感じた高倉氏は、創価学会上層部を相手取って裁判を起こしたわけです。


その裁判に提出された陳述書:
殺害予告に脅えた背景となる事情
-野崎至亮氏から聞かされていた東村山事件の「真実」-
が書き留められています。

長くなりますので全文の引用はしませんが、要点だけ書きだします。

創価学会元副教学部長の野崎至亮氏(以下、野崎氏と記述する)は、「高倉さんも東村山事件のことは聞いたことがあると思うけど」と前置きして、以下の発言をしました。
「平成7年9月1日夜、創価学会の最高幹部から朝木議員を脅すように命じられた暴力団員2名が、朝木議員の体をビルの6階の外側に抱え上げて、創価学会に敵対する活動を止めなければ落とすぞと脅していたんです。ところが、誤って朝木議員を落として死亡させてしまったと、この暴力団員2名が、創価学会の幹部(註:池田大作氏の海外資産の移動に関与した創価学会員で、職業は公認会計士か税理士。)のところに顔面蒼白になって駆け込んで来たんです。そこで、この創価学会幹部は、朝木議員のことは自殺として処理するので、ほとぼりが冷めるまで身を隠せと暴力団員に命じたんです」と、野崎氏は話しました。
私がとても驚いた顔をすると、野崎氏は、「このことは、暴力団員に身を隠せと命じた学会員から、私(野崎)は直接聞きました」と、私に告げたのです。
(中略)
野崎氏は、この人物の名前と肩書を口にされました。ところが、私は、その名前を思い出すことができません。駅に向かって歩きながらだったので聞き逃してしまったのです。肩書は、公認会計士か税理士かのどちらかだったと思います。
 しかし、発言内容については鮮明に覚えています。野崎氏が、この人物から東村山事件に関する「真実」を直接聞いたと述べたからです。その内容は、「第1.東村山事件は創価学会による殺害犯行であるとの野崎至亮氏の証言」で述べた通りです。野崎氏は、朝木議員殺害の「真実」を「直接、この人(公認会計士か税理士)から聞きましたわ。」と語ったのです。

学会の上層部にいて、池田名誉会長のことをよく知る野崎至亮氏の発言ですから、重みが違います。

高倉氏は、自分が査問を受けて、生命の危険を感じたため裁判を起こしました。
その傍証として、創価学会の上層部がどれほど危険なことをするかという証拠として、この陳述書を提出したと思われます。
この中にも書いてありますが、高倉氏は東村山市議転落事件の真相解明が進むことを望んでおられます。

そのためには、野崎至亮氏が直接声を上げ、暴力団員に身を隠せと命じた創価学会幹部の名前を明かし、警察の捜査に協力すべきでしょう。

対話ブログでは、このような問題についての情報交換ができればいいと思って参加したのですが、管理人のシニフィエさんから悪意のある扱いをされてしまい、実のある対話は出来ませんでした。
ただ、ある参加者から、野崎至亮氏はすでに亡くなったと知らされ、がっかりしたことを覚えています。

さて、宇留嶋氏のブログなどを読むと、朝木明代さんの死は「万引きを苦にした自殺」であり、事件性は全然ないということになります。

しかし、野崎至亮氏の発言といい、ネットで噂されている真犯人(沖浦克司氏)といい、何が真実なのか、訳が分かりません。

少しでも、真実に近づけていければと思います。


獅子風蓮


PS)
信頼性については若干の危うさはありますが、次のサイト
「yamanoyokohama2050のblog」の記事:
「基地外カルト創価統一暴走列車は止まれない!」(2023年04月12日)

では、野崎氏が言及した「暴力団員に身を隠せと命じた創価学会幹部の名前」を中村税理士と特定しています。
そこには、次のように書かれています。

ある創価学会本部長会議の席上にて、
昔、池田大作が
秋谷栄之助に対して怒号した。
【朝木をなんとか、黙らせろ!】と。
そして、秋谷栄之助の命令により白羽の矢がたったのが、沖浦克治であった。

沖浦克治は後藤組組員2名を引き連れて、ロックケープビルで
脱会者の救出活動にあたっていた朝木明代さんを待ち伏せして
いて、5階と6階の踊り場にて
22時頃にここから、本当に突すぞ!と後藤組組員2名に脅され、沖浦克治と共に朝木明代さんを突き落として殺害し、救急車をわざと25分も遅らせて、
現場に到着した。
息の根を止めるためにだ!

その後、血相変えて、創価学会本部にて中村税理士に報告。
又、秋谷栄之助元会長にも、原田稔会長にも
報告し、【ほとぼりが冷めるまで、身を隠せ!】との命令により、
長野県安曇郡白馬村に身を隠して、後日、学会員から、数千万円札束を紙袋で受け取り、
チームレスキューの建設費用に当てたが、
沖浦克治の良心の呵責から、一度、2年後の1997年に長野県警へ自首しているが、自殺処理された為に、無罪となった事件である。

もっとも、この情報提供者が清水大悟であったら、あまり信用できない話ですが、名前の出ている中村税理士と沖浦克治氏には、ぜひお話を伺ってみたいと思います。

お二人に関する情報をお持ちの方は、連絡ください。



獅子風蓮


東村山市議転落死事件~宇留嶋瑞郎氏のブログ

2023-05-10 01:02:03 | 東村山女性市議転落死事件

以前、私は「東村山市議転落死事件~創価学会側の主張」として、学会寄りの主張をする二人のジャーナリストの主張を検討してきました。

一人は、佐倉敏明(井原武人あるは山本芳実)氏で、もう一人は柳原滋雄(中田光彦)氏です。
二人とも創価学会のお抱えジャーナリストともいうべき方で、その記述には偏りが認められます。

さて、このシリーズの最後の回で、こういう記事がありました。

東村山市議転落死事件~創価学会側の主張(12)(2023-04-25)
この中にも書きましが、「柳原滋雄のホームページ」からの引用です。孫引きになりますが、再度引用します。

■東村山市議の闇12 空白の50分間(2022/12/07 水曜日)

この事件の真相を解くカギは「空白の2時間」と呼ばれてきた9月1日当日の午後10時40分から翌日0時30分にあるともされてきた。この用語は宇留嶋著『民主主義汚染』で最初に活字にされたと思われるものだ。
(以下省略)

柳原氏の情報源である宇留嶋氏とはどのような人物なのでしょうか。

Wikipediaには記載がありませんでた。
アマゾンで検索すると、『民主主義汚染』という著書が1冊だけ見つかりました。
佐倉氏や柳原氏ほど、有名ではなさそうです。
私も、つい最近まで知りませんでした。

そんな折り、たまたま覗いた鯛焼きさんのブログのコメント欄で、宇留嶋氏のブログへのリンクを発見しました。

「シニフィエさんとの対話」(鯛焼きさんのブログ)
フリートーク2023 5(2023/05/01)

リンク先をたどって記事を読んでみました。

『ブログマガジン エアフォース』(宇留嶋瑞郎氏)より。
「東村山」の民主主義汚染を検証する 
第3章 「東村山事件」とは何だったのか

何しろ文章の量が多いので、ざっと読むにも時間がかかりましたが、文章自体はジャーナリストらしく論理的で、説得力がありました。
これまで、私は、朝木さんの遺族や矢野氏および彼らに取材した乙骨氏の著書を中心に、この事件を理解してきましたが、その根底が覆されるような内容でした。
衝撃を受けたといっても大げさではないでしょう。

学会寄りのジャーナリストというと、佐倉氏や柳原氏のように偏った書き方をする人ばかりかと思ったら、宇留嶋氏は、事実を積み重ねるタイプの書き手のようで、好感を持ちました。

詳しくは後ほどまとめて検証したいと思うのですが、一つだけ取り上げると……

東村山市議だった朝木明代さんの転落死をめぐり、多くのメディアが、創価学会の関与を匂わせる報道をしました。その中でも、最も直接的だったのが『週刊現代』(95年9月23日)の「東村山女性市議『変死』の謎に迫る 夫と娘が激白!『明代は創価学会に殺された』」でした。

記事は、タイトルのとおり、本文でも娘である朝木直子さんと夫朝木大統さんのコメントを多く取り上げており、その主張をほぼ全面的に追認するかたちで構成されていました。

創価学会は『週刊現代』が発売された翌日の95年9月12日、講談社と朝木父娘を名誉毀損容疑で刑事告訴。同9月21日付『聖教新聞』では、創価学会の秋谷栄之助会長(=当時)が「呆れ果てた捏造記事」、「何の関係もない学会を『人殺し』呼ばわりするとは、迷惑千万極まる話です」などと、朝木父娘と『週刊現代』を批判する記事を掲載。創価学会は10月6日、朝木父娘と『週刊現代』編集長の元木昌彦、講談社に対し1億円の支払いを求めて提訴しました。

創価学会から提訴されて10日後の95年10月17日、講談社は東村山まで出向き、朝木側と裁判に向けて話し合いの場を持ったそうです。講談社がわざわざ東村山まで出向いたのは、記事を出したことにより取材で世話になった朝木父娘を巻き込んでしまい申し訳ないという思いからだったようです。出版社として常識的な対応でしょう。
講談社側の出席者は『週刊現代』の編集次長、発売日に矢野氏、朝木直子さんと面会した編集担当者、法務担当者、講談社の代理人弁護士の4名。朝木側の出席者は、朝木直子さんと大統氏、矢野氏に加えて東村山出身で反創価学会ライターとして知られていた人物(乙骨氏、獅子風蓮による注)、それに小坂渉孝の5名だったとのこと。

講談社の代理人としては、この会合で何よりも優先して確認しておかなければならないことがあったとのこと。講談社の代理人は朝木父娘に対してこう聞いたという。
「コメントを出したことが問題となっていますが、いったいわないの話にはなりませんね」

この確認に対して、矢野氏は「そのようなことはありません」とはっきり答えたとのこと。

ところが後の裁判の途中で、朝木側は、このようなコメントは言っていないと主張を翻し、そもそも取材など受けていないといったというのです。


当初は、創価学会対、朝木親子+講談社の図式だったのが、朝木側と講談社の主張が対立したことで、三つ巴の闘いになったといいます。

そうして、裁判の証人として、乙骨氏が、講談社側の証言に立ち、両者の会談で、上記のようなやり取りがあったことを証言したというのです。

これは、私にとってショックなことです。
もし事実だとしたら、矢野氏や直子さんに対する、これまでの信頼が崩れていきます。

今後の予定として、両氏の著作である『東村山の闇』をネタ本にしてブログの記事を書いていこうと思っていましたが、ふたりの主張には、少し距離を置いて、より客観的に検証作業に当たらなくてはいけないと思いました。


ただ、宇留嶋氏はあくまで、創価学会に都合の悪いことは書かない立場のジャーナリストですので、彼の言い分を全て認めるわけにもいきません。

乙骨氏と連絡を取りながら、何が真実で、何が嘘なのかを、一つ一つ検証していきたいと思います。


獅子風蓮


東村山市議転落死事件~創価学会側の主張(12)

2023-04-25 01:22:20 | 東村山女性市議転落死事件

柳原滋雄氏は中田光彦の名前で多数の文章を主に創価学会系の雑誌『潮』に発表しています。

Wikipediaによると、柳原滋雄氏は、早稲田大学在学中の1985年に、創価学会へ入会。
創価学会員である柳原滋雄氏の主張は大きなバイアスがかかっていると見た方がいいでしょう。

柳原滋雄氏は自身のホームページの中で「コラム日記」を書いており、「東村山市議転落事件」についても現在も積極的に記事をアップしています。

さっそく、「柳原滋雄のホームページ」からいくつか気になる記事をピックアップしてみましょう。

 


■東村山市議の闇12 空白の50分間(2022/12/07 水曜日)

この事件の真相を解くカギは「空白の2時間」と呼ばれてきた9月1日当日の午後10時40分から翌日0時30分にあるともされてきた。この用語は宇留嶋著『民主主義汚染』で最初に活字にされたと思われるものだ。

矢野穂積が朝木明代の所在確認のために東村山署に電話したと矢野本人が主張している時間が午後10時40分。だが東村山署に残された記録では翌日の0時30分という「誤差」があった。『民主主義汚染』では、矢野の主張する10時40分は虚偽で、実際に架電した0時30分まで「空白の2時間」があったと紹介している。

実際はその前にも、朝木明代と矢野穂積が弁護士に相談して帰ってきてから、矢野は地元の自治会長の会議に出席するために事務所を出て、朝木明代が単独で事務所にいた時間があった。矢野が9時10分に事務所に戻るとだれもいない状態で、転落事件はそれからほどない10時に発生。つまり矢野が事務所に戻った午後9時10分から翌日0時30分までが空白となっており、なかでも9時10分から10時までの50分間が事件のカギを握る重要な時間なのだ。その間に何が起こったのか。

NTTの記録などによれば、朝木明代は自宅に戻ったあと、9時19分に事務所に電話をかけ、「気分が悪いので少し休んで戻る」と告げたとされる。いずれにせよ午後10時には転落現場に明代の姿はあったわけで、草の根事務所は、朝木の自宅と転落現場の中間点にあった。明代は自宅を出て、いったん事務所に戻ってから転落現場に向かったと考えるのが、立地的には自然だ。事務所と転落現場は歩いて数分の距離。事務所に30分後の9時50分に戻ったとしても、なんら不自然さはない。

重要なヒントは、転落時の明代が靴をはいていなかった事実だ。また転落前の一人きりの時間帯に、外をふらぶらと徘徊していた様子も目撃されている。その中に彼女が万引きを行った洋品店周辺も含まれていた。明代は、自ら起こした万引き事件を気に病み、心虚ろな状況にあった可能性が高かった。

その明代が再び事務所に戻ったとき、矢野穂積と顔を合わせた際に何があったのか。推測にすぎないが、何らかの衝突めいたやりとりがあり、明代は靴もはかずにそのまま飛び出して行った。そう考えるのが最も理屈にかなう。

矢野にとっては、この時間帯のことを詮索される事態が一番まずかった。事件後、矢野が警察による事務所内捜査を自ら拒んだ事実がそのことを裏づける。事件直後に新聞記者の一人が、事務所に女性の靴があったのを見ていたとの話も残る。

当時の週刊誌記事は、明代の靴が事務所にも自宅にもなかったと平然と書いたが、それらは矢野の主張が正しいことを前提にした記述にすぎなかった。自らの利害のために平然と虚偽を並び立てるタイプの人間であることを何ら考慮しないで垂れ流した記事でしかなかったからだ。


■東村山の構図14 真相の推理(2023/02/13 月曜日)

1995年の転落事件は、朝木明代が自らの万引き事件に責任を感じ、突発的に行った「ためらい自殺」にすぎなかった。もし明代が病院に運ばれた後回復していたら、真相ははっきりしたはずだ。だがフェンスに胸部をしたたかにうちつけ、多くの失血を伴った転落は彼女の命を奪ってしまった。その死を自分本位に利用したのが矢野穂積だった。

以下は私の推測となるが、矢野と明代の間で最後にどのような会話がなされたかがより重要となる。その会話が明代がハダシで外に飛び出す行動を生んだと考えられるからだ。

「お前なんか、死んでしまえ」、あるいは「死んで詫びろ」と矢野が言い放った可能性は十分にある。売り言葉に買い言葉で明代が「死んでやる」と外に飛び出した可能性も濃厚だ。それは突発的な反応であったために、靴もはかずに飛び出し、ビルの高いところに昇ってみたが、実際は下を見て怖気づき、本能的に手すり部分にしがみついた。その結果、下までそのままズルっと落ちてしまったというのが現場の状況からの矛盾のない推察と思われる。
(以下省略)

 


解説
宇留嶋著『民主主義汚染』が今回の議論の論拠になっているようですが、宇留嶋氏とはどのような人物なのでしょうか。

ジャーナリスト宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と呼ぶことの検証

この記事を読むと、宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」と呼ぶのは適当ではないと言うことらしいのですが、学会系の『潮』に学会寄りの文章を多数載せていることは事実であり、私からみるとお抱えジャーナリストといえなくはないような。

さて、宇留嶋氏の指摘するところの「空白の2時間」ですが……

明代は自宅を出て、いったん事務所に戻ってから転落現場に向かったと考えるのが、立地的には自然だ。事務所と転落現場は歩いて数分の距離。事務所に30分後の9時50分に戻ったとしても、なんら不自然さはない。
重要なヒントは、転落時の明代が靴をはいていなかった事実だ。また転落前の一人きりの時間帯に、外をふらぶらと徘徊していた様子も目撃されている。その中に彼女が万引きを行った洋品店周辺も含まれていた。明代は、自ら起こした万引き事件を気に病み、心虚ろな状況にあった可能性が高かった。
その明代が再び事務所に戻ったとき、矢野穂積と顔を合わせた際に何があったのか。推測にすぎないが、何らかの衝突めいたやりとりがあり、明代は靴もはかずにそのまま飛び出して行った。そう考えるのが最も理屈にかなう。

ここが、柳原氏と矢野氏の間で一番の争点になるところでしょう。

このあたりに焦点を絞って、今後、他の資料を検証していきたいと思います。

それにしても、「推測にすぎないが」と前置きながらも、柳原氏は、「空白の2時間」に、再び事務所に戻った朝木さんと矢野氏の間に何らかの衝突めいたやりとりがあったとするのは、飛躍がすぎるのではないでしょうか。
柳原氏のストーリーとしては一番の悪は矢野氏で、矢野氏が朝木さんを罵倒したために、朝木さんが靴もはかずに事務所を飛び出し、ビルの上から飛び降り自殺をはかったというものです。
いくら気が動転していたからといって、たとえ罵倒されたとしても、市議会議員ともあろう人物が靴もはかずに事務所を飛び出したりするものでしょうか。
柳原氏の「推測」には、ムリがあるように思います。

Wikipediaによると、矢野氏は2021年11月30日に亡くなっています。
もう訴えられる心配がないから、矢野氏については何を書いても構わないと思っているのでしょうか。

柳原氏、卑劣です。

(このシリーズは終了)


獅子風蓮