獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その19(追記あり)

2024-02-13 01:44:52 | 正木伸城
というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。
 
本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。
 
(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 
■謝辞
■宗教2世の相談窓口
 

謝辞
 
本書に、誤りや手抜かりはなかったでしょうか。
この本の制作には、たくさんの方々の協力がありました。ここでお礼を申し上げて擱筆 (かくひつ)します。
 
創価学会的にいえば、親不孝といわれても仕方がないぼくを、一時のぶつかり合いを乗り越えて温かく包み込んでくれている父と母、そして兄弟、家族、親族。ときにあさっての方向に進みかけるぼくの生きかたを軌道修正してくれた先輩・友人たち。励ましを送りつづけてくれた、創価学会に縁のある方々。そのほか、宗教2世の当事者のみなさま。ぼくに生きかたの基礎を教え、書き手として、また仏教思想のよき語り仲間として、かつても、現在も心のなかで伴走しつづけてくれているアクティビストの先輩(故人)。
ありがとうございました。
思想的な影響を受けたという意味でいえば、新たな指針をぼくに提供してくれた哲学者 ハンナ・アーレントにも助けられました。
対談を通して本書にすぐれた知見を盛り込んでくださったジャーナリストの江川紹子さん。素敵な装丁に仕上げてくださったデザイナーの寄藤文平さん。やわらかな挿絵を描いてくださったイラストレーターの須山奈津希さん。編集者としてぼくに寄り添い、いつも自信をもたせてくださったダイヤモンド社の日野なおみさん。
ほんとうに、ありがとうございました。
この気持ちを糧に、これからより一層、いまこの瞬間を丁寧に生きながら、だれかの心 に希望の灯をともしていきます。
 
2023年4月
         正木伸城
 
 
 
宗教2世の相談窓口
 
本書では、宗教2世のみなさんがいきづまりを感じたときに役立つサバイバル術を紹介してきました。そのうえで、これまで宗教2世の悩みに、専門的に応えてきた方々も多くいます。そういった人に助けをもとめるのも大切な一手です。
窓口をいくつか紹介しますので、参考にしてみてください。
 
●宗教に関連した相談支援窓口
 
日本脱カルト協会 (JSCPR)
メール:info@jscpr.org
サイト:http://www.jscpr.org/aboutjscpr/inquiry
 
カルト被害を考える会
電話 :086-231-2885
サイト:https://www.asahi-net.or.jp/-am6k-kzhr/
 
一般社団法人宗教2世支援センター陽だまり
電話 :050-3046-6745
サイト:https://nisei-hidamari.org/
 
宗教もしもし相談室(新日本宗教団体連合会)
電話 :03-3466-9900
サイト:http://www.shinshuren.or.jp/
 
仏教テレフォン相談
(一般社団法人仏教情報センター)
電話 :03-3811-7470
サイト:https://bukkyo-joho.com/
 
全国霊感商法対策弁護士連絡会
電話 :070-8975-3553(火曜)
070-8993-6734(木曜)
サイト:https://www.stopreikan.com/
 
全国統一教会被害者家族の会
電話 :080-5079-5808(水曜)
080-5059-5808(金曜)
サイト:http://e-kazoku.sakura.ne.jp/
 
 
●トラブルに巻きこまれたときの相談窓口
 
日本弁護士連合会
電話 :03-3580-9841
サイト:https://www.nichibenren.or.jp/
 
法務省・子どもの人権110番
電話 :0120-007-110
サイト:https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken112.html
 
消費者ホットライン
(消費者庁・国民生活センター)
電話 :188
サイト:https://www.kokusen.go.jp/
 
厚生労働省・
児童相談所虐待対応ダイヤル
電話 :189
サイト:https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/
bunya/kodomo/kodomo_kosodate/dial_189.html
 
 

解説

ぼくに生きかたの基礎を教え、書き手として、また仏教思想のよき語り仲間として、かつても、現在も心のなかで伴走しつづけてくれているアクティビストの先輩(故人)。

正木伸城さんはこのように特定の先輩に厚い謝辞を送っています。
この先輩(故人)こそ友岡雅弥さんであると私は確信しました。

友岡雅弥さんは「すたぽ」という有料サイトに原稿を投稿していました。
その中に、大震災後の福島に通い続けたレポートがあります。
カテゴリー: FUKUSHIMA FACT というのがそれですが、その最初の投稿(2018年3月4日)では、自分のことを「アクティビスト、 ソーシャル・ライター 友岡雅弥」と記しています。

FF1-「故郷」をつくること 「故郷」を失うこと
  ――飯舘村・浪江町の、もう一つの歴史(その1) 


「アクティビスト」というのはどういう職業なのでしょう。
普通の生活では聞いたことない言葉です。

ネットで調べると、
「株式を一定程度取得した上で、その保有株式を裏づけとして、投資先企業の経営陣に積極的に提言をおこない、企業価値の向上を目指す投資家のことをアクティビストという。 いわゆる『物言う株主』で、経営陣との対話・交渉のほか、株主提案権の行使、会社提案議案の否決に向けた委任状勧誘等をおこなうことがある」
とのことですが、まさかそんな意味で使ったとは思えません。
おそらく、「積極的に行動する人」といった意味合いで、友岡雅弥さんが独自に使った言葉(特殊な言い回し)ではないかと思われます。

なので、正木伸城さんがここで謝意を記した先輩(故人)は、友岡雅弥さんで間違いないと思います。

正木伸城さんには、ぜひ友岡雅弥さんのことをいろいろ語ってほしいと思います。
よろしくお願いいたします。

 

そのうえで正木伸城さんには、ぜひ友岡雅弥さんの遺志をついで、悩める創価学会員の心の解放への道筋をつける作業を続けていってほしいと思います。

 

PS)

その後、X(旧ツイッター)「正木伸城×友岡雅弥」で検索してみると、こんなのが見つかりました。

 

私の推測は当たったようです。

 

 

獅子風蓮

正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その18

2024-02-12 01:39:04 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 
謝辞
宗教2世の相談窓口


5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 
  宗教が変わるだけでは、宗教2世問題は解決しない


オウム真理教事件で直面した2世問題

――江川さんはジャーナリストとして、オウム真理教をはじめ新宗教やカルトの問題に取り組んでいます。そんな江川さんに宗教2世について話を伺います。
最初にお断りをしておくと、このインタビューに、江川さんが取材をしてきたオウム真理教と、ぼくが長く活動してきた創価学会を、カルト教団として同列に論じる意図はありません。 

江川 わたしも、創価学会をオウム真理教のようなカルトだとは思っていません。むしろわたしは、それぞれの教団をカルトか否かという判断するのは、意味がないと思っています。どんな組織であれ、カルト性、つまりカルトの性質を帯びることはあるからです。

カルトには、「反社会的行為をする」とか「人権を侵害する」「閉鎖的なコミュニティをつくる」といった性質がありがちです。テクニカルな話でいえば、「恐怖心で人を縛る」「教団名を伏せて勧誘する」といったことも多い。ですから、私はカルトかカルトでないかではではなく、そのような性質が多いか少ないか、カルト性が高いか低いかという比較級の考えかたで、それぞれの宗教団体について考えるようにしています。
伝統的宗教とされているカトリック教会にだって、カルト性を帯びた一面はあるわけですから。

――カトリック教会の場合は、聖職者による子どもの性暴力が問題になりました。

江川 少なからぬ聖職者が宗教的な上下関係を利用し、地獄の怖さで脅して子どもに性虐待をしていました。しかも、組織的な隠蔽もあった。これはまさにカルト性があらわにな ったとしかいいようがありません。
ただ、カトリック教会がいわゆる「カルト教団」と違うのは、問題が発覚したとき、各地でカトリック教徒たちがデモ行進をして、「ローマ教皇の対応は生ぬるい」と批判し、退位までもとめたことです。かなり高位の聖職者の退位も要求していました。自分たちの宗教のなかにあるカルト性を、信者がみずから刈りとろうとした。組織トップの退陣を迫るなんて、オウムのような集団では考えられません。

性虐待という面でカトリック教会には「カルト性があった」と思いますが、その後の自浄作用を見れば「全体としてカルト性は極めて低い」と判断することができます。このように、宗教は多角的に見ていったほうがいいと思います。
カルト性という切り口で見るなら、創価学会にもカルト性はあるでしょう。創価学会のなかにも個々別々、いろいろな問題があることはわたしも聞いています。ですが、組織全体としてのカルト性の高さはそれほどでもない気がします。

――江川さんは創価学会2世など、宗教2世とも交流をもっているのでしょうか。

江川 エホバの証人やオウム真理教の宗教2世とはお会いしたことがありますが、そんなに多くはありません。
わたしには大きな反省があるんです。オウム事件が起きたとき、わたしは宗教1世、とくに事件を起こした信者たちが、なぜオウム真理教に傾倒したのかという取材をかさねていました。その一方で、オウム2世の問題には、十分に取り組めていなかったのです。
当時、オウム2世の子たちは教団施設に監禁され、事件発覚後は警察の力を借りて児童相談所に保護されました。やがて、祖父母のもとに戻されたり、親に引き渡されたりしました。今考えれば、そうした子どもたちがどのように生活し、社会に溶けこめているかどうかを見ていくことも必要でしたが、当時のわたしにはそういう発想が欠けていました。

だから、オウム2世に会ったときには謝罪しました。「あなたたちの苦しみを全然受け止められず、申し訳なかった」と。
親が教団に全財産をお布施していますから、社会と隔絶した教団施設から出たときは一文なしです。しかも地下鉄サリン事件後は、社会全体がオウム真理教に大バッシングをしていました。親戚の目も冷たい。そんななかで、必死に生きる道を切り開いてきた2世が、年とった親の面倒を見る年代になっている。困難な人生を歩むことになったのは、親の入信が原因という思いはぬぐえないでしょうから、これは大変ですよ。


オウム元信者の後悔――違和感を封じこめずに生きろ

――壮絶な状況ですね。そういった宗教2世をケアするには、なにがポイントにな りますか。

江川 あたりまえのような話ですが、必要なのは、普通に付き合いができる人間関係だと思います。ただ、これは教団内に「教団の『外』の人とはつき合うな」という文化があったり、社会の側にカルト的な集団に対する拒否反応が強かったりすると、そうした関係を結ぶのが難しくなります。

宗教2世であることがわかっても、「わたしはあなたの宗教には参加しないからね」ときっぱり断ったうえで、ほかの友だちとおなじように付き合ってくれる友人がまわりにいることが、とても大事だと思います。そうすれば、教団に疑問を感じたときには離脱するなど、自分自身の選択を広げることができるからです。
そういう関係をまったく持てずにいたり、教団の外に居場所がなかったりすれば、組織を抜けたらひとりぼっちになってしまうわけですから、怖くてやめられないでしょう。教団にとどまる以外の選択ができにくくなります。
それを考えると、教団の外に信頼できる人がいるような環境づくりは大切ではないでしょうか。

――江川さんは学校でカルトについて教えることの大切さも訴えられています。

江川 いわゆる「カルト教育」ですね。先ほどのべたカルト性の中身や、カルト性が高い集団と接触したときの対応方法などを教えるべきだと考えています。
カルト性というのは、なにも宗教にかぎった話ではありません。マルチ商法などもそうですし、政治的なカルトともいえる集団も存在します。そういうところからどうやって自分の身を守るのかを、きちんと教育の現場で教えていくべきだと思っています。

――人の心が操作されやすいものである、ということも学生に伝えているとか。

江川 大学の授業で教えています。人の心は案外もろいもので、いついかなるときも、おなじ心のモノサシを維持しておくのは難しい、と知っておくことが大事だと思うんです。なので、宗教にかぎらず、戦争が人をどれだけ変えてしまうかなどについても考えます。たとえばベトナム戦争では、武器を持たない子どもや老人まで虐殺するような事件が起き、イラク戦争でも米兵が現地の人にひどいことをしたわけですが、そうした兵士たちも、平時に祖国では、まっとうな市民で、親からすれば「とてもいい子」であり、子どもにとっては「いい親」だったりするわけです。
なにも、もともと残酷な人がひどい事件を起こすとは限らない。場の雰囲気や支配関係など、いろんな状況が重なれば、人の心は簡単に誘導されたり操作されてしまう。そんな話を学生にしています。

――オウム事件にも通じるところがありますね。江川さんの著作のなかには、オウム元信者が事件後の手記などで「後悔していること」として、つぎの2つをあげていることが印象的でした。
「違和感を封じてしまったこと」と「自分の頭で考えなかったこと」。
これら2つは、自分の心を操作されないという視点でも大事だと感じました。
宗教2世がサバイブしていくうえでも、この2つはとても重要です。

江川 教団のなかにいると、教祖がいうことや教団がいうことが絶対に正しくて、深遠なものであり、仮に信者が違和感を抱いたとしても、それは「自分が至らないから」「勉強不足だから」「信心が足りてないから」と自分を責めてしまいがちですよね。そうやって、自分で違和感や疑問を封じてしまうわけです。
オウム事件で無期懲役刑に服している受刑者に「学生に伝えたいことを書いてください」とお願いしたら、やはり「違和感を大事に」というメッセージを戻してきました。長く信仰をしていると、「なにか違うな」「変だな」「イヤだな」と思う瞬間だって経験しているんです。その違和感を大事にすればよかったと後悔しているんです。

ただし、違和感を抱いたときに教団のなかの人に相談するのはオススメしません。教団だってそういう対応には慣れていますから、信者の違和感はつぶされてしまいます。だからこそ、そういうときは教団の外の人に相談することが大事になるんです。

――信者のなかには選民思想のようなものをもって、外部の思想を忌避したり見下したりする人もいます。宗教や信者によっては、外の世界に相談するのも難しいかもしれません。

江川 そうですね。それでも、外の世界に普通に話ができる人がいれば、ふと話をしてみようという気もちが湧いてくることがあるかもしれない。そういう機会があるのとないのでは違うと思うんです。

――社会に出て、いろいろな価値観と接することができれば、選民思想をもった人でも「自分の信仰が絶対とはかぎらない」と気づくかもしれませんね。

江川 それには時間がかかるかもしれません。周囲とのズレや失敗をある程度、許容してくれるような人と出会えれば、宗教2世の置かれた状況も変わってくるんじゃないかと思うんです。


「自分の頭で考えること」でカルトにあらがう

江川 これは、オウム事件で服役していた元女性信者の話ですが、彼女が教団にいたとき、すべては教団幹部が決めていて、自分はいわれたことを実践するだけだったそうなんです。自分の頭で考えて行動していたわけではなかった。
その後、刑務所に入ったあとも、今度は彼女に命令する人が変わっただけで、やっぱり看守の指示に従って暮らしていた。
ところが、刑務所の外に出ると、自分でなにもかも決めなければならなくなる。自分で判断して実行に移したことには、自分が責任をとらなくてはならない。そういったことを、彼女は教団をやめて、はじめて体験したわけです。そんな彼女を支えてくれる人もいたようです。
そうして、さまざまな経験をかさねていくうちに、彼女にも失いたくないものができてきた。そのときに彼女ははじめて、肌で感じたというんです。
「ああ、わたしたち(オウム真理教)は、たくさんの人の『失いたくないもの』を壊してしまったんだ」と。
彼女は社会のなかで、少しずつ新しい価値観を育んでいきました。それには時間がかかります。ときには苦しい実践にもなります。失敗も挫折も経験します。
ただ、時間をかけていろんな経験をしたからこそ、彼女は再生することができた。
「時間がかかること」や「失敗」「挫折」が許容される社会や人間関係がないと、彼女の今の居場所はなくなってしまいます。

――宗教2世にとって、居場所は大切なテーマです。居場所を確保するには、社会の側も、宗教2世を迎えいれる懐の広さがなければなりません。

江川 わたしは、社会のなかにもいろんなカルト性が存在すると思っています。とくに、現代社会はカルト化が急速に進んでいると思います。「お前は敵か味方か」といった二元論的な発想が強まっていますし、自分が信じているものが100%正しくて、ほかは間違っていると相手を敵視するような、極端な態度をとる人もいる。
そういった社会のカルト化にあらがうには、自分のことをある程度、客観視してみて、そのうえで「自分の頭で考えること」も大事ですよね。

――自分が極端な発想に陥っていないかと点検をする意味でも、自分の頭で考えることが大切ですよね。
また、社会のなかにもカルト性があるとのお話でしたが、社会の側も、自分たちの価値観に宗教を同化させようとするばかりではなく、互いにみずからのカルト性を自覚しつつ、考えをつき合わせながら調整して、「ちょうどいい落としどころを探そうよ」というスタンスで向き合うことも、大切だと感じました。
大事な視点を教えてくださり、ありがとうございました。

 


解説
違和感を封じこめずに生きろ
自分の頭で考えること

いずれも、カルトおよび創価学会の2世にとって、大切なことですね。

 

獅子風蓮


正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その17

2024-02-08 01:11:05 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 
謝辞
宗教2世の相談窓口

4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ

□無理に教団から退会する必要はない
□宗教2世について発信するときに抱える葛藤
□「宗教2世」を豊かに語れる社会を
■あなたは、おかしくなんかない!
■宗教のために人間があるわけではない


4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ

 

あなたは、おかしくなんかない!

宗教2世が自分らしさを押し殺すことなく本音で生きることは、ときに難しい。
そう感じた経験が、ぼくには無数にあります。
その一端をこの本にしるしてきましたし、そういった経験が処世術に結実しています。
しかし、宗教2世といっても十人十色です。なかには、「このノウハウはすぐには実践できないな……」と感じる人もいるでしょう。
たとえば、ぼくは本書で、自分から遠い人(教団外の人や教団の価値観にいい意味で染まっていない人)に話を聞いてもらうことや、思考停止にならないように、さまざまな本を読むことを 推奨してきました。
ですが、宗教2世のなかには「教団外の人はサタンだ」と教わったり、教団の思想とはべつの価値観を伝える書籍に対するマイナスイメージをたたきこまれてきたために、そういった行為に抵抗感を抱く人もいます。
教団の文化や教祖・宗祖の教えなどに沿ったものとは違う行動を選択することが容易にできない人もいるのです。
そんな人たちは、決して焦らず、長いスパンで自身のこれからを見すえて、徐々に、ゆるやかに、しなやかに変化を期してほしい。そう願っています。

まず大切にしていただきたいのは、あなた自身です。
一歩一歩、丁寧に歩みを進めてください。
その結果として、教団を退会することを選ぶのも、教団に残ることを選ぶのも自由です。
本書は、どちらの選択がいいかをのべるものではありません。
もちろん、創価学会との関係についてもおなじで、学会から離れることを「是である」と主張したいという意思は、ぼくにはありません。
ただぼくは、来しかたに違和感を抱いたり、苦しんでいる宗教2世の心が少しでも救われることを願っている。それだけなのです。


宗教のために人間があるわけではない

教団に適合できていない自分に悩んでいる宗教2世のみなさんへ――。
ぼくは、創価学会本部をやめたあとに、学会員から「正木は社会不適合者だ」と散々いわれてきました。
たしかに、教団内においては違和感をスルーすることができず、本音に従って生きた点で「不適合」ではあったのでしょう。だから長らく、自身の不適合さに苦悩しました。
でも、それは――雑ないいかたなのは百も承知ですが、あえていわせてください――「『創価学会(本部)』不適合者」というだけであって、「『社会』不適合者」では、かならずしもなかったのです。
一般社会に出て、水を得た魚のように自分の人生を生きられるようになった事実をかみしめたとき、ぼくはそのことに気づいて、自分の決断に自信をもつことができました。「教団不適合者」であることは、なんら恥じることではありません。自信をもっていい。適合的でない自分に悩んできた宗教2世は、教団から、家族から、親から、さまざまに否定されてきたはずです。そのため、自己を肯定することがなかなかできなかったりします。自己否定が癖になっていたりします。それで、静かに、孤独のなかで涙を流している。だからぼくは、本書でかなりの紙幅を割いて、読者のみなさんが自信をもてるようになるメソッドを提示しました。

優先すべきは、あなたを泣かせている教団ですか? 
優先すべきは、人をないがしろにする教えですか?
否、否、それは違います。
優先されるべきは、「人間」です。
「あなた」です。
「宗教」ではありません。

宗教のために人間があるのではなく、人間のために宗教があるのです!

宗教が人間を手段にして、あなたに自己犠牲を強いるのだとしたら、それは、本書で多くふれてきたナチス・ドイツに歩み寄る行為にもなります。
おかしいのは、宗教のほうです。
そのおかしさに違和感を抱くのなら、それは、いたって正常なことなのです。

あなたは自信をもっていい。

そこに、本書が貢献できたとしたら、著者として望外の喜びです。

 

 

 


解説
宗教のために人間があるのではなく、人間のために宗教があるのです!
あなたは自信をもっていい。

正木伸城さんの主張に、同意します。

 

獅子風蓮


正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その16

2024-02-07 01:07:13 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 
謝辞
宗教2世の相談窓口

4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ

□無理に教団から退会する必要はない
■宗教2世について発信するときに抱える葛藤
■「宗教2世」を豊かに語れる社会を
□あなたは、おかしくなんかない!
□宗教のために人間があるわけではない


4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ

 

宗教2世について発信するときに抱える葛藤

ぼくは、じつは「やめる/やめない」にはあまり関心がありません。そこで葛藤はしていないんです。むしろ、べつのところで葛藤を抱えています。
宗教2世にはさまざまな人がいます。置かれている境遇は、教団によっても、また家庭や個人によっても異なります。
たとえば創価学会2世だけを見まわしても、信仰に熱心な人もいれば、教団に所属しているだけの人もいる。信仰活動に消極的な人や、教義には関心があるけれど実践はしない人、組織は嫌いでも“池田先生”は好きだという人もいます。
現在のぼくは「教団に所属しているだけの人」にあたるでしょう。もちろん、なかには脱会した人もいる。

2022年からつづいている宗教2世の報道では、宗教2世の「被害」ばかりがクローズアップされる傾向にありますが、宗教2世のなかには、なんら被害を受けることなく、平穏に過ごしている人もたくさんいます。
一方で、やはり深刻な被害を受けている宗教2世もいる。
宗教2世というと、ともすると「カルト宗教の子だからかわいそう」とか、もの珍しげに見られる対象になっているとか、そういう扱いかたをされたりしますが、現実の宗教2世は、かくも多彩なのです。
それにもかかわらず、宗教2世の被害者に偏った報道ばかりがなされていくと、どうなるでしょうか。
個々それぞれで異なるはずの信仰者や教団が、「宗教」という言葉によってひとくくりにされ、ネガティブなイメージをまとってしまいます。
新宗教といっても、その実態はさまざまです。
それなのに、新宗教が十把一からげに「被害を生み出す存在」として社会に再認識されてしまうこともあります(念のために断りを入れておきますが、これは「創価学会がなんら問題のない団体である」ということを主張するものではありません)。
それは、看過してはならない事態だとぼくは考えている。
しかも、その影響は思わぬところに出ます。
たとえば、それまで被害など意識したこともなかった宗教2世が、世間の偏見にさらされ、新たに被害を受けたり、生きづらさを抱えるようになったというケースが、少ないながらも発生しています。
そこに、ぼくは葛藤を抱くのです。
ぼく自身の「宗教2世にかんする語り」もまた、その流れを助長してしまう可能性をはらんでいるからです。
宗教2世の被害は看過したくはない。だから、そこにクローズアップして声をあげたい。でも、そうすると、新たに生きづらさを抱く宗教2世が出てきてしまう。ぼくも、そこに加担してしまうかもしれない――こうした葛藤があるのです。


「宗教2世」を豊かに語れる社会を

宗教2世のなかには、被害に苦しみ、人生を台なしにされたと感じ、苦衷のなかで孤独を味わっている人も多くいます。ひもじい思いをした人もいる。虐待を受けた人もいる。トラウマやPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えた人もいます。
ぼくの友人は、宗教2世としての経験を苦に、自死しました。
ぼく自身も死にかけたし、長らくうつ病も経験しました。
これが、現実です。
この状況は、絶対に看過してはなりません。

一方で、べつの良心的な教団に所属する友人は、2022年来の宗教2世問題の影響で、まわりから「あいつ、○○(教団名)の信者らしいよ」と後ろ指をさされるようになって、悩んでいると語っていました。
以前まで、そんなことはなかったのに……。
おなじきっかけから、宗教をネタに学校でイジメにあいはじめた子もいます。
これらは極端な例かもしれません。ですが、少なくとも新宗教のイメージはダウンしています。そこにイヤな思いを抱いている宗教2世もいます。
こういう側面をまったく無視して、宗教2世の被害を手放しで強調しつづけることは、ぼくの本意ではありません。
このことを勘案しながら、ぼくは悩んでいます。

悩んでいます。
が、やはりぼくとしては、結論的に「声をあげざるを得ない」と判断しました。そう判断したし、いうからには声を大にしていおうとも思いました。
ぼくの葛藤の内容は、「被害を訴えることをやめろ」とか「訴えかたに配慮をしろ」といったことを主張するものではありません。
被害者は、遠慮なく被害を訴えていい。

(以下省略)

 

 


解説
このへんの話は、創価学会の場合と旧統一教会、エホバの証人などのカルトでは事情が異なるので、一緒くたにすると分かりづらいですね。

旧統一教会、エホバの証人などのカルトの場合、2世の被害者の苦しみは、創価学会のそれと比べるとはるかに大きいでしょう。
被害者の救済という意味でも、新たな被害者を出さないためにも、カルト宗教はきちんと批判されてしかるべきかと思います。

創価学会の場合も、折伏の強引さ、正体を隠しての勧誘、入信してからの「成果主義」、金銭的な収奪など、カルト的な要素がなくはないので、その点での批判は妥当かと思います。

正木伸城には、ぜひ創価学会に的を絞った議論を、これからしていってほしいと思います。


獅子風蓮


正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その15

2024-02-06 01:02:47 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 
謝辞
宗教2世の相談窓口

4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ

■無理に教団から退会する必要はない
□宗教2世について発信するときに抱える葛藤
□「宗教2世」を豊かに語れる社会を
□あなたは、おかしくなんかない!
□宗教のために人間があるわけではない


4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ

本書をここまで読んできた読者のなかには、「あれ? この著者、創価学会を脱会しているのかと思っていたけど、もしかして脱会しているわけではない?」と思われた人もいるかもしれません。
そのとおりです。
ぼくは、いまも現役の創価学会員です。
退会届は出していませんし、現状、退会するつもりもありません。
一方で、学会活動からは完全に離れています。地元組織の学会員がぼくに接触してくることも一切ありません。ぼくは、信仰実践の基本となる勤行や唱題もしていません。


無理に教団から退会する必要はない

なぜ退会をしないのか? それには理由があります。
端的に申し上げると、「やめるメリットがなにもない」からです。
「え? それだけ?」と思われましたでしょうか。
それだけ、というか、これはけっこう大きなポイントです。

もしもここでぼくが創価学会をやめれば、おそらく大きな波風が立つでしょう。
ぼくの家族や親族は、見わたすかぎり学会員です。学会員だらけの家系で、学会関係の知人・友人のネットワークも、ぼくのなかで、いまだそれなりの比重を占めています。あまりにも学会のど真ん中で生まれ育ってきたため、現在もその人間関係には足場があるのです。
それなのに退会をしてしまえば、ぼくへの見かたが一部でさらに悪く変わってしまうかもしれない。あるいは、家族や親族が後ろ指をさされることになるかもしれない。 学会的ないいかたをすれば、いまのぼくは「退転状態」にあります。
この退転状態と、学会を「退会」することの間には、相当な違いがあります。

もちろん、退転状態のぼくは、一部からは村八分のような扱いを受け、学会内では腫れ物にさわるような接しかたをされたりもしました。
ぼくのことを「創価学会の危険因子だ」と見る人もいるくらいです。

この状況にあって、ぼくが「退会」まですると、その度合いが格段に高まります。 ぼくが退転の状態でとどまっているなら、それなりに多くの学会員が、ぼくの危険性について、「確証はない」と判断するかもしれません。
ですが、退会すると、「ああ、正木はほんとうに退転したんだ」と認識する学会員が出て、そういった人から攻撃を受けたり、「あそこの家は、とうとう脱会者を出した」といったレッテル貼りにあったりするなど、不利益を被る人が、ぼくだけでなく、ぼくの家族や親族、友人から出てこないともかぎりません。
だから、ぼくはやめないのです。
創価学会に所属したままであっても、自由にべつのなにかを信仰をすることはできます。信仰をしないということもできます。
そういった宗教2世の生きかたもあるのです。

 

 


解説
創価学会に所属したままであっても、自由にべつのなにかを信仰をすることはできます。信仰をしないということもできます。
そういった宗教2世の生きかたもあるのです。

いろいろな信仰形態はあっていいし、創価学会に所属したまま信仰しないという選択もありうるでしょう。
私の場合は、嘘の多い創価学会組織に見切りをつけて、宗門に移籍しました。
それでも親族はみな創価学会員ですので、彼らの幸せのために、創価学会がより健全な組織になるように祈っています。

せっかく創価学会員の身分を残しているのですから、また元理事長の息子としての人脈もあり、ライターとしての影響力もあるのですから、正木伸城さんには、ぜひ友岡雅弥さんの遺志を引き継いで、創価学会組織の改革に力を注いでいただきたいと思います。
私も外部から、微力ながら応援させていただきます。


獅子風蓮