創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。
そのため、佐藤氏の著作を読み込んでいますが、その数と量は膨大で、なかなかはかどりません。
さて、最近、氏のこんな著作を読みました。
佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」
歴史に学び、21世紀の日本の道を探る
ポスト冷戦後の世界は、帝国主義時代に近い構造を持っている。
このような世界で日本が生き残っていくには、どうすればいいのだろうか。
北方四島、尖閣諸島問題を見れば、最近、日本外交が「八方塞がり」に陥っていることは新聞や雑誌の論評を読めばよくわかる。日本外交の歯車が狂い始めているのだ。こんなときに、安直な対症療法ではかえって事態を複雑にし、病状をより深刻にする。いまこそ腰を落ち着けて、歴史に学ぶことが重要だ。歴史は繰り返すのである。
1941年当時、日本が対米戦争に踏み切らざるを得なかった。急速に発展するアメリカという帝国主義国と妥協はできなかった。妥協をすれば、日本はアメリカの保護国、準植民地になる運命を免れなかった。
NHKラジオの連続講演をもとに1942年1月に出版された、大川周明の『米英東亜侵略史』は、アメリカの対日政策の分析において、客観的および実証的なものだった。
過去の歴史から学び、現下日本国家そして日本人が抱える外交政策の困難な問題を克服する緒が得られるとの考えから、佐藤優が『米英東亜侵略史』を丁寧に読み解き、21世紀の日本の方向性を示唆している。
興味深い内容でしたので、引用したいと思います。
日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く
■はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
□第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
□あとがき
はじめに
(つづきです)
本書は以下の構成をとる。
まず『米英東亜侵略史』の前半部分である「米国東亜侵略史」のテキストを読んでいただく。
その後、筆者の解説で、国民は軍閥に騙されて戦争に突入したという認識は、戦後、アメリカの情報操作工作によって作られた神話で、1941年当時、日本は対米戦争に踏み込まざるを得なかった大義名分があり、日本政府は説明責任を果たしていたことを明らかにする。大川のアメリカ対日政策に対する分析は客観的かつ実証的で、現代にも通用する水準のものだ。
これに続いて後半部分の「英国東亜侵略史」のテキストを読んでいただき、その後、筆者は大川の思想を読み解く中で、歴史は繰り返されるものであり、過去の歴史から謙虚に学ぶことで、現下日本国家と日本人がかかえる困難な問題を克服する緒が得られるとの私見を提示する。
個人に運不運があるように、国家や民族にも運不運がある。
太平洋の向こう側にアメリカという、急速に発展を遂げる帝国主義国をもった日本は地政学的に運が悪かったのである。そしてアメリカの本質は現在も変化していない。 しかも中国が急速に国力をつけ日本の潜在的脅威となりつつある。21世紀、日本を取り巻く環境が冷戦時代はもとより、太平洋戦争前よりも悪くなっていく可能性は十分ある。
地政学的な運の悪さをインテリジェンスによって克服した例が世界にいくつかある。冷戦下に東西を手玉に取ったユーゴスラビアや現在ではイスラエルがその例だろう。『米英東亜侵略史』で展開した大川の言説を振り返り、少し工夫をすれば、「理論的に正しかったが、戦争に敗れた」という結末ではなく、「理論的に正しかったので、戦争に至らぬかたちで日本国家と日本人を生き残らせることができた」という結果を将来導き出すことができるかもしれない。
こんな問題意識をもちながら、大川の言説を読み解いていきたい。
【解説】
まず『米英東亜侵略史』の前半部分である「米国東亜侵略史」のテキストを読んでいただく。
その後、筆者の解説で、国民は軍閥に騙されて戦争に突入したという認識は、戦後、アメリカの情報操作工作によって作られた神話で、1941年当時、日本は対米戦争に踏み込まざるを得なかった大義名分があり、日本政府は説明責任を果たしていたことを明らかにする。(中略)
これに続いて後半部分の「英国東亜侵略史」のテキストを読んでいただき、その後、筆者は大川の思想を読み解く中で、歴史は繰り返されるものであり、過去の歴史から謙虚に学ぶことで、現下日本国家と日本人がかかえる困難な問題を克服する緒が得られるとの私見を提示する。
この本の特徴は、戦前の思想家・大川周明の著書である『米英東亜侵略史』のテキストを2部に分けて再現し、その間に著者・佐藤優氏の解説を挟み込むという形式をとっていることです。
この形式は、佐藤氏が創価学会系の雑誌『潮』に記事を連載するときや、その著書「池田大作研究」を書いた時のスタイルと共通するものです。
さらに言えば、私がいろいろな本を読んでブログで引用する際に、記事の最後に【解説】として私見を述べていますが、そのスタイルにも通じます。
そこで次回からは、読者が読みやすく理解しやすいように、あたかも佐藤氏がこのブログを書いているかのように、私のブログのスタイルをまねて、この本の内容を再構成してみたいと思います。
必要に応じて、改行したり、文章を削除したりしますが、内容の変更はしません。
なるべく私(獅子風蓮)の意見は挟まないようにしますが、どうしても付け加えたいことがある場合は、コメント欄に書くことにします。
ご理解の上、お読みください。
獅子風蓮