石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。
これまでは増田弘『石橋湛山』を読んで、湛山の人生と政治思想について学んできました。
さらに、もう少し湛山の人物に迫ってみたいと思います。
そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。
江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)
□序 章
■第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき
第1章 オションボリ
(つづきです)
省三は、精神的にも肉体的にも逞しくなっていった。8歳になると、父親の湛誓から『論語』や『孟子』など漢文の素読を教わった。
「なあ、省やん、おまんはあんなに勉強して、よく嫌にならんなあ。昨日も本堂で御前さんから難しい文章を読まされていたじゃん?」
湛山が総理総裁になった時に、増穂町役場の助役になっていた万吉は、同級生の中でも成績は良いほうだったが、それでも省三が湛誓から教わる漢文などは、よく理解できなかった。
「俺らの兄ちゃんでも分かるめえ」
「いや、僕だってよく分からないよ。でも、ああやって読んでいるとそのうちに分かるようになる、って御前様は言うんだよ」
「今日もやるのけ?」
「いや、今日は御前様が所用で身延山に出かけたので、お休みだよ」
「じゃあ、富士川へハヤを釣りに行こうよ。増やんも行くって」
「分かった。着替えてくるから待ってておくれ」
南アルプスと八ヶ岳から流れ出た水系が、やがて釜無川となる。一方、甲武信ヶ岳などからの水系をまとめ上げた笛吹川が、甲府盆地の東から流れてきて釜無川と出合って富士川になるのが、省三の住む増穂村青柳のちょうど東側である。
富士川は古来より日本三大急流と言われてきた。江戸時代から、増穂の隣町で同様に富士川に面した地域にある鰍沢から、静岡県に注ぐ富士川の河口まで富士川舟運があった。
鰍沢は、葛飾北斎の「富嶽三十六景」にも「鰍沢の富士」として描かれており、落語の怪談「鰍沢」とともによく知られているところである。
その富士川に三人は、ハヤ釣りに出かけた。ここで、省三は九死に一生を得た。
ハヤとは川の上流に棲んでいるウグイのことを指す。このあたりでは、鯉や鮒などと並んでよく釣れた。
三人は連れ立って富士川に行き、その川べりで竹竿を並べた。餌は小さな蚯蚓である。その餌に面白いようにハヤは食い付き、三人の魚籠は一杯になった。そろそろ帰ろうか、としたその時、省三の竿が、ぐぐっ、としなった。
「ハヤじゃあないみたいだ」
省三が叫ぶと、増太郎が、
「鯉じゃあねえか。こいつはでっかいぞ」
万吉も自分の釣り竿を道端に投げ捨てて、省三に駆け寄った。省三は思いっきり竿を引いた。瞬間、勢いが余って尻からずるずると川の中に落ちた。
「あっ」
三人が同時に叫んだ。省三は水の中で、バシャバシャともがいた。そこは流れではなく淵になっていた。だが、水の流れはなくとも深い。省三の背丈ではとても立てるはずはなかった。
「あっぷあっぷ」
省三は泳げない。増太郎と万吉が釣り竿を差し出しても、引っ張り上げることは無理だった。省三は、しこたま水を飲んだ。
増太郎は咄嗟に、着ていた着物の兵児帯を解いた。省三に向かって放り投げると、その端を万吉と二人で掴んだ。省三は、増太郎の兵児帯に掴まった。
「よいしょ、よいしょ」
身体の小さな省三は何とか這い上がった。
「よかった」
省三が無事だったことにほっとしたのか、万吉が泣きだした。自分が釣りに誘ったせいだと幼な心に感じたのであった。
省三の増穂村での生活は、友達との遊びと一家団欒の楽しさに満ちていた。
増穂村で妹が生まれ、弟が生まれた。父親の湛誓は、相変わらず厳しかったが、省三は父親とはそういうものであろうと思い込んでいたから、苦痛ではなかった。湛誓も、藤十郎との猥談に懲りたのか、二度とあのような猥談を人前でやることはなかった。だから省三にとって、湛誓は厳格そのものでしかなかったのである。
湛誓・きん夫妻は結局、省三を筆頭に男女三人ずつ六人の子供を生み、育てることになる。
「省ちゃん、小学校で民権の壮士たちが政談をやるんだと。面白そうだから行ってみようか」
湛誓の弟子である湛湧が省三を誘った。
「うん、行ってみようよ」
その晩、二人はそっと会場に潜り込んだ。何人もの壮士が元老の山県有朋や松方正義内閣を「藩閥・官僚の専制政治」として激しく非難攻撃した。
省三はその様子を、目を丸くして聞き入った。時々、頷くものだから隣に座っていた湛湧は驚いて省三の顔を覗き込んだほどだった。
省三は翌日、小学校の教室で増太郎や万吉、新一郎ら同級生を集めて、壮士たちの真似をして演説をして見せた。そうした経験をした明治の少年たちは多かったはずだが、湛山も政治的な雰囲気を知った初めての経験であった。
(つづく)
【解説】
省三の増穂村での生活は、友達との遊びと一家団欒の楽しさに満ちていた。
増穂村での省三の楽しい生活が目に浮かぶようです。
獅子風蓮