《試練》――現在史研究のために

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友への手紙――小泉純一郎「脱原発発言」の思惑を解明する~反原発闘争の軸はどこにあるのか(上)

2013-12-06 01:25:07 | 反原発
友への手紙――小泉純一郎「脱原発発言」の思惑を解明する~反原発闘争の軸はどこにあるのか(上)

(1)小泉「原発ゼロ」発言にどういう態度をとるかは大した問題ではないのか?

 小泉純一郎元総理の「脱原発宣言」が、大きく取り沙汰されています。9月24日を皮切りに、10月は3回もメデイア向けの講演を行い、「原発ゼロ」発言を繰り返しています。フィンランドの核廃棄物最終処分場であるオンカロの視察をきっかけに「脱原発」に変わったと説明しています。
 政府自民党の対応は、「元総理といえども、今は引退された方。党議に反する発言は懲罰に値する」と当初、高圧的なものでした。しかしその政府自民党も次第に論調を変え、「原発依存度を下げていくという自民党の方向性と変わらない。小泉氏も今すぐゼロにと言ってはいない」(石破幹事長)と擦り寄りましたが、「今すぐ、即ゼロです」との小泉の発言に返す言葉も無く、以降沈黙を守っています。
 他方、「小泉一流のパフォーマンスだ」、「どこまで本気なのか分からない」と冷ややかだったマスコミも論調を一変しました。11月29日号の『週刊ポスト』は、「小泉『原発ゼロ』全発言」なる長文を掲載。8ページにわたる特集を組みました。あたかも小泉を、「脱原発」のオピニオンリーダー、原発事故の救世主であるかのように、歯の浮くような賛辞のオンパレードです。さらに12月7日号の『週刊現代』では、「小泉純一郎を『原発ゼロ特命大臣』に!」と大々的にぶち上げました。サブタイトルが「全国民必読」、「わき上がる待望論」です。

 一方、反原発の側からは、これに関する発言は、ほとんど聞こえてきません。小泉を支持する発言はさすがに見当たりませんが、戸惑っているのか、判断停止の感があります。
 革共同(中核派)の中央派や関西派は、論文もコメントも機関紙に掲載せず、沈黙を守っています。いま最も社会の注目を集めているセンセーショナルなテーマであり、しかも、「自らが先頭に立ってたたかってきた」はずの反原発闘争の領域であるにもかかわらず、です。さらには、このような時こそ機関紙上で事態を鮮明に解き明かし、進むべき方向性を示すのが革命党の使命であるにもかかわらず、です。昔の革共同なら、「革共同ここにあり」をアッピールする最大の場、絶好のチャンスと位置づけたであろうに、一言半句も述べていません。信じられません。ありえないことです。なぜ、こうなってしまったのでしょうか?
 革命家とその組織である革命党は、生起する社会問題に鋭敏でなければなりません。瑞々しい感受性で受け止め、理論武装していくのが革命党のあるべき姿です。しかるに今の革共同の中央派も関西派も、社会情勢の動きに鋭敏に反応する感受性と、労働者人民の苦しみや願いを受けとめて柔軟に判断する思考力を喪失しているようです。枯渇した感受性や思考力。その原因は何でしょうか。自分らの組織の自己保身を労働者人民の利害の上に置き、組織――それも思想的に貧困な組織――の自己絶対化をはかっていることがその原因だと考えます。彼らの「反原発運動」なるものが政治的利用主義丸出しののっかかりであることを見れば、それは明らかです。彼らは、理論と見識において運動を牽引する能力がないことを自己証明したかのようです。

 当初、私は、この原稿を書くつもりはありませんでした。そのうち誰かが小泉批判をするだろうと考えていました。しかし、反論はほとんど出ず、むしろ小泉を「反原発運動」の旗手、新たな担い手として持ち上げ、待望論まで出始めるに至り、雑文ですが、考えていること、感じたことを書こうと思い立った次第です。以下、検証して下さい。

(2)「原子力立国」路線を敷いた小泉に「脱原発」を語る資格があるのか?

 私が不思議に思うのは、あの福島第一原発事故に関して、彼が「反省の意」を表明していないことです。
 9月24日、東京六本木ヒルズで行われたフォーラムに登場し、90分「脱原発発言」をしましたが、反省も謝罪もしていません。それ以降も、10月に3回講演をしていますが、この姿勢は一貫して変わりません。『週刊ポスト』に全文が掲載された11月12日の日本記者クラブでの講演も、84分に及ぶ長大な内容であるにもかかわらず、福島第一原発事故で被災された方、被曝された方への言及はありません。長年住み慣れた町村を立ち入り禁止地区に指定され、「棄民」を余儀なくされた人々。放射能汚染、幼児被曝、体内被曝に怯え、いつ発病するのかと不安な生涯を送らねばならない人々。そういった方々への反省と謝罪の言葉は皆無です。海と空、豊かな田畑を汚染させたことにも言及していません。「脱原発」を語るのであれば、先ず自らが政権のトップの座にあって(2001年4月~06年9月)、「原子力立国」路線を敷き、それ以前からも長年にわたり政権与党の幹部として、「原発推進論者」であったことへの痛苦な反省と自己批判から始めなければなりません。自己の政治責任、政策責任抜きに語ることは許されません。

 私も今回調べてみて初めて自覚したので、恥ずかしいかぎりなのですが、そもそも、小泉政権(当時)は、「原子力政策大綱」を閣議決定(05年10月)し、その具体化である「原子力立国計画」を策定したのでした(06年6~8月)。それは小泉政権の「骨太方針」の重要な柱の一つでした。
 その中身は、①既存原発を何と60年間も運転させること、②危険性が明らかな老朽原発の稼働率を上げること、③2030年以降も原発依存を30~40パーセント以上に維持すること、つまり新規原発を建設すること、④プルサーマル計画推進・六ヶ所再処理施設建設など核燃料サイクルを戦略的に強化すること、⑤「もんじゅ」の運転再開と高速増殖炉サイクルを早期実現すること、⑥核廃棄物の処分場を確保すること、⑦三菱重工、東芝、日立など原子力発電メーカーを念頭に置いて、それらの海外での原発建設と原発輸出へ官民一体で「次世代原子炉」を開発すること、⑧ウラン資源を確保すること、⑨原子力行政の再編と交付金増額による地元対策=買収を強化することなど、実に恐ろしいものなのです。
 そこでは、「『中長期的にブレない』確固たる国家戦略と政策枠組みの確立」を謳って、「原子力は市場にゆだねるだけで推進できるものではなく……原子力政策を『国家戦略」として推し進めるべきである」としています。そして、「国、電気事業者、メーカー間の建設的協力関係を深化」し、「真のコミュニケーションを実現し、ビジョンを共有する」、「米国、フランスと並んで三極の一極を担う」としたのです。
 1950年代以来の日本の核原子力推進の流れの中で、原子力政策を露骨に「国家戦略」と明記したのは、これが初めてなのです。いわゆる原子力村は、小泉政権時代に強力なテコ入れで強化されてきたのです。小泉構造改革のもう一つの要素が原発政策だったのです。
 つまり、こういうことです。原発政策は、1979年のスリーマイル島原発事故以後、とくに1986年のチェルノブイリ原発事故以後、国際的には脱原発の動きが強まり、また国内でも、福島第二原発事故(1989年)、福島第一原発事故(1990年)、美浜原発事故(1991年)、もんじゅナトリウム漏えい事故(1995年)、志賀原発臨界事故(1999年)、東海村JOC臨界事故(1999年)、浜岡原発事故(01年、02年)、東電のシュラウドひび割れ隠し事件(02年)、美浜原発事故(04年)など多発する原発事故のため、次々と原発が稼働停止となり、原発推進政策が困難に陥っていました。各地の反原発運動が怒りを燃やして広がっていったのです。そうした状況を、まさしく逆転的に立て直そうとしたのが小泉の無謀きわまりない原子力立国政策だったのです。それをめぐっては「原発ルネッサンス」という言葉さえ生まれたのでした。
 加えて、それはアメリカが06年に「国際原子力エネルギーパートナーシップ」構想と銘うって、高速炉開発や原発の新設などを打ち出したことに参入し、呼応したものでした。そのことで、アメリカから再処理の核燃料サイクル推進のお墨付きをえて、核兵器の原料=核物質であるプルトニウムを国内で生産する国際的承認をえるものだったのです。核戦争政策=原発政策の面で日米同盟を推進するものだったのです。なお、プルトニウムを原子炉(実際には軽水炉)の燃料に使用するプルサーマル方式は、技術的問題が解決しておらず、実効性が疑問視されていることは周知のところです。毒性が高く、環境と人体にとってきわめて危険な物質なのです。ですから、プルトニウムは現実には核武装・核戦争以外に使い道がないのです。

 したがって、今回の福島原発事故は、小泉政権の国家的な原発推進政策のベースの上で、必然的に起こるべくして起こった核人災事故だったのです。ですから、福島原発事故をもたらした重大な国家的犯罪者の一人が小泉その人だということなのです。
 小泉は、初期に原発導入を進めた正力松太郎や中曽根康弘、電源三法体制を築いた田中角栄に続き、日本帝国主義の核原子力政策を強行してきた歴史的な国家的犯罪者として断罪されなければならない存在なのです。

 小泉は、フィンランドのオンカロの視察で考えを変えたなどと言っていますが、とんでもないことです。権力と金にまかせて、日本の各地に核廃棄物処分場を探せ、つくれと檄を飛ばしたのは、小泉なのです。そのことへの反省と謝罪もないとは何というペテン師なのでしょうか。 

 小泉はこうも言っています。「実は私も偉い学者先生に騙されたのです」と。いかにも小泉らしい言い訳ですが、これっておかしいでしょう? 多くの反対意見があったのに、それらを無視・封殺し、稼動を認めてきたのは、小泉に他なりません。国の最高責任者が、「騙された」では話になりません。その危険性を重々知りながら、推進した責任=罪は極めて重いと言わねばなりません。
 
 そして小泉はその危険性を指摘されるたびに「何の問題もありません」、「安全性は科学的に証明されています」と国会壇上から訴えてきたのです。
たとえば、2005年11月11日には、既存原発やプルトニウム利用やプルサーマル利用において「安全の確保に万全を期している」と繰り返し、「周辺の公衆に著しい放射線災害を与えない」と断定、さらに次のように言ったのです。

 「いずれの原子力発電所についても、津波により水位が低下した場合においても必要な海水を取水できるように設計され、又は必要な海水を一時的に取水できない場合においても原子炉を冷却できる対策が講じられているものと承知している。」(05年11月11日、衆院での小泉答弁)

 当時から政府や電力会社や御用学者は「津波を想定していた」のです、そして「津波が来ても対策は万全だ」と大嘘をついていたのです。こうして原発の「絶対安全神話」を撒き散らしながら、原発を推進してきたのが、小泉なのです。

(3)小泉はなぜ「脱原発宣言」へ舵を切ったのか、その意図するものは何なのか?

 以上見てきたように、小泉は、プルサーマル推進など熱烈な原発推進論者でした。その彼が、なぜ「脱原発」へと転換したのか、何を考え、何を意図して180度正反対の「脱原発」へと転換したのか、そのあたりを見ていきます。
 それを解明するキイワードは、福島第一原発事故に関する安倍の発言だと考えています。安倍発言に対応する形で小泉発言もエスカレーし、ボルテージも上がっていったと見ています。当初安倍はこう言っていました。

 「今日の事態(事故処理の遅れ)は、政権与党だった民主党の初期対応の拙さと、東電の能力不足にある。」

 つまり、自民党の長きにわたる歴史的な原発推進犯罪を棚に上げて、民主党と東電に責任転嫁をしていたわけです。何という破廉恥な開き直りでしょうか! しかし、遅々として進まない現状と新たな汚染水漏れの発覚等、事態がより深刻化するなかで、「政府は手をこまねいて見ているのか!」との世論が高まりました。そして何よりも、あくまでも政府の責任を追及し、粘り強くたたかい続ける反原発デモの前に、ついに「政府の責任で取り組む。その財源として国庫をあてる」と言いました。いや、言わざるをえなくなったと言うべきでしょう。粘り強いたたかいが、この発言を引き出したのです。
 このあたりから、小泉は「ひょっとするとこれは大変なことになる」、「そんなことを言って大丈夫なのか?」と思い始めたのではないでしょうか。
 決定的転機は、オリンピック誘致のためクアラルンプールに安倍が飛んだときでした。彼は、全世界注目の中で「事故は100%コントロールされており、7年後開催には何一つ問題はない」と大見得を切ったのです。その時、小泉の胸中を去来したものは何だったでしょうか? 「拙い! これは拙い!」だったと、私は推測しています。なぜなら、これは国際公約であり、取り消したりごまかしたりできません。これが破綻したときは、オリンピックだけでなく、帝国主義国日本の威信と面子を損ないます。全世界から嘲笑と蔑みを浴びるという前代未聞の大失態を演じることになります。このクアラルンプールでの安倍プレゼンテーションが9月18日。そして小泉が初めて「脱原発」講演をしたのが9月24日。時期的にはピタッと合致します。

 さらにいま一つ。息子の小泉進次郎が、9月30日に復興政務次官に就任したことがあります。これにより、より強力に、より確信をもって、「脱原発宣言」を発信し始めたと見ています。
 政務次官しか知りえない極秘資料。そこに記されている絶望的な内容。事故解決までの気の遠くなるようなプロセス。その過程に横たわる技術・財政など難問の数々。これらを息子進次郎から聞いたとき、彼は決断したと思われます。「これは不可能だ」、「これ以上原発に依存していてはだめだ。方向転換しかない」、「自民党をぶっ壊してでもやらなければならない」と腹をくくったと思います。郵政民営化の時がそうだったように。
 そして10月には3回に及ぶメデイア向けの講演を設定します。彼の「脱原発」発言はじょじょに熱を帯び、ボルテージが高くなっていきます。彼の「脱原発」発言を誘引したものこそ、9月18日のクアラルンプールでの安倍発言、9月30日の小泉進次郎政務次官就任なのです。両者の動きは、時期的にピッタリと合致します。

(4)「このままでは帝国主義国日本は破滅する」――これが小泉の下した結論

 もう少し具体内容を見ていきましょう。
 福島第一原発4号機の使用済み核燃料棒の取出しが「成功した」との報道がなされています。が、「成功」などと言うのはとんでもないことです。燃料棒とは「死の灰」であり、それが何と1535本もあるのです。その燃料棒のたったの1本のことであり、それらを収納している燃料プールは、建屋が壊れているため、宙ぶらりんで、いつ崩壊するかわからないのです。しかも、1号機、2号機、3号機の場合は、原子炉が溶け落ちているのですから、燃料棒をどうするこうするということすら問題にならない、手の着けられない状態なのです【この部分加筆】。それに、取り出した核燃料棒をどうするのか、その処理場は最終処理場が皆無であるだけでなく、中間処理場さえも決定的に不足しているのです。六ヶ所村の貯蔵量も2010年で94・5%に達しています。もう保管場所などないのです。
 さらに増え続ける汚染水です。今国会は「汚染水をめぐる攻防が最大の争点になる」と言われていました。それほど「待ったなし」の切実な問題なのです。さらには残土処理などなど、技術問題が難問山積しているのです。
 さらに財政面です。「金食い虫」と酷評される事故処理に費やす膨大な資金。これまで東電に責任転嫁をし、先送りしてきた処理を政府の責任でやるとなれば、天文学的な国家予算が要ります。この金をどうするのか。安倍は現在、福祉予算を大幅に削減しようとしています。「要支援の削除」を柱とする介護認定制度の改悪、年金制度の改悪、高齢者医療負担の負担増(1割→2割)、そして極め付きの悪税=消費税アップ(5%→8%)などにより、大衆収奪で国家予算を捻出しようとしています。が、とても追いつけません。桁が違う。とても追いつけない。これが真実なのです。
 
 技術面と財政面から小泉の出した結論は「不可能」でした。「このままでは、帝国主義国日本は原発とともに沈没してしまう」、「帝国主義国日本は崩壊・瓦解する」。これこそ、小泉を突き動かした最大の内的原動力だったと推測しています。彼は決して福島の被曝者や故郷を追い立てられた人々を想って決断したのではないのです。彼の目線の先にあるのは、「国家と自民党支配がどうなるのか」だけです。
 いっこうに前進しない事故処理、むしろ悪化しつつある現状。天井知らずに膨れ上がる対策費。
 それと彼が最も危惧したのは「原発暴動」だったのではないでしょうか? 今は比較的平穏なデモですが、後回ししてきたすべての矛盾(事故処理と財政負担の相乗関係)が、顕現化した時、デモが時の権力者に武装して立ち向かうのは必然です。その時、小泉が何らかの形で登場し、事態の収拾=鎮圧のために、それ以上デモを過激化させないよう動く……。考えるのもおぞましいことですが、彼はそこまで考えているのではないでしょうか。
 つまり今回の小泉「脱原発宣言」は、反原発運動の分断も視野に入れた行動だと推測します。策士小泉のどす黒い陰謀と言ってよいでしょう。

 小泉の狙いはもう一つあります。それは次世代のエネルギー産業、環境産業のヘゲモニー争いです。ご存知のように、ドイツは国内の原発すべてを廃止し、自然エネルギーの開発・育成へと国家戦略を切り替えました。必要な国内電力は隣国のフランスの原発電力購入でまかない、国家プロジェクトとして次世代エネルギーを産業化しようというわけです。小泉のいま一つの危機感はここにあります。このままでは、ドイツに先を越されるだけでなく、環境産業育成の分野で世界から大きく立ち遅れてしまう、と。それでなくても「技術立国日本」は過去のものとなり、ハイテク産業、家電産業等で他国の後塵を拝している現在、環境産業までも遅れてしまっては、国家の体をなさないとの思いがあるのです。原子力エネルギーから自然エネルギーへと大きく転換することで、この分野で主導権を握らねばとの、帝国主義国家日本の存亡をかけた切実な思いがあるのです。
(つづく)

2013年12月1日
竜 奇兵(りゅう・きへい)
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