死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

苦しみ、悲しみとの出会いは、その中で「与える側の人生」を選んでいけるかどうかが試される時 

2007-05-27 | 与えた愛は与えた人のものになる
正太 「ただ、この世の人生というものは、決して平坦なものじゃなく、生きていく途中でさまざまな困難にぶつかるものなんだね。そうしたなかで、魂の修行をしていくわけなんだ。これは、あらかじめ計画されていることなんだよ」

勇二 「ほう、いろんな困難のなかで魂の修行をしていく?」

正太 「たとえば、病気とか、貧困とか、挫折とか、失恋とか、事業の失敗とか、友人の離反とか、愛する者との別れとか、きらいな人との出会いとかだね。さらには、年を取って、醜くなり、身体が不自由となり、やがては死んでいくわけなんだ。
 こうした現象を現象とだけ見れば、人生というのは、苦悩と悲しみに満ち満ちているように見えるけれけども、苦悩には苦悩の意味があり、悲しみには悲しみの意味があるんだよ」

勇二 「苦悩や悲しみの意味?」

正太 「苦悩や悲しみがあるということは、ひとりひとりの人間が選択を迫られているんだね。その選択とは何かというと、自分自身が「与える側の人生」を選ぶのか、それとも「与えられる側の人生」を選ぶのか、という選択なんだ」

勇二 「ふうむ。生きていくって本当にしんどいなあ、っていう辛い時があるよね。そうしたときっていうのは、自分が「与える愛」の生き方を選んでいくのか、「奪う愛」の生き方を選んでいくのかが、問われている時、試されている時ということなんだね。
 そうしたときこそ「あっ、ここで試されているんだな。ここが正念場だな」と思って「与える側の人生」を選び取っていかなきゃいけないんだな」

正太 「そう考えたときに道が開けるんだよ。そう思ったときに、自分としてやることは無限に出てくるはずなんだね。しかし、そのことに気づかず、ひたすら与えられる側に立とうとしたとき、いたずらに日が暮れて泣き暮らすということになってしまうんだ」