死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

感謝にもとづく愛こそが、ほんものの愛―「無償の愛」になっていく

2007-05-13 | 感謝に基づく愛が無償の愛につながっていく
正太 「ほんとうの「与える愛」は、無償の愛、見返りを求めない愛なんだけど、これができるためには「感謝」がないとだめなんだね。感謝にもとづく愛なら、それじたいが「お返し」であり、「感謝行」「報恩行」だから、見返りを求める気持ちは起きてこないんだ。
 ところが、世の中には「与える愛」を実践していると自分では思っていても、実際はお返しが欲しくてやっている人がけっこういるんだね。その場合には、相手からお返しがかえってこないと愛が即座に苦しみに変わるんだ。それは、ほんとうの愛ではないからなんだね。苦しみに変わるような愛、執着の愛というのは、ほんものの愛ではないんだよ」

勇二 「そうか、感謝にもとづかないと、愛がほんものにならないわけだね」

正太 「そう。このことをもっと具体的に説明すると、こうなるんだね。「与えた愛は与えた人のものになる」これが人間の心を貫く偉大な法則なんだけど、見返りを求めると、霊的にはプラスマイナスゼロになってしまうんだよ」

勇二 「へーえ、プラマイゼロに」

正太 「うん。「与えれば与えた分だけ、仏から、光として、その人の後光(オーラ)として与えられる」ってことは前に話したよね。たとえば、「あの人のためにしてあげよう」という純粋な思いや行為を発すると、その瞬間、霊的に見ると、その人の頭に後光がパッとさしているんだね。ところが、せっかく、なにかよいことをしたとしても、同じだけの結果、あるいは、それ以上の結果を期待して行ったときには、その行為は必ず帳消しになるんだよ」

勇二 「なるほどね。「これをすることによって誰かにほめてもらいたい」なんて欲を出すと、神様から光が降りてこないんだね。功徳の部分がなくなっちゃうわけだ」

正太 「うん。だから、他の人に愛を与えれば与えるほど、ほんとうの意味で、その人が成長していく、発展していく、という法則があるんだけれど、与える愛を実践していく際に、感謝にもとづいた「無償の愛」という視点だけはぜひ忘れないでほしいんだね」



感謝する心が「与える愛」につながっていく

2007-05-12 | 感謝に基づく愛が無償の愛につながっていく
勇二 「反省と感謝を始めると、後頭部から後光がさしはじめるから、憑依霊のほうはだんだん波長が合わなくなって憑いていられなくなる、ということだね」

正太 「うん。彼らは感謝されると困ってしまうんだね。いちばん嫌がるのは反省で、反省されると、悪霊はすぐにブルブルし始めるんだよ」

勇二 「そうか。悪霊と戦うなんていっても、何も力ずくでやる必要はないんだね。地獄霊と、反対の心、逆の心を起こせばいいわけだ。それが一番苦手なんだね」

正太 「そうなんだよ。一見、消極的にみえるけど、こうした方法がもっとも効果的なんだ。
 それと、この感謝についてだけど、「与える愛」というのは、感謝というものがあって、初めて出てくるものなんだ」

勇二 「感謝から「与える愛」が出てくる?」

正太 「うん。感謝ができると、どうなるかというと、「お返し」がしたくなるんだね。この「お返しがしたい」という思いが「与える愛」につながっていくんだよ」

勇二 「なるほどね。「与える愛」というのは「ご恩返し」のことなわけか」

正太 「そうそう。だから「与える愛」の前提となるものは「自分が与えられているということに対する感謝」だし、「自分が与えられているということに対する自覚」なんだ」

勇二 「感謝する心がないと、「愛を与えよう」という気持ちも起きないってことだね。言われてみると、確かにそのとおりだな。「ありがたい」っていう気持ちになると、「自分にも何かさせてもらいたいな」って気になるもんね」

正太 「そう。だから「与える愛なんていわれてもサッパリわからない、何も思い浮かばない」という場合は、まず前段階の感謝がないんだね。なぜ感謝がないかというと、与えられていることに対して、気づいていないからなんだ。じゃあ、なぜ気づいてないかというと、反省したことがないからなんだね。
 反省ということには、自分が与えられていること、生かされていることの発見も含まれているんだよ」

勇二 「なるほどな」

正太 「この感謝の部分がなかったり、表面だけで行っていると「与える愛」といっても偽物になってしまうんだね。たとえ表面的には善行であっても、そこに「真心」がこもっていないと意味がないんだよ。
 神様というのは、その行為のなかにどれだけの真実、どれだけの真心が光っているかで評価されるんだ。真心が光るためには、ほんとうの感謝、つまり、自分が生かされていることに対する感謝がないとだめなんだよ。いくら、慈善事業をやっても、アフリカの難民にお金を送っても、この真実のところができていないと、天国にはいけないんだね。全然関係がないんだよ」

勇二 「ふうむ、表面的な善行、うわべだけの善行じゃなくて、そこにどれだけの愛の思い、真心がこもっていたか、ということなんだね。まあ、あの世は、思いしかないっていうから、もし見せかけだけで、思いの部分が入ってなかったら、実質が何もないってことだろうしね」

正太 「そうそう。行為だけ見れば「愛の行為」のようでも、動機の部分が「人によく見せたい、見られたい」なんていう虚栄心とか名誉欲にもとづく場合もあるんだね。だからその奥に、真心がこもっていないと、真実のものがないと霊的にはゼロなんだね」




地獄霊で「感謝」ができる人は一人もいない 

2007-05-11 | 感謝に基づく愛が無償の愛につながっていく
勇二 「それと、憑依霊がいやがるものとして「反省」の他に「感謝」ということが上がっていたよね。この感謝についてはどうなの?」

正太 「うん。悪霊、つまり地獄に堕ちている人たちで、感謝の気持ちを持っている人は、ただの一人もいないんだね。百パーセント感謝が無いんだよ。地獄には悪想念の種類に応じたさまざまな地獄があるけど、これだけははっきりしているんだね。百人いたら百人とも感謝する人はいなくて、愚痴、不平不満、こればっかりなんだね。
 「こうしてほしかった、ああしてほしかった」あるいは「憎い」「悔しい」この思いばかりなんだ。要するに「足りない」「もう何かが足りない」というばかりなんだよ」

勇二 「いるなー。この世にもそういう人って、けっこういるよ。まあ、そういう僕も、人のことをエラそうには言えないけど」

正太 「地獄という世界は、ここも修行場ではあるんだけど、「監獄」というよりは、心が病んだ人がいく「病院」と呼ぶほうがふさわしいところなんだね。
 実際、(まあ、これはあくまでもたとえだけど)この世の病院に入院しているお年寄りの中には、わがまま言いたい放題の人がいるよね。たとえば、80歳、90歳になっても「注射が痛い。あの看護婦は下手だ。すごく痛かった」とか「あの院長さんは顔がいい」とか「悪い」とか、「ご飯の盛り方が悪い。冷めたのを持ってくる」とか、いろいろ言うんだけど、基本的に地獄霊というのは、こういう様相を呈しているんだね。
 つまり「自分がすでに何かを与えられている」ということに対する感謝がないんだ。そして、不平不満ばかりが口をついて出て来るんだね。「私がなんでこんな所へ来とるのか納得がいかん。悪いことは何もしていない」「私は盗んだわけじゃないし、人を殺したわけでもない。何でこんなところに来なければいかんのか」と言うんだ。何が悪いのかがサッパリわからないんだ。
 そうした人に対して、「足りないところがあったのはわかりましたけれど、足りていたこと、与えられてきたことについて、感謝したことはありますか?」とか「人がしてくれなかったことはわかりましたけれど、じゃあ自分から何かしてあげようとしたことがありますか?」と聞くと、あきれ返ったような顔をするんだね。「何をバカなことを言っているのか」という表情になるんだね。そんなことは考えたこともないんだ。
 つまり「自分の足りないことには目が行くけれども、足りているところには目がいかない」ということなんだ」

勇二 「うーん、けっこう耳が痛いけど、確かに、そうなりがちなんだよね。足りてるところ、すでに手にしてることは当たり前になっちゃって、ありがたくも何ともない。逆に、人と比べて足りないところばかり見て不満を募らせる、って、なっちゃうんだよな。でも、こういう考え方って、この世でも、幸福になれない考え方だよね」

正太 「そうそう。実際、現代人の半分以上は地獄に堕ちているわけだけれども、そうなったとき「暗いから照明をもっと明るくしろー」なんて不平不満を言わないで、自分は人に感謝したことがあるかどうか。お世話になった人がいなかったかどうか。こうしたことを幼少時代から振り返ってみる必要があるんだね」

勇二 「感謝なんて、あらたまってしたことなかったなあ。「なんでオレはこんなに恵まれないんだー」っていうボヤキのほうが全然多かったよ」

正太 「そんなふうに、地獄霊っていうのは、不平不満、愚痴、足ることを知らない欲望に心を渦巻かせているんだけど、こうした思いというのは、この世に生きているどんな人にもないことはないんだね。また人生を振り返ってみれば、そういう時期というのが必ずあったはずなんだ。もちろん僕なんかも、そうなんだね。
 でも「地獄霊に決してないものは感謝なんだ」ということ、このことさえしっかりつかんでいれば、悪霊たちとは違った波長の世界に入っていけるんだよ。「心が波立って、毎日、不幸感覚が強い」という人は、地獄に波長が通じることで、悪霊の憑依を受けているとみていいんだけど、この「感謝」という二文字を思い出してほしいんだね。感謝を始めたときに、悪霊はその人に憑いていることができなくなってくるんだよ」