正太 「ほんとうの「与える愛」は、無償の愛、見返りを求めない愛なんだけど、これができるためには「感謝」がないとだめなんだね。感謝にもとづく愛なら、それじたいが「お返し」であり、「感謝行」「報恩行」だから、見返りを求める気持ちは起きてこないんだ。
ところが、世の中には「与える愛」を実践していると自分では思っていても、実際はお返しが欲しくてやっている人がけっこういるんだね。その場合には、相手からお返しがかえってこないと愛が即座に苦しみに変わるんだ。それは、ほんとうの愛ではないからなんだね。苦しみに変わるような愛、執着の愛というのは、ほんものの愛ではないんだよ」
勇二 「そうか、感謝にもとづかないと、愛がほんものにならないわけだね」
正太 「そう。このことをもっと具体的に説明すると、こうなるんだね。「与えた愛は与えた人のものになる」これが人間の心を貫く偉大な法則なんだけど、見返りを求めると、霊的にはプラスマイナスゼロになってしまうんだよ」
勇二 「へーえ、プラマイゼロに」
正太 「うん。「与えれば与えた分だけ、仏から、光として、その人の後光(オーラ)として与えられる」ってことは前に話したよね。たとえば、「あの人のためにしてあげよう」という純粋な思いや行為を発すると、その瞬間、霊的に見ると、その人の頭に後光がパッとさしているんだね。ところが、せっかく、なにかよいことをしたとしても、同じだけの結果、あるいは、それ以上の結果を期待して行ったときには、その行為は必ず帳消しになるんだよ」
勇二 「なるほどね。「これをすることによって誰かにほめてもらいたい」なんて欲を出すと、神様から光が降りてこないんだね。功徳の部分がなくなっちゃうわけだ」
正太 「うん。だから、他の人に愛を与えれば与えるほど、ほんとうの意味で、その人が成長していく、発展していく、という法則があるんだけれど、与える愛を実践していく際に、感謝にもとづいた「無償の愛」という視点だけはぜひ忘れないでほしいんだね」
ところが、世の中には「与える愛」を実践していると自分では思っていても、実際はお返しが欲しくてやっている人がけっこういるんだね。その場合には、相手からお返しがかえってこないと愛が即座に苦しみに変わるんだ。それは、ほんとうの愛ではないからなんだね。苦しみに変わるような愛、執着の愛というのは、ほんものの愛ではないんだよ」
勇二 「そうか、感謝にもとづかないと、愛がほんものにならないわけだね」
正太 「そう。このことをもっと具体的に説明すると、こうなるんだね。「与えた愛は与えた人のものになる」これが人間の心を貫く偉大な法則なんだけど、見返りを求めると、霊的にはプラスマイナスゼロになってしまうんだよ」
勇二 「へーえ、プラマイゼロに」
正太 「うん。「与えれば与えた分だけ、仏から、光として、その人の後光(オーラ)として与えられる」ってことは前に話したよね。たとえば、「あの人のためにしてあげよう」という純粋な思いや行為を発すると、その瞬間、霊的に見ると、その人の頭に後光がパッとさしているんだね。ところが、せっかく、なにかよいことをしたとしても、同じだけの結果、あるいは、それ以上の結果を期待して行ったときには、その行為は必ず帳消しになるんだよ」
勇二 「なるほどね。「これをすることによって誰かにほめてもらいたい」なんて欲を出すと、神様から光が降りてこないんだね。功徳の部分がなくなっちゃうわけだ」
正太 「うん。だから、他の人に愛を与えれば与えるほど、ほんとうの意味で、その人が成長していく、発展していく、という法則があるんだけれど、与える愛を実践していく際に、感謝にもとづいた「無償の愛」という視点だけはぜひ忘れないでほしいんだね」