正太 「そのとおり。まず、自分の心を振り返ってみて、心の針がいつもいつも一定のところにいっていないかどうか、チェックしてみることが大事なんだ。
もし「マイナスのほうで心の針が止まってるな」とわかったら、すぐに修正をかける必要があるんだよ」
勇二 「たとえば、誰かに対する「怒り」や「憎しみ」や「恨み」や「嫉妬」の思いで、心の針が止まっていないかどうか。あるいは、人に言われた言葉がグサッと刺さってしまって、それがいつまでも引っかかったりしていないか。劣等感のとりこになって、心にいつもひずみをつくっていないか。あるいは、フッと気がつくと、上司の悪口だとか、夫の愛情不足だとか、環境に対する「愚痴」とか「不平不満」とかに、いつも心が行っていないか。
あるいは、名刺とか、肩書とか、お金とか、異性とか、お酒とか、食べ物とか、外見とか、容貌とか、そうしたものが欲しくて欲しくて、心がいつも執われていないか。あるいは、そうしたものが得られないという苦しみや焦りで、心の中にこだわりを作っていないか。クヨクヨしたり、堂々巡りしていないか。
そうしたことをチェックして、もし、心の中に「しこり」があれば、それを取り除くということ。引っかかりがなくなって、心の中が明るく爽やかでサラサラと流れていく状態になれば、地獄霊はその人に憑いてることができなくなるわけだもんね」
正太 「「憑依霊に憑かれている」ということは、その人が「心安らかに生きていない」「心穏やかに生きていない」ということと同じなんだね。憑依されているということは、「自分の心が明快ではない。明朗ではない」ということ。心の中に何らかの引っかかり、苦難や焦りがあるということを示しているんだ。
地獄霊が来ているということは、自分の心が悟っていないことの証拠なんだよ」
勇二 「物理学的にいえば、「心の波動が乱れている」ということ。心の波動に乱れがあるから、乱れた波動の世界(地獄)から、同じ波動の人間が寄り添ってきてるわけだよね」
正太 「この憑依という現象が実際にどんなふうに起きているのか、もう少し見といたほうがいいね。
たとえば、ある人が、出勤前に夫婦ゲンカをして、カッカしながら家を出たとするよね。会社に着いて、仕事に取りかかったけど、いつまでたってもムシャクシャしてしょうがない。すると、そのムシャクシャしている間中、おなじみの憑依霊がやって来て、その人にずーっと寄り添っているんだね。
ところが、お昼になって好物の天丼を食べに行ったら、これがすごく美味かった。そしたら、とたんに機嫌が直っちゃって(笑)、それまでの心の中のしこりが消えてしまった。すると、それまで憑いてた霊もいなくなる―こんな具合なんだよ」
勇二 「「心の状態」次第なんだね。その人の「心の状態」に応じて、ちょうど磁石に引き寄せられるみたいに、憑いたり離れたりしてるんだな。
でも、天丼一杯で、いつも都合よく心の状態が変わるわけじゃないからね(笑)。心の針がブレたら、自分の意志できちっと修正をかけなきゃいけないな」
正太 「あるいは、ある人が営業の仕事で会社を十軒訪問したけど、全部断られて戻ってきた。もう、ぐーっと落ち込んじゃってる。すると、自分の背中に、同じ心境の霊をピョコンとくっつけて帰ってきてるんだね。
これは、「営業で十軒回って断られた」という客観的な事実とは関係がないんだ。あくまでも、その人がそういう心の状態でいるから来てるんだね。同じように十軒断られても、ケロッとして「明日また頑張るぞー」なんて思っている人のところには来てないんだよ」
勇二 「心の針がマイナスの方に傾いたまま、「戻し」をかけずにいると、「類は友を呼ぶ」で来ちゃうんだな」
正太 「あるいは、「何かにすごくビビって、平常心がどこかに行っちゃった。もう、コワくてコワくてしょうがない」なんていう状態が続くと、同じ心境の霊がやっぱり「下」のほうから来るんだね」
勇二 「「何が来ようが全然ビビりません」という大人物もそんなにはいないだろうけど、少なくとも、「戻し」をかけられなきゃいけないね。ゴルフだって、ボールがフェアウェーを外れたら、リカバリー・ショットを打って戻すけど、それとおんなじことだよね」
正太 「結局、人間というのは、一人ひとりが放送局みたいなものなんだよ。あの世の地獄界や天上界からも、多種多様な波長の放送電波が出てるんだけど、自分が放送している想念の波長とピタッと一致するものがあると、そちらからやってこれるんだね。
ただ、憑依霊というのは「一定の期間はいるけど、しばらくするといなくなる」というのが普通なんだ。というのも、自分の本籍地は、あくまでも地獄のほうだから、憑いてる相手が憑依に適さない状態になると、そっちに戻らなきゃいけなくなるんだね。
ところが、(取り憑いた相手から)マイナスの思いが「たまに」じゃなくて、「くり返しくり返しいつも出る」という状態になると、憑依霊のほうは、その人のところに滞在できる時間が長くなってくるんだよ」
勇二 「「常駐」できるようになっちゃうんだな」
正太 「たとえば、誰しも、たまにはイラっとくることがあるだろうけど、それが習慣化して「ちょっとしたことですぐにイライラする」という具合になると、地獄霊のほうは、その人のところにだんだん居座れるようになるんだよ」
勇二 「マイナスの思いを出すのが癖になって、「愚痴っぽい」とか「ひがみっぽい」とか「欲張りだ」とかいうように、「魂の傾向性」になってくると、憑依霊は離れない状態になるわけだ。これは怖いことだよね。
でも、憑依霊の側からすれば、それこそ願ったり叶ったりなわけだ。だから、憑依した相手には、耳元であれこれささやいて、けしかけていくんだな」
正太 「人間の性格というのは、同じようなことを煩瑣にくり返しくり返し、心の中で思ったり、行動に移して、心に刻んでいくとできるんだ。特定の心の状態を「反復して長く継続する」と、できてくるんだよ」
勇二 「「地獄的な性格」をつくらないためには、マイナスの思いが出たら、すぐに反省してブレーキを踏むこと。芽のうちに摘んで、心の習慣にさせないこと―これが基本だよね。もしそれが「心の癖」になって、性格として固まってきたら、憑依霊は「常連客」になるし、心の経営は「万年赤字体質」になっちゃうからね」
正太 「性格というのは変えていけるものなんだけど、長い時間をかけて形成したものを一朝一夕で変えることは無理なんだ。やっぱり、それだけの時間と努力が必要になってくるんだよ」
勇二 「憑依霊が「お馴染みさん」になって居ついちゃったら、それを取るには相当の努力が必要になる、ってことだね。できれば、そんな状態になる前の段階で、きちっと「撃退」できるようにならなきゃいけないね」
もし「マイナスのほうで心の針が止まってるな」とわかったら、すぐに修正をかける必要があるんだよ」
勇二 「たとえば、誰かに対する「怒り」や「憎しみ」や「恨み」や「嫉妬」の思いで、心の針が止まっていないかどうか。あるいは、人に言われた言葉がグサッと刺さってしまって、それがいつまでも引っかかったりしていないか。劣等感のとりこになって、心にいつもひずみをつくっていないか。あるいは、フッと気がつくと、上司の悪口だとか、夫の愛情不足だとか、環境に対する「愚痴」とか「不平不満」とかに、いつも心が行っていないか。
あるいは、名刺とか、肩書とか、お金とか、異性とか、お酒とか、食べ物とか、外見とか、容貌とか、そうしたものが欲しくて欲しくて、心がいつも執われていないか。あるいは、そうしたものが得られないという苦しみや焦りで、心の中にこだわりを作っていないか。クヨクヨしたり、堂々巡りしていないか。
そうしたことをチェックして、もし、心の中に「しこり」があれば、それを取り除くということ。引っかかりがなくなって、心の中が明るく爽やかでサラサラと流れていく状態になれば、地獄霊はその人に憑いてることができなくなるわけだもんね」
正太 「「憑依霊に憑かれている」ということは、その人が「心安らかに生きていない」「心穏やかに生きていない」ということと同じなんだね。憑依されているということは、「自分の心が明快ではない。明朗ではない」ということ。心の中に何らかの引っかかり、苦難や焦りがあるということを示しているんだ。
地獄霊が来ているということは、自分の心が悟っていないことの証拠なんだよ」
勇二 「物理学的にいえば、「心の波動が乱れている」ということ。心の波動に乱れがあるから、乱れた波動の世界(地獄)から、同じ波動の人間が寄り添ってきてるわけだよね」
正太 「この憑依という現象が実際にどんなふうに起きているのか、もう少し見といたほうがいいね。
たとえば、ある人が、出勤前に夫婦ゲンカをして、カッカしながら家を出たとするよね。会社に着いて、仕事に取りかかったけど、いつまでたってもムシャクシャしてしょうがない。すると、そのムシャクシャしている間中、おなじみの憑依霊がやって来て、その人にずーっと寄り添っているんだね。
ところが、お昼になって好物の天丼を食べに行ったら、これがすごく美味かった。そしたら、とたんに機嫌が直っちゃって(笑)、それまでの心の中のしこりが消えてしまった。すると、それまで憑いてた霊もいなくなる―こんな具合なんだよ」
勇二 「「心の状態」次第なんだね。その人の「心の状態」に応じて、ちょうど磁石に引き寄せられるみたいに、憑いたり離れたりしてるんだな。
でも、天丼一杯で、いつも都合よく心の状態が変わるわけじゃないからね(笑)。心の針がブレたら、自分の意志できちっと修正をかけなきゃいけないな」
正太 「あるいは、ある人が営業の仕事で会社を十軒訪問したけど、全部断られて戻ってきた。もう、ぐーっと落ち込んじゃってる。すると、自分の背中に、同じ心境の霊をピョコンとくっつけて帰ってきてるんだね。
これは、「営業で十軒回って断られた」という客観的な事実とは関係がないんだ。あくまでも、その人がそういう心の状態でいるから来てるんだね。同じように十軒断られても、ケロッとして「明日また頑張るぞー」なんて思っている人のところには来てないんだよ」
勇二 「心の針がマイナスの方に傾いたまま、「戻し」をかけずにいると、「類は友を呼ぶ」で来ちゃうんだな」
正太 「あるいは、「何かにすごくビビって、平常心がどこかに行っちゃった。もう、コワくてコワくてしょうがない」なんていう状態が続くと、同じ心境の霊がやっぱり「下」のほうから来るんだね」
勇二 「「何が来ようが全然ビビりません」という大人物もそんなにはいないだろうけど、少なくとも、「戻し」をかけられなきゃいけないね。ゴルフだって、ボールがフェアウェーを外れたら、リカバリー・ショットを打って戻すけど、それとおんなじことだよね」
正太 「結局、人間というのは、一人ひとりが放送局みたいなものなんだよ。あの世の地獄界や天上界からも、多種多様な波長の放送電波が出てるんだけど、自分が放送している想念の波長とピタッと一致するものがあると、そちらからやってこれるんだね。
ただ、憑依霊というのは「一定の期間はいるけど、しばらくするといなくなる」というのが普通なんだ。というのも、自分の本籍地は、あくまでも地獄のほうだから、憑いてる相手が憑依に適さない状態になると、そっちに戻らなきゃいけなくなるんだね。
ところが、(取り憑いた相手から)マイナスの思いが「たまに」じゃなくて、「くり返しくり返しいつも出る」という状態になると、憑依霊のほうは、その人のところに滞在できる時間が長くなってくるんだよ」
勇二 「「常駐」できるようになっちゃうんだな」
正太 「たとえば、誰しも、たまにはイラっとくることがあるだろうけど、それが習慣化して「ちょっとしたことですぐにイライラする」という具合になると、地獄霊のほうは、その人のところにだんだん居座れるようになるんだよ」
勇二 「マイナスの思いを出すのが癖になって、「愚痴っぽい」とか「ひがみっぽい」とか「欲張りだ」とかいうように、「魂の傾向性」になってくると、憑依霊は離れない状態になるわけだ。これは怖いことだよね。
でも、憑依霊の側からすれば、それこそ願ったり叶ったりなわけだ。だから、憑依した相手には、耳元であれこれささやいて、けしかけていくんだな」
正太 「人間の性格というのは、同じようなことを煩瑣にくり返しくり返し、心の中で思ったり、行動に移して、心に刻んでいくとできるんだ。特定の心の状態を「反復して長く継続する」と、できてくるんだよ」
勇二 「「地獄的な性格」をつくらないためには、マイナスの思いが出たら、すぐに反省してブレーキを踏むこと。芽のうちに摘んで、心の習慣にさせないこと―これが基本だよね。もしそれが「心の癖」になって、性格として固まってきたら、憑依霊は「常連客」になるし、心の経営は「万年赤字体質」になっちゃうからね」
正太 「性格というのは変えていけるものなんだけど、長い時間をかけて形成したものを一朝一夕で変えることは無理なんだ。やっぱり、それだけの時間と努力が必要になってくるんだよ」
勇二 「憑依霊が「お馴染みさん」になって居ついちゃったら、それを取るには相当の努力が必要になる、ってことだね。できれば、そんな状態になる前の段階で、きちっと「撃退」できるようにならなきゃいけないね」