正太 「地獄に堕ちる原因は「執着」だし、実際、地獄に堕ちている人というのは、生前この世的な価値観に惹かれていた人が多かったんだけど、じゃあ、なぜこの世的な評価にそんなに執着するのかというと、そうしたものを得ることによって、結局「他の人から、もっと愛が欲しい、愛をもらいたい」ということなんだね。
そうした「人から愛されたい、評価されたい」という思いが精神的なものなら、肩書きとか名誉、あるいは他人からの優しい言葉や気持ち、丁重な扱いとかになってくるし、それが物質的なものなら、食べ物、着るものから始まって、お金とか年収とか家とか車とかになってくるわけなんだ」
勇二 「なるほどね。要するに「人から称賛されたい」っていうか「他人から羨ましく思われたい」っていうか、見栄とか虚栄みたいなものだね。さっき君が言った言葉を使えば、「人のために尽くそう」とか「人のために愛を与えよう」という「与える愛」じゃなくて、「人から自分の方に愛を向けさせよう」「人から自分へと愛を集めよう」という「奪う愛」なわけだ」
正太 「うん。ただそうした執着の対象になるようなこの世的なものは、あの世に何も持って還れないし、評価の対象にもならないんだよ」
勇二 「心しか持って還れないわけだね」
正太 「うん。そして、あの世に還ってきたとき問われるのは、果たして、「執われのない自由な心を持って還ってきたかどうか」「執着のない心を持って還ってきたかどうか」「本来の霊性、地上に生まれていく前に持っていた天真爛漫な心を持って還ってきたかどうか」それが問われるんだよ」
勇二 「うーむ」
正太 「どれだけこの世で地位や学歴や財産があろうと、また、たくさんの部下が下にいようが、お手伝いさんたちに囲まれて暮らしていようが関係ないんだ。心一つがどうなのか。「円満な、調和の取れた、執着の少ない心であるのか」「多くの人たちを幸福にしてきた心だったのか」「他の人の喜びを自分の喜びにしてきた心だったのか」それが問われるんだよ」
勇二 「そうか。「欲しい欲しい」という執着が少なくて、「大勢の人たちを幸せにしよう」と努力してきた心だったかどうかが、問題にされるんだね」
正太 「そう。そして、その人のあの世での位置を決めるのは「心境の高下」。つまり、その人の心が、どれだけ愛に満ちていたか。どれだけ、与える心、生かす心、許す心、感謝する心を持っていたか。その人の心がどれだけ広く、またその「志」がどれだけ高かったか。その人格が、その心境が、どれだけ神様に近かったか、仏に近かったか。あの世での評価の基準はこれ以外に何もないんだよ」
そうした「人から愛されたい、評価されたい」という思いが精神的なものなら、肩書きとか名誉、あるいは他人からの優しい言葉や気持ち、丁重な扱いとかになってくるし、それが物質的なものなら、食べ物、着るものから始まって、お金とか年収とか家とか車とかになってくるわけなんだ」
勇二 「なるほどね。要するに「人から称賛されたい」っていうか「他人から羨ましく思われたい」っていうか、見栄とか虚栄みたいなものだね。さっき君が言った言葉を使えば、「人のために尽くそう」とか「人のために愛を与えよう」という「与える愛」じゃなくて、「人から自分の方に愛を向けさせよう」「人から自分へと愛を集めよう」という「奪う愛」なわけだ」
正太 「うん。ただそうした執着の対象になるようなこの世的なものは、あの世に何も持って還れないし、評価の対象にもならないんだよ」
勇二 「心しか持って還れないわけだね」
正太 「うん。そして、あの世に還ってきたとき問われるのは、果たして、「執われのない自由な心を持って還ってきたかどうか」「執着のない心を持って還ってきたかどうか」「本来の霊性、地上に生まれていく前に持っていた天真爛漫な心を持って還ってきたかどうか」それが問われるんだよ」
勇二 「うーむ」
正太 「どれだけこの世で地位や学歴や財産があろうと、また、たくさんの部下が下にいようが、お手伝いさんたちに囲まれて暮らしていようが関係ないんだ。心一つがどうなのか。「円満な、調和の取れた、執着の少ない心であるのか」「多くの人たちを幸福にしてきた心だったのか」「他の人の喜びを自分の喜びにしてきた心だったのか」それが問われるんだよ」
勇二 「そうか。「欲しい欲しい」という執着が少なくて、「大勢の人たちを幸せにしよう」と努力してきた心だったかどうかが、問題にされるんだね」
正太 「そう。そして、その人のあの世での位置を決めるのは「心境の高下」。つまり、その人の心が、どれだけ愛に満ちていたか。どれだけ、与える心、生かす心、許す心、感謝する心を持っていたか。その人の心がどれだけ広く、またその「志」がどれだけ高かったか。その人格が、その心境が、どれだけ神様に近かったか、仏に近かったか。あの世での評価の基準はこれ以外に何もないんだよ」